テネイシャスD 運命のピックをさがせ! Tenacious D in The Pick of Destiny 2006年 アメリカ/ドイツ 93分 監督:リアム・リンチ やたらと敬虔な家に生まれたロック大好き少年JBが父親からロックを禁じられたので家を飛び出してハリウッドを訪れ、そこでギタリストKGと知り合って家賃を払うためにバンドを組み、コンテストでの入賞を目指して名曲を生み出そうと頑張るが、頑張っているうちに伝説的なバンドがことごとく同じピックを使っていることに気づき、それが悪魔の歯から作られた運命のピックだということを知り、つまりそれがあれば自分たちもまた伝説のバンドの一員となることを知り、たちまちのうちに安易な道へ走って博物館へ盗みに入り、見事手に入れるものの、歯が欠けたままの悪魔がピックを取り戻しに現われるので、悪魔とロック対決をする。 冒頭、少年時代のジャック・ブラックを演じる子役のそっくりぶりがまずすごい。で、その子がおぞましい歌詞の歌を歌い、ロックは悪魔の音楽だと言って子の尻を叩く父親がミート・ローフだったりするのである。そして家出した子供が全米各地のハリウッドをめぐって最後にカリフォルニアのハリウッドにたどり着くともう本物のジャック・ブラックに成長していて、自分で歌っている歌に自分でエコーをかけている。器用なひとだなあ、と思う。それから街頭のギタリストと出会って壮絶な掛け合いになり、ここまでのテンションはかなりすごい。そこから先は適当にロック・ミュージカルのようなことをしながら、上記のごとき展開となり、いささか下品なのには少々閉口したものの、本筋にこだわらない(というよりも気にしていない)ふらふらとした語り口は好みであった。
華麗なる激情 The Agony and the Ecstasy 1965年 アメリカ/イタリア 138分 監督:キャロル・リード ユリウス二世の霊廟の製作をしていたミケランジェロはユリウス二世からシスティナ礼拝堂の天井画の製作を命じられ、自分は画家ではなくて彫刻家だと反発するものの強要されて仕事にかかり、仕事にかかってすぐにユリウス二世から与えられたプランを放棄して失踪、山上に立って霊感を得るとボローニャかどこかを攻略中でかなり忙しいユリウス二世の前に現われて自分で新たに考えたプランを説明し、ユリウス二世の了解を得てローマに戻って仕事にかかり、ところがいっこうに完成する気配がないのでフランス対策に追われるユリウス二世はミケランジェロの解雇を決め、ミケランジェロは戦闘で負傷したユリウス二世の前に現われて仕事を続ける許可を求め、ローマにもどったミケランジェロは『アダムの創造』を完成させるが、ユリウス二世はどうにか神聖同盟の締結に持ち込んだところで臨終の床に倒れ、するとミケランジェロがその床に現われて仕事を離れる許可を求めるので怒りを感じたユリウス二世は臨終の床から起き上がってミケランジェロに仕事を続けるように命令し、完成した天井画の下でミサをおこなう。 脚本がこなれていてダイアログがうまい。キャロル・リードはていねいな演出で強情な芸術家と怒りっぽいパトロンの関係をうまく描いている。レックス・ハリスンはユリウス二世のたくみに演じ、チャールトン・ヘストンのミケランジェロには風格があった。ハリー・アンドリュースのブラマンテはおもに悪役、アドルフォ・チェリがジョバンニ・デ・メディチ、トーマス・ミリアンがラファエロで、これはなんだかそれらしかった。
