2012年3月31日土曜日

ビグルス・時空を越えた戦士

ビグルス・時空を越えた戦士
Biggles: Adventures in Time
1986年 イギリス 92分
監督:ジョン・ハフ

1930年代に誕生したイギリスの架空のヒーロー、いわゆるビグルスが主人公で、ビグルスが第一次大戦を舞台にドイツと戦っていると、そこへドイツ軍のパラボラ型の秘密兵器が実にいかがわしく顔を出し、さらにビグルスと時空を越えて双子であるところの現代ニューヨークの料理評論家がタイムスリップして現われる。現代と過去を結ぶ言わば狂言回しが黒いコートをまとったピーター・カッシングで、なぜかロンドン橋に潜んでいるのである。ジョン・ハフがきわめて軽快なタッチで演出をして楽しい映画に仕上げている。


Tetsuya Sato

2012年3月30日金曜日

ガンバス

ガンバス
Sky Bandits
1986年  イギリス 93分
監督:ゾーラン・ペリシック

バーニーとルークの二人組は西部で銀行強盗を繰り返していた、というよりもダイナマイトの量をまったく加減する気がないので正確には銀行を吹っ飛ばしていたが、ある日、自分たちのダイナマイトの適量に見合う銀行を見つけて早速押し入ったところ、あっという間に御用になり、舌先三寸で逃げを打つと瞬時に軍隊に放り込まれ、西部戦線に送られる。第一次大戦中なのである。戦線をうろついていると目の前にドイツ軍の巨人爆撃機が浮かんでいるのでそれをぶつぶつ言いながらピストルで撃墜し、イギリスの航空兵と賭けをして飛ばしたことのない飛行機を飛ばし、空で迷子になって落ちたところがたまたまイギリス軍特攻部隊で、指揮官バノック大尉に妙な具合に気に入られて、というか強引に取り込まれる形でこの特攻部隊の一員となると、早速スイスへの逃亡を図るが、そのためには戦線を突破する必要があり、しかも上空にはドイツ軍の超巨大飛行船が雲に姿を隠して遊弋し(雲から潜望鏡を下ろして下界を覗いている)、それであれやこれやとしているうちに特攻隊と空中戦艦の決戦になり、ドイツ空中戦艦が機銃と大砲で弾幕を張り、ロケットを発射し、空中機雷を射出するなか、イギリス特攻隊が(本部からまともな飛行機を回してもらえないので)自家製の得体の知れない飛行機を連ねて突っ込んでいく。
秘密メカ満載という世界なのである。主人公二人の間抜けなキャラクターがなかなかに笑えるし、イギリス側、ドイツ側もそれぞれにキャラクターを立て、特攻隊の指揮官が「死と栄光を」と叫べば、空中戦艦の指揮官はわざわざ雲のなかから降りてきて「これが未来の戦艦だ、わはははは」などと笑い、特攻隊のマッド整備士は自分がドイツ軍にいると思い込んでいる。いささか不器用に作られた映画ではあるが、作り手の素材に対する愛着が見え、たいそう楽しくてほほえましい。 


Tetsuya Sato

2012年3月29日木曜日

ディセントZ 地底からの侵略者

ディセントZ 地底からの侵略者
The Burrowers
2008年 アメリカ 96分
監督・脚本:J.T.ペティ


1879年のダコタ準州。開拓民の一家が惨殺され、別の一家がそろって行方不明になり、近郷の男たちは騎兵隊と合流して捜索にかかるが、騎兵隊の隊長は最初からスー族のしわざだと決めつけて見つけたスー族の男を拷問にかけ、これではらちが明かないと考えた男たち四人は騎兵隊と別れて別行動を取るが、夜間に何者かに襲われて一人が首に傷を負う。スー族の説明によれば一帯では三世代に一度、地中に棲む種族が現われて狩りをするが、獲物にしていたバッファローが白人による乱獲のせいで減ったので、かわりに人間の味を覚えて人間を捕え、体内に毒を注入してから地面に埋めて、毒がまわって柔らかくなったところへ再び現われ、犠牲者は生きながら内臓をすすられることになるという。
ほぼ全編にわたって野蛮が支配し、人命は軽く、登場人物も宿命的に倒れるので主人公と言えるような主人公も登場しない。『宇宙戦争ZERO』(High Plains Invaders)のようにモンスター系のフレームにただ西部劇を持ち込むのではなく、西部劇に独自のフレームを与えた上でモンスターを自然な形で埋め込んでいる。話法につたなさが見えるものの作りは良心的で、画面は厚みがあり、雰囲気はよくまとめられていると思う。地中の怪物はCGおよびメカニカルで、それなりの数がそれなりに不気味な姿で出現し、ゴア表現にも遠慮がない。imdbによると原型になったテレビシリーズがある模様。






Tetsuya Sato

2012年3月28日水曜日

宇宙戦争ZERO

宇宙戦争ZERO
High Plains Invaders
2009年 カナダ 88分 TV
監督:クリストファー・タボリ


1892年のコロラド。小さな町で列車強盗の公開処刑が始まろうとしていたころ、その町に機械でできた虫のような怪物が現われて住民を殺し、生き延びた数人が戦う。西部劇の世界にエイリアンの戦闘兵器が、という着想は面白いものの、そこから先の発展がない。発展がないから困った末にどうなるのかというと、生存者のなかにいきなり科学者が混じっていて、自分は近くでウランの精製をしていると告白し、宇宙から飛来した怪物もウランを狙っていると推理してウランをエサにおびき寄せると怪物たちはウランを喜んで食べるので、ウランを食べた怪物は可燃性が高くなる、とさらに推理を進めた科学者が自己犠牲で火を放つとこれが実によく燃えて上空にいたエイリアンの母船までが都合よく吹っ飛んでくれるのである。カナダ製のこの手のテレビ映画にスケールを期待していたわけではないが、登場人物は序盤の町の住民を含めて十人ほど、馬が全部で三頭ほど、怪物も予算の関係があって同時にたくさんは登場しない。撮影はおおむねきれいだが中身がないし、そもそも西部劇にしている意味が見当たらない。






Tetsuya Sato

2012年3月27日火曜日

ドラゴンファイター

ドラゴンファイター
2002年 アメリカ 95分(ビデオオリジナル)
監督:フィリップ・J・ロス


12世紀初頭のイングランド。鎧の騎士たちが洞窟の奥でドラゴンを相手に至って生ぬるく戦っていると落盤が起こる。それからいきなり1000年後のカリフォルニア。核シェルターを改造して地下深くに作られた遺伝子工学の研究所にイギリスで発見された謎の生物の遺伝子が持ち込まれる。研究所では絶滅動物の復元などをもっぱらにおこなっていたので早速実験を開始してみると、これがもちろんドラゴンの遺伝子なので3時間ほどで歩き回って人を殺したり火を吹いたりするようになる。武器はまるで歯が立たないが、ところがこのドラゴンには一つだけ弱点があった。温血動物だから暑がりなので、冷たい空気を求めて空調装置の噴出し口に近寄ってくるという習性があった。それならば噴出し口を制御してドラゴンを出入り口から遠ざけて、その隙に脱出しようという話になってやってみると、なんと研究所自体が熱暴走を始めてしまう。そこで博士がぼそっと言うのだ。このまま放置しておけば広島の2分の1の規模の核爆発が2時間後に起こることになる。その後の「2倍じゃなくてよかったよ」という台詞はなかなかに気が利いていたが、つまり、この映画を作った連中は考えたりするのがあまり得意ではなかったらしい。こういう内容の映画でスプリット・スクリーンを使ってみるという妙に実験的な取り組みも、妙なだけに考えた結果ではなかろうと思うのである。
で、結局この博士が諸悪の根源で、やたらと尊大だったり嫌味だったりする割にはひどく頭が悪いので、これはきっと何かあるなと思っていたら案の定、正体は単なるドラゴン・オタクで記念に写真を一枚に撮りたかっただけなのであった。何かというとヒューズが飛んでしまうような安っぽい研究所でドラゴンを復元してはいけない。 


