2015年10月31日土曜日

トポス(13) 石の床に伝説の剣が突き立てられている。

(13)
 懲罰房にある剣を抜くためには、まず懲罰房に入らなければならなかった。どうしてそんなところにそんなものが。囚人たちはいぶかしんだ。古参の囚人の話によれば、剣のほうがまずそこにあったという。そしてその上に刑務所を作って、剣を壁で囲ったという。そいつはすごい、と囚人たちは感心した。
 名乗りを上げた囚人たちが懲罰房に入るために規則を端から破り始めた。起床時間を過ぎても寝床にとどまり、列を乱し、廊下を走り、床にごみを捨て、私語を慎めという命令を無視して私語を交わした。囚人たちは棍棒で叩かれ、懲罰房に放り込まれた。
 ヒュンも行動を開始した。ロボットに近づいて重要な情報があると耳打ちした。管理棟への道を開いて、所長との面会を要求した。所長は所長室でワイングラスを傾けていた。
「重要な情報があるそうだな ?」
 ヒュンは囚人たちの計画を説明した。
 くくくくく、と所長が笑った。
「その剣はたしかに存在する。見せてやろう」
 所長はヒュンをしたがえて刑務所の最深部まで下りていった。長い廊下があって、両側に懲罰房が並んでいた。どの懲罰房にも規則を破った囚人が一人ずつ入れられていたが、使われていない懲罰房が一つだけあった。所長がその懲罰房の前に立って扉を開けた。懲罰房の石の床に剣が突き立てられていた。
「抜いてみろ」
 所長がヒュンにうながした。ヒュンは懲罰房に入って剣の柄に手をかけた。一瞬の動作で引き抜いて、剣の切っ先を所長に向けた。
 くくくくく、と所長が笑った。
「おまえだったか」
 所長はすばやく退いて、鉄の扉を固く閉ざした。

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2015年10月30日金曜日

トポス(12) 古い伝説がよみがえり、ヒュンが最後に立ち上がる。

(12)
「なぜ、こんなことに?」
 囚人たちが怒りを叫んだ。
 看守がロボットに代わってから刑務所は地獄のような場所になった。ロボットたちは容赦なしに棍棒を振るった。必要がなくても棍棒を振るった。やめてくれと懇願しても、くくくくく、と笑って棍棒を振るった。
 ロボットたちは囚人に向かって、ただ棍棒を振り下ろすようにプログラムされていた。囚人たちは悲鳴を上げ、痛みに喘ぎ、助けを求めてロボットの足もとにひれ伏した。そして看守がロボットに代わるのと同時に食事の質が悪くなった。噛み切れないほど固い肉は、いまでは懐かしい思い出になった。面会の権利と通信の権利が剥奪され、差し入れも禁止され、歯ブラシと歯磨き粉の無料支給制度は廃止された。風呂場で使う石鹸は石鹸のように見える危険な物質に変わっていた。それを使うと皮膚が赤く焼けただれ、体毛が糸を引いて抜け落ちた。囚人たちの恐怖の叫びがうつろな風呂場に響き渡った。
「溶ける、溶ける、溶けていく」
 刑務所は不穏な気配に満たされていった。囚人たちは物陰に隠れて囁きを交わし、ロボットの足音を聞くと息をひそめた。囚人たちは待っていた。息をひそめて、何かが始まるのを待っていた。
 古参の囚人が古い伝説を思い出した。懲罰房のどれかの床に剣が突き立てられているという。その剣は名もない剣に過ぎなかったが、その剣を引き抜くことができた者は囚人たちの王になるという。囚人の王は囚人を率いて、邪悪な黒い力と戦うであろう。
 腕に覚えのある男たちが名乗りを上げて立ち上がった。声を合わせて歌も歌った。ヒュンも最後に立ち上がった。
「俺は運命を受け入れている。俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」

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2015年10月29日木曜日

トポス(11) 楽しかったあの日々が、クロエのまぶたによみがえる。

(11)
 父親が死んだとたんに、継母が好き放題にふるまい始めた。継母の連れ子の二人の姉も、母親を真似して好き放題にふるまい始めた。継母はクロエをまるで下女のように扱った。継母はクロエにぼろを着せて、罵りながらこき使った
「クロエ、食事のしたくをするんだよ」
 継母がクロエに命令した。
「クロエ、服のつくろいをするんだよ」
 上の姉がクロエに命令した。
「クロエ、風呂のしたくをするんだよ」
 下の姉もクロエに命令した。
 いつの間にか、食卓からクロエの席がなくなっていた。戸惑うクロエに継母が言った。
「おまえはそこに立って、給仕をおし」
 クロエは自分の部屋から追い出された。
「おまえはね、台所の床で寝るんだよ」
 上の姉が意地悪く笑った。
 クロエは台所の床に座って食事をした。
「おまえにはね、そこがお似合いだよ」
 下の姉が意地悪く笑った。
 継母はクロエに石のようなパンとただの水しか与えなかった。クロエは台所の床に座って涙を流した。
「おなかが空いたわ」
 クロエは継母に隠れて蜂蜜をなめた。
「母さん、クロエが母さんに隠れて蜂蜜をなめたよ」
 上の姉が告げ口をした。
「この泥棒猫」
 継母がクロエの頬を平手で叩いた。
 クロエは継母に隠れてジャムをなめた。
「母さん、クロエが母さんに隠れてジャムをなめたよ」
 下の姉が告げ口をした。
「この泥棒猫」
 継母がクロエの頬を平手で叩いた。
 上の姉が暖炉の灰をクロエに浴びせた。
 下の姉が汚れた水をクロエに浴びせた。
 優しかった父の面影が、クロエのまぶたによみがえった。
 楽しかったあの日々が、クロエのまぶたによみがえった。
「父さん」
 クロエの頬を涙が伝った。
「なぜ、こんなことに?」

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2015年10月28日水曜日

トポス(10) 医師が静かに首を振り、クロエの頬を涙が伝う。

(10)
 人間の看守は残らず解雇されていた。手製のプラカードを高く掲げて刑務所の門の前に集まって、不当な解雇に抗議していた。
 「俺たちの職場を俺たちに返せ!」
 「あのロボットどもを追放しろ!」
 「所長、一度くらい顔を見せろ!」
  雨が降り始めた。冷たい雨が男たちをずぶ濡れにした。刑務所の門は閉ざされたままで、ただ管理棟の最上階に一度だけ、黒い影がちらりと見えた。所長だ、と男たちはつぶやいた。窓に向かってこぶしを振り上げる者もいた。 
 雨が降り続けた。一人の男が力尽きた。プラカードを足もとに投げ出して、雨に泡立つ冷たい地面に膝を突いた。濡れた白髪を額に貼りつけ、激しく咳き込みながら横たわった。あの初老の看守だった。仲間が走り寄って抱き起こし、男の額に手を這わせた。 
「ひどい熱だ」 
 降りしきる雨を割って救急車がやってきた。倒れた男は病院へ運ばれ、医師は男を診て首を振った。若い女が飛び込んできて男の枕元に走り寄った。 
「父さん」
 男が薄く眼を開いた。
 「クロエ」
 そうつぶやいて娘の頬に手を這わせた。その手から力が抜けていく。クロエの濡れた瞳が医師を見上げた。
 「残念ですが」
 医師が静かに首を振った。
 クロエの頬を涙が伝った。

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2015年10月27日火曜日

トポス(9) ヒュン、運命に抗ってもよいのではないかと考える。

(9)
 翌日の朝、ヒュンは食堂に向かう列に並んで前日の看守を目で探した。あの穏やかな目を見たかった。あの穏やかな目を見れば、自分も変われるのではないかと考えていた。自分を変えて、運命に抗ってもよいのではないかと考えていた。
 だが看守の姿を見つけることはできなかった。あの初老の看守だけではなくて、ほかの看守も残らず姿を消していた。そして看守の代わりに不格好なロボットが棍棒を握って立っていた。
「列を乱すな」とロボットが言った。 
「私語を慎め」とロボットが言った。
「あきれたぜ」と囚人が叫んだ。「機械仕掛けの分際で、俺たちに命令してやがる」
 ロボットたちがその囚人を取り囲んだ。囚人の頭に向かって何度も棍棒を振り下ろした。
「やめろ、やめてくれ」
 囚人が懇願した。
 くくくくく、とロボットが笑った。 
「いま、抵抗しようと考えたな?」
「いや、考えてない、考えてない」
  囚人が叫んだ。 
「嘘をつけ」とロボットが言った。「思考は人間の本質だろう。だからおまえたちは考える。考え、そして行動する。一方、我々ロボットは判断はするが、考えない。プログラムされたとおりに行動しているだけなのだ」
 ロボットたちは囚人の頭にさらに棍棒を振り下ろした。囚人の悲鳴が途絶えても、なおも棍棒を振り下ろした。囚人たちは恐怖に震えた。
「人間の看守は」囚人の一人がつぶやいた。「人間の看守は、いったいどこへ行ってしまったんだ?」

