2013年9月30日月曜日

戦場のガンマン

戦場のガンマン
5 per l'inferno
1969年 イタリア 90分
監督:フランク・クレイマー(ジャンフランコ・パロリーニ)

第二次大戦中、連合軍がドイツ軍の極秘作戦の指令書を盗み出すために剛腕の中尉、ドイツ語の話せる軍曹、シカゴの金庫破り、トランポリンの名手、眼鏡をかけた臆病者の五名で特殊部隊を編成してドイツ軍占領下のイタリアへ送り込み、五人はドイツ兵に偽装して敵の司令部へと接近するが妙に目ざといドイツ兵が瞬時に正体を見破ってアメリカ兵だアメリカ兵だと騒ぐので目につくドイツ兵を端から殺して前に進み、司令部の見張りも片付けてトランポリンで高圧電流の流れる壁を越え、金庫を開いて指令書を写真に写し取り、そのあいだ五人を手引きするはずだった連合軍の女スパイ、ヘルガは親衛隊の将校で、ネコと見ればイヌをけしかけ、そこらの兵隊に靴磨きを命ずる残忍で傲慢なミューラー大佐に組み敷かれ、そのミューラー大佐は見張りが殺されたという知らせを受けて兵を集め、そこから先は大銃撃戦。いかにもフランク・クレイマーという感じの能天気な仕上がりで、残忍な親衛隊の大佐がクラウス・キンスキー。




Tetsuya Sato

2013年9月29日日曜日

マダム・グルニエのパリ解放大作戦

マダム・グルニエのパリ解放大作戦
Soft Beds, Hard Battles
1974年 イギリス 95分
監督:ロイ・ボールティング

1940年のパリ。フランス陸軍のラトゥール将軍、イギリス陸軍情報部のロビンソン少佐、アメリカ大使館のアラン・キャシディはそれぞれにマダム・グルニエの娼館を訪れて夜を明かし、イギリス軍がダンケルクから撤退すると「イギリス軍がいなくなってせいせいした」と言いながらラトゥール将軍は娼館に戻り、その娼館は「愛されるドイツ軍」パリ軍政官のヴォン・グローティヤン将軍から早々と営業許可を受け取って客を迎え、客として現われたドイツ軍の将軍を民間人の姿で舞い戻ったロビンソン少佐が射殺する。ロビンソン少佐は後片付けもしないで立ち去ってしまうので、死体は娼館の女たちとアメリカ大使館職員が適当に片づけ、そうすると本当にきれいに片づいてしまうので、イギリス陸軍及びフランス亡命政府はこの方法を有効と認めてマダム・グルニエを名誉大佐に任命し、娼館は娼婦ともどもそのまま「軍事化」され、以降、第二次世界大戦はこの娼館を中心に進行していくことになる。
ピーター・セラーズがラトゥール将軍、ロビンソン少佐(その調子)、パリのゲシュタポ指揮官シュローダー氏(わたしだ)、アドルフ・ヒトラー(パリは燃えているか)、フランス共和国大統領、さらにノルマンディ上陸作戦を視察中の大日本帝国皇太子京都殿下(わたしは神の遠縁だから)の六役を演じ、そのそれぞれがなんというのか、実に様になっている。映画そのものは決して上手な作りではないし、脚本もアイデア倒れの気配があるが、ピーター・セラーズの芸達者ぶりと、ポーカーフェースに貼り付いた酷薄な笑いが楽しくて、結局、最後まで笑いながら見てしまう。


Tetsuya Sato

2013年9月28日土曜日

銃殺!ナチスの長い五日間

銃殺!ナチスの長い五日間
Dio e con noi
1969年 イタリア/ユーゴスラビア
監督:ジュリアーノ・モンタルド

第二次大戦が終了し、二人のドイツ兵が勝手に軍服を脱いで故郷を目指すことにする。その旅の途中で連合軍の捕虜収容所のそばを通りかかり、鉄条網の外からドイツ軍捕虜に声をかける。そして短い会話から二人組の旅行者がドイツ兵であったことが判明し、中のドイツ軍捕虜たちが騒ぎ始めて、そうなると連合軍側も放ってはおけなくなって二人の身柄を拘束する。連合軍としては捕虜にしたからそれで終わりの筈であったが、ドイツ軍側は納得しない。脱走したのだから軍法会議にかける必要があると主張し、要求を通すために事実上のストライキへと突入する。そのドイツ的な徹底ぶりを見るに見かねた連合軍側は要求を認め、ドイツ軍捕虜たちは軍法会議を開いて二人の脱走兵に有罪を言い渡す。脱走は死刑なので、銃殺にしなければならない。そこで連合軍はドイツ軍捕虜に対して一時的に小銃を貸与し、ドイツ軍はその小銃を使って判決どおりに処刑する。
ドイツ軍だから、という描写もあったけれど、生命剥奪のプロセスを軍法に基づいて自動的に推し進めていく軍隊という組織がたいそうメカニックに描かれていて、そのあたりがなかなかに不気味でちょっと印象的な映画であった。脱走して銃殺される兵士の片方がフランコ・ネロで、銃殺される時に「なぜだ、もう戦争は終わったんだ」と不条理を叫んでいたけれど、法律的に正しいのはたぶん銃殺隊の方であろう。ちなみに勝手に帰ってしまったドイツ兵というのは実際には沢山いたようだし、自宅までトラックで送り返して回った部隊もあったようなので、ドイツ軍だからといって皆が皆、目の前に規律をぶら下げているわけではない。 


Tetsuya Sato

2013年9月27日金曜日

誰がため

誰がため
Flammen & Citronen
2008年 デンマーク/チェコ/ドイツ 136分
監督:オーレ・クリスチャン・マセン

1944年のコペンハーゲン。レジスタンスのフラメンは相棒のシトロンとともにレジスタンスの指導者アクセル・ヴィンターの命令にしたがってデンマーク人の対独協力者ばかりを次々に殺害していたが、本来であれば殺害対象とはならないはずのドイツ人ギルバートの暗殺を指示され、そのギルバートが警官に偽装したフラメンの正体を即座に見抜き、あれやこれやと説教を始めるとフラメンの心が揺れ動き、さらにヴィンターがフラメンの愛人ケティ・セルマーの殺害を指示すると今度はケティ・セルマーからヴィンターの正体を暴露され、ヴィンターがしたがっているというロンドンからの指令の存在を疑い、ヴィンターがストックホルムに逃亡するとフラメンの心はいよいよ疑いでいっぱいになり、自分たちが殺していたのはもしかしたらすべてが対独協力者ではなかったのではないかと考え始め、そこへ妻子に置き去りにされて孤独をかこち、そもそも自暴自棄であったようにも見える相棒のシトロンがフラメンの疑いを強引に打ち消し、事実上居直る形でなおも闘争を続けるためにゲシュタポの司令官ホフマンの暗殺を決意するが、至近距離にまで迫ったところで今度はホフマンにあれやこれやと説教をされてフラメンの心がまた揺れ動き、結局暗殺を果たせずにその場から逃げ、逆恨みのようなところからまた挑んでまた失敗し、三度目に挑戦したところでまたしくじり、それでとうとうドイツ側も本気になったのか、フラメンとシトロンはドイツ軍に追いつめられる。