Tetsuya Sato

2012年3月26日月曜日

ダゴン

ダゴン(1971)
Dagon
監督:スチュアート・ゴードン


ラブクラフトの『インスマウスの影』の映画化。ブライアン・ユズナのスペインのプロジェクトの製作で、現代のスペインの話に変更されている。舞台となるインボッカというのはインスマウスの直訳であろう。登場人物には若干の追加変更があるものの、おおむねにおいて原作に忠実な内容となっている。話の性格上どうしても必要になる特殊なデザインにはやや不満を感じたものの、冒頭の嵐から町の中の陰鬱な雰囲気、群れをなして追ってくる住人といった場面は満足できる水準に達しているのではないだろうか。ただラブクラフトだったら絶対にやらないような性的要素、サディスティックで容赦のない描写が織り込まれているのは多分に監督の趣味だと思うのである(顔面の皮を剥ぐ場面のご丁寧な描写はちょっと参った)。つまり予想はしていたことだけど品が悪い。好みから言うとちょっと違う、というのが感想だけど、力作なのは間違いない。それにラブクラフトは映画化されることが少ないので、こうして見られるだけでもうれしいという本音があったりもするのである。 



Tetsuya Sato

2012年3月25日日曜日

トロール・ハンター

トロール・ハンター
Trolljegeren
2010年 ノルウェイ 103分
監督:アンドレ・ウーヴレダル


大学生のドキュメンタリー撮影チームがクマの密猟をしているハンターの噂を聞きつけ、その所在をつきとめて近づいていくと、そのハンターが狩っているのはクマではなくてトロールであることが判明し、しかも密猟をしているのではなくてノルウェイ政府の秘密機関の指示を受けてテリトリーから逃げ出したトロールを追いかけていて、テリトリーから逃げ出したトロールがウシやヒツジ、ドイツ人観光客などを殺害すると、そのトロールをエサやキリスト教徒の血でおびき出すと紫外線をあてて攻撃し、いたって淡々と処分してからノルウェイ政府がポーランドから密輸入しているクマ(これ、スカンジナヴィアのクマじゃないぞ。クロアチアのクマですけどね、どうせわかりゃしませんよ)をトロールの代わりに置いてトロールの存在を隠蔽しているのであった。全体としてはややアイデア倒れの気味があるし、いわゆるPOVの形式であるにもかかわらず、ときどき形式を忘れているようなところがある。とはいえ細部は丹念に作り込まれているし、トロールの見せ方などはなかなかにうまくて、特に体長60メートルの巨大トロールが出現するシーンのもったいぶりには感心した。一見の価値はあると思う。



Tetsuya Sato

2012年3月24日土曜日

バトルライン

バトルライン(2001)
Sword of Honour
監督:ビル・アンダーソン


第二次大戦前夜、フィレンツェに住むカトリックのイギリス人ガイ・クランチバックは戦争の気配を感じて本国に戻り、入隊を望んで多方面に志願するが高齢(35歳)を理由に断られ、偶然に助けられてハルバディア連隊の将校となって北アフリカ、クレタと歴戦し、クレタ撤退後は本国勤務を経てユーゴスラビアへ派遣され、パルチザンの対独戦を支援する任につく、というようなことをしているあいだに、この善良でまじめな主人公の周囲に奇怪な人物が次から次へと現われて勝手に奇怪なことをしでかすコメディである。出色はハルバディア連隊の准将で、北アフリカでもユーゴスラビアでもどこからともなく走り出て、たったひとりでドイツ軍と戦争を始めていた。
けったいな邦題がついているけどイヴリン・ウォー『Sword of Honour』三部作を原作とする3時間のTVドラマで、ペンギン版でも4センチ半くらいの厚みになる原作をどの程度刈り込んでどう改変を加えたのか、読んでいないのでまったく見当がつかないが、全編に漂う冷笑的な雰囲気はすぐれてイヴリン・ウォー的であり、そのあたりの気配は十分に移植されているのではないか、と勝手に推測している。登場人物はいずれもよく作り込まれ、ダニエル・クレイグは実直な主人公を実にいい感じに演じていた。面白い。



Tetsuya Sato

2012年3月23日金曜日

戦略大作戦

戦略大作戦(1970)
Kelly's Heroes
監督:ブライアン・G・ハットン


1944年のフランス某所。雨の中を移動するドイツ軍の列の中になぜかアメリカ軍のジープが一台停まっている。兵士たちはみな俯いて歩いているので気がつかないが、交通整理の憲兵がふと気がついて、その瞬間にジープは急発進して夜の闇へ走り去る。ジープは砲弾が降り注ぐ中、前線を越えて自軍の陣地に滑り込み、ジープから降り立ったケリー二等兵(クリント・イーストウッド)は部隊の仲間に重大な報せをもたらす。ものすごい量の金塊が銀行に保管されているのである。ただし、その銀行はドイツ軍の占領地域内にあって、ドイツ軍に守られているのである。そしてノルマンディー上陸以来、前線にへばりついて損な目にばかり遭ってきた偵察中隊の面々は、まるで働かない隊長が将軍のお使いでパリへ買い物に出かけたのをいいことに、みんなで相談して決めるのである。お国のためにはもう十分に戦った。だから今度は自分たちのために戦争をしよう。そこでケリー二等兵とテリー・サバラスほかの仲間たちは準備にかかり、まず兵隊仲間に掛け合って航空写真を用意し、支援砲撃も用意し、さらにシャーマン戦車3両を確保すると、夜の闇を突いて前線を突破する。私利私欲のためにドイツ軍に攻撃を加え、地雷原を越え、ドイツ軍の陣地を殲滅し、渡れない川には橋をかけ(ちゃんと架橋部隊を呼ぶ)、金塊を目指して進んでいくのである。だが銀行の前にはタイガー戦車が!
戦争映画の大傑作。ドナルド・サザーランドが演じたオドボールもまたこの映画とともに歴史に残ることになるであろう。機械のことは何もわからない(いや、俺は乗ってるだけ)くせにシャーマン戦車部隊の指揮をおこない、しかもその部隊にはなぜか最初から将校がいない(将校は嫌いだ、ふふふふふ)。楽観的に、楽観的に、と繰り返しながら、たぶんこいつがいちばん悲観的で、ただ、猛烈にいい加減にやっているから誰もそのことに気づかないだけなのである。あとはやはりキャロル・オコナーであろう。頭のおかしい将軍といえば、このひとしかいない。