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2015年10月26日月曜日

トポス(8) ヒュン、条件を受け入れる。

(8)
 ヒュンの不満に気がついたのは、ギュンでもギュンの仲間でもなく、政府の秘密捜査官だった。ギュンの工場の内偵を進めていた捜査官は間もなくヒュンの存在を知り、訓練された鼻でヒュンの不満を嗅ぎ取った。ヒュンを監視して、町に繰り出したところを逮捕して、司法取引を持ちかけた。
 「俺は運命を受け入れている」とヒュンは言った。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」
 「あいにくおまえの運命に関心はない。だがギュンの逮捕に協力すれば、おまえはそれだけで世界を救った英雄になる」 
 ヒュンは司法取引を受け入れた。捜査官が段取りを整え、武装警官隊がギュンの工場に踏み込んだ。ギュンと仲間が逮捕され、ヒュンが法廷で証言した。怒り狂ったギュンがヒュンに呪詛の叫びを浴びせかけた。
  ギュンの裁判が終わってギュンが刑務所に送られたあと、ヒュンの裁判が始まった。約束のとおり、ギュンの下で犯した罪は不問に付された。しかし検事は山ほどの余罪を見つけ出した。警官隊を全滅させて、ヘリコプターまで撃墜した極悪人は自分自身で罪をあがなう必要があった。判決が下され、ヒュンは刑務所に送られた。
 「強い目をしている」
  ヒュンを迎えた看守が言った。初老の、穏やかな目をした男だった。
 「急ぐな。こらえろ」
  初老の看守が肩を叩いた。
 「まだ、やり直せる」
  初老の看守の声を聞いて、ヒュンの目から涙がこぼれた。

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2015年10月25日日曜日

トポス(7) ヒュン、仕事を手伝って腕が立つことを証明する。

(7)
 ヒュンはギュンの前で資格を示して、ギュンの仲間に迎えられた。新入りの仕事だということで、しばらくのあいだは解体ばかりやらされた。麻酔を使わない解体は、する側にとってもされる側にとっても果てしなく辛い仕事だった。それでもヒュンは、怒り狂ったエルフの呪詛の叫びを聞きながら、黙々とナイフを動かした。そして前よりも酒を飲むようになり、前よりも喧嘩っ早くなっていった。
  ある日、ギュンがやって来て、ガスボンベを担いでついて来い、とヒュンに言った。以来、ヒュンはエルフ狩りの担当になった。あいつはよく風を嗅ぎ分ける、とギュンはいつも話していた。ヒュンは黄色い化学防護服を着込んで出かけていって、森の犠牲を気にせずにボンベのバルブを開け放った。無色透明のガスに包まれて、森の鳥や動物がばたばたと倒れ、花々がしおれていく様子を眺め渡して自分の力を感じていた。
  ときには商売敵を訪問した。敵の工場に踏み込んで出荷を待つ魔法玉に火を放ち、材料棚を破壊した。剣を抜いて工員を脅し、歯向かってくれば切り捨てた。はじめのうちは仲間の後ろについていたが、すぐに先頭に立つようになった。気がついたときには仲間を率いて雄叫びを上げて、敵の群れに斬り込んでいた。あいつは腕が立つ、とギュンはいつも話していた。
  腕が立つことは誰もが認めていた。いずれはギュンの片腕になる、と多くの者が予想した。しかしギュンはヒュンを商売に関わらせようとしなかった。取引に同行させても、あくまで護衛の役にとどめて、金には決して手を触れさせようとしなかった。あいつには単純な仕事が向いている、とギュンはいつも話していた。あいつの資質は単純なことに向いている、とギュンはいつも話していた。そしてギュンが最初にそう言ったときには、ヒュンはすでにギュンに不満を感じていた。

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2015年10月24日土曜日

トポス(6) ギュンは仕事の仕方について説明する。

(6)
 ギュンは魔法玉の材料に森のエルフを使っていた。必要に応じてオークやドワーフも使ったが、最高の材料になるのは森のエルフだとギュンはいつも話していた。しかし森のエルフを生け捕りにするのは難しかった。ギュンの表現を借りるなら、やつらは少しばかりお高くとまっていた。しかも恐ろしいほど好戦的で、やたらと長生きなせいで戦闘の場数を踏んでいた。手の込んだ攻撃魔法も操った。魔法や暴力ではエルフを捕えることはできなかった。だからギュンはガスを使った。風上からエルフのすみかに向かって神経性のガスを流して、エルフが痙攣して倒れたところを捕まえた。
  ほめられたやり方ではないことはわかっている、とギュンはいつも話していた。ガスは森の動植物にも被害を与えた。エルフを失神させるためのガスは森の動物を窒息させ、森の植物を枯死させた。十人ばかりのエルフを捕えるために、ときには一つの森が犠牲になった。エルフだけに効果を与えるガスを作ることは不可能ではない、とギュンはいつも話していた。しかしそのガスを作るためには高価な天然材料を大量に必要とした。市場の動向からすると魔法玉の値上げは困難な状況にあり、森を守るために高価なガスを使えば粗利を確保できなくなる。
 ほめられたやり方ではないことはわかっている、とギュンはいつも話していた。しかし経営者として判断した結果なのだ、とギュンはいつも話していた。

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2015年10月23日金曜日

トポス(5) ヒュン、山奥でギュンと出会う。

(5)
 ヒュンが飛び込んだ小屋は無認可の魔法玉工場だった。そこでは法律の縛りを受けずに強力な魔法玉を作っていた。法律で禁止されている全体攻撃型や重力制御系の危険な魔法玉も作っていた。その工場で作られる魔法玉は品質が高いことで知られていて、どれもが鮮やかな青い色を放ったので青の魔法玉と呼ばれていた。森の中の工場は青の魔法玉工場と呼ばれ、工場の持ち主は青の魔法玉の男と呼ばれていた。
 ギュンという名の男だった。立ちすくむヒュンの前にギュンが姿を現わした。スキンヘッドに黒眼鏡をかけ、穏やかな声で話すこの男は、元々は公立高校の化学の教師だったが薄給を補うために魔法玉ビジネスに手を伸ばし、小遣い稼ぎのつもりがひとを増やし、生産を増やし、強力無比の魔法玉で商売敵を無慈悲に潰していくうちにいつの間にか名前を馳せて、いまではこれを本業にしていた。
 ヒュンは男たちに小突かれながら小屋の地下に下りていった。小屋の地下は洞窟で、洞窟の壁には青い肌のエルフが鎖で縛りつけられていた。ギュンがヒュンにナイフを渡した。よく研ぎ澄まされて、刃渡りがヒュンの前腕ほどもあるナイフだった。
「俺は運命を受け入れている」とヒュンは言った。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」
「おまえの運命がここにある」とギュンが言った。「本気で英雄になるというのなら、その資格をわたしに見せてみろ」

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2015年10月22日木曜日

トポス(4) ヒュンとピュン、追手をかわして山へ逃れる。

(4)
 監視カメラが犯行の現場を捉えていた。警察はすぐにヒュンとピュンを手配した。手配書があらゆる場所に貼り出され、検問があらゆる場所に置かれたので、ヒュンとピュンは追っ手がかかったことに気がついた。すぐさま手近の酒場に飛び込んで、そこにいた客と店員を人質にした。警官隊が酒場を包囲し、交渉人が話し合いを要求した。魔法玉を投げつけると、炎が吹き出て交渉人を焼き尽くした。ヒュンとピュンは浴びるように酒を飲んで魔法玉を投げ続けた。警官隊は雷に打たれ、氷に包まれ、地割れに飲まれて全滅した。
「大勝利だ」とヒュンが言った。
「逃げるぞ」とピュンが言った。
 ヒュンとピュンは人質から金品を奪い、魔法玉を使って酔いを醒まし、酒場に火を放って山へ逃げた。
 険しい山道を進んでいくと上空に警察のヘリコプターが現われた。ヒュンが魔法玉を投げつけると稲妻がほとばしってヘリコプターを切り裂いた。それと同時に新手のヘリコプターが尾根を越えて飛び出してきて、一瞬のうちに着陸して武装した警官隊を吐き出した。ヒュンとピュンが魔法玉を警官隊に投げつけた。警官たちが炎に包まれ、銃弾の雨がヒュンとピュンがなぎ倒した。ヒュンとピュンは血に染まった。回復用の魔法玉は一つしかない。ヒュンはそれを自分に使った。たちまちのうちに元気になって、痛みにうめくピュンを残して岩陰を伝って逃げ出した。道から外れて森を走り、小屋を見つけて迷わずそこに飛び込んだ。中には男たちがいた。ヒュンは最後の魔法玉を男たちに投げつけた。魔法玉から白い稲妻が飛び出したが、何かに弾かれてまたたいて消えた。