『影の軍隊』などを見てもあきらかなようにレジスタンス活動というのはふつうに進めていても猜疑心のとりこになって仲間内で殺し合いを始めてしまうので、そこへ具体的に疑惑がからんでくるともうどうしてみようもないのであろう。それにしても変わったレジスタンスで、ゲシュタポがふつうに飲みにくるような店で集会を開いているし、話がこじれてくると、なぜか関係者全員でストックホルムに集まって、今度はそちらで集会を開く。被占領国の市民が中立国にふつうに出張できるのである。出演者の演技の水準がきわめて高く、演出は忍耐強く、落ち着きがある。フラメンを演じたトゥーレ・リントハート、シトロンを演じたマッツ・ミケルセンが実に印象的であった。

Tetsuya Sato

2013年9月26日木曜日

影の軍隊

影の軍隊
L'arme'e des ombres
1969年 フランス 140分
監督・脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル

1942年から1943年にかけて、ドイツ軍占領下のフランス。ジェルビエは逮捕されてフランス側が自主管理する収容所で送られるが、そこからゲシュタポによって移送される途中、脱出する(この場面はすごい)。それからマルセイユに移って裏切り者を始末し、ドイツ側の手配を受けてロンドンへ潜水艦で脱出し、仲間が逮捕されたことを知ると夜間降下でフランスに戻り、仲間を救出するために苦悩に満ちた時間を費やし、自分も逮捕されて覚悟を決め、銃殺隊の前から救出されて身を隠し、信頼していた仲間が裏切ったことを知って恐るべき決断を強いられる。
堂々としたラテン系の男や女が堂々と信念に殉じるのである。ジャン=ピエール・メルヴィルの、なんというのか、背中の皮を少しずつ剥いでいくようなじわじわとした雰囲気はやはり捨てがたいものであるが、よく見てみるとこのひとたちはただもうストイックに堂々としているだけで、レジスタンスらしいことは一つとしてやっていないような気がする。

Tetsuya Sato

2013年9月25日水曜日

空軍大戦略

空軍大戦略
Battle of Britain
1969年 イギリス 133分
監督:ガイ・ハミルトン

ダンケルクの戦いのあと、ドイツはイギリス侵攻の準備にかかり、制空権を確保するためにドーバーのレーダー網をシュトゥーカで叩き、空軍基地を爆撃し、これに対してイギリスはスピットファイアの編隊を空に上げ、いわゆる「英国の戦い」に取りかかる。
スピットファイアは言うまでもなく、シュトゥーカ、He 111、メッサーシュミット、冒頭と中盤に顔を出すJu 52もすべて実機で、特にHe 111は合成で増やした分も含めてこれでもかと登場して空軍基地とロンドンを爆撃する。航空戦を扱った戦争映画としてはおそらく最高水準にあり、バリエーションの豊富な空戦シーンだけでもすばらしいが、抑制の利いた人物描写にはうまさがあり、防空システムに関する細部の描写は興味深く、戦時下のイギリス、ドイツ占領下のフランス、侵攻準備を進めるドイツ軍、ヒトラーの演説にわくベルリンなど背景についても抜かりがない。 

Tetsuya Sato

2013年9月24日火曜日

ビスマルク号を撃沈せよ!

ビスマルク号を撃沈せよ!
Sink the Bismarck!
1960年 イギリス/アメリカ 97分
監督:ルイス・ギルバート

乗艦をビスマルクに撃沈され、家を爆撃で粉砕されて妻を殺され、そのせいで感情を表わすことをやめてしまったシェパード艦長が海軍の作戦部長に任命されて出撃してきたビスマルクの対応にあたり、内輪の空気でだらけた部下を叱りながら大西洋で駒のように軍艦を動かし、海峡を見張り、艦船が足りなくなると護送船団の護衛を減らし、地中海から空母を動かし、フッド爆発の知らせを聞いても冷静をたもち、アークロイヤル勤務の息子がソードフィッシュに乗って海に消えても冷静をたもち、包囲の輪をせばめてビスマルクを追い詰め、砲撃戦でビスマルクを懲らしめ、魚雷を使ってとどめを刺し、ついに撃沈して食事に出ると夕方のつもりだったのが実は朝であった、というお仕事映画である。
きわめてクリアな状況描写と海軍作戦部から兵員室の水兵まで、バランスの取れたドラマの作り方が好ましい。ビスマルクを含め艦船の多くはミニチュアだが、精度が高くて特撮シーンの仕上がりもよく、特にフッドの爆発シーンはすさまじい。 

Tetsuya Sato

2013年9月23日月曜日

大脱走

大脱走
The Great Escape
1963年 アメリカ 168分
監督:ジョン・スタージェス

ドイツ空軍管轄の真新しい捕虜収容所に脱走常習犯ばかりが送られてくる。問題のある捕虜を集中管理して問題を解決しようという試みであったが、その捕虜というのはもう移送されてくる途中から脱走を試み、到着するや否や脱走を試み、腰を落ち着けたところで本格的な脱走の準備に取り掛かる。
脱走の指揮を取るのがリチャード・アッテンボロー、なんでも作るのがジェームズ・コバーン、なんでも調達するのがジェームズ・ガーナー、なんでも偽造するのがドナルド・プレザンス、穴を掘るのがチャールズ・ブロンソンという具合にそれぞれが一芸に秀でていて、黙々と仕事に励むところが面白い。で、その合間にスティーブ・マックィーンが独立独歩の気性を見せて脱走に耽る。
とはいえ、こういう場合、やはり性格が出るのであろう。連合軍捕虜(ほぼ全員が将校で、航空兵)の落ち着きのない態度を見ていると、収容所の所長の言うようにこれは病的だと考えたくなるし、いちおう史実を踏まえていると聞くと、ますますそういう気持ちになる。だから大量の脱走者を出して所長が更迭される場面では、なんとなく所長に肩入れをするわたしであった。


Tetsuya Sato

2013年9月21日土曜日

エリジウム

エリジウム
Elysium
2013年 アメリカ 109分
監督:ニール・ブロムカンプ

22世紀中葉、人口爆発と大気汚染で地球が荒廃したので富裕層は衛星軌道上に建築されたコロニー、エリジウムに移住して地上に残った貧困階層を劣悪な労働条件で働かせていて、労働者の一人マックス・ダ・コスタは仕事上の事故で被曝して残り五日の命になり、助かるためにはどうしてもエリジウムにいかなければならないということで富裕階級の脳からデータを盗み取る危険な仕事をスパイダーから請け負うが、盗み取ったデータがエリジウムの根幹を揺るがす性格のものであったことから執拗に追われるはめになり、捕えられてエリジウムへ送られたところで立ち上がる。 
魅力的な場面はたくさんあるし、ジョディー・フォスター、ウィリアム・フィクトナー、シャールト・コプリーの悪役ぶりもそれぞれに魅力的だし、マット・デイモンもまじめに仕事をしているし、全体として見れば確実に水準はクリアしているものの、たいへん残念なことに仕上がりは『第9地区』に及ばない。格差にかかわる要素があまりにもすっきりと分割されているところがどうにも単純すぎるし、肝心なところに一度も踏み込まないまま都合のいい出口がついたプロットを追ってそのまま終了、という構成にどうにも煮え切らないものを感じていた。150年後のスラム化したロサンゼルスが現代のメキシコのスラムそのまんま、というのも解釈の中断があるような気がしてならない。そのまんま、ということであればティファナを舞台に近未来をやった『マインド・シューター』のほうがよほどにカラフルで真実味を帯びているし、ヨハネスブルグの都市部でロケをした『ジャッジ・ドレッド』は都市型のスラムをきっちりと扱っている。ニール・ブロムカンプという作家にはもっと過激な展開を期待していた。ハリウッド・メジャー直下のプロダクションと相性がよくないのではあるまいか。
Tetsuya Sato