Tetsuya Sato

2012年3月22日木曜日

レマゲン鉄橋

レマゲン鉄橋(1969)
The Bridge at Remagen
監督:ジョン・ギラーミン


大戦末期の1945年。ライン川にかかるオーバーカッセル橋はアメリカ軍の侵攻を阻むためにドイツ軍の手によって爆破され、残るはレマゲン橋のみとなった。フォン・ブロック将軍はレマゲン橋爆破の命令を受ける。だがライン川の対岸には第15軍、75000人が取り残されていて、その退路を確保するために将軍は独断で命令を変更し、橋を守るためにクルーガー少佐を派遣する。ところが現地へ到着してみると橋の守備隊は予備役や子供ばかりで全部を集めても200名に足らず、守備隊の指揮官は地元の学校の校長で、爆破工作のために送られた技術大尉は文句しか言わない。しかもフォン・ブロック将軍が約束した応援はまったくの嘘で、地元の有力者は連合軍を迎えるために女中に白旗を用意させていた。
一方のアメリカ軍はソ連軍がすでにエルベ川に迫っているという理由で急ぎ始めていて、将軍はメッケンハイムまで急遽威力偵察をおこなうように命令する。そこで野心家のバーンズ少佐は配下の部隊を前線を越えて先に送り、中隊長のコルト大尉は先を急ぐあまりに敵の対戦車砲の攻撃を受けて戦死し、指揮を継いだハートマン中尉はとにかくくたびれてふてくされていて、上に対しても下に対してもからむことしか考えていない。それでもメッケンハイムに到着してドイツ軍の撤退を確認し、さらにライン川に迫って鉄橋を見下ろすレマゲンの町へ近づいていく。
ハートマン中尉の部隊は丘の上の教会で最初の抵抗に遭遇する。それを排除すると眼下には鉄橋が現われ、戦功を急ぐバーンズ少佐も現われて、ドイツ軍が橋を破壊してしまう前に、こちらで橋を破壊したいということで攻撃命令が下される。腐りまくったハートマン中尉と配下の部隊はドイツ軍が一刻も早く橋を爆破してくれることを願いながら前進を開始し、そこへやってきたアメリカ軍の将軍は考えを改め、やっぱり橋を確保すると言い始める。つまりドイツ軍が橋を破壊してしまう前に、ドイツ軍が仕掛けた爆薬を除去しなければならなくなって、ハートマン中尉の部隊は戦死者を出しながら橋の下にもぐり込んでいく。
もちろんドイツ軍はそれに気がつき、技術大尉は速やかな爆破をクルーガー少佐に進言し、クルーガー大尉はくわっと目を見開くと避難民を収容したトンネルへ走っていって、橋の爆破がおこなわれること、危険なので耳を塞いで伏せていなければならないこと、などを伝達する。そうしているうちにアメリカ兵たちは爆薬をどんどんむしり取って川に捨て、技術大尉はクルーガー少佐が戻るのを待って起爆装置を起動する。ところが爆発が起こらない。アメリカ軍の砲撃で導火線が破壊されていたのである。だがドイツ軍は発火装置のバックアップを用意していて、技術将校が橋へ走って爆薬に手動で点火する。導火線に炎が走り、ドイツ軍もアメリカ軍も橋から逃げ出し、遂に爆発が起こって橋は爆煙に包まれ、煙が晴れて、おそるおそるに見てみると、なんと橋は壊れずに残っているのである。技術大尉は爆薬の品質について文句を言い、クルーガー少佐は徹底抗戦を叫んで手元の兵士を集めるが、すでに負傷兵しか残されていない。そこから二人が戦闘を嫌って逃げ出していくのでクルーガー少佐は逃げる兵を背後から撃ち、その一件で守備隊の士気は一気に低下する。地元校長の大尉も良心にしたがって命令を拒否してしまうので、クルーガー少佐は最後の望みをかけてフォン・ブロック将軍の司令部へ走る。
冒頭、オーバーカッセル橋の確保を目指してアメリカ軍の車列が高速で進み、対岸から敵の砲撃を受けると車列先頭を進む一団のM24が走行射撃で応戦するという場面があって、これはそうとうな見物になっている。レマゲン橋をはさんだ双方の状況も明確で、その点では悪い話ではないものの、いかんせん登場人物に魅力がない。ジョージ・シーガルのハートマン中尉もロバート・ヴォーンのクルーガー少佐も明らかにミスキャストなのである。ジョージ・シーガルは一見して線が細くてタフな兵隊には見えないし、ロバート・ヴォーンはどう気取ってもみても軽さが悪目立ちするだけで貴族出のドイツ軍将校には見えてこない。キャスティングに配慮して、功名心ばかりの少佐といった余計なキャラクターは取り除いて、もう少し状況描写に力を入れれば硬派のアイデアをもっと生かすことができたような気がするのである。




Tetsuya Sato

2012年3月21日水曜日

大列車作戦

大列車作戦(1964)
監督:ジョン・フランケンハイマー


1944年。解放を間近に控えたパリ。ドイツ軍のワルデハイム大佐は貴重な絵画のコレクションをドイツ本国へ送ろうとするが、フランス鉄道員の妨害に遭う。まず駅名の表示を変更して路線を偽装し、すでにドイツ国内に戻ったと信じ込んでいるドイツ軍を乗せたままパリの周囲をうろうろさせ、出発点まで引き寄せてから鉄道事故で輸送列車を挟撃し、それでもドイツ軍が列車を動かすと、今度は線路に爆薬を仕掛け、そうしているうちにパリは解放されてしまうのである。
レジスタンス・グループのリーダーがバート・ランカスターで、これはフランス人には見えようがない。ワルデハイム大佐がポール・スコフィールドで、これは一種の悪凝りのように見えなくもない。見どころというのはおもに脱線で、祖国の美術品を守るためにとにかく脱線するのである。そのたびに立派な機関車は転がったり吹っ飛んだりするので見て心が痛むのだが、とにもかくにも迫力はある。ジョン・フランケンハイマーの演出はテンションが高く、無駄が排してあるので見ていて心地よい。 






Tetsuya Sato

2012年3月20日火曜日

アンストッパブル

アンストッパブル(2010)
Unstoppable
監督:トニー・スコット

ペンシルヴァニアの鉄道で勤続28年のベテラン機関士と勤続四か月の新米車掌のコンビが貨物列車を走らせていると、同じ鉄道の操車場で有毒物質やディーゼル燃料を満載した全長800メートルの貨物列車が暴走を始め、前方から機関車で押さえつけて停止させる作戦は失敗し、強制的に脱線させる作戦も失敗し、そのまま放置しておくとスタントンの町の大曲りで脱線して大惨事を引き起こすことになるので、ベテラン機関士は列車を修理線に入れて暴走機関車をやり過ごしたあと、貨車を切り離して機関車だけで暴走する列車のあとを追う。
主役は暴走する機関車で、ありがちな「人間ドラマ」は大きく背後へと退いていて、ほぼ90分の上映時間は列車が暴走を始めてから停まるまでのあいだの「絵」をつなぐために使われ、きわめて速い場面つなぎとニュース映像の多用によって巧みに臨場感を維持している。まず絵があって、余計なものがほとんどない、という点で、きわめて思い切りのよい作りが心地よい。 




Tetsuya Sato

2012年3月19日月曜日

暴走機関車

暴走機関車(1985)
Runaway Train
監督:アンドレイ・コンチャロフスキー


アラスカ、ストーンヘヴン重警備刑務所の囚人マニーは脱走したことで三年にわたって懲罰房に送られていたが、司法がこの処分を不当と判断したことで刑務所の所長ランケンは本意に反してマニーを解放するが、懲罰房から放たれたマニーはすぐさま脱獄を考え、マニーを英雄としてあがめる若い囚人バックの助けを得て刑務所から逃れ、バックとともに零下30度の雪原を越えて列車の操車場にたどり着くとそこで直観にしたがって四重連の機関車の最後尾に乗り込み、すると先頭の機関車では機関士が心臓発作を起こして列車から落ち、列車は様子のわからない脱獄囚二人を乗せて暴走を始め、鉄道の指令所では列車が無人であると考えて脱線の決定を下し、まさしく脱線しようという寸前で列車が汽笛を鳴らすので、無人であるはずの列車が実は無人でないことがわかり、指令所は脱線の指示を翻してポイントを戻し、汽笛を鳴らした機関助手は脱線を予期して四重連の最後尾に現われ、機関助手の話から事情を知った囚人二人は列車から飛び降りて逃れようとするが、すでに速度は120キロを超え、機関助手の助言にしたがって連結器の隣のケーブルを切り離すことで速度を落とすことに成功はするが、四重連の三両目は車体が流線型で先頭車両に達する手段はなく、そうして往生しているところへランケン所長を乗せたヘリコプターが現われて所長が部下を降下させるが、部下は機関車の窓ガラスに叩きつけられてどこかへ消え、マニーは割れた窓から身を乗り出して所長をののしり、所長に挑戦し、割れた窓から外へ出て先頭機関車に飛び移ると所長もまたヘリコプターから単身で降下して機関車に移り、マニーは運転室で待ち伏せて所長と対決する。人生を見失ったマニーは復讐欲と自己憐憫のあいだを暴力的に揺れ動き、そのマニーを単なる復讐欲のかたまりへと追いつめる所長はもう何がなんだかよくわからない。ジョン・ヴォイトが目を見開き、歯を食いしばってマニーを熱演し、ジョン・P・ライアンがランケン所長を怪演している。マニーの相棒バックがエリック・ロバーツ、機関助手サラがレベッカ・デモーネイ。序盤、刑務所内のボクシングのシーンでエリック・ロバーツと対戦するボクサーの役でダニー・トレホが登場する。ダニー・トレホはこれが映画初出演。衝突によって異形の怪物と化した機関車が重低音をとどろかせながら雪原を疾走する様子には異様な迫力があり、氷雪をまとう機関車の車体は見る者の心を凍てつかせ、氷結した鋼鉄と血をほとばしらせる肉体の対比が痛々しい。運命を乗せたまま霧氷のかなたへと走り去る機関車の姿はどこまでも重たくてむなしくて、さすがにコンチャロフスキーであるなあと感心する。 