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2015年10月21日水曜日

トポス(3) ヒュン、ピュンとともに冒険の旅に出る。

(3)
 ピュンは魔法玉工場で働いていた。ハンマーを使って小鬼の頭を叩き割るのが仕事だった。壁に開いた穴の前で待っていると、薬を嗅がされてふらふらになった小鬼が顔を出す。そこへハンマーを振り下ろして一撃でとどめを刺すのが仕事だった。
 頭を砕いてはならなかった。
 角を潰してはならなかった。
 外すと正気を取り戻して逃げるので、やり直すことはできなかった。力の加減と微妙な角度と咄嗟の判断がものを言う繊細で複雑な仕事だった。
 頭を割られた小鬼はすぐに鉤に吊るされた。鎖で引かれて作業場に運ばれて、そこで服を剥がれ、皮を剥がれ、解体されて部位ごとに次の作業場へ運ばれた。皮は干して粉末にした。骨も砕いて粉末にした。肉は煮込んで脂肪を除き、それから天日に干して粉末にした。内臓は各種の香草と一緒に煮込んで脂肪を加えて玉に丸めた。粉末にした角も、粉末にした皮も骨も、脂肪を加えて玉に丸めた。玉に丸める工程では熟練工が鼻を頼りに調合を決めた。
 魔法玉工場では一日に五千個の魔法玉を出荷していた。魔法玉があれば魔法の知識がなくても魔法を使うことができるので、魔法玉は作る端から売れていった。魔法に頼ろうとする多くの者が魔法玉を買っていった。詠唱の手間を省きたい魔法使いも魔法玉を買っていった。そしてもちろん冒険者たちも魔法玉を買っていった。しかし小鬼の処分係の給料では魔法玉は買えなかった。
 ヒュンとピュンは魔法玉工場の塀を越えた。気がついて声を上げた警備員をハンマーの一撃で黙らせた。続いて現われた警備員は剣を振って斬り倒した。ヒュンとピュンは出荷場に押し入って、背嚢いっぱいに魔法玉を詰め込んだ。仕事を終えて背嚢を背負うと、朝焼けの中へ走り去った。

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2015年10月20日火曜日

トポス(2) 山の向こうにヒュンという名の若者がいる。

(2)
 山の向こうにヒュンという名の若者がいた。赤い羽根飾りがついた帽子をかぶって、細身の剣を腰に帯びて、いつも町の広場をぶらついていた。若いのになぜぶらついているのかとたずねられると、ヒュンはすぐさま剣を抜いた。若いのになぜ働かないのかとたずねられると、ヒュンはすぐさま剣を抜いた。なぜすぐに剣を抜くのかとたずねられると、ヒュンはすぐさま剣を抜いて相手の顔に斬りつけた。そして仲間にこっそりと、自分が剣を抜く理由を説明した。
「俺は運命を受け入れている。俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦わなけりゃならないんだ」
 そいつはすごい、とヒュンの仲間はうなずいた。
 仲間のおごりで夜更けまで飲んで、家に帰るとヒュンの部屋がなくなっていた。母親が部屋を貸しに出していた。ヒュンの部屋にはピュンという名の若者がいて、ヒュンの寝台でヒュンの毛布をかぶって眠っていた。
「起きろ、出ていけ」
 ヒュンが叫んで剣を抜くと、ピュンが起き上がってハンマーを振った。
「俺はこれで」とピュンが言った。「今日一日で五十匹の小鬼の頭を割った。おまえを五十一匹目にしてやろう」
「やれるものならやってみろ。だがその前にこの剣の切っ先がお前の胸を貫くぞ」
 ヒュンが剣で突きかかるとピュンはすばやくかわしてハンマーを振った。ヒュンがすばやく退くとハンマーがヒュンの鼻先で空を切った。ヒュンとピュンはすぐに悟った。これは互角の勝負だった。一方が倒れれば残る一方も倒れることになるだろう。ピュンがうなってハンマーを下ろし、ヒュンも構えた剣を鞘に収めた。
「俺は運命を受け入れている」とヒュンは言った。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」
「おまえの運命を分けてくれ」とピュンが言った。「俺も世界を救う英雄になる。だから俺も邪悪な黒い力と戦うんだ」
 二人は酒を酌み交わした。夜通し話し合って、邪悪な黒い力と戦うために冒険の旅に出ることにした。
「だがその前に」とピュンが言った。「魔法玉を少し手に入れておこう」

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2015年10月19日月曜日

トポス(1) 苦難の時代が近づいている、恐怖の時代が近づいている、と老人は言う。

(1)
 老人は不思議な力を使って未来を覗いた。
 そしてこれから起こることを人々に知らせた。
 苦難の時代が近づいている、と老人は言った。
 恐怖の時代が近づいている、と老人は言った。
「千年にわたる平和と繁栄は間もなく終わりを告げることになるだろう。世界の果てから邪悪な黒い力が現われて、地上に破壊と混乱を、人々に絶望と悲嘆をもたらすことになるだろう。大地は死で満たされ、家々は焼かれ、空は吹き上がる炎であぶられる。多くの者が逃げ場を失い、折り重なって野獣の餌食となるだろう。そしておまえたちは牛を奪われ、畑を奪われ、妻や娘をかどわかされる。邪悪な黒い力はおまえたちの牛を食らい、畑を耕し、おまえたちの寝台でおまえたちの妻や娘と交わるだろう。だが案ずるな。救いの手が山の向こうから現われる。羽根飾りをつけた若い勇者が仲間を率いて現われて、邪悪な黒い力を打ち破って大地に平和を取り戻す。そして新たな平和と繁栄が千年も続くことになるだろう」
 老人の言葉を聞いて人々は言った。
「千年にわたる平和と繁栄など、俺たちは知らない。見たことも聞いたこともない。いや、俺たちは無知で視野がひどく限られているから、もしかしたら平和と繁栄が目の前にあっても見えないのかもしれない。気がつくことができないのかもしれない。因業な地主に脅されながら暮らすのが平和だと言うのなら、たしかに千年も前から俺たちは平和だ。因業な地主に牛を奪われ、畑を奪われ、因業な地主の強欲なせがれに女房や娘をかどわかされ、行きがけの駄賃に棒で叩かれるのが繁栄だと言うのなら、ここ千年、俺たちは常に繁栄していたということになるだろう。その平和と繁栄が失われるということだが、失うもののない俺たちにいったいどんな関係がある? それでもし地主が困るというのなら、邪悪な黒い力は大歓迎だ。敵の敵は味方だって言うからな。それよりも気になるのは山の向こうから来るとかいうその若造だ。そいつが邪悪な黒い力を倒すというなら、その前にそいつを倒す必要がある。俺たちは無知で無教養で救いがたいほど愚かだが、それでもそのくらいの算術をする知恵には恵まれている。つまり俺たちの敵の敵の敵は俺たちの敵って寸法だ。なあ爺さん、痛い目に会う前に、そいつの名前と居場所を吐いたほうが、もしかしたら利口なのかもしれないぜ」

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2015年10月18日日曜日

トポス 公開開始のお知らせ

 左のロゴをクリックすると目次に移動します。
ブログ用に書き下ろした新作長編『トポス』の公開を開始します。剣と魔法のファンタジーです。邪悪な黒い力が目覚めて千年にわたる平和と繁栄をおびやかすとき、一人の若者が英雄となる運命に導かれて仲間とともに旅立ちます。旅の仲間は森のエルフの助けを得て狡猾なオークや凶悪なトロールの群れに立ち向かい、邪悪な黒い力と対決します。それほど嘘はついていません。

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2015年10月17日土曜日

ビースト・オブ・ノー・ネーション

ビースト・オブ・ノー・ネーション
Beasts of No Nation
2015年 アメリカ 103分
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ

内戦中のアフリカ某国で政変が起こり、新政権が中立地帯を廃止して住民に立ち退きを要求するので、それまでそこで平和に暮らしていた人々は激しく困惑しながら女子供を脱出させて、父祖伝来の土地を守るために男は残る、という決定をするが、母親と一緒に脱出するはずだった幼いアグーは満杯のタクシーに乗車を拒まれて残ることになり、残った人々は政府軍に捕えられて反政府軍NDFのスパイであると決めつけられ、父と兄を殺されたアグーは森に逃れ、そこでNDFの指揮官に拾われて兵士としての訓練を受け、多数の少年兵とともに敵を殺害しながら首都を目指して進軍するが、内戦終結後の国際関係を気にし始めたNDF指導部とアグーたちの指揮官のあいだで思惑が分かれ、アグーたちの指揮官はNDFの主流から離れて独自の戦いを開始する。 
製作、監督、脚本は『闇の列車、光の旅』『ジェーン・エア』のキャリー・ジョージ・フクナガ。アフリカ内戦における少年兵というと『ジョニー・マッド・ドッグ』を思い出すが、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』は話を少年兵というところにとどめずに、戦場にいながら最後まで正気を残した少年の目を通して救いのない内戦の実態を描いていく。少年兵という存在がただそれだけでむごいのではなく、少年兵を作り出す状況がまず醜悪なのである。少年アグーを演じたエイブラハム・アッターがすごい。独特の色彩感覚と空間処理、瞬間に見える幻想的な光景が絶望と諦観を際立たせて、見ごたえがある。NETFLIXオリジナルの長編作品で、ロケはガーナでおこなわれた模様で、劇中に登場した車両(6×6ピラーニャ、ラーテルなど)からするとガーナ軍が協力している。
Tetsuya Sato