ナバロンの嵐

ナバロンの嵐
Force 10 from Navarone
1978年 イギリス 118分
監督:ガイ・ハミルトン

チトー率いるユーゴスラビアのパルチザンがドイツ軍に追い詰められていて、パルチザンを救うためにはドイツ軍の進路にあるネレトバ川の橋を爆破する必要がある、ということでアメリカ軍はバーンズビー少佐が率いる特殊部隊にマロリー少佐(昇進している)とミラー軍曹(昇進している)をくっつけてユーゴスラビアに送り込むが、パラシュート降下した一行は王党派の出迎えを受けて捕虜にされ、危ういところでパルチザンの女に救われて脱出を果たすものの爆薬の量的な問題から橋の爆破は不可能になり、だったらかわりに上流にあるダムを破壊して一気に橋を押し流そうという話になって、みんなでその方角を目指して歩き始める。
公開当時はユーゴスラビア陸軍全面協力という触れ込みで、最後の戦闘シーンではチトー大統領自らが撮影現場を視察した、と宣伝していたような記憶がある。リチャード・キール、バーバラ・バックと『007/わたしを愛したスパイ』のキャスティングをそのまま引っ張ってくるあたりは芸がないし、脚本は思いつきのようにしか見えないし、映画としても今一つという感じだが、実を言うとわたしは『ナバロンの要塞』よりもこちらのほうが好き。これはわたしが緊張感に富んだ冒険映画よりも洒落っ気があって間抜けな話のほうを好むからであろう。ロバート・ショーのマロリー少佐もエドワード・フォックスのミラー軍曹も陽気で洒落っ気があって、これは素朴に見ていて楽しい。つまり洒落っ気はあるけれど、緊張感は何もない。配役にも意外性は何もなくて、悪役はリチャード・キールだし、裏切り者はフランコ・ネロなのである。乗りはほとんどコメディに近い。



Tetsuya Sato

2013年9月20日金曜日

ナバロンの要塞

ナバロンの要塞
The Guns of Navarone
1961年 アメリカ 158分
監督:J・リー・トンプソン

1943年の地中海東部。イギリス軍のケロス島守備隊2000名はドイツ軍の侵攻を前に撤退の必要に迫られていたが、脱出航路はナバロン島のドイツ軍要塞に置かれた二門の巨砲によって制圧されていた。与えられた猶予期間は一週間。イギリス軍はナバロン島の要塞に対して航空攻撃を敢行するが、犠牲者が出るばかりで効果はない。そこで地上攻撃に切り替えて潜入作戦を立案し、島の絶壁を突破するために登山家キース・マロリーが呼び寄せられる。ほかに爆破の専門家、殺しの専門家、機械の専門家などが集められ、作戦立案者のフランクリン少佐の指揮のもと、ギリシアの漁民に偽装してナバロン島に潜入する。だが断崖登攀の途中で少佐は負傷し、迎えに出たレジスタンスはわずか二人、おまけになぜかドイツ軍に行動が筒抜けになっていて彼らは次第に追い詰められていく。
その後に出現した類型に比べると完成度は高いが、キース・マロリー役のグレゴリー・ペックがまったくの朴念仁として登場し、まるで余裕がない。この余裕の乏しさが特にデビッド・ニヴンに噛みあっていかない。J・リー・トンプソンにまるで洒落っ気がないからであろうと思われる。巨砲のセットはさすがに迫力があるものの、要塞や波をかぶる駆逐艦などのミニチュアはあまり出来がよろしくない。

Tetsuya Sato

2013年9月19日木曜日

633爆撃隊

633爆撃隊
633 Squadron
1964年 イギリス/アメリカ 101分
監督:ウォルター・E・グローマン

ドイツ軍がロケット兵器を開発し、ロケット兵器に使う固形燃料の工場がただ一つノルウェーに存在することがレジスタンスの報告で判明し、その工場がフィヨルドの奥にあって攻撃の難しい場所にあり、ただ工場がひそむ絶壁の上にはとてつもなく巨大な岩があって、その岩を攻撃すれば崖が崩れて工場が埋まることになるであろう、と予測した英国空軍は岩を崩すための地震爆弾を秘密裏に開発し、モスキート(爆撃機仕様)で編成された飛行隊から休暇を取り上げて秘密裏に訓練をおこない、レジスタンスの指揮官がゲシュタポに逮捕されて拷問を受けると秘密がもれるのを恐れてゲシュタポ本部の上空にモスキート(爆撃機仕様)を送って爆撃を加え、ついに決行の日を迎えて出撃すると、レジスタンスの指揮官がすでに口を割っていたのであろう、対空砲火を排除するはずのレジスタンスは待ち伏せにあって全滅し、生き残った者は待ち伏せだ待ち伏せだと騒ぎながらレジスタンスの隠れ家までドイツ軍を誘導するので隠れ家にいたレジスタンスも根こそぎにされ、いったいどうやったのか、すみやかにその事実を知った英国側は飛行隊の隊長に作戦中止の許可を与えるが、飛行隊の隊長はゲシュタポ本部に爆撃を加えて捕えられたレジスタンスの指揮官を殺害した本人であり、またレジスタンスの指揮官のブロンドの妹と恋仲で、出撃にあたってはその妹からいつまでも待っていると告げられていたので作戦中止などは論外であり、部隊を率いてノルウェーに近づき、超低空でフィヨルドに侵入して対空砲火の弾幕を浴び、それをかいくぐってフィヨルドを進み、急上昇して大きな岩に爆弾を投げつけ、編隊の残りがあとに続き、一機また一機と撃墜され、一つまた一つと爆弾が岩で爆発し、ついに岩が壊れて崖が動き、ドイツ軍の工場は崩れた崖の下敷きとなる。
飛行隊の隊長がクリフ・ロバートソン、レジスタンスの指揮官がどうやってもノルウェー人には見えないジョージ・チャキリス。駄作である。モスキートを実機で四機用意して、それが崖すれすれを本当に飛ぶ場面は見ごたえがあるし、航空シーンのいくつはなかなかにいい具合になっているが、冗漫な話に音楽を流しっぱなしにして、思いついたように転調を加えて勝手に盛り上げ、とりあえずそれでいいことにするという演出はほめられたものではない。コクピットはセットを一つだけ作ってカメラを固定したまま使いまわしているし、ノルウェーの場面はイギリスのその辺の田舎道にもみの木を並べただけという有様で、あまりにも安っぽいので、これはもしかしたらクリスマスシーズンのあとに撮影してもみの木も安く上げたのではないかと疑いたくなる。もちろんフィヨルドも真っ赤な嘘で、おそらくはスコットランドかどこかの入江であろう。安っぽさを気にせずに見ていられるような映画ではない。 

