2016年11月23日水曜日

エージェント・ウルトラ

エージェント・ウルトラ
American Ultra
2015年 アメリカ/スイス 96分
監督:ニマ・ヌリザデ

ウエストバージニアのリマンという小さな町で恋人のフィービーと暮らしている麻薬常用者のマイク・ハウエルは自分の過去を思い出すことができない上に町から離れようとするとパニック障害を起こすという問題を抱えていて、だから町から離れることができないままコンビニの店員をしながら暇な時間に頭脳改造されたサルが凶暴無比の活躍をするマンガを描いて想像の世界で遊んでいたが、ある晩、コンビニの駐車場に停めた自分の車に男二人が何かをしているのを見て店から出て、それは自分の車だと穏やかに警告したところ、男二人は武器を出してマイク・ハウエルに襲いかかるので、マイク・ハウエルは一瞬の動作で二人を殺害、自分のしたことを見たマイク・ハウエルは恐怖に震えてフィービーを呼び、フィービーともども留置場にぶちこまれると警察には重火器で武装した二人組が現れて警官を皆殺しにしてマイク・ハウエルに襲いかかり、ここでもマイク・ハウエルは無敵の戦闘能力を唐突に発揮して現場から逃走、問題の封じ込めに失敗したと判断したCI担当官Aは町をホットゾーンに仕立てて隔離してから殺人者の集団を送り、フィービーを奪われたマイク・ハウエルはフィービーを救うために殺人者が待ち構えるホームセンターに突入、日常の様々な道具を使って大殺戮を開始する。 
マイク・ハウエルがジェシー・アイゼンバーグ、フィービーがクリステン・スチュワート。ジェシー・アイゼンバーグ版ジェーソン・ボーンという感じで、ジェシー・アイゼンバーグの「アイドル映画」としては十分に機能しているように思う。ただ、CIAが国内活動でたった一人を殺害するために軍隊を動かし、武装ドローンを飛ばし、CDCやFEMAにも偽装し、メディアを操作するという微妙なトンデモ感(というか、ちゃちさ)がリアリティを大きく損なっているし、マインドコントロールのせいで心が重たくなった主人公が結末で明るくああなるのはどうなのか、ここにも少々首をひねった。いわゆる「MKウルトラ計画」関係の映画でくくるなら、リチャード・ドナー監督、メル・ギブスン主演の『陰謀のセオリー』(1997)のほうが断然おもしろい。 

Tetsuya Sato

2016年11月16日水曜日

13時間 ベンガジの秘密の兵士

13時間 ベンガジの秘密の兵士
13 Hours
2016年 アメリカ 144分
監督:マイケル・ベイ


カダフィ政権崩壊後のリビア、ベンガジにはアメリカ領事館が置かれ、そこからほど遠からぬところにはCIAの秘密基地があって、そこではCIA職員20人ほどがリビアにおける武器密売ルートを調査して、機会をとらえては買い取るという活動をしていて、この基地を守るために元アメリカ軍人6人が警備員として雇われて、言わば非常勤職員ということで微妙に粗略な扱いを受けていて、そうしていると2012年、預言者ムハンマドを冒涜する例の素人映画が話題になってエジプトで抗議活動が起こり、それがリビアにも波及してなぜか9月11日、イスラム厳格派の武装勢力が領事館を襲撃、領事館は放火され、CIAの秘密基地にいた警備員6名は武装して救援にかけつけるが、このときたまたまトリポリからベンガジを訪問していた大使は行方不明のままで、領事館の保安職員を救出して基地に戻ると今度はその基地が襲撃され、迫撃砲弾が撃ち込まれる。 
ベンガジで実際に起こった事件の映画化で、モロッコとマルタ島でロケがされているようだが、当時のリビアの荒廃した雰囲気がよく再現されている。状況判断を間違い続ける現地CIA、アメリカ側の指揮系統の混乱ぶり、味方も敵も同じようにしか見えないし、実際のところ敵か味方かもわからないリビアの武装勢力、時間の経過に沿って刻々と悪化する状況、ドキュメンタリー調の戦闘シーンなどが2時間半の長尺にきちんとまとめらていて、ここに全員が妻子持ちという(つまり出稼ぎに来ている)警備員たちの不安や望郷の念などが加わるとそこが少々わずらわしいし、そこだけブラッカイマーの映画みたいだし、それをしているあいだにもう少し周囲の状況を書き込んでほしかったような気もしないでもないが、全体からすると悪くない。 
Tetsuya Sato

2016年11月13日日曜日

ジャック・リーチャー NEVER GO BACK

ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
Jack Reacher: Never Go Back
2012年 中国/アメリカ 118分
監督:エドワード・ズウィック