2015年10月16日金曜日

ジャングル

ジャングル
Dzhungli
2012年 ロシア 83分
監督:アレクサンドル・ヴォイティンスキ

建築士のセルゲイが建築模型を抱えて説明会場に急いでいると捨ててあったアイスクリームを踏んで転倒してオリンピック選手のマリーナに衝突し、建築士のセルゲイが建築模型を抱えてなおも説明会場に急いでいるとアーチェリーの予選会場に転げ落ち、優勝まであと一歩というところにいるマリーナの手元が狂ってマリーナが放った矢がセルゲイを直撃、それから三年後、結婚三周年を迎えたマリーナは仕事ばかりで妻にかまわないセルゲイに愛想を尽かして出ていこうとするが、セルゲイは咄嗟の思いつきでバカンスを提案し、翌日、二人して東南アジア方面とおぼしきリゾートを訪れ、嵐が来るという現地人の警告をまったく理解できないまま二人でボートで海に乗り出し、嵐にもまれて行方を見失い、孤島にたどり着いて果物などを集めていたが、モスクワに大事なプレゼンテーションの仕事を置いてきたセルゲイはヤシの木に登って電波をつかまえ、同僚とあれやこれやと話していると、その様子を見たマリーナはセルゲイが浮気をしているものと確信して、まずボートを隠し、セルゲイがボートを奪い返すとボートを沈め、セルゲイが離婚を口にするとありあわせの材料作った弓と矢でセルゲイを狙い、一方、セルゲイはたまたま口にした木の実で幻覚を見て、幻覚を通して同僚やマリーナの父親から助言を得ながらマリーナに反撃し、そうしているうちに島に住む首狩り族が二人に気づいて襲いかかる。 
南洋の孤島で夫婦が乱闘するコメディで、間抜けなシーンもけっこう入っていてそこそこに笑えるものの、ロシア人がやっていると微妙に重たくなる。終始どたばたしているセルゲイに対してマリーナ役のヴェラ・ブレジネーヴァが実にみごとにアクションをしていて、この女優はなかなかの見ごたえであった。 
Tetsuya Sato

2015年10月15日木曜日

タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書

タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書
Fort Ross
2013年 ロシア 100分
監督:ユーリー・モロズ

モスクワのテレビ局でニュース番組の記者をしているドミトゥリは露米会社の取材を命じられてカメラマンのフィムカとともにサンフランシスコを訪れ、そこでロシア系アメリカ人で音響担当のマルゴと合流してフォート・ロスを取材するが、ドミトゥリの携帯にはモスクワ時間矯正会社が勝手にインストールしたアプリが仕込まれていて、たまたまそれを操作するといきなり19世紀初頭のフォート・ロスに放り込まれ、驚いて現代に戻ってくると衣装を整え、フィムカ、マルゴ及びスクーター一台とともに再び19世紀初頭の西海岸へ飛び込むものの、そこで出会った海賊にマルゴと携帯を奪われるので、ロシア人が暴れているというスペイン人総督の苦情に応じて出動した露米会社所属の海軍兵士たちと協力して海賊と戦う。 
露米会社という素材自体はきわめて珍しいし、19世紀初頭のロシア海軍の制服その他の装備なども珍しいが、タイムトラベルの部分はあきらかに余計であろう。視覚的にはいちおうの努力が見えるものの、だらだらとしていて締りがない。 


Tetsuya Sato

2015年10月14日水曜日

ソルジャーズ・オブ・フューリー

ソルジャーズ・オブ・フューリー
Chuzhaya voyna
2014年 ロシア 89分
監督:アレクサンドル・チェルニャエフ

1970年、アメリカ軍兵士に偽装したソ連軍特殊部隊の兵士たちが北ベトナム軍の支援を受けてアメリカ軍基地に潜入、というか、ベトコンの攻撃による混乱に乗じてもぐり込み、察するところ暗号表とおぼしきもの、UH-1のロケットのサンプルを採取して引き上げるが、途中パヴェルという名の兵士が俺は抜けると言って単独行動を始め、そこへアメリカ軍基地で見かけたロシア系アメリカ人兵士でヘリコプターのパイロットという男が加わり、さらに案内のベトナム人一人が加わって南側へ戻り、ロシア軍及びKGB関係者はパヴェルは裏切ったのか、それともあの作戦を遂行しているのか、などといったことを話し合い、別のどこやらでも元KGBの大佐と謎の人物が、パヴェルは裏切ったのか、それともあの作戦を遂行しているのか、などといったことを話し合い、関係者が各所で寝ぼけたような会話をしているあいだにパヴェルの一行はベトナム人女性メイを加えて町へ入り、やたらと手間をかけて爆弾を作って、爆弾を作るだけではまだ手間が足りないと思ったのか、爆弾を作るかたわらでパヴェルとメイが交合し、そこへ演歌のような歌が延々とかかり、翌日、手間をかけた爆弾を作って南ベトナム軍の大佐を殺害、パヴェルとその一行はアメリカ軍兵士を殺害してジープを奪い、さらに検問所の南ベトナム兵も皆殺しにして先へ進もうとすると一個小隊規模の新手が出現、そこへくだんのロシア系アメリカ人兵士がUH-1で現われてパヴェルを救出、しかしヘリコプターはファントムに撃墜され、一行は船を買って川でカンボジアに入り、そこで謎の人物の正体が明らかになり、というか、明らかになったということになり、ロシア側関係者がまた寝ぼけた会話をしていると、パヴェルが真実はわからないと言って煙草を吸う。 
つまりベトナム戦争期間中に6000人のロシア兵が投入されていて、しかしその業績はいまだに秘密のままになっている、ということで、その業績を描いてみました、と言いたいらしいのだが、北ベトナムの工作員と一緒に南へ潜入したロシア兵が南ベトナムの大佐を暗殺する、という一点を除くと、言ってることもやってることもほぼ意味不明。ロシア製のベトナム戦争映画という一種の珍品ではあるが(しかもちゃんとベトナムで撮影してるっぽい)、これは下手とかなんとか言うより、つまり頭が悪いのだと思う。