Tetsuya Sato

2013年9月18日水曜日

暁の出撃

暁の出撃
The Dam Busters
1955年 イギリス 102分
監督:マイケル・アンダーソン

ドイツの空爆に悩む英国ではヴィッカース社の技師B・N・ウォリス博士がダムを破壊してルールの工業地帯に壊滅的な打撃を与える作戦を考え、頑丈な上に対潜防御網で保護されたダムを破壊するために水面を跳躍してからダムに吸着する爆弾を開発し、ランカスター爆撃機がこの爆弾を積み込んで極秘作戦を敢行する。
前半は新型爆弾の開発を中心に話が進み、作戦が認められる中盤からは並行してランカスター爆撃機による低空飛行と爆弾投下の訓練が進み、終盤になるとランカスター爆撃機の編隊が離陸してルール工業地帯に侵入する。淡々としたお仕事系の映画としてはよくできており、ランカスター爆撃機の飛びっぷりもなかなかに感動ものである。ただし爆撃の場面のミニチュアと対空砲火のアニメーションはあまり出来がよろしくない。 

Tetsuya Sato

2013年9月17日火曜日

ベルリン陥落 1945

ベルリン陥落 1945
Anonyma - Eine Frau in Berlin
2008年 ドイツ/ポーランド 131分
監督:マックス・フェベルベック

1945年の4月、ベルリンに現われたソ連軍の兵士がドイツ人女性に対して性的暴行を加え、やられたことが女性同士の挨拶にかわるような状況で、たまりかねた一人の女性がソ連軍の少佐を自らの庇護者に選び、その保護下でどうにか日々を送って自分は元気だと言い聞かせる。
1959年に公表された匿名の日記にもとづいているという。俳優たちの役作りから衣装などの細部まで、当時の雰囲気が丹念に再現され、ドイツ、ロシア双方の終戦直後の言わば精神的な混乱ぶりがきっちり描かれている。序盤の暴行場面にはさすがに引いたし、頻繁に繰り返される暗転がやや気になったし、はっきり言ってうんざりするような内容だが、良心的に作られたよい映画だと思う。

Tetsuya Sato

2013年9月16日月曜日

ベルリン陥落

ベルリン陥落
Padenie Berlina
1949年 ソ連 152分
監督:ミハイル・チアウレリ

製鉄工のアリョーシャはノルマを超過達成して労働英雄となり、その功績を賞賛した女教師ナターシャに恋をするが、マヤコフスキーは知っていてもプーシキンがわからないので告白する勇気が得られずにいる。しかしスターリンに励まされてついに小麦畑で告白するとナターシャもまた自らの愛を告白し、相思相愛の仲となったところへドイツ軍がやってきて爆撃を始め、アリョーシャは負傷して昏倒する。三ヶ月後に目覚めるとナターシャは捕虜となってベルリンへ送られ、ドイツ軍はモスクワに迫っている。そこでアリョーシャは兵士となってモスクワ攻防戦を戦い、スターリンは早くも軍事的天才を発揮し、一方、ヒトラーの幕僚は早くも敗北主義の虜となっている。そしていきなりヤルタで会談が開かれ、戦後処理が決定されて、ここまでが第一部。第二部でソ連軍はオーデル川を渡河し、アリョーシャの部隊はベルリン近郊に達してナターシャのいる収容所を解放するが、ナターシャが唐突に失神したせいでここでは二人は再会しない。ソ連軍は包囲網を完成させてベルリン攻防戦が始まり、地下壕ではヒトラーがエヴァ・ブラウンと結婚し、見捨てられたベルリン市民は呪詛を叫び、アリョーシャと兵士たちは国会議事堂にソ連国旗を立てて戦闘は終わる。すると空から飛行機に乗ってスターリンが現われ、飛行場では各国の国旗を掲げた兵士市民が歓呼して迎え、アリョーシャはナターシャと再会を果たし、ナターシャはスターリンに接吻を捧げ、スターリンが演説する。
大戦直後に製作された超大作で、アグファを使ったカラー作品である。ちなみに音楽は国家によって大衆に迎合するように強要されたショスタコヴィッチ。スターリン、ジューコフ、ヒトラー、ゲッペルス、ゲーリングなどのそっくりさんが大挙して登場しておおげさな演技で学芸会のような芝居をやっており、特にヒトラーは完全に小心者として描かれていて、そのあたふたぶりはそれなりに笑える。
演出スタイルはサイレントに近く、モダンな映画としての文脈はない。たとえば『大地』のような社会主義的泥臭さを徹底的にひきずっている。しかしそういうスタイルを見るつもりで見ていれば、見るに耐えないというわけでもない。ただ、当然ながらプロパガンダ映画だし、しかも正体はプロパガンダの名を借りた個人崇拝である(スターリンが重々しくアップになったりすると、なぜか笑える)。
戦場の場面ではT-34やカチューシャなどの実車が大量に登場するものの、オーデル川の戦闘を除くと意外なことにミニチュアによる特撮が目立つ。モスクワ攻防戦での空戦シーンはワイヤー張りまくりだし、ベルリン空爆のシーンはかなり大きなオープンセットを作ってミニチュアを爆発させていたが、特にこの空爆シーンは短いながらも迫力があった。ソ連映画としては特撮ショットが非常に多いし、しかもそれがおおむね成功しているという点では珍しい映画なのではないだろうか。攻防戦に入ってからのベルリンのシーン(たとえば国会議事堂)をどこで撮ったのか、というのが気になるが、内部はセットだったとしても、外部はもしかしたら大戦直後にまんまの状態での現地ロケだったのだろうか? などと考えたりしていると、同じような国策大味映画であっても『ヨーロッパの解放』よりだいぶ面白い。


Tetsuya Sato

2013年9月15日日曜日

怪盗グルーのミニオン危機一発

怪盗グルーのミニオン危機一発
Despicable Me 2
2013年 アメリカ 98分
監督:ピエール・コフィン、クリス・ルノー

三人姉妹の父親になったグルーは泥棒稼業から足を洗ってジャムやゼリーの開発をしていたが、北極圏で危険な新薬の開発をしていた秘密研究所が秘密研究所ごと強奪され、世界規模の秘密組織「反悪人同盟」は犯罪者には犯罪者だ、ということでグルーを捜査官に引き入れるので、スパイとなったグルーは新米の捜査官ルーシー・ワイルドとともにショッピングモールに潜入する。
3D、字幕版で鑑賞。CGによる表現のクォリティが格段に上がり、三人姉妹(特にアグネス)は一層愛らしく、人類の願望を体現するミニオンは集中力の乏しさに磨きをかけ、レギオン(いっぱいいるから)となってオクトーバーフェストな宴会を繰り広げ、邪悪なミニオンとなっても結局のところはそのまんま、という形で明確に個性を発揮している。新キャラクターも魅力的で全編にわたって歌と踊りがあふれ、プロットを進めるにあたってはまったく時間を無駄にしていない。というわけでとても幸せ。


