2011年11月10日木曜日

わたしなりの発掘良品『チャンス』(1979)

チャンス(1979)
Being There
監督:ハル・アシュビー


イェージー・コジンスキー原作・脚本。庭師チャンスは老人の死によって屋敷から追われ、見知らぬ外界へ放り出される。生まれて以来、まったく社会と関わりを持たず、読み書きを知らず、ただテレビだけを友にしながら暮らしていたこの男は老人から与えられた極上の服をまとい、立派な押し出しでワシントンの町に現われ、アメリカ金融界の大物の車に轢かれて傷を負うと治療のためにその家に招かれる。そして立派な押し出しによって上流人士であると誤解され、物怖じしない様子から大人物であると勘違いされ、素朴な庭師としての発言はことごとくアメリカ経済の先行きを示す貴重な指標として大統領の演説に引用され、次期大統領候補として目されていく。
現代版カスパー・ハウザーという感じの話だが、周囲の人物はこの庭師が一種の精薄であることに最後まで気がつかないのである。この主人公とアメリカ権力中枢との対照がグロテスクで、行き場のない話を作り上げている。ピーター・セラーズは庭師チャンスを厳かな表情と厳かなほど緩慢な台詞回しで巧みに演じ、不思議なほどのリアリティと魅力を与えている。冒頭、庭を追われたチャンスが山高帽に傘をぶら下げた姿で国会議事堂の前に現われ、そこにリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ(ただしデオダート版)」が重々しくかかり、映画の寓話としての指向性が明確に示され、何かこの世ならぬ雰囲気をかもし出して見る者を何か興奮させる。 
チャンス [DVD]

Tetsuya Sato