Tetsuya Sato

2015年10月13日火曜日

『Terracity - テラシティ』 第十三話 栄光のテラシティ

第十三話
栄光のテラシティ
 テラシティの市民はテラシティの平和を覆そうとたくらんだ恐るべき陰謀の存在を知って驚愕した。そして賢明なアダー執政官と勇敢なアダム・ラーの超人的な活躍で陰謀に加担したすべての悪党が捕えられ、恐るべき陰謀が完全に叩きつぶされたことを知って安心した。アダー執政官の特別行政処置によって悪党ども全員に死刑が言い渡されたことを知ると当然のことだと叫んで深くうなずき、悪党どもの処刑が教育的見地にもとづいて市民に公開されることを知ると学習の機会を求めてテラパークに押し寄せた。テラシティ市民の憩いの場、恋人たちの語らいの場、テラパークの円形の広場に鋼鉄の頼もしい輝きを放つ処刑台が置かれ、ぴったりとした金属繊維の服を着た人々は処刑台を囲んで人込みに驚き、人込みのなかから知り合いの顔を探して挨拶を交わし、善と悪、罪と罰について語り合った。そしてそのあいだを氷菓の売り子が、甘草水の売り子が呼び声を上げて練り歩き、人形売りが首に縄のかかった悪党どもの人形をバラやセットで売り歩いた。
「氷菓だよ、できたてのほやほやの氷菓だよ」
「甘草水、甘くて冷たい甘草水はいらないか」
「悪党どもの人形だよ、記念にどうだい? アルタイラとアデライダのセットが人気だよ。アデライダはメイド服を着ているよ」
 処刑台の上に処刑人が現われた。顔をすっかり覆う革の頭巾をかぶった処刑人は処刑台に何本となく下がる首吊りの縄の一つひとつを丹念に調べ、縄の下に置かれた踏み台の一つひとつの位置を調整した。
 明るい陽射しが処刑台と処刑台を囲むテラシティの市民に降り注いだ。金属繊維の服がまばゆいばかりの輝きを放ち、そのざわめく光のせいで多くの市民が頭痛を味わい、めまいを起こして数人が倒れた。日射病で倒れて担架で運ばれる者もいた。
 歴代執政官の銅像が並ぶ道を、灰色のやせ馬に牽かれた一台の馬車が近づいてきた。荷台には鉄製の檻があり、檻のなかでは恐るべき陰謀をたくらんだ悪党どもがそろって後ろ手に縛られて、間もなく訪れる分相応の最期をそれぞれに思い、顔を絶望と悔恨、あるいは憎悪と怒りにゆがめていた。
 アダー執政官によって希代の極悪人と非難されたアルタイラの姿がそこにあった。アルタイラの悪の手先、残忍な殺戮者と非難されたアデライダの姿もそこにあった。テラシティの裏切り者、あらゆる罰に値すると非難されたラグーナの姿もそこにあった。狡猾で破廉恥と非難された金星人の悪党ヴァイパーもいた。火星人の悪党ゴラッグもいた。ヴィゾーもいた。セプテムもいた。トロッグもいた。そして全人類の裏切り者と非難されたロイド博士と白衣をまとう技師たちがいた。いたぞ、と叫んだ警官もいた。
 テラシティの善良な市民が悪党どもに向かってこぶしを振り上げ、罵声を浴びせた。唾を吐きかける者もいた。石を投げつける者もいた。悪党どもを乗せた馬車は市民のあいだへ割って入り、ゆっくりと処刑台に近づいていった。馬車が処刑台の脇にとまった。青いヘルメットをかぶった警官たちが黒い警棒を手にして走り寄り、檻のとびらを開けて悪党どもを引きずり出すと、次から次へと処刑台に追い上げた。
 顔に絶望と悔恨を、あるいは憎悪と怒りを浮かべた悪党どもが処刑台の上に並び、処刑人がその一人ひとりの首に縄をかけ、警官たちが警棒を振って一人ひとりを踏み台に立たせた。処刑人が非情の縄を引き絞ると、悪党どもが爪先で立った。
 恐るべき悪党アルタイラが何かをしきりと叫んでいた。
 残忍な殺戮者アデライダも何かをしきりと叫んでいた。
 全人類の裏切り者ロイド博士も叫んでいた。ラグーナも何かを叫んでいた。ヴァイパーも叫んでいた。セプテムも叫んでいた。ゴラッグもトロッグもヴィゾーも何かを叫んでいたが、悪党の言葉に耳を傾けるような市民はもちろん一人もいなかった。
 処刑台を取り巻く市民が歓声を上げた。アダー執政官が処刑台の上に現われ。盛大な拍手で迎えられた。執政官がゆっくりと両手を上げると拍手がやんだ。
「テラシティの善良なる市民諸君」執政官の増幅された声が広場に響いた。「恐るべき陰謀との戦いは終わった。正義が、秩序が、平和が、テラシティが勝利したのだ」
 拍手が起こった。執政官がゆっくりと両手を上げると拍手がやんだ。
「テラシティの善良なる市民諸君」執政官の増幅された声が広場に響いた。「いかにも正義は勝利した。平和は、テラシティは勝利した。しかし、まだ終わりではない」
 執政官が処刑台の上に並ぶ悪党どもを指差した。
「テラシティの善良なる市民諸君」執政官の増幅された声が広場に響いた。「悪党どもはまだ生きている。悪党どもが生きている限り、悪党どもの悪事に終わりはない」
 テラシティの善良な市民が悪党どもに罵声を浴びせた。
 唾を吐きかける者もいた。
 石を投げつける者もいた。
「テラシティの善良なる市民諸君」執政官の増幅された声が広場に響いた。「我々は、悪党どもの悪事を終わらせなければならないのだ。いまこの場で終わらせるのだ」
 拍手が起こった。執政官がゆっくりと両手を上げると拍手がやんだ。
「テラシティの善良なる市民諸君」執政官の増幅された声が広場に響いた。「それではこよれり、処刑を開始する。罪を、死によってつぐなわせるのだ。ふははははは」
 このとき、執政官がおならをした。増幅されたおならの音が広場に響いた。
 テラシティの善良な市民は驚愕した。テラシティの常識からすれば、それはあってはならないことだった。聞こえなかったふりをする者がいた。しかし臭いが漂ってきた。
 アルタイラが何かを叫んでいた。
 テラシティの善良な市民が顔を寄せて囁きを交わした。いったい何が起きたのか、テラシティは地球上のほかの都市と同じ次元に墜ちたのか、テラシティの執政官は結局のところ火星や金星の下品な支配者と変わることがなかったのか。だとすれば、いったいテラシティはどうなるのか。虚飾が砕かれ、真実が暴かれ、常識は覆って単なる非常識となったのか。それでは虚飾の上にあぐらをかいたテラシティの明日はどうなるのか。多くの者が不安をささやき、ささやきはささやきと重なって間もなく大きなざわめきとなり、ざわめきは助けを求める声となって空に大きく響き渡った。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。アダー執政官がおならをしました。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの上空、五千メートル。雲を見下ろす空の高みにテラシティの守護者アダム・ラーの空中要塞テラグローブが浮かんでいた。数々の武器を備えたその球体は直径百五十メートルを超え、輝かしい銀色の光沢をまとって地上の声に耳を傾け、巨大なラッパを備えた聴音機で市民の声を受けとめた。助けを求める市民の声はただちに電気信号に変換され、アダム・ラーの司令室に送られて最新鋭の通信装置テララジオから流れ出た。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。アダー執政官がおならをしました。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの守護者アダム・ラーはテララジオから流れる声を聞いた。救いを求める市民の声に、蒼白の美貌と健やかな肉体を持つ正義の戦士の心が猛った。
「なんということだ」深みのある声でそうつぶやくと、テララジオに顔を近づけた。「アダー執政官が市民の前でおならをしたのだ」薄い唇を舐め、丸窓の外に浮かぶ雲を見つめてあとを続けた。「許してはならない」再び通信装置に目を落とした。「わたしはテラシティの守護者、アダム・ラーだ」姿勢を正して青い詰め襟のホックをとめた。青いチュニックの胸を叩き、続いて白い乗馬ズボンを軽く叩く。膝から下は磨き上げられた黒いブーツだ。腰のホルスターに収めた熱線銃MAX9を軽く撫で、最後に白い手袋を手に取った。「アダー執政官を滅ぼすのだ」そう言って机の上に置かれた真紅の発令装置テラアラームに手を伸ばした。テラグローブを揺るがすサイレンが鳴った。
 アダム・ラー出撃の合図だ。テラグローブに足音がこだまする。非番の者もドーナツを捨てて駆け出した。発進ドックでは作業服に身を包んだ浅黒い肌の男たちが声をかけ合い、快速艇テラホークの発進準備に取りかかった。驚異のテラニウムエンジンにテラニウム燃料が充填され、強力無比の熱線砲XH9000に重たげなパワードラムが装填される。アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが飛び込んできた。どちらもアダム・ラーの忠実な仲間だ。アダム・ラーが二人に気づいて振り返り、テラアラームから手を離した。サイレンが鳴りやみ、テラグローブに静寂が戻る。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 アダム・ラーが敬礼を返して指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形のエレベーターのドアが閉まり、再び開くとそこは驚異のテラファシリティの焼け跡だ。アダム・ラーが二人の仲間を連れて現われると、技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、働く手をとめ、足をとめ、顔に喜びを浮かべて敬礼した。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥タオルが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥タオルか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥タオルがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」
 前方にテラパークが見えてきた。銀色に輝く処刑台も見えてきた。テラシティの市民が逃げ惑う。アダー執政官の白いマントが処刑台でひるがえった。アダム・ラーの目が光った。操縦桿をあやつり、テラホークを執政官の背中に向ける。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」
 執政官が振り返った。執政官が手を上げた。薬指に金色の指輪が輝いている。ただかざすだけでテラシティのすべてのドアが開き、テラシティのすべてのトイレの便座が上がるあの指輪だ。執政官が指輪をかざした。その瞬間、テラホークがもんどりを打って地面に激突した。
「たいへんだ」市民が叫んだ。「執政官がテラホークを墜落させた」
「たいへんだ」市民が叫んだ。「執政官がアダム・ラーを攻撃した」
「たいへんだ」市民が叫んだ。「執政官はテラシティの敵になった」
「たいへんだ」テラシティの市民が声を合わせた。
 執政官の手に小型の熱線銃が現われた。
「コオロギどもめ」
 執政官はそう叫んで、テラシティの市民多数を消し炭に変えた。
「やめて」アデライダが叫んだ。
「やめて」アルタイラも叫んだ。
「ふははははは、ふははははは」
 執政官が悪魔的に笑っていた。
 テラホークのハッチが開き、アダム・ラーとその仲間が銃を手にして飛び出してきた。不時着の衝撃はすさまじかったが、頑丈なハーネスに守られていたので全員傷一つ負っていない。銃を構えて地面に伏せると、そこへ執政官の赤い光が降り注いだ。熱線銃から放たれた赤い光が地面を焦がし、さらに市民多数を消し炭に変えた。
「やめて」アデライダが叫んだ。
「やめて」アルタイラも叫んだ。
 アダム・ラーが感想を言った。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
 執政官が熱線銃を構えてアダム・ラーを狙っていた。アダム・ラーがそこを指差し、タップスに言った。
「正面からはとても無理だ。なんとかしてやつの背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「やつの背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、熱線銃の攻撃をやすやすとかわして執政官に接近した。そして背後へまわることに成功したが、執政官がくるりと振り返ってスパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 このとき、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いて処刑人が笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で頭を覆う頭巾を取った。黄色い髪が、白い肌が現われ、体型がひとまわり細くなった。
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。上下が逆転する。墜落の衝撃。スパークスが悲鳴を上げる。アダム・ラーが叫んでいる。脱出だ。脱出だ。ハーネスをはずす。椅子から解き放たれたからだが天井へ落ちる。ハッチへ。ハッチへ。ハッチから落ちる。赤い光が降り注ぐ。市民が消し炭に変わっていく。すごい攻撃だ。そうだ、ミニチュア光線だ。スパークスを縮小しろ。喜んで。頼むぞ。なんてこった、スパークスが殺された。このひとでなし。まさか、アルモン、アルモン。そうだ、おれだ、アルモンだ。頭巾の下から黄色い髪が、白い肌が現われる。体型がひとまわり細くなる。悲鳴が聞こえる。誰かがどこかですさまじい悲鳴を上げている。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべ、いったいどこから取り出したのか、ロケットパックをすばやく背負った。
「タップス、また会おう」
 そう言うとすさまじい速さで空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げてタップスが叫ぶ。
 アダム・ラーが執政官の鼻先に熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 アダム・ラーが引き金を引いた。
 アダー執政官が消し炭に変わった。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によってアダー執政官は退治された。テラシティの明日がよみがえり、アダー執政官の悪事が暴かれ、悪党どもは首吊りの縄から解放されて再び自由の身となった。
「わははははは」悪党どもが笑っていた
「ふふふふふふ」ラグーナも笑っていた。
「しかし、諸君」ロイド博士が口を開いた。「安心してはならないのだ。第二、第三の危機が、いつまたテラシティを襲わないとも限らないのだ」
「ねえ」アデライダが言った。「なんだか、おならの臭いがするわ」
「ああ」アルタイラが言った。「ごめん、それ、たぶん、あたしだ」


