2014年3月31日月曜日

空爆大作戦

空爆大作戦
La battaglia d'Inghilterra
1969年 イタリア 118分
監督:エンツォ・G・カステラッリ

イギリス兵に偽装したドイツのスパイの一団がダンケルクから撤退するイギリス軍に混じってイギリス本土に潜入してレーダー基地の破壊工作を進めるので、事実に気づいたイギリス陸軍の中隊長が自分の中隊を率いてスパイと戦う。
で、このドイツ人スパイはイギリス兵になりすますためにイギリス兵を殺しては身ぐるみを剥いで制服と身分証を奪い、疑われるとまたイギリス兵を殺して身ぐるみを剥いで制服と身分証を奪う、ということを繰り返すので、ロンドン周辺に下着姿に剥かれたイギリス兵の死体がごろごろと転がることになるのである。おまえらには身分証を偽造するという知恵がないのかと思わず突っ込みたくなるが、後半で一度だけ、通行証を偽造していた。
いささか間抜けな内容ではあるものの、とにもかくにもそういうところに恋と友情と裏切りとアクションが盛り込まれ、しかも上空ではいちおう『バトル・オブ・ブリテン』をやっていて、実機が若干登場するほか、フルスケールのコクピットのセットの背後でミニチュアを飛ばしたり、マルチスクリーンやスプリットスクリーンを多用して再現映像と記録映像を並べたり、といった視覚的にはなかなかに野心的な試みが見え、カメラワークのみに関して言えば初期のデ・パルマ風に凝ったものとなっている。
冒頭のダンケルクのシーンや海峡を渡ったあとの再集結のシーンなどもそれなりにきちんと作られていて、このクラスのイタリア製戦争映画としてはそれなりのスケール感を備えている。


Tetsuya Sato

2014年3月30日日曜日

ケオマ・ザ・リベンジャー

ケオマ・ザ・リベンジャー
Keoma
1976年 イタリア 100分
監督:エンツォ・G・カステラッリ

南北戦争終結後、白人とインディアンの混血で、察するところ愛と正義に対して血まみれの願望を抱くケオマは北軍で戦って故郷の町に帰ってくると町は兵隊くずれを率いるコールドウェルという男に支配されて、しかもなぜか疫病が流行っていて、疫病にかかった人間は近くの廃鉱に捨てられていて、という有様で、病人を馬車に積んで廃鉱を目指す男たちに出会ったケオマは一人を射殺して病気にかかった臨月の女を救い、そのまま町に到着すると邪魔をする男たちを射殺して女のために部屋を取り、女を置いて町の外にある実家へ父親を訪ねて、かつて自分をいじめていた腹違いの兄三人がコールドウェル一味に加わっていることを知り、町へ戻ると女は廃鉱へ送られたあとだったので廃鉱へ急いで腹違いの兄三人と再会し、女を救い出して町へ戻し、腹違いの兄三人とこぶしで戦い、かつての父の使用人ジョージと町の葬儀屋と叱咤して町の外に送り出し、ジョージと葬儀屋が町の惨状を当局に訴えて薬を馬車に載せて町に戻るとコールドウェルの一味が邪魔をしにかかるのでケオマは一味のうちの二人を射殺、知らせを聞いたコールドウェルは騎兵一個中隊くらいの手勢を率いて町に現われ、ケオマは父親とジョージの手を借りて反撃してあらかたを殺害するものの、父親を盾に取られてコールドウェルに降伏、コールドウェルが父親を殺害するとそこへ現れた腹違いの兄三人がコールドウェルを殺害、父親の死の責任はケオマにあると宣言し、それまで忘れられていた臨月の女が雨をついて現われてケオマを救い、絶望的な出産の悲鳴を背景にケオマと腹違いの兄三人の対決が始まる。 
ケオマがフランコ・ネロ、ジョージがウッディ・ストロード。音楽はアンジェリス兄弟で説明過剰とも思える歌詞でかなりしつこく歌が流れる。
きわめて70年代的に処理された主人公の行動原理はほぼ意味不明で、今日的な視点では状況の停滞に腹を立てて、腹を立てた自分を慰めるために衝動的かつ自己中心的にひとを殺しているとしか思えない。しかも最後の最後になって自分の作り出した結果があまりにも暗澹としていると捨て台詞を吐いて逃げ出していく。フランコ・ネロという鑑賞に耐える俳優が主演でなければ最後まで見るのはちょっと難しかったような気もするが、ある種の珍品なのは間違いない。
ピレネー周辺とおぼしき撮影は非常に印象的で、スタント、ハイスピードショットなどはけっこう凝ったものになっている。 ウッディ・ストロードにはもっと弓を使って活躍してほしかった。