Tetsuya Sato

2012年3月18日日曜日

長ぐつをはいたネコ

長ぐつをはいたネコ
Puss in Boots
2011年 アメリカ 90分
監督:クリス・ミラー


長靴をはいたネコで首に賞金がかかったプスはジャックとジルの夫婦が持つ魔法の豆を狙うが、そこへ現れた謎のネコによって邪魔され、謎のネコを追っていくとネコの巣窟にたどりつき、そこで謎のネコとダンス対決をしたところ、謎のネコの正体はメスネコのフワフワーテであることがわかり、相手がメスであることがわかるとプスはとたんに態度を変えるが、そのプスの前に現われたのは古い因縁のあるハンプティ・アレクサンダー・ダンプティで、ハンプティ・ダンプティは魔法の豆を奪ってしかるべき場所に豆を植えて、魔法の豆の蔓を伸ばして雲の上の巨人の城に侵入し、金の卵を奪う計画を語り、古い因縁によってプスはハンプティ・ダンプティの誘いに背を向けるが、フワフワーテの誘いに乗って一味に加わり、ジャックとジルから魔法の豆を奪い取ると、それをしかるべき場所に植え、魔法の豆の蔦を伝って雲の上の巨人の城を訪れて金の卵を産むガチョウのヒナを発見し、それを奪って地上に戻ったところで陰謀の全貌があきらかになる。『シュレック』シリーズからのスピンアウトで、監督も『シュレック3』のクリス・ミラー。『シュレック』シリーズである種の批評性を発揮していた夾雑物を剥ぎ取って、かなりすっきりとしたピカレスク・ロマンとしてまとめているが、そのすっきりとしたところが正直すぎて、見ていてどうにも物足りないし、背景の類似から『ランゴ』との比較になると、これはどうにも分が悪い。ひどくあっさりしているのである。ただ、ネコ成分はそれなりにたっぷりと入っていて、プスのほかにもネコがたくさん登場してなにやらにゃらにゃらしているのを見るのは楽しいし、ガチョウのお母さんもそれなりの迫力で登場する。 




Tetsuya Sato

2012年3月17日土曜日

ネコのミヌース

ネコのミヌース
Minoes
2001年 オランダ 83分
監督:フィンセント・バル


雌ネコのミヌースはトラックの荷台から転がり落ちたドラム缶の中身の臭いを嗅いだとたん人間になり、町の新聞記者ティベの部屋に転がり込む。ティベは人見知りをするためにまともな記事を書くことができず、解雇される瀬戸際にあったが、ミヌースが近所のネコから聞き込んだ話を記事にすると一躍トップに躍り出る。その頃、町の名士で動物友の会の会長でもあり、芳香剤工場の経営者でもあるエレメートは工場の拡張を計画していたが、その正体はネコ嫌いであり、ネコの証言を信じてエレメートの告発記事を書いたティベはエレメートの抗議を受けて新聞社を解雇され、アパートの大家からは立ち退きを要求され、町の嫌われ者となるが、ミヌースとネコたちと大家のところの女の子の活躍でエレメートのネコ嫌いが全市民の前で立証され、ティベは一躍英雄になる、というようなゆるいお話で、どちらかと言えば素人臭い作りが目立つ。ただ、当然ながらネコがたくさん出てくるし、わたしの好みのショートヘア系に偏っているので、おお、かわいい、などと言っているうちについ最後まで見てしまう。 






Tetsuya Sato

2012年3月16日金曜日

サバタ 西部決闘史

西部決闘史(1972)
E tornato Sabata... hai chiuso un'altra volta
監督:フランク・クレイマー(ジャンフランコ・パロリーニ)

サバタ・シリーズ第三作。リー・ヴァン・クリーフ主演のマカロニ・ウエスタン。
西部の町ホブソンビルでは再開発計画が進行中で、土地という土地には様々な施設の建設予定を告知する看板が立ち並び、市内ではその資金にあてるために高率の間接税が課せられていたが、サバタが睨んだところでは計画を仕切っている男マッキントックは市長とぐるで、集められた資金はもちろん私腹を肥やすために貯め込まれているのであった。貯めに貯め込んだところで持ち逃げを図るに違いない。そう読んだサバタは南軍時代の部下やシリーズ常連を仲間に引き入れ、マッキントックの金を狙う。マッキントックは口では暴力を嫌悪しながらも大人数の悪党を従え、それでも暴力は厭うのでサバタの暗躍に気がついてもいっこうにやることが要領を得ない。この、要領を得ないというところがサバタの敵役の特徴であろう。ちなみに今回はサバタの側にも問題があって、南軍時代の部下というのは町で賭博場を経営している優男で、マッキントックの女房を寝取っている上にサバタを裏切ることしか考えていない。というわけで前途は多難であったが複雑な話ではないので結局はサバタの思い通りになるのであった。サバタかっこよすぎ。殺陣はかなり進歩していて、もはや寝転ぶような感じはしない。
サバタの怪しい七連発デリンジャーは健在で、加えて普通の四連デリンジャー、掌に隠して使うパーム・ピストル(なぜ連発できるのか?)やナックル・ダスター(メリケン)型バリエーションなどが登場する。こういう妙な銃器の活躍を見ることができるのは、おそらくこの映画だけであろう。
西部決闘史 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年3月15日木曜日

サバタ 大西部無頼列伝

大西部無頼列伝(1971)
Adios, Sabata
監督:フランク・クレイマー(ジャンフランコ・パロリーニ)


サバタ・シリーズ第二作。ユル・ブリンナー主演のマカロニ・ウエスタンで、背景はマクシミリアン帝時代のメキシコ革命。だから、ということなのか、オーストリア人の悪い大佐がメキシコ人の革命の闘士たちを前装式単発銃をとっかえひっかえしながら殺戮したりしているのである。
で、悪い大佐はただもう悪いので、自分の部隊が輸送している砂金を強奪したりするわけだけど、そこへサバタが革命の戦士たちを率いて現われて、砂金を強奪した連中から砂金を強奪していってしまう。砂金を強奪した連中はガトリング砲まで持っているのに、サバタがインチキなライフル(シガレットケースが弾倉になっていて、それを薬室へ挟み込むと連発銃になる)で撃ちまくると寝転ぶような感じで全滅し、報告を受けて事件を知った悪い大佐は伝書鳩を飛ばしてテキサスから悪い黒服軍団を呼び寄せる。で、この黒服軍団はなんだか全員がデリンジャーで武装していて、それで銃撃戦をしたりするわけだけど、もちろん命中するわけがなくて、サバタにインチキ・ライフルで撃たれて寝転ぶような感じで死んでいく。で、そのサバタの方は奪い取った砂金を中身を確かめずに持っていて、ようやく袋の中を改めてみると、砂が出てくるのである。そこでオーストリア人の悪い大佐に乗り込んでいって対決するというような運びになっていて、ガトリング砲が火を吹き、ニトロの小瓶が宙を舞い、撃たれた兵士たちが寝転ぶような感じで死んでいく。
いちおう「サバタ」なので主人公は怪しい銃を使ったり、合間にショパンの連弾をしたりということをするけれど、ユル・ブリンナーという真面目そうなキャラクターはそうしたいかがわしさといささか対立するものがあって、どうにも似合わないのである。やっぱりサバタはリー・ヴァン・クリーフであろう。