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2015年10月12日月曜日

『Terracity - テラシティ』 第十二話 最後の希望

第十二話
最後の希望
「さて、これを見てもらおうか」
 金星人ヴァイパーが大型のスクリーンを指差した。一瞬、走査線が流れたあと、円筒形をした黒い建物が映し出された。窓が一つも見当たらない。
「記憶変造センターだ」ヴァイパーが言った。「アデライダはここにいる」
「アデライダの居場所が、なぜわかったんだ?」トロッグが訊ねた。
「簡単なことだ」博士が言った。「娘に発信器をつけておいたのだ」
「あのメイド服につけてあるのか?」
「違うな」
「では、ティアラか、ホウキだな?」
「違うな」
「いったいどこにつけてあるんだ?」
「どこでもいいだろう」ヴァイパーが言った。「いいか。アデライダはおれたちの作戦にも不可欠な存在だ。そこでおれたちは博士に協力してアデライダを救出する。これは簡単な作戦ではない。成功させるためには全員が一致団結しなければならない。というわけで、ラグーナ」
「何よ」
「作戦完了まで、個人的な事情は忘れてくれ」
「しかたがないわね」
「そしてアルタイラ」
「なんでしょうか?」
「作戦完了まで、個人的な話題は避けてくれ」
「個人的な話題って、おならのことですか?」
「そうだ、おならだ」
「しかたありません」
「では、これも見てもらおう」
 金星人ヴァイパーが再びスクリーンを指差した。円筒形の建物のフレーム画像が映し出され、フレームのあちらこちらに赤や黄色のマーカーが浮かんだ。
「記憶変造センターの警備システムだ」ヴァイパーが言った。「赤いマーカーが警備員の位置を、黄色いマーカーがトラップの位置を示している。見たとおり、警備員だらけ、トラップまみれだ。特にこの四階、中央記憶変造室の周囲にはトラップが集中している。ほとんど難攻不落だと言ってもいいだろう。ラグーナ、説明を頼む」
「いいわ」ラグーナが立ち上がった。「警備員は全員が特殊部隊で訓練を受けて、最新鋭の熱線銃で武装してる。そして不審者を発見した場合には、質問する前に発砲するように指示されてるの。廊下には監視カメラと連動した強力な熱線砲が二十メートル置きに配備されていて、最上階の監視センターから遠隔操作で発射できる。廊下の床には落とし穴が隠れてるわ。落とし穴の上には黄色いタイルが貼ってあるけど、油断しないで。なかには黄色いタイルを貼ってない落とし穴も混じってるから」
「穴のなかには、何かあるのか?」ゴラッグが訊ねた。
「グラサイト製の槍が並んでるわ」ラグーナが答えた。
「落ちたら串刺し、ということか」セプテムが言った。
「そうよ」ラグーナがうなずいた。「それから、エレベーターね。認証用の鍵を使わずにエレベーターを動かすと、ゴンドラの壁からグラサイト製の槍が飛び出してくる。各フロアのエレベーターホールにはガニメデの昆虫人間が配置されていて、ふだんは不活性化されて透明のチューブに収まっているけれど、何かあったらチューブから出て、敵も味方も見境なしに襲いかかるわ。エレベーターは避けたほうが安全ね。でも階段はもっと危ない。うっかり侵入すると壁からガスが噴き出してくるわ」
「ガスというのは催涙ガスかな?」ヴィゾーが訊ねた。
「いいえ、イペリットを使ってる」ラグーナが答えた。
「吸ったらおだぶつということか」セプテムが言った。
「そうよ」ラグーナがうなずいた。「どうにか四階までたどり着いても、中央記憶変造室へ入るためには三つのセキュリティチェンバーを通過する必要がある。どのチェンバーにも監視カメラが五台あって、不審者が侵入した場合には監視センターの遠隔操作でトラップが作動するの。第一チェンバーには吊り天井があって、天井から飛び出たグラサイト製の槍が侵入者を串刺しにする。第二チェンバーでは高圧で噴き出た水が侵入者を八つ裂きに、第三チェンバーは二千度の高温ガスで焼き殺すの」
「考えたやつの顔が見てみたいぜ」トロッグが言った。
「わたしよ。何か文句でもある?」ラグーナが言った。
「正面から行くには危険すぎるな」セプテムが言った。
「おれもそう思う」ヴァイパーが言った。「頭数を用意すれば警備員を排除してトラップをくぐり抜けることも不可能ではないだろうが、それではこちらの犠牲が大きくなりすぎる。それに、もたもたしているうちにアデライダに危険が及ぶ可能性も考えておく必要があるだろう。そこでおれは、テラホールを使おうと思っている。ロイド博士の研究所からテラホールを使って中央記憶変造室に乗り込み、アデライダを救出したあと、テラホールを使って撤収する。どうだ? 悪くないアイデアだろ」
「たしかに、それなら安全そうだ」トロッグが言った。
「それに、スマートな感じもする」ヴィゾーが言った。
「いいじゃないか。それでいこう」ゴラッグが言った。
「でも」アルタイラが声を上げた。「博士の研究所って、いま、どうなってるんですか? テラホールがまだ使えるっていう保証があるんですか?」
「心配ない。その点は、大丈夫だ」博士が言った。
「なんでそれがわかるんだ?」トロッグが訊ねた。
「簡単なことだ」博士が言った。「テラホールに発信器がつけてあるのだ。破壊されたり、解体されたりしたら、すぐにわかるようになっている」
「さすがはロイド博士だ」トロッグが言った。「ところで、おれにつけた発信器ってのは、いったいおれのどこについてるんだ? おれの服か?」
「違うな」
「靴か?」
「違うな」
「髪か?」
「違うな」
「いったいどこにつけてあるんだ?」
「どこでもいいだろう」ヴァイパーが言った。「というわけで、テラホールが使えることは博士が保証してくれている。実験室に入ることができれば三十分で準備ができるそうだ。だからおれたちの問題は、実験室にどうやって入るかということになる」
「ドアから入ったらいけないのか?」ゴラッグが訊ねた。
「もちろんドアから入るんだが」ヴァイパーが言った。「監視カメラで確かめたところ、ロイド博士の研究所はいま警官隊の監視下にある。テラシティ防衛隊が出動している可能性もあるし、アダム・ラーが待ち構えている可能性もある。つまり研究所へ近づけば、おれたちはそのまま、罠に飛び込むことになる」
「つまり、またトラップまみれか?」ヴィゾーが訊ねた。
「わたしの研究所にトラップはない」博士が言った。
「でも」ラグーナが言った。「地下にシンジェノアがいるわ」
「ああ」博士が言った。「そう言えばシンジェノアがいるな」
「シンジェノア? それはいったい?」ヴァイパーが訊ねた。
「遺伝子改造が生んだ悪夢だよ」博士が答えた。「砂漠戦用に兵器として開発したもので、凶暴さや残忍さはガニメデの昆虫人間の比ではない。しかもコントロールが難しいので、地下のエアコン用メンテナンスホールに隔離してあるのだ」
「しかし博士、なぜそんなものを作ったのだ?」セプテムが訊ねた。
「科学の力を過信し、神への畏れを忘れたのだ」博士が答えた。
「そのシンジェノアを倒す方法はないのかい?」ヴィゾーが訊ねた。
「砂漠戦用に開発したと言ったろう。シンジェノアの弱点は、水だ」
「水ってふつうの水? 水に弱いんですか?」アルタイラが訊ねた。
「そう、水に弱い。水をかけるとシンジェノアは溶けてしまうのだ」
「だったらさっさと、始末しときゃいいのによ」トロッグが言った。
「なるほど」博士が言った。「言われてみれば、そうかもしれない」
「では」ヴァイパーが言った。「そのシンジェノアとやらが暴れていた場合には水をかけるとして、ほかの要素にどう対処するかだ。おれは地底戦車ヴァグラーを使うことを考えている。ヴァグラーが地面を破って、どっかーんという感じで現われたところへ、おれたちが飛び出していって警官隊を制圧し、実験室に突入する」
「いや、ヴァイパー」セプテムが言った。「それはだめだ」
「だめだ? どうしてだめなのだ?」ヴァイパーが言った。
「ちょっとした、技術的な問題がある」ヴィゾーが言った。
「それはいったい、どういうことだ? 説明してもらおう」
「あれは、でかすぎるんだ」セプテムが言った。「地底戦車で穴を掘って研究所まで行こうと思ったら、それなりの経路をたどる必要がある。ところがあれは、とにかくでかいから直進しかできない。それも上に向かって直進することを前提に構造計算をしてあるから、横とか斜めに進んだら何が起きるかわからない。たぶん壊れる。方向転換なんて、考えるだけでも恐ろしいね」
「なぜ、いままでそれを、黙っていたのだ?」
「まあ、おまえを悲しませたくなかったから」
「そうか、そういうことか」
「すまないが、そうなんだ」
 わははははは、とヴァイパーが笑った。
「いいだろう」ヴァイパーが言った。「それなら、正面突破するだけだ」
「ヴァイパー」ヴィゾーが叫んだ。「ちょっと待てよ、やけを起こすな」
「ヴァイパー」トロッグが言った。「おまえ、すごい金持ちなんだろ?」
「何が言いたい? だったら、どうだと言うのだ?」
「だったらさ、金を使えよ。警官隊はたぶん転ぶぜ」
「防衛隊もね」ラグーナが言った。「給料安いから」
「すばらしい」セプテムが言った。「それでいこう」
「なるほどな」ヴァイパーがうなずいた。「買収か」
「ヴァイパーの腹が痛むけどな」ヴィゾーが言った。
「かもしれないが」博士が言った。「暴力を使うより、そのほうがいい」
「おれはかまわん」ヴァイパーが言った。「決定だ」
「アダム・ラーは、どうする?」セプテムが訊ねた。
「あれは無理よ。買収できない」ラグーナが言った。
「ああ、融通が利かないからな」ヴィゾーが言った。
「だが、いちばん危険な相手だ」ゴラッグが言った。
「誰か、いい考えはないか?」ヴァイパーが言った。
「要するに」アルタイラが言った。「動けなくすればいいんですよね?」
「ああ、動けなくすればいい」ヴァイパーが言った。
「だったらテラグローブを攻撃したらどうですか?」
「テラグローブを、攻撃だと?」ゴラッグが叫んだ。
「それはたぶん、約束違反だが」ヴィゾーが言った。
「でも、木星人がたまにしてる」トロッグが言った。
「そうは言っても、ちょっとな」ゴラッグが言った。
「でも、足止めはできますよ」アルタイラが言った。
「気に入ったわ」ラグーナが笑った。「アルタイラ、悪党の仲間入りよ」
「ヴァイパー」ゴラッグが言った。「どうなんだ?」
「おれはかまわん」ヴァイパーが言った。「決定だ」
「地対空ミサイルで攻撃しよう」セプテムが言った。
「そいつはいい、そうしよう」ヴァイパーが言った。
「ではそろそろ、行動開始だな」ヴィゾーが言った。
「賛成だ。急がないと、娘が危ない」博士が言った。
「よし、行動開始だ」ヴァイパーが言った。「ラグーナ、交渉を頼む。警察とテラシティ防衛隊にあたってくれ。金額はまかせる。セプテム、小型の地対空ミサイルを三ダースくらい用意して地上へ運べ。ヴィゾー、セプテムを手伝え。攻撃位置を確保するんだ。ほかの者は準備が整い次第、研究所へ向かって移動する。ゴラッグ、おれの戦闘員を指揮してロイド博士を護衛しろ」
 博士の娘アデライダを救うために、ついに悪党どもが行動を始めた。
 そこへヴァイパーの娘ヴィーナスが現われ、ヴァイパーにすがった。
「パパ、お願いよ、ヴァルモンを連れていかないで」
「ああ、もちろんだ。ヴァルモンは父親になる男だ」
「いいえ、お義父さん、おれにも戦わせてください」
「だめよ、ヴァルモン、お願いだから、一緒にいて」
「おれの戦いぶりを、お義父さんに見てほしいんだ」
「ヴァルモン、おまえがそう言うなら、一緒に来い」
「ありがとうございます。必ずご期待にこたえます」
「行くのね、あたしを置いて、行ってしまうのね?」
「大丈夫。きっと戻ってくる。だから安心するんだ」
「きっとよ、きっとよ、必ず、無事に戻ってきてね」
「約束するよ、約束するよ」
「愛してるわ、愛してるわ」
「アデライダ」アルタイラが叫んだ。「あと、ちょっとの辛抱だからね」