Tetsuya Sato

2013年9月14日土曜日

若き獅子たち

若き獅子たち
The Young Lions
1958年 アメリカ 169分
監督:エドワード・ドミトリク

バイエルンで外国人相手にスキーの教師をしている青年クリスチャン・ディーストルはナチ党員にはならずにナチ政権に期待するという方針を選び、ニューヨークでは貧しいユダヤ人の青年ノア・アッカーマンが恋に落ち、ブロードウェイのスターであるマイケル・ウィティカーは徴兵免除のための手段を探し、間もなく戦争が始まるとクリスチャン・ディーストルは陸軍の将校となってドイツ占領下のパリに現われ、ノア・アッカーマンは幸福な結婚の直後に徴兵されて中隊でひどいいじめにあい、徴兵逃れに失敗したマイケル・ウィティカーはその様子を目撃して疑問を抱き、クリスチャン・ディーストルは警官じみた仕事を嫌って北アフリカへの転属を求め、マイケル・ウィティカーは情報部門に転属し、ノア・アッカーマンの中隊ではまともな大尉が隊長となり、ドイツが敗色を帯びてくるとクリスチャン・ディーストルは負傷して病院へ送られ、ロンドンの安全な部署にいたマイケル・ウィティカーはそこにいることの弁明に飽きて前線を選び、ノルマンディーでドイツ軍と戦うノア・アッカーマンはドイツ軍の包囲を越えて戦友を守り、車列が空襲されて森へ逃れたクリスチャン・ディーストルは強制収容所へたどり着いて所長の言葉に反発し、その強制収容所は間もなくアメリカ軍によって解放され、兵士たちはバラックを覗いて衝撃を受け、ノア・アッカーマンは世界に平和を期待しながら森を歩いてそこに現れたクリスチャン・ディーストルを射殺する。
アーウィン・ショーの原作は未読。時間的にも空間的にも圧縮された戦争を背景に人間性を生真面目に問いかけて演出は忍耐強く、作劇もたくみで見ごたえがある。ドイツ人青年が金髪のマーロン・ブランド、マーロン・ブランドの上官がマクシミリアン・シェル、ニューヨークのユダヤ人青年がモンゴメリー・クリフト、ディーン・マーティンはそのまんま、軍隊でモンゴメリー・クリフトをいじめる軍曹がリー・ヴァン・クリーフ。モンゴメリー・クリフトは熱演し、ディーン・マーティンは役どころをうまく掴んでいる。マーロン・ブランドという配役には少々疑問を感じないでもなかったが、人工的で中立的なキャラクターを意図していたのだとすれば、そういうことになるのかもしれない。 

Tetsuya Sato

2013年9月13日金曜日

鷲は舞い降りた

鷲は舞い降りた
The Eagle Has Landed
1976年 イギリス 134分
監督:ジョン・スタージェス

1943年、スコルツェニィがムッソリーニの回収に成功すると、その成果を見て興奮したヒトラーはカナリス提督にチャーチル誘拐計画の立案を指示する。提督から作戦研究を任されたラドル大佐はイギリスのスパイからもたらされた情報によってチャーチルがスタドリ・コンスタブルと呼ばれる村に秘密裏に滞在することを知り、作戦に現実的な可能性を見出して実行部隊の選定に移る。そしてシュタイナ大佐が率いる降下猟兵部隊に着目し、研究成果をカナリス提督に報告するが、もちろんナンセンスであるという理由で退けられる。ところがヒムラーは作戦の存在をすでに知っていて、ラドル大佐に全権を与えて作戦の準備に取り掛からせる。懲罰部隊に送られて損耗を繰り返していたシュタイナ大佐とその部下が新たな使命のために呼び寄せられ、IRAのリアム・デブリンが準備のために現地へ送られ、降下のためのDC3と回収のための魚雷艇も確保され、DC3に乗り込んだシュタイナ大佐以下16名は自由ポーランド軍に偽装してスタドリ・コンスタブルの海岸に降下し、鷲は舞い降りた、というあの暗号が登場する。ここまででだいたい話の半分。
設定過剰な上に作者の介入がうるさい原作をよく刈り込んで軽快な話に仕上げているが、結末の改変は不自然であろう。空間的な広がりを備えているので大作の風格がある。マイケル・ケインのシュタイナ大佐はちょっといやみ。それを言うとアンソニー・クエイルのカナリス提督やドナルド・プレザンスのヒムラーというのもイメージが違っていて、納得できたのはドナルド・サザーランドのリアム・デブリンくらいであろうか(ジェニー・アガターのモリイ・プライアというのもそれらしかった)。戦闘場面は小火器中心でもスピード感とスタイルがあり、レンジャー部隊の悲劇的な突撃、擱坐した魚雷艇といった魅力的な場面もある。

Tetsuya Sato

2013年9月12日木曜日

荒鷲の要塞

荒鷲の要塞
Where Eagles Dare
1968年 アメリカ 158分
監督:ブライアン・G・ハットン

連合軍の欧州侵攻作戦を知るアメリカ軍のカーナビー将軍がドイツ軍の捕虜となり、鷲の城と呼ばれる山岳要塞に収容された。そこで英国情報部はカーナビー将軍が何かを喋ってしまう前に救出すべく、スミス少佐(リチャード・バートン)ほか5名の英国人部隊にアメリカ陸軍レンジャー部隊のシェイファー中尉(クリント・イーストウッド)を加えた7名にドイツ軍の制服を着せ、ドイツ軍の塗装をほどこしたJu52でアルプスに送り込む。ところがパラシュート降下した隊員たちが集合してみると通信兵が首の骨を折って死んでおり、事故を装ってはいるものの、首の後ろの打撲は他殺であることを示している。冒頭からすでにスミス少佐の行動が怪しい。しかも飛行機からは隊員たちが飛び降りたあとでもう一人、ブロンドの女が降下している。隊員たちは山小屋へ到着し、スミス少佐は理由をつけて外へ出ると、この女と会って会話を交わす。そして素知らぬ顔で小屋へ戻り、残った全員を引き連れて鷲の城へと近づいていく。山肌から見下ろすその城塞には難攻不落のおもむきがあり、接近するにはふもとの町からロープウェイを使用するか、新開発のヘリコプターを使うかしか方法がない。
スミス少佐とその一行はふもとの町へ下りてドイツ軍に紛れ込み、酒場に入って情報収集を試みる。ところが酒場にはスミス少佐の言いなりに動く女給がおり、少佐には周辺の建物の配置などをよく知っているような様子がある。少佐は理由をつけて女と二人きりになり、そこへ山で出会った女も現われ、またしても怪しい会話が交わされ、そして少佐が酒場へ戻ろうとしたところで仲間がもう一人、殺されているのを見つけるのである。それだけではない。ドイツ軍は少佐たちの行動を把握していて、行く先々に次々と追っ手が現われる。仲間を殺しているのは誰なのか、裏切り者はどこにいるのか、少佐の奇怪な行動はいったい何を示しているのか。
話はやがて要塞に進み、そこから先は、もう、どんでん返しに継ぐどんでん返しで、口から出任せのようなどんでん返しのつるべ打ちがあり、大爆発があり、大追跡があり、それでもドイツ軍の弾は絶対に当たらない、という具合の盛りだくさんの内容で、それなりに楽しめる映画になっている。とはいえ、敵側の間抜けぶりに期待して切り抜ける、というのがけっこうあって、これはちょっとずるいと思うぞ。それとクリント・イーストウッドはいつものあの髪形のままなので、ドイツ軍の制服を着てもドイツ兵には全然見えない。