凄腕、というよりもどちらかと言うとトラブルを引き寄せる傾向があるジャック・リーチャーはとある事件で陸軍憲兵隊のスーザン・ターナー少佐の知己を得ることになり、ターナー少佐を食事に誘うためにワシントンDCを訪れたジャック・リーチャーはターナー少佐がスパイ容疑で逮捕されたことを知り、ターナー少佐の弁護官ムーアクロフト大佐を訪れるが、ジャック・リーチャーは事を穏便に済ませようとするムーアクロフト大佐の姿勢を批判、ジャック・リーチャーの言葉に触発されたムーアクロフト大佐はターナー少佐の事件の関連情報をジャック・リーチャーに伝え、するとムーアクロフト大佐は何者かによって速やかに殺害され、ジャック・リーチャーはムーアクロフト大佐殺害の嫌疑で収監され、そこでただちに反撃に出ると同じ拘置所にいたターナー少佐を救出して二人で脱獄、一連の事件の背後軍事会社パラソースの存在があることを嗅ぎ取り、ジャック・リーチャーの娘である可能性が疑われる少女サマンサを仲間に加えると路銀の不足を克服しながらニューオーリンズに飛び、事件の証人を探し当て、群がる暗殺者を撃退して真相を暴く。
監督はクリストファー・マッカリーからエドワード・ズウィックに交代し、敵も謎の地上げ屋から謎の軍事会社に代わったせいか(あるいは原作自体の世代の変化による影響か)、一作目にあった古めかしいB級テイストはおおむね消えてふつうにA級のアクション映画になっている。一作目をあくまでも基準にするなら、良くも悪くも癖が消えている、ということになるのかもしれないが、この二作目の仕上がりも間違いなく一級である。ロバート・デュヴァルにヘルツォークといった前作の強烈な顔ぶれがない一方、こちらではトム・クルーズとタイマンを張るコビー・スマルダーズが実にいい感じで、監督がエドワード・ズウィックだから、ということになると思うけど、ふつうならもたもたしそうなところを余計な手間を取らないし、余計な手間を取らないという点ではコビー・スマルダーズ扮するターナー少佐は言うまでもなく、14歳の少女サマンサまでが有能で、逃げるときには転んだりしないで全速力で突っ走る。 
Tetsuya Sato

2016年11月10日木曜日

ラブ・アゲイン

ラブ・アゲイン
Crazy, Stupid, Love.
2011年 アメリカ 103分
監督:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア

キャル・ウィーバーとエミリー・ウィーバーの夫婦が子供たちをベビーシッターに預けて外食をして、デザートにキャル・ウィーバーがクレーム・ブリュレを望み、エミリー・ウィーバーが離婚を望んだことから25年続いた夫婦関係は一気に微妙な状態になり、キャル・ウィーバーはエミリー・ウィーバーが離婚を望んだ事情を聞くことを拒んで離婚に同意、家を出ると夜ごとにバーに出現しては自分は寝取られ男であると愚痴を垂れ流し、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーはその様子を見てキャル・ウィーバーに近づき、キャル・ウィーバーの改造を開始、服を替え、靴を替え、髪型を変えたキャル・ウィーバーはジェイコブ・パーマーの仕込みで女性に近づくようになり、一方、エミリー・ウィーバーは勤務先の同僚デイヴィッド・リンハーゲンから積極的なアプローチを受け、ウィーバー夫妻の息子で13歳のロビーは4つ年上のベビーシッター、ジェシカ・ライリーを魂の伴侶であると感じ、ジェシカ・ライリーの前で愛を告白するとかるくかわされてしまうので、学校の国語の授業で『スカーレット・レター』の"A"は"Ass Hole"の"A"であると熱弁して問題を起こし、キャル・ウィーバーとエミリー・ウィーバーがそれぞれに喪失感を味わい始めたころ、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーが恋に落ちる。 
キャル・ウィーバーがスティーブ・カレル、エミリー・ウィーバーがジュリアン・ムーア、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーがライアン・ゴズリング、恋に落ちる相手がエマ・ストーン。デイヴィッド・リンハーゲンの役でケヴィン・ベーコンが出ているが、あいかわらずのゲストスター。監督は『フィリップ、きみを愛してる!』のグレン・フィカーラ、ジョン・レクア。質のいい脚本できちんと演出された上質の映画で、スティーブ・カレルはじめ出演者もみないい仕事をしている。おそらくは「人生をずっとさぼっていた」ことになるスティーブ・カレルの序盤におけるどうしようもなさがとてもリアルで、ところどころ反省させられた(さすがにマジックテープ付きの財布は使わないが)。ジュリアン・ムーアもいい感じで、ライアン・ゴズリングも自然に二枚目をしていて悪くない。 