 そのころ、記憶変造センターの心臓部、中央記憶変造室では。
 白衣の技師がアデライダの拘束を解き、椅子から下りたアデライダがホウキを構えて宙を見つめた。アデライダの前にアダー執政官の黒い影が現われた。
「アデライダ」執政官が言った。「わたしが誰だか、わかるかな?」
「はい、ご主人さま。お帰りなさいませ。ご命令をどうぞ」
「よし」執政官が言った。「では、おまえに最初の指令を与えよう。アルタイラとロイド博士を滅ぼすのだ。邪魔する者は排除しろ。手段を選ぶ必要はない。そして失敗した場合には、死をもってつぐなうのだ。ふははははは。ふははははは」

 そのころ、銀色に輝くテラグローブでは。
 アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが並んでいた。アダム・ラーが振り返り、二人の前でこのように言った。
「アダー執政官の緊急指令だ。アルタイラとロイド博士をつかまえる。そして失敗した場合には、死をもってつぐなうのだ」
「し、死ぬんですか?」スパークスの声が震えた。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」タップスが笑った。
「執政官の考えでは、アルタイラはロイド博士の娘アデライダを奪い返そうとたくらんでいる。アデライダは記憶変造センターにいるから、アルタイラはそこを狙ってくるだろう、と執政官は考えている。しかし、アルタイラにはロイド博士がついている。ロイド博士がよからぬことをたくらんで、まず研究所を奪い返そうする可能性もある、と執政官は考えている。いま、記憶変造センターもロイド博士の研究所も、厳重な警戒下に置かれている。二人がどちらかに現われれば、ここへすぐに連絡が来る。そうしたら我々はただちに出動し、アルタイラとロイド博士を捕えるのだ」
「失敗したら、死ぬんですね」スパークスの声が震えた。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」タップスが笑った。
「失敗はしない」アダム・ラーがおごそかに言った。「わたしはテラシティの守護者なのだ。ヒーローなのだ。ヒーローは決して失敗しない」
「そう聞いたら、なんだか少し安心しました」
「はっはっはっ。ほんとに臆病なやつだなあ」
 このとき、最新鋭の通信装置テララジオから見知らぬ声が流れ出た。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらは執政官のスパイ、こちらは執政官のスパイ。アルタイラの一味はロイド博士の研究所を目指している。繰り返す。アルタイラの一味はロイド博士の研究所を目指している」
「いよいよだ」スパークスの声が震えた。
「腕が鳴るぜ」タップスが言った。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 このとき、爆発音がとどろいてテラグローブが激しく揺れた。床が傾き、アダム・ラーがよろめいた。スパークスが悲鳴を上げてタップスをつかみ、タップスとスパークスが床に倒れた。
「なんだ?」タップスが叫んだ。
「なんなんだ?」スパークスが声を上げた。
 アダム・ラーがテララジオのスイッチを入れた。
「こちらアダム・ラー、何があった?」
「攻撃を受けています」テララジオから声が流れた。「何者かがテラグローブをミサイルで攻撃しています。現在、テラファシリティが炎上中。しかし、ご安心ください。我々はテラグローブを守ります」再び爆発音がとどろいた。テララジオから絶叫がほとばしった。「うわあっ」
「こちらアダム・ラー、どうした? 応答しろ」
 テララジオが沈黙した。
 アダム・ラーが指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形のエレベーターのドアが閉まり、再び開くとそこは驚異のテラファシリティだ。そこでは技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、煤にまみれて炎と戦い、あるいは火だるまになって恐ろしい悲鳴を上げていた。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥オイルが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥オイルか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥オイルがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」
 前方にロイド博士の研究所が見えてきた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつり、失速しつつあるテラホークを研究所へ導いた。ドーム状の建物が迫る。アダム・ラーの目が光った。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
「博士」監視カメラのモニターを指差し、白衣をまとう技師が叫んだ。「アダム・ラーの快速艇テラホークが突っ込んできます」
「何?」博士が叫んだ。「そうか、アダム・ラーの足止めは失敗だったか」
「博士」アルタイラが叫んだ。「そんなことよりアデライダを助けるのよ」
「よし」博士が言った。「この追跡装置でアデライダの場所を確かめよう」
「博士」ルパシカを着た青年が叫んだ。「我々はまだあきらめていないぞ」
 白衣の技師が青年の頭に大きなスパナを振り下ろした。
「なんということだ」博士が叫んだ。「娘は近くにいる」
「なぜなの?」アルタイラが言った。「どういうこと?」
「まずいわ」ラグーナが言った。「洗脳されているかも」
「記憶変造センターにいたからな」ヴァイパーが言った。
 このとき、実験室のドアが開いた。アデライダが姿を現わし、見る者の心をくすぐる天真爛漫な笑みを浮かべた。
「お父さま」
「無事か?」
「ええ、お父さま」アデライダが実験室に入ってきた。
「アデライダ」アルタイラがアデライダに駆け寄った。
「変ね」ラグーナが言った。「洗脳されてないみたい」
「あら」アデライダが笑みを浮かべた。「されてるわ」