誇りと情熱 The Pride and the Passion 1957年 アメリカ 132分 監督:スタンリー・クレイマー 1810年のスペイン。ケーリー・グラント扮するイギリス海軍のアンソニー・トランベル艦長はスペイン語と砲術の能力を買われて単身スペインに送り込まれる。スペイン陸軍から青銅の巨砲を受け取るためであったが、引き渡しをするはずのスペイン軍はフランス軍の攻撃を受けて撤退し、大砲は崖の下へ捨てられていた。トランベル艦長はゲリラのリーダー、フランク・シナトラ扮するミゲルの協力を得て大砲を引き上げることに成功するが、ミゲルは大砲の引き渡しを拒む。ミゲルの故郷、アヴィラの町はフランス軍に占領されており、フランス軍はミゲルの所在や大砲の所在を聞き出すために毎日市民十名を処刑しているのであった。ミゲルは大砲をアヴィラへ運ぶと主張し、アヴィラで使ったあとは引き渡すと譲歩してトランベル艦長の協力を取り付ける。だが出発して間もなく、ミゲルはトランベル艦長がゲリラのなかの美女ホアナを熱く見つめていることに気づき(なにしろソフィア・ローレンだし)、ホアナもまたまんざらではないことを知って嫉妬を覚え、話は三角関係にもつれ込む。ゲリラたちは主人公三人の痴話喧嘩の合間に万難を排して大砲を運び、遂にアヴィルの町に到達して砲撃を開始する。城壁が崩れ、そこを目指して冗談抜きに一万人が突撃し、町は解放されるのであった。 原作はセシル・スコット・フォレスターの『青銅の巨砲』だが、実は読んでいない。全長十メートル近い巨砲は見ているだけでも迫力があるし、ソフィア・ローレンがフラメンコを踊ったり、橋を爆破したり、聖週間の行列が登場したりと見せ場は用意されているものの、あまり話は盛り上がらない。単純すぎる人物造形が問題であろう。
シティ・オブ・ゴッド Cidade de Deus 2002年 ブラジル・フランス・アメリカ 130分 監督:フェルナンド・メイレレス 神の町と呼ばれる貧民窟がリオデジャネイロの郊外にあり、どうやら電気も水道もなくて、ただ家の形をした箱だけがあって、行き場を失った人間が流れ込んでいる。話は1960年代、その神の町に平屋ばかりが立ち並び、隣にはまだ森があった頃から始まって、建物が高層化していく70年代を背景に少年ギャングの抗争を描き出す。まだ幼稚園に行っていた方がよさそうな連中が銃を片手に強盗を計画し、徒党を組んでパン屋を襲撃したりするのである。そのうちに麻薬の売買にからんでシマを取り合うようになり、対立する二大勢力の抗争に発展して真昼間から銃弾が飛び交って死体が転がる。 大人というのは警官くらいしか登場しない。銃を握って走り回るのは5、6歳から20歳ぐらいまでの若者で、それが何かというと誰かに銃口を向け、躊躇しないで引き金を引く。何もなくてもその有様で、人命がとにかく格安なのである。それでもそこで生活しているし、やっぱりどこかへ出て行こうと考えている。 ギャングの親玉であり、事実上の主人公であるリトル・ゼは頭が切れる反面、想像力を持ち合わせていないという欠陥があり、だからどこかへ行こうなどとは考えずに、ただそこにいて、激化する抗争の中に身を置いてしまう。報われない選択しか許されないという点で、いちばん悲劇的であろう。ドキュメンタリー調のスタイルはダイナミックで、リアリティがある。よく吟味された演出はタイムスパンの長い群像劇をきちんと消化しているし、リズム感にすぐれ、ときにはユーモラスでもあり、そして状況を的確に説明して観客に混乱を与えない。これは悪くない。
ラスト・タイクーン The Last Tycoon 1976年 アメリカ 112分 監督:エリア・カザン 地震があった晩、映画会社のプロデューサー、モンロー・スターは水浸しになったセットで亡き妻に似た女を目撃し、女に近づいて強引に誘うと女はあれやこれやと理由をつけてモンロー・スターを遠ざけようと試みるが、ふとしたはずみから同衾する関係となり、モンロー・スターはいよいよ女に拘泥するが、女はモンロー・スターを顧みずにすでにいた婚約者と結婚する。 原作はフィッツジェラルド、脚本はハロルド・ピンター。モンロー・スターがロバート・デ・ニーロで、おそらくは役柄に対して役作りが若すぎるし、演技についている演出がおそらくは統一を欠いている。キャサリン・ムーア役のイングリッド・ボールティングは単なる小娘で魅力がない。