大西部無頼列伝 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年3月14日水曜日

サバタ 西部悪人伝

西部悪人伝(1970)
Ehi amico... c'e Sabata, hai chiuso!
監督:フランク・クレイマー(ジャンフランコ・パロリーニ)


サバタ・シリーズ第一作。リー・ヴァン・クリーフ主演のマカロニ・ウエスタン。
西部の町ドハティで悪党どもが銀行を襲い、警備の兵士を皆殺しにして軍の資金10万ドルを奪い取る。そしてまんまと脱出を果たすが、馬車で逃走しているところを崖の上に出現したサバタによって全員が寝転ぶような感じで撃ち殺されてしまう。サバタは金庫と死体を町に運び、賞金として5000ドルを手に入れるが、実はこの銀行強盗は町の有力者ステンゲルの仕業なのであった。ステンゲルは思わぬ失敗に驚きながらも証拠を隠滅するために関係者の虐殺を開始する。だが最大の証拠品である馬車はすでにサバタの手中にあった。サバタはステンゲルに3万ドルを請求し、ステンゲルはその返答として次から次へと刺客を送り込んでいく。これでは素直に払った方が安いのではないかと誰もが思うわけだけど、ステンゲルは一度払えば3万ドルで済む筈がないと主張して刺客にこだわり、サバタの方も6万ドルに値上げする。察するにこのステンゲルという人は目的と手段を取り違えているようなところがあって、やっていることがどうにも要領を得ないのである。だからまわりがひどく迷惑することになって、子分がばたばたと死んでいく。
見所はやっぱり「秘密兵器」で、七連発のデリンジャーとか銃身が取り替えられるウィンチェスターとかバンジョーに隠したレバー改造ウィンチェスターとかが登場するし、悪の首領が自分の部屋にギミックを凝らしていれば、銀行強盗も金庫を運び出すために銀行の中まで線路を敷く。で、もちろんリー・ヴァン・クリーフがかっこいいのである。




Tetsuya Sato

2012年3月13日火曜日

探偵マイク・ハマー/俺が掟だ

探偵マイク・ハマー/俺が掟だ(1982)
I, the Jury
監督:リチャード・T・ヘフロン


ミッキー・スピレーンのファンを怒り狂わせたマイク・ハマー物。脚本があのラリー・コーエンではどうしようもなかろうね。幸いなことにわたし自身はミッキー・スピレーンに思い入れがなかったので楽しむことができた。とにかくアーマンド・アサンテ扮するマイク・ハマーの元気がいい。なにしろ冗談抜きで「俺が掟」なので、悪い奴を探して町中を走りまわって「おまえが悪い奴か? おまえが悪い奴か?」と鷲づかみにし、「いや、あいつの方がもっと悪い」と聞くとそいつのところへ出かけていって「悪い奴め」と懲らしめるという、ほんとうにそれだけの映画なのである。元気が取り柄で悪役まで一緒になって元気がいい。
探偵マイク・ハマー俺が掟だ! [VHS]

Tetsuya Sato

2012年3月12日月曜日

シャーロック・ホームズ

シャーロック・ホームズ
Sherlock Holmes
2009年 アメリカ/ドイツ 129分
監督:ガイ・リッチー


シャーロック・ホームズとワトソンは邪教の儀式に踏み込んでブラックウッド卿を捕え、さらわれた女性を救い出すが、処刑されたはずのブラックウッド卿は間もなく墓場からよみがえり、第四テンプル修道会をしたがえると世界征服をたくらむので、シャーロック・ホームズとワトソンが戦う。
まずきわめて印象的だったのが19世紀末のロンドンで、街頭の雑踏、曇天の下に連なる建物、建設中のタワーブリッジ、テムズ川から見た遠景などが古色を帯びて実に美しく立ち現われ、波間に沈む鋼鉄船の舳先までがじっとりと同じ色どりを帯びて好ましい。これはやはりロンドン子であるガイ・リッチーならではのものであろう。そのガイ・リッチーの独特なクロスカッティングの手法はおもにホームズの推理の説明に使われて効果を上げており、一方いつものガイ・リッチーの映画に比べるとガイ・リッチー的な文体が後退しているようにも感じられるが、仮にそれがあるとしても映画としての面白さは破格であり、とにかくやるべきことはひととおりやり、最後にはタワーブリッジでチャンバラまでやってくれるので、見ているうちにいくらか多幸症的な気分になってくる。
非常にモダンな風貌の、つまり英国紳士階級には決して見えないロバート・ダウニーJr.がはたしてホームズに見えたのか、という点については疑問が残るが、ロバート・ダウニーJr.は役どころを真摯に演じているし、ホームズという人物の奇人ぶりはロバート・ダウニーJr.というキャラクターを通じてうまく表現されている。ワトソンのジュード・ロウも文句のない出来栄えであり、両者の関係をバディムービーの定型で処理したことで掛け合いが楽しくなっているし、ワトソンとメアリーの結婚を阻もうとするホームズの悪辣さは『フロント・ページ』のウォルター・マッソーにも匹敵する。マーク・ストロングの悪役ぶりもなかなかのもので、登場場面は決して多くはないものの、現われると場をさらう。






Tetsuya Sato

2012年3月11日日曜日

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム
Sherlock Holmes: A Game of Shadows
2011年 アメリカ 129分
監督:ガイ・リッチー


1891年、フランスとドイツの双方で怪事があいついで起こり、西欧世界が戦争の危機を迎えていたころ、ホームズは一連の事件の背後にひそむ巨大な悪の存在に気づき、その領袖こそがジェイムズ・モリアーティ教授であると名指しをして悪の野望をくじくためにロンドンからフランス、ドイツを経てライヘンバッハの滝で戦う。前作ではやや後退していた感のあるガイ・リッチーのタッチがほとんど勇ましいばかりに前に向かって躍り出て、独特のダイナミズムをある種のポエジーにまで昇華させている。そしてロバート・ダウニーJr.のホームズは健在で変人ぶりに磨きをかけ、ジュード・ロウのワトソンも実態としてはやはり変人であったことを白状し、ついでにスティーブン・フライのマイクロフトが現われて、これはもう変人であることを隠しもしない。そしてホームズ対モリアーティの対決では、なにしろ強敵同士なので戦うまでもなく戦いの決着が見えるのである。ロンドンの喧騒、パリの波打つような雑踏と背景描写にも怠りはなく、その強靭な筆力にはただもう感嘆するばかりである。