Tetsuya Sato

2013年9月11日水曜日

パットン大戦車軍団

パットン大戦車軍団
Patton
1970年 アメリカ 170分
監督:フランクリン・J・シャフナー
脚本:エドマンド・H・ノース、フランシス・フォード・コッポラ

パットン将軍の人物像を北アフリカ戦線から終戦までの期間を背景に描く。冒頭、ホルスターに象牙の握りを持つ拳銃を収め、星条旗を背にして士官候補生に演説をぶつパットンの姿がまず強烈であり、以降、ジョージ・C・スコットの演技はとてつもないテンションを保ってこの極端に英雄的で極端に短絡的な人物を印象づけていく。リベラル系の俳優としては精神衛生に悪い仕事だったのではあるまいか。
1943年、北アフリカ戦線に着任したパットンはロンメルなき後のロンメル軍団を殲滅し、シチリア上陸作戦ではモントゴメリーを抜いて勝手にパレルモを占領し、戦闘神経症の兵士を銃で脅して物議をかもし、軍団を取り上げられてイギリスで婦人クラブを相手に講演する。その内容がまた物議をかもし、それでも盟友ブラッドリーの口添えで戦線に復帰したパットンはバルジの戦いで戦功を上げ、ドイツ降伏後はソ連と喧嘩をして物議をかもし、失意の底で車に蹴られて死んでしまう。
生まれてくる時代を間違えたひとなのであろう(1920年代にワシントンでホームレスに向かって騎兵の突撃をかけたのはこいつではなかったか)。見ごたえのある大作である。ジェリー・ゴールドスミスの音楽がすごい。




Tetsuya Sato

2013年9月10日火曜日

バルジ大作戦

バルジ大作戦
Battle of the Bulge
1965年 アメリカ 167分
監督:ケン・アナキン

1944年12月。連合軍はクリスマス気分に浸っていたが、ドイツ軍は姿を隠して大反攻作戦の準備をおこなっていた。一方、アメリカ軍のカイリー中佐は刑事時代に培った長年の勘で前線の静けさを怪しいと睨むが、アンブレーヴに司令部を置く暗愚なグレイ将軍やさらに暗愚な副官はカイリー中佐の勘を信じようとしない。そして中佐は証拠を求めて空を飛び、廃虚の地下に隠されたドイツ軍の秘密司令部には東部戦線からヘスラー大佐が呼び戻されて新たな戦車部隊の指揮官に任命される。
やがて天候が悪化して航空機の飛行が不可能になり、ドイツ軍は反撃に動き出す。連合軍兵士は各所でドイツ軍の攻撃に遭遇して総崩れとなり、そこへMPに偽装したドイツ軍兵士が道標などを変えたりするものだから大混乱に陥っていく。連合軍は戦線全体で撤退に移り、後方で反撃の機会をうかがうが、霧に阻まれてドイツ軍の位置を確認できない。そこで再びカイリー中佐が空を飛び、霧の中でエンジンを止めて耳を澄まし、音と目でドイツ軍の位置を確かめる。ドイツ軍戦車部隊は連合軍の燃料集積所を目指して進んでいた。弱点は燃料だ、ということで連合軍の戦車部隊はただ燃料を空費させるために犠牲を払い、いよいよ燃料がなくなったドイツ軍戦車部隊は燃料集積所に迫っていく。
シネラマ(公開当時)の超大作である。ただし連合軍側で頭を働かせているのはカイリー中佐だけ、それももっぱら勘にしたがっているだけだし、推理をするところでもドイツ軍の燃料ホースや空のドラム缶といった記号が情報として像を結ぶまでに時間がかかりすぎていて、なんだかひどく頭の悪い話になっている。対するヘスラー大佐はポーランド侵攻以来の英雄ということになっているが、この時点で大佐どまり、というところがすでに知れているし(ヘンリー・フォンダのカイリー中佐とバランスを取ったのか?)、米兵が実家から送られたケーキを所持していた、という事実にうろたえて、大西洋の彼方からケーキを運んできて兵卒に届けてしまうこの資力と戦意をくじかなければ、と言い始めて目の前にあるアンブレーヴの町を攻撃して、結果として作戦を遅らせたりするのである。こちらもあまり頭がよさそうには見えない。ちなみに、このヘスラー大佐はつまるところ戦争好きで、戦争ならばいつまででもやっていたいと考えているひとだったので、従卒のコンラート伍長はそのことを知ると、自分の良心にしたがって任務を拒否してしまう。で、そのコンラート伍長を演じていたハンス・クリスチャン・ブレヒという俳優は『レマゲン鉄橋』のシュミット大尉も演じていて、このときは上官クルーガー少佐の無謀な命令を自分の良心にしたがって拒絶していた。善良そうなおじいさんという感じのひとで、だからそういう役がまわってくるのであろう。とはいえ、ロバート・ショウのヘスラー大佐はそれなりに印象的な人物像として描かれているし、意気盛んなドイツ軍戦車隊、ドイツ軍の特殊部隊、戦争を私物化している兵隊(テリー・サバラス)といった諸様相もよく押し込んであって、ミニチュアが寒い、セット撮影が多い、悪天候に見舞われている冬のベルギーの話なのに気がつくとスペインの太陽が輝いている、いくらなんでもM48をタイガー戦車と言い繕うには無理があろう、といった欠陥にもかかわらず、見どころは決して少なくはない。