魅力がない、と言えば大物女優として登場するジャンヌ・モローが不思議なくらい魅力がない。撮影中の映画でジャンヌ・モローの相手をするのがトニー・カーティス、モンロー・スターの上司の役でロバート・ミッチャム、弁護士役でレイ・ミランド、脚本家がドナルド・プレザンス、ニューヨークからやってくる脚本家組合の代表がジャック・ニコルソン、冒頭、撮影所のガイドの役でジョン・キャラダインとオールスター・キャストの映画だが、訳知り顔のダイアログは失敗が目立ち、撮影は凡庸で、演出は体力を欠き、人物は中途半端な造形のまま、ただ配置されるだけで終わっている。退屈な映画だが、デ・ニーロとジャック・ニコルソンがピンポンをする場面だけはどうにか鑑賞に堪える仕上がりになっている。
8 1/2 Otto e mezzo 1963年 イタリア/フランス 140分 監督:フェデリコ・フェリーニ 映画監督グイド・アンセルミは新作の撮影開始を間近に控えてスランプに陥り、脚本を完成させることができないまま湯治場に逃げ込んで鉱泉水を飲んでいると、そこへ愛人が現われ、プロデューサーが現われ、その他の大勢も現われ、妻を呼ぶと妻も現われ、自分を包囲する現実を糊塗するためにしばしば幻想へと逃げ込むが、幻想はグイドを心地よい場所へと誘う一方で不快なところへも誘い込む。 劇中の台詞でも指摘されているようにシンボルがてんこ盛りにされており、すべてのシンボルはグイド自身と直結してはいるものの、全体としてなにかしらの総合的な関係性を保持しているわけはない。グイド自身が認めているように、そこにはおそらく混乱がある。そしてそうした混乱も含めて映画は立体感を備えた一個の造形物として成立し、その粘りつくような不可思議な造作は比類がない。絵と音が心地よいのである。
ミニミニ大作戦 The Italian Job 1969年 イギリス 100分 監督:ピーター・コリンソン チャーリー・クローカーは刑務所から出所すると早速大仕事に取りかかり、刑務所を根城に犯罪社会に君臨するブリッジャー氏をスポンサーに得て人材、装備を確保して海峡を越え、アルプスを越え、トリノの町で交通渋滞を引き起こして、輸送中の金塊半トンを強奪する。そして奪った金を三台のミニ・クーパーに積み込み、歩道だのアーケードだの狭い道だの屋根の上だの川の堰だの下水のパイプだのを小さな車でちょこまかちょこまかと走って警察の追跡を振り切っていく。 チャーリー・クローカー率いるどことなく間抜けな犯罪集団、看守をしたがえ、署長を顎で使うブリッジャー氏(ノエル・カワードが嬉しそうにやっていた)、邪魔をたくらむマフィアのボス(ラフ・ヴァローネが嬉しそうにやっていた)、という具合にキャラクターの造形が楽しい。そして後半、ミニ・クーパーが走り始めると、ただ走っているだけでこれほど楽しい車があるものか、と思えるほどちょこまかちょこまかと走って、これがかわいらしいのである。だから任務を終えたミニ・クーパーが次々に処分される場面には、思わず顔を覆ってしまう。気負いのない演出が不思議な味となり、クインシー・ジョーンズの音楽がまたいい感じ。
イントゥ・ザ・サン Into The Sun 2005年 アメリカ 97分 監督:ミンク 東京で都知事が暗殺され、テロを疑ったFBIがなぜか捜査に動き出し、それにCIAの東京本部が協力する。 CIAの担当官がウィリアム・アザートンで、その現地要員として東京都内を動き回り、動き回っているうちにCIAもFBIもどうでもよくなって、ただもう私怨からヤクザの出入りに加勢するのがスティーヴン・セガールなのである。ちなみに製作総指揮と脚本もスティーヴン・セガールなのである。 若いヤクザが蛇頭と結託してヘロインの密輸ルートを開拓し、それで巨額の利益を稼ぎだして昔ながらのヤクザに喧嘩を吹っかけ、ついでにスティーヴン・セガールにも喧嘩を売る、というストーリーのようなものがあるものの、事実上すっちゃかめっちゃに近い状態になっている。