Tetsuya Sato

2012年3月10日土曜日

ライアンの娘

ライアンの娘(1970)
Ryan's Daughter
監督:デヴィッド・リーン


イースター蜂起(1916)があったころ、イギリスの愚民化政策によってすっかり愚かになった人々が住むアイルランドのとある村で居酒屋を営むライアンの娘ローズは村の学校の教師チャールズ・ショーネシーに愛を打ち明け、すでに中年の領域にあったチャールズ・ショーネシーもまた短い逡巡ののちにローズへの愛を告白し、ふたりは結婚して前戯を省略したカトリック式の交合をおこない、ローズが夫の淡白さに満たされぬ思いを抱いていると近くのイギリス軍駐屯地に西部戦線で負傷した若い将校ランドルフ・ドリアン少佐が着任し、仔細は省くがローズとドリアン少佐は間もなく許されない関係となり、その事実は村の白痴マイケルの行動によって村中が知ることになり、その結果としてローズが村八分にされていると、そこへアイルランド独立の闘士ティム・オリアリーが颯爽と現われ、ドイツから供与された武器を受け取るために嵐のなかを海岸へ出向く屈強の男たちを求めたところ、村中が総出で武器の回収作業を手伝う騒ぎとなり、すっかり感謝したティム・オリアリーがトラックに武器を積んで出発するとイギリス軍が前方にあらわれ、ティム・オリアリーと一味はあっけなく逮捕され、イギリス軍の少佐と関係があるという理由で村人はローズが密告したと確信し、村中総出であらわれてローズの家を包囲する。
多情な娘ローズがサラ・マイルズ、行動に問題のある学校教師がロバート・ミッチャム、シェルショックぶりがなかなかに怖いドリアン少佐がクリストファー・ジョーンズ、村の白痴がジョン・ミルズ、ローズの父親ライアンがレオ・マッカーン、村の神父がトレヴァー・ハワード。おそらくは卓越した演出の成果によって俳優の演技はいずれもいちいち見ごたえがあり、その背後ではアイルランドの空や海、浜辺や森が時間によって表情を変え、荒々しく波を立てて岩を打つ嵐の迫力は半端ではない。ただ、モンタージュと雷管を好むデヴィッド・リーンは俳優にまかせれば済みそうな心理描写を背景を通じてなにかと空間的に補足しようとする傾向があるようで、そこから生じる対象性は面白いものの、必要を超えているようにも感じられる。 
ライアンの娘 特別版 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年3月8日木曜日

アラビアのロレンス

アラビアのロレンス(1962)
Lawrence of Arabia
監督:デビッド・リーン

1916年。エジプト駐留イギリス陸軍のT.E.ロレンス中尉は情報部に属していたが、軍務に適さない人物と見なされていた。それというのも上官の作戦を批判したり、教養を鼻にかけたり、アラブに理解を示したり、マッチの炎を指でもみ消したりするからであったが、ちなみに、このマッチの炎を指でもみ消すという行為は(まだ若かった頃)この映画を見た後で試しにやったことがあるが、マッチの炎というのは頭を上にしておけば放っておいても消えてしまうものなので、その消えていく線に沿って指先を動かしていくと、まるで指でもみ消しているように見える、という、おそらくはそれだけのことで、べつに威張るほどのことはないのであった(と気がつく前に、一度ならず熱い思いをしたとはいえ)。
さて、陸軍のはみ出し者のロレンス中尉を外務省アラビア局が時間極めで借り出し、紅海の対岸、メディナ付近へ送り込む。中尉に与えられた任務はそこでファイサル王子と接触して王子が胸に抱くアラブの将来像を探ることにあったが、到着した先では王子の軍勢はトルコ軍の航空機による攻撃にさらされ、イギリス人の軍事顧問はメディナ周辺からの撤退を勧めていた。だがアラブの理想をアラブよりもよく知っているロレンス中尉はそれはまずいと考え始め、それから夜も寝ないで考えに考え、真昼の空の下でも考えに考え、遂に「アカバだ」と結論に達する。紅海に面した要衝アカバを攻略すれば、問題は解決すると考えたのである。だがアカバには大砲があり、海からは近づくことができない。そこでロレンス中尉はファイサル王子から50人の戦士を借り出し、族長のアリとともに旅立って、まずネフド砂漠縦断という前人未到の大事業をやり遂げる。それから現地部族を説得と甘言で配下の部隊に糾合し、アカバを背後から攻略するのである。1917年7月、トルコ軍は敗退し、アカバはアラブのものとなった。
だが、この偉業をいったい誰が信じるだろうか。アラブが言っても寝言を言っていると思われるだけなので、もちろんイギリス人の自分が言わねばならない。ロレンス中尉はアリに向かってそう言うと、顔をしかめるアリを置いて、従者を二人だけ連れてカイロのイギリス軍司令部を目指して今度はシナイ半島を横切っていく。興奮しているので寝ている間もないのである。だが途中で従者の一人を失い、それを契機に興奮は引き、カイロにたどり着いた頃には事実上の鬱状態に陥っていて、もはやアラビアには帰れないと言い始める。司令官のアレンビー将軍はそのロレンスに無数の約束と甘言を与え、将軍の話を聞いているうちにロレンスのほうでもまた激しく興奮し、二階級特進で少佐となってアラビアに戻る。
アラビアに戻ったロレンス少佐はアラブの戦士を率いてトルコの鉄道を破壊するが、冬を前にそれぞれの部族は略奪品を胸に抱えてそれぞれの村に戻り始め、それでもわずかな手勢を使ってロレンス少佐が鉄道爆破を続けていると残る一人の従者を信管の爆発で失ってしまう。冬が訪れ、手勢はいよいよ少なくなり、それでもロレンスが高慢な態度を取り続けるのを見てアリが激しく批判する。常識を備えたアリの目には、ロレンスがひどく独善的な何かに見えたのである。すると何かを考えたのか、ロレンスはトルコ軍占領下のデラアへ単身で乗り込んでゆき、成り行きにしたがって逮捕されてトルコ軍の将軍から明らかに性的な陵辱を受ける。アリの助けで野営地に戻ったロレンスは激しい鬱状態になり、カイロに戻って転属願を提出する。ふつうの人間になりたい、というのがその理由であったが、アレンビー将軍はそのロレンスに再び無数の約束と甘言を与え、話を聞いているうちにロレンスはまたしても興奮し、自分が傑出した人物であることを認めると、再びアラビアに戻ってアラブの諸族を糾合する。
アラブ軍はいよいよダマスカスを目指して北上を開始し、その途中、敗走するトルコ軍と遭遇して交戦となる。これは一方的な虐殺で、興奮したロレンス少佐も敵の隊列に乗り込んで逃げ惑うトルコ兵を撃ち殺していくが、その様子には正気の気配が感じられない。1918年10月、ダマスカスは陥落し、町はアラブ国民会議によって支配されることになる。だが事実はアラブ諸族が近代的な都市の運営にまったく適していないことを証すだけで、町は大混乱に陥っていく。そしてイギリス軍は国民会議の自壊を待って、何一つ手を下そうとしない。戦争は終わり、英雄の時間は終わったのである。国民会議は崩壊し、アラブの諸族は町を去り、精神的に危ういところでゆらゆらとしているロレンス少佐は二階級特進で大佐となり、ファイサル王子に礼を言われてダマスカスから立ち去っていく。
つまり英雄というのはかなりの変人である、という話で、T.E.ロレンスをピーター・オトゥールが実に痛々しく演じている。
アラビアのロレンス【完全版】 デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]