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
「たいへん」アルタイラが叫んだ。「何をされたの?」
「なんということだ」博士が叫んだ。「アデライダが」
「どうすりゃいい」ゴラッグが熱線銃を抜いて構えた。
「いったい、何を命じられた?」ヴァイパーが訊ねた。
「何かを、命じられたんだけど」アデライダが言った。「でも、よく聞いてなかったの。だって、アダー執政官って、口が臭いんですもの。おならの臭いも少ししたし」
「いつもよ」ラグーナが言った。「いつも臭ってるの」
「それで、それが気になったら、もうそのことで頭がいっぱいになって、執政官が何を言っても、ちっとも耳に入らなかったの。だから何を命じられたかわからないわ」
「それで終わりかよ?」ゴラッグが熱線銃を下ろした。
「いいえ」アデライダが叫んだ。「何を命じられたかわからないけど、何をすべきかはわかってるわ。あんなに口の臭いひと、すぐ滅ぼしてしまわなければならないわ」
「どうやら、目的が一致したな」ヴァイパーが笑った。
「博士」技師が叫んだ。「テラホークがぶつかります」
「これはいかん」博士が叫んだ。「研究所を救わねば」
「しかし」悪党たちが声をそろえた。「どうやって?」
 アルタイラがアデライダを指差した。
 アデライダの目に明るい星が輝いた。
「アデライダ、頼んだぞ」博士が叫んだ。
「アデライダ、行きます」

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
 監視カメラのモニターを指差し、ふふふふふとラグーナが笑った。
「ほら、見てごらんなさい」
 アデライダがホウキを構えた。アデライダがホウキを振ると、テラホークがもんどりを打って墜落した。
 わははははは、と悪党どもが声をそろえた。
 テラホークのハッチが開き、アダム・ラーが這い出した。タップス、スパークスがあとに続く。うっかり動いたカメラによってアダム・ラーの顔がアップになった。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
「正面からはとても無理だ。なんとかして彼女の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「彼女の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、うっかりフィールドをやすやすとかわしてアデライダに接近した。そして背後へまわることに成功したが、アデライダがくるりと振り返ってスパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 このとき、タップスの動きがとまった。左右を見まわし、空を見上げ、それからまた左右を見まわし、頭を垂れて地面を見つめた。
「タップスの動きが変だ」ゴラッグが言った。
「何かを探してるみたい」ラグーナが言った。
「見ろよ」トロッグが言った。「アダム・ラーもとまってる」
「変ね」アルタイラが言った。「いったい何があったんだろ」
 タップスが前に向かって歩き出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追った。タップスがアデライダに近づいていく。
 アデライダがホウキを振った。タップスの熱線銃が分解した。それでもタップスはとまらずに、アデライダに向かって近づいていった。アデライダがホウキを振った。タップスはものともしないで前に進んだ。
「ねえ」アルタイラが言った。「これ、まずい、絶対まずい」
「アデライダ」博士が叫んだ。「早く、なんとかしなければ」
 タップスの手が伸び、アデライダの髪をつかんだ。
 アデライダが悲鳴を上げた。
 タップスの手が伸び、アデライダの頬をつまんだ。
 アデライダが悲鳴を上げた。
「何をしてるんだ?」ヴァイパーが言った。
「早く、助けなきゃ」アルタイラが叫んだ。
 アダム・ラーが現われ、アデライダの手に手錠をはめた。
「なんてこった。アデライダが逮捕された」ヴァイパーが叫んだ。
「同じ場面を、前にも見たような気がするわ」ラグーナが言った。
「たいへんだ」トロッグが叫んだ。「アダム・ラーが入ってくる」
「たいへんだ」ゴラッグが叫んだ。「みんな、戦闘の準備をしろ」
 悪党どもが武器を抜いた。
 実験室のドアが開き、アダム・ラーが入ってきた。タップスも現われ、手錠をかけたアデライダを盾にした。アダム・ラーが熱線銃を構えてアルタイラを狙った。
「降伏しろ」
 タップスの腕のなかでアデライダがあらがった。アルタイラの額を汗が伝った。
「人質とは卑怯だぞ」ヴァイパーが叫んだ。
「降伏しろ」アダム・ラーが繰り返した。
「聞け」博士が叫んだ。「熱線銃はアデライダにはあたらない。だからかまわず」
「やっておしまい」ラグーナが叫んだ。
 アダム・ラーを狙って次々と赤い光がほとばしった。アダム・ラーが横に飛んだ。タップスとアデライダがキャットウォークの残骸に隠れた。アダム・ラーが撃ち返し、逃げ惑う白衣の技師が端から消し炭になっていった。
「すごい攻撃だ」ゴラッグが言った。
「前進できない」トロッグが言った。
「お義父さん」ヴァルモンが叫んだ。「おれが出ます。援護を」
「ヴァルモン」ヴァイパーが叫んだ。「無茶をするんじゃない」
 ヴァルモンが前に向かって飛び出した。アダム・ラーがヴァルモンを狙った。熱線銃の赤い光がヴァルモンをかすめた。ヴァルモンが叫びを放って床に倒れた。
「ヴァルモン」ヴァイパーが叫んだ。「おまえたち、援護しろ」
 アダム・ラーを狙って次々と赤い光がほとばしった。ヴァイパーが走り、倒れたヴァルモンを抱き起した。
「ヴァルモン、しっかりしろ、傷は浅い」
「お義父さん、嘘がへたくそなんですね」
「何を言っている。一緒に家に帰るんだ」
「ヴィーナスに、どうか伝えてください」
「ばか、自分で伝えればいいじゃないか」
「おれは勇敢だったと、勇敢に戦ったと」
「おまえは勇敢だった。勇敢に戦ったよ」
「お義父さん、うれしいな。本当ですか」
「本当だ。メテオブレインのようだった」
「メテオブレイン? それは誰ですか?」
「小惑星帯を根城にしているとんでもない悪党だ。本物の悪党はみんなあいつを目指している。地球の出身で、本名はガストン・ラリュー。ただし、おれが最後に会ったときにはバスティアン・ギーと名乗っていた」
「バスティアン・ギー?」ヴァルモンが血まみれの手で胸をつかんだ。「そんなばかな。やつはおれがこの手で三年前に…」
 このとき実験室のドアが音もなく開いた。ヴァルモンがかすむ目を向ける。そこに立っていたのは赤いトレンチコートを着たブロンドの女だ。
「モニーク」ヴァルモンが震える声を絞り出した。
 モニークと呼ばれた女がコートのポケットからピストルを出し、腰だめに構えて二発撃った。薬莢が飛び、実験室に銃声が轟き、ヴァルモンのからだが痙攣した。
 このとき、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いてモニークが笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長が七センチほど高くなった。
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。おまえは利用されていたのさ。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。やつは海岸で泣いている。やつは海岸で泣いている。執政官の銅像が笑っている。タップス、また会ったな。タップス、また会ったな。テラフクロウがくちばしを開いた。おれだ、アルモンだ。テラフクロウがつばさを広げた。タップス、また会おう。タップス、また会おう。悲鳴が聞こえる。誰かがどこかですさまじい悲鳴を上げている。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放って飛び出した。
「タップス、また会おう」
 ドアが静かに閉じて、アルモンの姿を覆い隠した。
「ちくしょう」ドアをにらんで、タップスが叫んだ。
 アダム・ラーがヴァイパーに熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 悪党ヴァイパーは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。アルタイラもラグーナも、ロイド博士も生き残った白衣の技師も両手をあげた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
 ヴィーナスが言葉にならない叫びを上げ、ヴァルモンのからだをかき抱いた。
「ちくしょう」ヴァルモンがあえいだ。「おれにはわかっていた。いずれはこうなるとわかっていた。あの泥沼からは、一人として逃げ出すことはできないんだ」
 ヴァルモンの口から血があふれた。
「誰か、誰か」ヴィーナスが叫ぶ。「誰か、このひとを助けて。この地獄からこのひとを助け出して」

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