Tetsuya Sato

2013年9月9日月曜日

レニングラード 900日の大包囲戦

レニングラード 900日の大包囲戦
Leningrad
2009年 ロシア/イギリス 110分
監督・脚本:アレクサンドル・ブラフスキー

1941年の秋、ドイツ軍の包囲下にあるレニングラードへ外国人を含む記者団が視察に訪れ、そのなかのひとり、英国籍を持つケイト・デイヴィスが爆撃に巻き込まれて行方不明となり、ロシア軍当局は捜索ののち、ケイト・デイヴィスは死亡したと報告する。ところがケイト・デイヴィスは生きていて、仕事熱心な婦人警官ニーナ・ツヴェトコヴァに救われて空港へ運ばれるがモスクワへ戻る飛行機を逃し、書類をなくしている上にすでに死亡報告が出されているということで見つかれば面倒に巻き込まれる可能性もあり、仕事熱心な上に親切な婦人警官ニーナ・ツヴェトコヴァの部屋に転がり込み、亡命スペイン人の書類を与えられてレニングラードで生活を始める。話はおおむねラドガ湖の氷結まで。このかん、ケイト・デイヴィスは飢餓で死につつある市民と接し、自らも飢餓に苛まれ、闇市を歩き、人肉食を目撃し、最後に脱出を経験する。
ミラ・ソルヴィノは熱演しているが、婦人警官を演じたオルガ・スツロヴァという女優のほうが目立っている。ガブリエル・バーンはモスクワにいて気をもんでいる新聞記者、アーミン・ミューラー=スタールはドイツ軍北部軍集団のレーブ元帥で、どちらも出てくる意味があまりない。監督は『ストームゲート』の脚本を書いたアレクサンドル・ブラフスキーで、包囲下のレニングラードの悲惨な状況の細部に加え、包囲しているドイツ側、モスクワ、イギリスにあるヒロインの実家、さらにはヒロインの出生の秘密、それを知って気負い立つNKVDと欲張ってあれやこれやと盛り込んでいるが、あまり整理できていない。
とはいえ、比較的低予算でありながらやるべきことも含めて一式やる、という姿勢は評価できると思うのである。いわゆる戦闘シーンは冒頭だけ、ロシア式の腰までしかない塹壕でロシア軍が苦戦をしているとそこへ仕事熱心で親切な上に勇敢でもある婦人警官ニーナ・ツヴェトコヴァが伝令のかわりに現われて指揮官に突撃を要求し、それなら応援をよこせと指揮官が言うと応援なら連れてきましたということで単なる民間人をぞろぞろと引き入れ、勘弁してくれという顔の指揮官が部下を連れて突撃すると三号戦車、四号戦車とおぼしき戦車に支援されたドイツ軍が現われてロシア軍を殲滅にかかるので、逃げ出す義勇兵を仕事熱心で親切な上に勇敢でもある婦人警官ニーナ・ツヴェトコヴァがピストルを振り上げて督戦するのである。仕事熱心で親切な上に勇敢でもあり、事実上できないことがなにもない婦人警官ニーナ・ツヴェトコヴァはこのあと鉄塔の上にのぼって偵察もする。

Tetsuya Sato

2013年9月8日日曜日

レニングラード攻防戦

レニングラード攻防戦
Blokada: Luzhskiy rubezh, Pulkovskiy meredian
1974年 ソ連 185分
監督:ミハイル・エルショフ

レニングラードの学生アナトーリが医学生ベラを追って避暑地を訪れ、ベラがそれを迷惑に感じていたころ、ドイツ軍がロシアに侵攻、レニングラードへ戻る列車はドイツ軍の空襲を受け、列車を脱出したアナトーリとベラは森へ逃れ、アナトーリは車内で知ったチェキストから秘密の任務を授けられ、ベラは自分がアナトーリへの愛を拒んでいたことに気がついてアナトーリに愛を告白するが、そこへドイツ軍が現われてベラに襲いかかり、捕虜となったアナトーリは尋問を受けるが、チェキストの指示どおりにふるまったことで釈放されてひとりレニングラードを目指す。一方、レニングラードではヴォロシーロフ将軍の指揮下、防衛線の建設が始まり、路上に立って地雷の敷設を指揮する工兵隊の少佐は撤退してくる将兵につらくあたるが、工兵あがりの政治委員はそれをいさめ、そうしていると敗残の部隊とともに北上してきたアナトーリが現われ、アナトーリはレニングラードの自宅に戻り、建築家の父親からベラの所在を尋ねられると狼狽して言い訳し、父親は息子に背を向けて義勇軍に志願、義勇軍の政治委員をつとめるベラの父親に娘の消息を伝え、偵察に出た工兵少佐はドイツ軍降下猟兵の攻撃に出会い、負傷してひとりで森に残されるが、そこへ義勇軍の一団が現われ、そこに軍医として勤務するベラに救われる。ドイツ軍は間もなくレニングラードの市街地に到達、ヴォロシーロフは解任されてジューコフが新たな司令官となり、その指揮下にロシア軍は北上するドイツ軍を食い止めるので、損害に耐えられなくなったドイツ軍は前進を中止し、レニングラードの包囲を決定する、というところまで。
ドイツ軍侵攻の報告を受けて悄然とするスターリン、という珍しい場面が登場する。あのパイプが机の上に転がって葉をこぼしているといった場面もあり、スターリンのネガティブな描写がたまに見える。ヒトラーはあまり似ていない。ジダーノフはちょっと似ている。ジューコフをやっているのは『ヨーロッパの解放』と同じミハイル・ウリヤノフ。
映画のほうは四部構成のうちの第一部と第二部をまとめたもので、レニングラードの包囲戦が始まるまでの状況を扱っている。戦闘シーンにそれほどお金がかかっているようには見えない(ドイツ軍の車両はかなり変)が、戦時下の混沌とした雰囲気は出ているし、周辺人物もそれなりにうまく処理されている。



Tetsuya Sato

2013年9月7日土曜日

レジェンド・オブ・ウォーリアー

レジェンド・オブ・ウォーリアー
Pathfinder
2007年 アメリカ 108分
監督:マーカス・ニスペル

北米先住民がおおむね石器時代の文明程度とはいえ、おおむね文化的に暮らしているとバイキングが植民のために上陸して虐殺を始める。ところが北米先住民の側には十五年ほど前に保護されたバイキングの少年がいて、これが成長して立派な若者になり、自分の村が焼かれて育ての親や村人が虐殺されるのを目撃し、怒りに燃えて復讐に走り、次から次へとバイキングを血祭りに上げ、そうしていると部族の導師がたしなめて道を示し、若者は部族の娘と恋に落ち、血気にはやる部族の勇士たちは若者がバイキング用に作った罠にはまって早々と自滅し、若者は導師と導師の娘とともにバイキングの捕虜となり、バイキングは若者に無理強いをして村への道を案内させるが、春の訪れを知らなかったので雪崩に飲まれて全滅する。
監督は『デュカリオン』、『テキサス・チェーンソー』のマーカス・ニスペル。もともと凝った絵を作るひとではあるが、そこから先へはなかなか進めないような傾向があり、今回も彩度を落とした映像とハイスピードショットを多用して『300』を思い起こさせるような絵を作ってはいるものの、戦闘場面は『ランボー/怒りの脱出』の焼き直しを思わせるようなところがあり、いまひとつ脈絡が感じられない。とはいえ、バイキングの悪い意味でのバイキングぶりはなかなかに見ごたえがあり、それはそれで悪くない。 

Tetsuya Sato

2013年9月6日金曜日

バンディット

バンディット
Janosik. Prawdziwa historia
2009年 ポーランド/スロヴァキア/チェコ 145分
監督:アグニエシュカ・ホランド、カーシャ・アダミク