Tetsuya Sato

2012年3月7日水曜日

レジェンド・オブ・フォール

レジェンド・オブ・フォール
Legends of the Fall
監督:エドワード・ズウィック

19世紀末。アメリカ合衆国陸軍のラドロー大佐は自国政府のインディアン政策に反発して軍を退き、モンタナの山中で牧場の経営を始める。大佐と夫人の間には3人の息子が生まれ、やがて第一次世界大戦前夜、ハーバード在学中の三男が婚約者を連れて家へ戻る。三男というのは一家のアイドルであったが、理想に燃えるこの三男は大戦の勃発を知るとアメリカの参戦を訴える。だが政府に激しい不信を抱く父親は息子の考えを受け入れない。それでも長男と三男はアメリカの参戦を待たずにカナダで志願し、次男もまた弟を守るために志願する。この次男というのが少年の頃にハイイログマと一騎打ちをするような野生児で、上と下はまともそうなのに、こいつだけちょっとはずれているのである。そして案の定というか、三男は西部戦線で戦死し、そのことを悔やんだ次男は除隊後も船乗りとなって家へ戻ろうとしない。一方、長男は復員してから三男の婚約者に自分の気持ちを告白するが、婚約者の心はすでに次男の方へ傾いていた。そこへ次男が帰ってくるので、長きにわたる家族の軋轢がここに誕生し、長男は家を出て議員となり、次男も家を出て世界をさまよい、三男の婚約者はただもう不幸の中へ置き去りにされる。だいたいこれで話の半分という感じで、第一次大戦の後には禁酒法時代の話が続いている。次男坊役がブラッド・ピットで、説明では心の中にクマがいて、クマが雄叫びを始めるともうどうにもならないのである。そしてその証拠に目の前でドイツ軍に弟を射殺されると、その晩にはナイフを持って戦線を突破し、ドイツ兵の頭の皮を剥いでまわることになる。で、クマが雄叫びを始めるような事件が次から次へと起こるわけである。単細胞なほどの話の刈り込み方がやや気になったが、通俗的で面白かった。戦争の場面について言えば、監督がエドワード・ズィックだからやるだけのことはやるだろうと思っていたら、やっぱり短いながらもそれなりに力が入っていた。イペリットガスの砲弾が降り注ぐ中をドイツ軍の槍騎兵がマスクをかぶって突撃してくるのである。これはもう、やる気は認めなければならない。 


Tetsuya Sato

2012年3月6日火曜日

大いなる幻影

大いなる幻影(1937)
La Grande Illusion
監督:ジャン・ルノワール

1916年の西部戦線。飛行隊のマレシャル中尉は参謀本部からやってきたボアルデュ大尉とともに偵察飛行に飛び立つが、ドイツ軍のパイロット、ラウフェンシュタイン大尉によって撃墜される。捕虜となった二人はまずラウフェンシュタイン大尉の歓待を受け、それから捕虜収容所へ送られる。そこで二人はユダヤ系の裕福なフランス人砲兵将校ローゼンタールと出会い、ローゼンタールの元にフランスから届けられる差し入れの品々によって貧しい食生活の補いとする。そして同房のフランス人たちは収容所の床下に脱出のための穴を掘っていて、秘密を打ち明けられたマレシャルとボアルデュも穴掘りの作業に加わっていく。
さて収容所では捕虜による演芸会の準備が進んでおり、婦人の衣装などが箱詰めになって送り届けられ、それを身につけた捕虜仲間をほかの捕虜仲間が食い入るように見入るというちょっと恐ろしい場面もあり、いよいよ演芸会が開かれて騒がしさもたけなわとなってくると、そこへマレシャルが飛び込んできてドゥオモンが連合軍によって奪回されたと皆に告げる。すると早速ラ・マルセイエーズの合唱となり、収容所当局はマレシャルを独房に監禁する。マレシャルは根っからのパリっ子で仲間から引き離されてフランス語による会話を絶たれると半狂乱の状態に陥るのであったが、これはジャン・ギャバンだから成立するシチュエーションであろう。その有様を気の毒に思ったドイツ兵は差し入れにハーモニカを置き、そのあいだも仲間たちは穴を掘り続け、間もなく脱出というときに独房から解放されたマレシャルが疲労困憊した状態で戻ってくる。そこで決行の日が定められ、フランス人たちが時計をにらんで待っていると、そこへドイツ兵の看守が現われて移動を告げる。マレシャルたちは交替に送り込まれてきたイギリス軍の捕虜たちにトンネルの存在を知らせようと試みるが、先方はフランス語をまったく解さなかった。
そののち、マレシャルとボアルデュは収容所を転々としながら脱走未遂を繰り返し、最後に送り届けられた城塞のなかの収容所でラウフェンシュタイン少佐と再会する。脊椎に損傷を負って飛べなくなり、収容所の所長となっていたが、変わらずに礼節をもって振る舞い、特にボアルデュに対してはいずれも貴族であるという理由から普通以上の親愛を示し、一方、マレシャルやローゼンタールに対しては庶民である、ユダヤ人であるという理由から品位を損なわない程度に軽蔑を示す。そういう理由につきあわされるマレシャルやローゼンタールにしてみれば、なんともいい迷惑であろう。
マレシャルたちはここでも脱走を計画し、窓から城壁を伝って逃げるためのロープを作り、決行の日を定めると収容所の全員で騒ぎを起こして夜間点呼がおこなわれるようにわざわざ仕向け、そのあいだにまずボアルデュが行方をくらましておとりとなり、ボアルデュが警備兵の射線上をうろつくあいだにマレシャルとローゼンタールが脱出を果たす。そしてラウフェンシュタインはボアルデュの背後に現われ、降伏するようにと親愛を込めて勧告する。だがボアルデュは降伏を拒み、ラウフェンシュタインはやむなく拳銃を抜き、ボアルデュは言わばこの貴族的崇高に背後から撃たれて死に至り、ラウフェンシュタインは大事にしていたゼラニウムの花を切り落とす。城塞には苔しか生えないので、手向けようにもほかに花がないからであろう。冒頭でドイツ軍航空隊のバラックに登場した巨大な花輪がこれの伏線だったのかもしれない。
一方、マレシャルとローゼンタールの二人は疲労の果てに喧嘩をしながらスイス国境を目指して歩き続け、途中、一軒の農家に転がり込んで手当てを受ける。その家では戦争で後家となった女が娘と二人で暮らしていて、マレシャルとローゼンタールはここに腰を落ち着けてクリスマスを迎え、マレシャルは後家エルザと愛を交わし、戦後を待って迎えに来ると約束する。それからマレシャルとローゼンタールはスイス国境を目指して旅立ち、ドイツ軍の歩哨線をくぐり抜けて目的を達する。
この頃のジャン・ギャバンは実にいいし、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムがいつ見てもエーリッヒ・フォン・シュトロハイムなのは面白いし、連合軍捕虜の国際色豊かな描写は楽しいが(セネガル兵までいる)、後半の脱走の話に入ってくるとゼラニウムの場面から逆算して起こしてきたような不自然な展開が気にかかる。1937年という製作年度がすべてを説明しているのかもしれないが、慌ただしく場面がつながれているだけのように見えるのである。