Tetsuya Sato

2016年11月8日火曜日

ユダヤ人だらけ

ユダヤ人だらけ
Ils sont partoute
2016年 フランス/ベルギー 111分
監督:イヴァン・アタル

セファルディー系のユダヤ人で1965年生まれの俳優イヴァン・アタルが自身がユダヤ人であるという事実に取りつかれてほぼパラノイアの状態で精神科医に自分のこだわりについて語り続けるあいまに反ユダヤ主義を掲げる右翼政党の次期党首の夫は祖母の死によって自分の意外な正体を知り、ユダヤ人は金持ちであるという「一般常識」に反して失業中で無一文のユダヤ人の男は異教徒の妻にその点を罵られて負け犬となじられ、Googleでユダヤ人について調べて実はユダヤ人が金持ちであることを知り、したがって自分はユダヤ人ではないという判断を下してユダヤ人である「義務」を捨て、「われらがモサド」はイスラエルが秘密裏に開発したタイムマシンを使って恐るべき歴史「修正主義」作戦を実行に移し、ドランシー通過収容所跡地の向かいに住む赤毛の男は連日のように出現するユダヤ人に業を煮やし、ユダヤ人ばかりが同情を集めていると怒り、赤毛であることで自分がいかなる虐待を受けたかを叫んで赤毛連盟を結成し、経済破綻に瀕したフランス政府はユダヤ人だけはどうにか成功しているという事実に気づいて恐るべき「最終解決」を国民に提案し、語り続けるイヴァン・アタル本人はイスラム教徒の役を引き受けるかどうか考えている。
Netflixで鑑賞。監督・主演がテルアビブ出身のイヴァン・アタル。「ユダヤ人であること」と「反ユダヤ主義」に関する「偏見」に満ちたスケッチを重ねたコメディで、かなり笑えるし、異教徒の妻役で登場するシャルロット・ゲンズブールのビッチぶりもなかなかにすごいが、とにかく神経逆なで系なのでとても疲れる。 



Tetsuya Sato

2016年11月7日月曜日

フィリップ、きみを愛してる!

フィリップ、きみを愛してる!
I Love You Phillip Morris
2009年 フランス/アメリカ 97分
監督・脚本:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア

生まれるのと同時に母親から養子に出されたことを知ったスティーブン・ラッセルはひとも驚く立派な人間になろうと決意して警官になり、敬虔なキリスト教徒の妻とかわいらしい娘と三人で幸福な家庭を営んでいたが、警官の立場を悪用して実の母親の所在をつきとめ、自分を捨てた理由を知るためにその家を訪れて門前払いされ、実は母親の所在をつきとめることが警官になった理由であったので、それを機会に警官をやめてテキサスに移り、そこでよい職とよい隣人に囲まれて幸福な家庭を営んでいたが、実は物心がついたころからゲイであったので妻に隠れて男とつきあい、交通事故にあって死と直面し、自分は自分を生きていないと気づいてカミングアウトし、妻と別れて盛大に男とつきあうようになり、男に貢ぐために金をはたき、金がなくなると詐欺をして金を稼ぎ、そのことでついに逮捕されて刑務所にぶち込まれると、そこでフィリップ・モリスと運命的な出会いを果たし、裏で手をまわして同房となって親密な関係となり、先に出所すると弁護士であると身分を偽ってフィリップ・モリスの釈放手続きを進め、フィリップ・モリスが出所すると同棲してフィリップ・モリスを養うために経歴を偽ってとある会社に財務担当重役となってもぐり込み、なぜか信任を受けるといきなり退屈し始めて、会社が扱う医療費を勝手に投資にまわしてその利益によって私腹をこやし、それがばれてまた刑務所にぶち込まれると愛するフィリップ・モリスと会うために手段を尽くして脱獄を繰り返し、そのことでテキサス州政府が激しく手を焼いたので終身刑で現在もなお服役中という実話らしい。
ある事件の再現という範囲ではそれなりによくできているし、ジム・キャリーは体重を変えて熱演し、ユアン・マクレガーは受身の男をいかにもといった風情で演じているが、監督をしているのが『キャッツ&ドッグス』の脚本家コンビだから、ということになるのか、微妙に薄ら寒い。その寒さの理由はよくわからないが、視点の維持に失敗しているのと、台詞で説明しすぎているからであろうとさしあたりは疑っている。
Tetsuya Sato

2016年11月6日日曜日

偉大なるマルグリット

偉大なるマルグリット
Marguerite
2015年 フランス/チェコ/ベルギー 129分
監督:グザヴィエ・ジャノリ

1920年、男爵夫人マルグリット・デュモンは後援をしている慈善団体の催しで歌を披露し、その歌を聞いた評論家リュシアン・ボーモンは新聞に批評を寄せてマルグリット・デュモンの歌声には悪魔も逃げ出すほどの迫力があったと紹介するので、記事を真に受けたマルグリット・デュモンはボーモントを新聞社に訪問、ボーモントの友人で詩人・画家のキリル・フォン・プリ―ストの誘いを受けてナイトクラブの催しに参加、マルグリット・デュモンの歌声にあわせてキリル・フォン・プリ―ストがダダイズム的表現を実践した結果、マルグリット・デュモンを含めて関係者は逮捕されるが、マルグリット・デュモンはこの経験から歌手には観客が必要であると確信するようになり、夫ジョルジュ・デュモンの反対を押し切ってオペラ歌手ペッジーニを教師に雇うとリサイタルの準備に取りかかる。
よく吟味された構成で丹念に作られた作品であり、認識面で孤立したヒロインと、ヒロインの認識面における孤立を解消する勇気が持てないその周辺、認識面で孤立したヒロインが幻想を膨らませていく一方で不安を膨らませていくその周辺、ヒロインの幻想に加担しながら得体の知れない呪術的空間を黙々と広げていく謎の執事、という具合に人物とその関係性がおもしろく配置されている。そしてクライマックスは、それこそ悪魔も逃げ出すほど恐ろしい。 
Tetsuya Sato