Tetsuya Sato

2014年3月29日土曜日

女ガンマン・皆殺しのメロディ

女ガンマン・皆殺しのメロディ
Hannie Caulder
1971年 イギリス 85分
監督:バート・ケネディ

メキシコの銀行を襲ったクレメンス三兄弟はへまをしでかして荒野へ逃れてたまたま見つけた牧場へ馬を奪うために押し入って牧場主を殺害、牧場主の妻ハニー・コールダーに暴行を加え、家に火を放って立ち去るので牧場主の妻があとを追いかけ、たまたま出会った賞金稼ぎトーマス・ルーサー・プライスから射撃の手ほどきを受けてクレメンス兄弟を追い詰めていく。 
裸体にポンチョを羽織って現われるハニー・コールダーがラクエル・ウェルチ、眼鏡をかけている賞金稼ぎがロバート・カルプ、コメディリリーフとしか思えない(また一説によれば無害なごろつきに過ぎない)クレメンス兄弟がアーネスト・ボーグナインにジャック・イーラムにストローザー・マーティン、ヒロインのために特製の軽いリボルバーをこしらえる鍛冶屋がクリストファー・リー、謎の男がスティーヴン・ボイド。
バート・ケネディがイギリス資本で作ったマカロニ・ウェスタンということになるのだと思うけど、唐突に使われるハイスピードショットも含めてやや即興に流れているような気がしないでもない。ラクエル・ウェルチはいちおう魅力的に撮られてはいるが露出も含めてやや控えめ、ロバート・カルプはいい役どころをもらっている。クリストファー・リーは小さな役だがさすがにかっこいい。


Tetsuya Sato

2014年3月28日金曜日

カントリーベアーズ

カントリーベアーズ
The Country Bears
2002年 アメリカ 88分
監督:ピーター・ヘイスティングス

ディズニーランドのアトラクション『カントリーベアーズ・ジャンボリー』が「原案」ということで、子グマのベアリーは人間の家族と一緒に暮らしていたが、ある日、自分がちょっと違うということに気がついて(毛がいっぱい生えてるし、森林保護官に捕まった時の写真が残っているし)、本当の家族を探すための旅に出る。まず最初に大好きなカントリーベアーズの本拠地カントリーベアーホールを訪ねてみると、借金が払えなくて取り壊しの日が迫っていた。だったらカントリーベアーズを再結成してコンサートを開けばいいということになり、ベアリーともう一匹のクマ、人間のドライバー、鶏のミスター・チキンがツアーバスに乗り込んでベアーズのメンバーを探しに行く。そうすると一匹は警備員をしていて、もう一匹は蜂蜜ホールの床に沈んでいて(飲みすぎて)、別の一匹は結婚相談員をしていて、最後の一匹はウェディング・シンガーをやっていて、それを順番に拾い上げて再結成コンサートを開くというたいそうシンプルなストーリーで、ゲストが豪華だったり、ところどころで気が利いていたり、田舎臭さが転じて永遠の天然ボケになっていて、それがまた妙にありがたかったりという感じがあって救われている。でかくて重くて太っていて、おまけに歳まで取っているクマどもも悪くない。悪役はクリストファー・ウォーケン。



Tetsuya Sato

2014年3月27日木曜日

ピノキオ

ピノキオ
Pinocchio 
1940年 アメリカ 88分
監督:ハミルトン・ラスケ、ベン・シャープスティーン

ゼペット爺さんに作られた操り人形のピノキオはゼペット爺さんの願いを聞いた妖精の手によって魂を得て、本当の子供になるために勇敢で正直になろうとするが、支えの筈の良心はうっかり見過ごしてしまいそうなコオロギだし、すぐにキツネとネコの魔手が忍び寄り、まず操り人形のショーに売られ、続いてお楽しみの島に売られてあやうくロバにされて塩鉱へ転売されそうになり、なんとか逃げ出して家へ戻ると今度はゼペット爺さんがクジラに呑み込まれてしまっている。
小さい頃、ディズニー版ではなく、カルロ・コッローディの原作に基づく幼児向けのリライト絵本を持っていて、その挿し絵というのが絵ではなくて人形を使った写真になっていて、むやみと暗い雰囲気がとにかく不気味で怖かった、という記憶があって、それ以来、ピノキオというのはわたしの心の暗部にひそむ恐怖に連なる存在となり、というわけでディズニー版は紆余曲折を省略し、話もおおむね楽観的になっているものの、ピノキオに襲いかかる現実世界の暴力があまりにも露骨で、この歳になってもやっぱり怖いと思うのである。
で、それはそれとしてアニメーション作品としては、これはやはり傑出していて、ピノキオが魂を得た翌朝、上空をハトが舞う町の俯瞰から登校するこどもたちの姿を追い、最後にゼペット爺さんの戸口まで続くワンショットはものすごいと思うし、ストロンボリ一座の人形の動きはすばらしいし、クライマックス、クジラが暴れる場面の波の動きには思わず見とれる。 