Tetsuya Sato

2012年3月5日月曜日

西部戦線異状なし

西部戦線異状なし(1930)
All Quiet on The Western Front
監督:ルイス・マイルストン

第一次世界大戦が勃発し、招集された軍隊が町の中を行進し、市民はナショナリズムの高揚を味わっている。そして学校の教師は教室の生徒に対して軍に志願するように扇動し、扇動に乗った学生たちはやはりナショナリズムの高揚を味わって教科書を破壊し、歌を歌い、元気よく腕を振り上げて行進しながら教室を出る。志願を済ませた学生たちは支給された制服を抱えて兵舎に進み、そこで教官の軍曹に遭遇するが、これは郵便配達をしていた男で、そもそも崇敬の対象となっていなかった。軍曹は軍隊には階級というものがあると指摘し、階級に敬意を払えと要求するが、その一方、軍曹はこの新兵どもを教練でいじめて郵便配達時代のうっぷんを晴らす。それを怒った新兵どもは夜陰に乗じて復讐をおこない、戦場を目指して巣立っていく。
新兵たちは西部戦線に到着して中隊に配属され、まず空腹を味わい、次に鉄条網の敷設に使われ、塹壕に送られて神経を苛む重砲攻撃にさらされる。敵の突撃を機銃掃射でなぎ払い、味方の突撃は敵の機銃によって掃射される。仲間は戦死し、あるいは負傷し、数を減らしながら一年が経ち二年が経ち、ヘルメットの形状が変わり、制服はどこか粗悪になり、生き残った者は腹を減らして敗北を続け、休暇で帰郷してみても変わらずに高揚したままのナショナリストに出会うだけで面白いことは何もない。戦場の真実を語ろうとすれば卑怯者呼ばわりまでされるので、少なくとも戦場には嘘はないという自覚で帰郷を切り上げ、またしても戦友の死に遭遇し、自らもまた一匹の蝶に手を伸ばしたところで狙撃兵の弾に倒れる。
劇映画としての洗練された語り口はない。愚直なまでに真面目な造りの映画であり、しかし素材へのひたむきな執着によって凡庸さを乗り越えている。教室における教師の扇動、前線の兵営における兵士たちの野犬状態、野砲攻撃、機銃掃射、鉄条網、白兵戦、食糧の不足、水没した塹壕、野戦病院、銃後とのずれ、といった後々一般的になっていく戦争の諸様相を詰め込んでいて、その一つひとつには見ごたえがあり、とりわけ突撃の場面は描写がひどく無機質なだけに不気味さが際立っていた。とはいえ、話の舞台になっているのがドイツ軍で、だから運用面ではまだしもましな方だから悲惨さや滑稽さが多少は薄められているという気がしないでもないのである。ちなみにレマルクの原作はまだ読んだことがない。
なお第一次大戦の戦記文学というとアルプス戦線での体験をイタリア側から描いたエミリオ・ルッスの『戦場の一年』があるけれど、こちらは戦場の悲惨さというよりは、戦争の狂気そのまんま。将軍はあきらかにおかしいし(夜中に奇妙なことを叫びながら徘徊する)、その将軍にうんざりした将校団はろくでもないことを考えているし(将軍に戦死していただこうとする)、向こうから突撃してくるオーストリア軍はどうやら泥酔しているし(突撃が始まるとアルコールの臭いが漂ってくるのだという)、その点ではイタリア軍もあまり変わりがない(やっぱり飲んでいる)。笑うしかないような状況の連続だけど、突撃に先立ってそろって自殺する兵士が出るというくだりでは、読んでいるこちらもかなり応えた。




Tetsuya Sato

2012年3月4日日曜日

戦火の馬

戦火の馬(2011)
監督:スティーヴン・スピルバーグ

デヴォン州の小作人テッド・ナラコットは農耕馬を手に入れるつもりで馬の競売におもむいて、そこでサラブレッドの仔馬に見とれ、その仔馬の競売が始まると、地主と張り合う形で30ギニーの高値で落札し、つまり農家にはまったく役に立たないその馬を家に連れ帰って妻に叱られ、もともとその仔馬を知っていた息子のアルバート・ナラコットは馬をジョーイと名づけて調教を請け合い、調教をしながら馬と心を通わせるが、テッド・ナラコットが地主への支払いに窮したころ、ちょうど第一次世界大戦が勃発し、テッド・ナラコットは息子にだまってジョーイを軍に売り払い、軽騎兵の馬となったジョーイはほかの馬とともに大陸へ送られ、そこで突撃に参加してドイツ軍に捕獲され、救急車を牽く馬になり、軍から逃れる若いドイツ兵兄弟の乗馬となって軍から離れ、風車小屋にいたところをジャム農家の娘エミリーに発見され、エミリーの乗馬となるが、間もなくドイツ軍によって再び捕獲されて砲車を牽き、それから四年のあいだ奇跡的に生き延びて、1918年、連合軍の反攻のなかでドイツ軍の手から逃れて前線を疾駆し、鉄条網にからめ捕られて立ち往生しているところをイギリス兵とドイツ兵の手で救われ、イギリス軍の後方に送られて、そこで野戦病院にいたアルバート・ナラコットと再会する。
スピルバーグの前作『タンタンの冒険』がひたすらに視覚的な動きで構成された作品であったとすれば、『戦火の馬』は物語的な動きで構成された作品であり、画面は常に情感にあふれ、無駄はなく、語り口はめったに見ることができないほど、よくバランスが取れている。馬が演技をしすぎと言えばしすぎだと言えないこともないものの、その演技もすべて物語的なバランスの中に巧みに回収されているのである。ヤヌス・カミンスキーの撮影が驚くほど美しい。戦争の描写もよく出来ていて、イギリス軍軽騎兵の突撃というきわめて珍しいシーンを見ることができるほか、遠い砲声から1918年の塹壕へと、選り抜いた言葉でつないでいく手つきには感動した。涙なしには見れない傑作と言うべきであろう。 


2012年3月3日土曜日

ツェッペリン

ツェッペリン(1971)
Zeppelin 
監督:エチエンヌ・ペリエ

第一次世界大戦を舞台に極秘任務を帯びたドイツのツェッペリン飛行船がスコットランドに侵入する。保管されているマグナ・カルタなどを盗み出して英国国民の士気を損なおうという作戦だが、そんなことをしたらかえって士気を煽ることになるのではないかという気がした。話を繋いでいくのに苦労しているようにも見える映画だが、そんなことはどうでもよくて、とにかくツェッペリン飛行船の勇姿にひたすらこだわっているからそれを見るのである。雲海をわけて浮上してくるツェッペリンとか、洋上で燃料を補給する場面で係留塔へ音もなく接近していくツェッペリンとか、そうしたものを見て楽しむのである。
ツェッペリン [VHS]

Tetsuya Sato

2012年3月2日金曜日

デス・フロント

デス・フロント(2002)
DeathWatch
監督:マイケル・J・バセット

1917年の西部戦線。イギリス軍の中隊が夜間に突撃を命じられて塹壕を飛び出し、敵の反撃に出会って混乱に陥り、再集結を果たした後は10名に満たない小部隊になっている。その小部隊が霧の中で道を見失い、夜明けの光の中で敵の塹壕を発見する。中隊はそこにいたドイツ兵を倒して塹壕を確保し、ドイツ軍の無線機を見つけて司令部に連絡を取ろうと試みる。ところが無線から流れた出た声は中隊の全滅を告げ、塹壕の壁からは血がしたたり、夜になると鉄条網が不気味にうごめき、外からは突撃の鬨の声が聞こえてくるが、敵兵の姿はいっこうに見えない。
というわけで、幽霊塹壕の話なのである。アイデアは抜群にいいし、雰囲気もよく出ていたと思うが、90分を埋めるだけの体力には恵まれていなかったようである。とはいえ、こういうのが好きなひとなら、見るくらいの価値はあると思う。ちなみに主演は『タンタンの冒険』のジェイミー・ベル。


Tetsuya Sato

2012年3月1日木曜日

ラビナス

ラビナス(1999)
Ravenous
監督:アントニア・バード


19世紀半ばのシエラネバダ山中、この世の果てのような場所に置かれたスペンサー砦にある晩のこと、怪しい風体の人物がたどり着き、戸口の前でばったりと倒れる。助けて暖めて話を聞くと、山中にあるとある洞窟で遭難者の一行が食料に困って人肉食に走っているという。そこで救援に出発すると、という話なのだが、ばったりと倒れているのがロバート・カーライルなので、なんか怪しいのである。以降の展開も妙なことになっていくのだが、正体を言えば女の監督が男を玩具にするために作ったような映画で、なにかというと男が血まみれになるし、汚れるし、ゲロまで吐く。いや、そもそも冒頭のアメリカ・メキシコ戦争の場面で主役のガイ・ピアースがぼろぼろになって呆然としているあたりから、すでに怪しかったと言えば怪しかった。で、早速この映画の「食人」というモチーフを「吸血鬼」に置き換えてみると、実はこれががアン・ライスばりのやおい話であるということが判明する。しかも食人者=吸血鬼という図式は徹底していて、劇中の台詞によれば食人というのはたいそう健康によろしいことになっていて、結核は直るわ、頭痛は直るわ、鬱病も直るわ、視力も回復するわ、怪我は翌日には直ってるわで、引き続き食べたくなることを除けば悪いことはなにもないようなのである。



Tetsuya Sato