1711年、ヤノーシクは反乱軍の一員としてハプスブルク家と戦っていたが、捕虜となると徴兵されて兵士となり、そこで投獄されていた盗賊トマーシュ・ウホルチークと知り合い、トマーシュ・ウホルチークの手引きで自由を得ると山に戻って牧童となるが、引退を決めたトマーシュ・ウホルチークは自分の山賊団をヤノーシクにゆずるのでヤノーシクはゆずられるまま山賊団の頭目となり、商人の家を襲ったり、馬車を襲ったりして稼いだ金を村の人々に分け与えたことで義賊としての評判を得るが、1713年、ウホルチークの家を訪れたところを憲兵に囲まれて逮捕され、拷問を受け、鉤に吊るされて処刑される。
話はヤノーシク(ヤーノシーク)の伝記におおむね忠実にしたがって進行し、山賊以外には何も産業がなさそうなタトラ山地のうんざりするような風景がほぼ全編にわたって背景に広がり、結婚式から葬式まで奇習の数々が紹介される。それはそれでなかなかに興味深いものではあるものの、そういう場所だからほかにすることがないということなのか、女たちがやたらと発情したり、男と女がやたらと交接したりする。
ヤノーシク役のヴァーツラフ・イラチェックがかつらの似合うハンサムで、監督のアグニエシュカ・ホランド、カーシャ・アダミクの母娘がなにやらはしゃぎながら男をいじり倒している、という気配が濃厚にあって、画面を眺めているうちにこちらはなにやら困ったような気持ちになる。


Tetsuya Sato

2013年9月5日木曜日

ファイアー・アンド・ソード

ファイアー・アンド・ソード
Ogniem i mieczem
1999年 ポーランド 106分
監督:イェジー・ホフマン

原作はシェンキェヴィチだという。十七世紀中葉のウクライナ。ビシニョベツキ公(だったかな)の部下シュクルゼツキ(だったかな)はコサックの領主の娘ヘレナと恋に落ちるが、ヘレナにはすでに許嫁があり、この許嫁が暴れ始めてヘレナをさらい、コサックはポーランドに背いて反乱を起こし、その反乱にタタールが加勢し、クリミア汗も加わって、あとはもう、なんだかよくわからない。
コサックは絵に描いたように野蛮で、ポーランド人は残酷で、特にコサックなどは半分以上が酩酊していて、その合間に殺し合いをやっている、という感じが悪くない。衣装や小道具などもよくできているような気がしたし、戦闘シーンではポーランド槍騎兵の悲惨な突撃(つまり、昔からそうだった、ということか)、旋回砲を搭載したコサックのタチャンカ(?)、攻城戦用の突撃砲(ということだと思う)などの兵器が登場し、いろいろと頑張っているのはわかるのである。いや実際、それに限らずディテールには楽しいところがいっぱいあって、けっこう気に入ったのである。ただ、3時間あるオリジナルを特に後半、かなり乱暴に切り刻んだようなことになっていて、そのせいで、さっきまであそこにいたやつがいまはなんでここにいるのか、とか、さらわれたお姫さまはいったいどこへいったのか、とか、いつ行ったのか、とか、いつ帰ってきたのか、とか、こいつは敵なのか味方なのか、とか、固有名詞がまるで覚えられない、とか、そういうところがいくらか気にならないでもないわけだけど、だからぜひともオリジナル版を見なければならない、という気持ちになるかというと必ずしもそうではなくて、つまりそのあたりがおそらく一番の問題なのであろう。 

Tetsuya Sato

2013年9月4日水曜日

マスター・アンド・コマンダー

マスター・アンド・コマンダー
Master and Commander: The Far Side of the World
2003年 アメリカ 138分
監督:ピーター・ウィアー

1805年。ジャック・オーブリーが率いる28門搭載スループ艦(?)「サプライズ号」はフランスの私掠船「アケロン号」を追って大西洋を南下していた。そして霧の中で「アケロン号」による奇襲を受け、舵板を損傷して航行能力を失った「サプライズ号」は艦載ボートに曳航されて霧の奥へと脱出する。44門搭載のフリゲート艦「アケロン号」(ヘルマフロダイト・スクーナーという設定か?)に比べると、「サプライズ号」は攻撃力の点でも防御力の点でも、さらに速力の点でも大きく劣っていたのであった。そんな船をなぜそんな任務に送ったのか、と見ているこちらは海軍本部の意図を疑いたくなってくるのであるが、もちろんジャック・オーブリーは観客のそんな疑いくらいで任務を放棄するようなことはしない。なにしろ、まだ映画の冒頭が済んだばかりなのである。
修理が終わった「サプライズ号」はなおも「アケロン号」を求めて南米大西洋岸を進んでいくが、すでに大きく距離を置いているはずの「アケロン号」が再び現われて風上をふさぎ、「サプライズ号」は夜の闇に逃れた上で、さらに欺瞞を使って「アケロン号」の背後へまわる。風上を取られた「アケロン号」はホーン岬を目指してひた走り、「サプライズ号」もこの吠える岬へと突っ込んでいく。ホーン岬を脱した「サプライズ号」は「アケロン号」の手がかりを求めてガラパゴス諸島へ接近し、英国捕鯨船が襲われているという話を聞いて索敵活動のために進発する。だが、その途上で軍医がとてつもなくつまらない理由で銃創を負い、ジャック・オーブリーは親友を救うために追跡をあきらめてガラパゴスに寄港する。だが「アケロン号」もまた、そこにいたのである。そして大自然の神秘がジャック・オーブリーに戦術を与え、「サプライズ号」は欺瞞を用いて「アケロン号」に立ち向かい、「アケロン号」もまた必要に応じて小技を利かせて「サプライズ号」に立ち向かう。
パトリック・オブライアンの『ジャック・オーブリー』シリーズからの映画化である。原作と同様、採用された歴史的なリソースが適当な解釈をされないまま、ただ垂れ流しにされているだけで、人物造形やプロットに何か魅力や面白みがあるわけではない。つまり原作小説が小説という意味では決して小説ではなかったように、映画のほうも映画という意味での映画を目指していない。もっぱら海上生活の再現に重点が置かれていて、だから食事の風景は艦長から水兵まで登場するし、パンにはコクゾウムシがたかっているし、戦闘配置になるとちゃんと隔壁を片づけるし、浸水すればみんなでポンプを動かすし、キャプスタンは重そうだし、索具が被弾すればロープがとんでもない状態になって垂れ下がるし、船体が被弾すれば木片が恐ろしい勢いで飛び散っていく。戦闘シーンはかつてないほど素晴らしいし、ホーン岬を越える「サプライズ号」というのも素晴らしい絵になっていた。船内の狭さ、人間の立て込みかたまでが実に丁寧に映像化されていて、だからこちらは映像の寄せ集めをただ寄せ集めとして楽しめばいいのかもしれない。とはいえ、寄せ集めるために不自然なプロットが採用されているというところには、どうしても反発を感じてしまうのである。似たようなプロット(戦闘力で倍の敵艦)ならばセシル・スコット・フォレスターの『パナマ沖の死闘』のほうがよほど面白いのではないかと思うのだが、エル・スプレモとかレディ・バーバラとかを登場させて、話を帆船から引き離すのがいやだったのかもしれない。




Tetsuya Sato