Tetsuya Sato

2014年3月26日水曜日

ボルト

ボルト
Bolt
2008年 アメリカ 96分
監督:バイロン・ハワード、クリス・ウィリアムズ

ボルトは少女ペニーを守って戦うスーパードッグであったが、テレビ局側の演出のせいでそれを現実であると信じていたため、ある日間違いが起こって箱詰めされ、北米大陸の反対側のニューヨークに送られてもさらわれたペニーを救い出すためにドクター・キャリコの手下を追い求めるが、超能力がまったく使えなくなっていることに驚き、梱包用のスチロールに超能力を奪われたせいだと信じ込み、ドクター・キャリコの配下であると邪悪なハトどもに入れ知恵されてネコのミトンズを捕えると、ミトンズとともにハリウッドを目指して大陸横断の旅に出る。
イヌ、ネコ、ハムスター、ハトなどの動作がよく演出されており、動物キャラクターのことごとくが魅力的で、動物たちを囲む風景が都市と言わず田園と言わずどれもが実に美しい。冒頭で紹介されるテレビシリーズのほうもなかなかのもので、できることならこれだけで一本見てみたい。何かと首をかしげるハト連中とハムスターのライノが好き。


Tetsuya Sato

2014年3月25日火曜日

塔の上のラプンツェル

塔の上のラプンツェル
Tangled
2010年 アメリカ 101分
監督:ネイサン・グレノ、バイロン・ハワード

王女として生まれたラプンツェルは魔法の力を備えた黄金色の髪を持ち、その髪が若返りの奇跡をもたらすことから生まれて間もなく魔女ゴーテルによってさらわれて、以来18年間塔に閉じ込められてゴーテルを母親だと信じて生きてきたが、年に一度、自分の誕生日になるとかなたの空に浮かび上がる無数の光に魅せられて、たまたま塔へ現れた泥棒フリン・ライダーをフライパンの一撃でしとめると、フリン・ライダーの案内で塔から逃れて外の世界へ飛び出していく。
いわゆるラプンツェルの物語は限りなく背後へと退き、3Dのアニメーションはきわめてクォリティが高く、立体感にわざとらしいいやみがなく、3Dにありがちなスクリーンの暗さもない。製作総指揮がジョン・ラセターだからなのか、いわゆるディズニー・プリンセス系の頭にかすみがかかったような単調さは排除され、ヒロインはモダンで陽気な性格を備え、ヒロインを導く泥棒はいかにも泥棒めいてはいるが適度に完成された自我を備え、けものはけもので適当に他者性を備えて人間とタイマンを張り、そしてどこを見ても絵が感動的に美しい。寡黙ではあってももののわかったカメレオンのパスカルが好き。一瞬だけ登場するウサギを正面から見てみたかった。 




Tetsuya Sato

2014年3月24日月曜日

プリンセスと魔法のキス

プリンセスと魔法のキス
The Princess and the Frog
2009年 アメリカ 97分
監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ

1920年代のニューオリンズ。自分のレストランを開くことを夢見る女性ティアナは二つの仕事を掛け持ちして必死になって働いて、夢を実現するところまであと一歩というところにまでたどり着くが、不動産屋が物件の売り惜しみをして値を釣り上げるので希望を失いかけて悲しんでいると、そこへ人語をしゃべる一匹のカエルが現われて自分は魔法使いによってカエルに姿を変えられた王子であると名乗り、キスをしてくれれば人間の姿に戻ることができるので開業資金についても相談に乗ろう、などと持ちかけるので、誘惑に負けてキスをしたところティアナもまたカエルとなり、人間に追われて王子とともに沼に逃れ、そこで人間に戻る手段の算段を始める。
ジョン・ラセター製作による手書きのフルアニメーション作品。細部にいたるまで物が動く喜びにあふれていて、見終わったあともかなりのあいだ、頭のなかで絵が勝手に踊っていた。ミュージカルとしても破格の出来で、聞きごたえがある。