とはいえ、目論見はヤクザ映画にありがちな画面を一式つなげて、そこへスティーヴン・セガールを埋め込んでいく、ということにあったようで、それはそれで、それなりの成果を上げているように見えなくもない。そしてその観点から並べてしまえば、これは『キル・ビル』よりも面白い、と言えなくもないのである。ともあれ、スティーヴン・セガールが関西弁まじりでぼそぼそしゃべったり「ばっきゃろー」とか叫んだりするし、殺陣は例によって例の調子だし、それでも乗りはどことなく『龍が如く』か、菅原文太か、という感じだし、それでもスティーヴン・セガールが立ち回りをやっていると、その背景ではテレビの画面になぜか自分の娘の出演映画(平成『ガメラ』)が大写しになっているし、寺尾聰、伊武雅刀、大沢たかお、豊原功補といった日本の俳優陣もなんだかいい感じでヤクザな人々をやっているし、ということで、いろいろと楽しめるところがたくさんあって、わたしは決して嫌いではない。
ランナウェイ/逃亡者 The Company You Keep 2012年 カナダ 122分 監督:ロバート・レッドフォード ベトナム反戦運動からテロリストに転じたグループが銀行強盗をして守衛を殺害し、殺人容疑で手配されて30年、名前を変え、身分を変えて市民生活に潜伏していると、そのうちの一人がいきなり自首することを決意してFBIに逮捕され、地元の新聞社の記者が事件を調べ始めると弁護士ジム・グラントの名が浮かび、記者がジム・グラントについて調べてみると、これはどうやらテロリストグループの一員であるニック・スローンではないかということになり、そのジム・グラント/ニック・スローンは娘を連れてニューヨークを訪れ、娘を弟に預けるとFBIの追跡を振り切って逃走し、かつての仲間を訪ねながら自分の潔白を明かすための旅を始める。 ニック・スローンがロバート・レッドフォード、かつての運動仲間がジュリー・クリスティ、ニック・ノルティ、サム・エリオット、リチャード・ジェンキンス、スーザン・サランドン、弟がクリス・クーパー、事件の鍵を握る元警察官がブレンダン・グリーソン、FBI捜査官がテレンス・ハワード、新聞記者がシャイア・ラブーフ、というなんだかすごいキャスティングで、それぞれにいい味を出しているが、なかでもジュリー・クリスティーの革命家ぶりがちょっとすごい。いわゆる全共闘世代のじいさんばあさんがそれぞれに温度差を抱えながらひそんでいるあたりがなかなかに面白い。ロバート・レッドフォードの演出は誠実で、脚本は政治的なバランスが取れている。いい映画だと思う。
死神の骨をしゃぶれ La polizia incrimina la legge assolve 1973年 イタリア 103分 監督:エンツォ・G・カステラッリ ジェノバ警察の副署長ベルリは麻薬ルートにからむレバノン人を逮捕するが、そのレバノン人が逮捕後間もなく爆殺されてベルリは敵の情報網の速さに驚き、一件の背後にカフィエロの存在を疑うが、カフィエロは事実上の引退を理由に関与を否定し、そのカフィエロの子分リコはカフィエロを裏切ってジェノバ有数の企業グリヴァ社のために働いていたが、そのグリヴァ社を牛耳るグリヴァ兄弟こそがジェノバの麻薬犯罪の元締めであり、その事実を知ったベルリの上司スカヴィーノは殺害され、グリヴァ社の関与を疑うベルリは署長となって麻薬犯罪の撲滅を進め、グリヴァが力を失うとその隙を狙って引退したはずのカフィエロが怪しい画策を始め、グリヴァは図々しく警察へ乗り込んできて懐柔を試み、ベルリが拒絶するとベルリの愛人、娘に襲いかかる。 ベルリがフランコ・ネロ、その上司がジェームズ・ホイットモア、カフィエロがフェルナンド・レイ。 フランコ・ネロは最初から最後までハイテンションで走り回り、画面もテンションが高く、アクションはきびきびとしている。登場人物の整理の悪さが目立ち、脚本も急ぎすぎだが、視覚的には工夫が見えて悪くない。