Tetsuya Sato

2014年3月23日日曜日

マイ・ボディガード

マイ・ボディガード
Man on Fire
2004年 アメリカ・メキシコ 146分
監督:トニー・スコット

特殊部隊の出身で過去にどうやらやまほどの殺人をおこなった結果、希望を失い、酒浸りになった男ジョン・クリーシーは旧友の勧めでボディガードの職につき、メキシコシティで少女ピタ・ラモスの護衛をすることになる。クリーシーは少女との交流で心を開くが、その少女は犯罪組織に誘拐され、クリーシーもまた重傷を追い、身代金の引き渡しで起こったトラブルからピタが殺されたと聞いたクリーシーは、傷が癒えるのも待たずに復讐に立ち上がる。
旧友に扮するクリストファー・ウォーケンの台詞によると、デンゼル・ワシントン扮するクリーシーは死の芸術家であり、いままさにそのマスターピースの製作に取りかかろうとしているのだ、ということになるらしい。
クリーシーを影から支援するメキシコ連邦捜査局の捜査官がジャンカルロ・ジャンニーニで、その女友達として登場するレイチェル・ティコティンともども、実にいい味を出していた。ダコタ・ファニングもやや得意な風貌を含めて魅力的で、キャスティングのセンスはたいそうよろしい。脚本はブライアン・ヘルゲランド。トニー・スコットの演出はスタイリッシュで、短いショットの積み重ねにサスペンスを折り込みながらストーリーをよどみなく進行させる。スーパーインポーズを単なる翻訳字幕としてではなく強調表現として使う手法が目新しい。アクション・シーンはリアルで迫力があり、復讐者クリーシーの復讐ぶりも情け無用で手際がよい。二時間半近い長尺ながら、画面から目を放せなかった。

Tetsuya Sato

2014年3月22日土曜日

LIFE!

LIFE!
The Secret Life of Walter Mitty
2013年 アメリカ 114分
監督:ベン・スティラー

『LIFE』誌で写真のネガを管理しているウォルター・ミティは空想癖の持ち主で、ひとと話をしている最中にもときどき向こうの世界に出かけていたが、『LIFE』誌の休刊が決まって最終号の表紙をかざる写真のネガがなぜか見つからないことに気がついて、写真家ショーン・オコンネルの手元にまだあるのではないかと考えて所在のわからない写真家のたずねてグリーンランドへ渡り、一日のあいだにヘリコプターから落ちる、サメと戦うなどの冒険をして、さらにアイスランドへ渡ってつづら折りの道をスケートボードで駆け抜け、火山の爆発に出会い、アメリカへ戻ると新たな手掛かりを手にアフガニスタンへ渡り、ヒマラヤ山中へ分け入ってそこで写真家を探し出して真相を知る。
ジェームズ・サーバーの短編の再映画化。とはいえここに登場するウォルター・ミティはそもそもの気質がバックパッカーであり、空想は本性に反して日々を送る自分に対して与えられた抜け道であり、中盤から始まる旅は自己抑制から抜け出すにつれて輝くような解放感を帯びていく。そしてそこに展開する光景は『LIFE』誌を背景に選んだことからあきらかなように、すぐれてフォトジェニックであり同時にグラフィカルでもあり、視覚的な豊かさには息を呑まずにはいられない。むしろ、よほどの自信がなければこの設定は選択できなかったのではあるまいか。
ベン・スティーラーは60-70年代的とも言える楽観的な精神風土を引用しながら自己回帰の物語を美しく仕上げ、自らきわめて魅力的に演じている。『トロピック・サンダー』を見たとき、その構築力の確かさに感心させられたが、ここではさらに数歩前進している姿を見ることができる。共演のクリステン・ウィグ、シャーリー・マクレーン、ショーン・ペンもすばらしい。 
Tetsuya Sato

2014年3月21日金曜日

イースタン・プロミス

イースタン・プロミス
Eastern Promises
2007年 イギリス/カナダ/アメリカ 100分
監督:デヴィッド・クローネンバーグ

ロンドンのとある床屋で一人のロシア人がいきなり首を切られている頃、14歳の妊婦が保護されて病院へ運ばれ、母親は死んで子供は救われ、死んだ母親の正体に興味を抱いた助産婦アンナはとあるロシア料理店にたどりつくが、その料理店の店主セミオンはロシア・マフィアの頭目でどうやら人身売買に関与している。
ということで店の戸口からヴィゴ・モーテンセンとヴァンサン・カッセルがおっかないロシア人に扮して登場するが、どちらもいまひとつロシア人に見えてこない。ことさらなスローテンポはともかくとしても、絵の作りの単調さ、露骨な暴力描写の挿入はデザインの欠如を感じさせた。ヴィゴ・モーテンセン扮するニコライになにかしらの両義性が含まれていたのかもしれないが、映画はあえて状況の消化を拒んで無用な衒学趣味へもぐり込み、正体不明の意志を孤立させたまま終わらせてしまう。そうなってくるとこちらは題材自体の選択に疑問を感じることになり、まずクローネンバーグであるにもかかわらずなぜロンドンなのか、なぜロシアマフィアなのか、なぜ人身売買なのか、なぜ全裸で戦う場面が必要なのか、首をひねり始めるのである。そして疑問を抱きながらヴィゴ・モーテンセンのマフィアへの入団の儀式から刺青へと続く一連の場面を眺めていると、ホモソーシャルな環境でのホモセクシャルな自己陶酔ばかりが目についてきて、たしかにこれではナオミ・ワッツに顔がないのも無理はない、などと考え始めたりするのである。邪念で作られた映画なのではないだろうか。 

Tetsuya Sato

2014年3月20日木曜日

ハンガー・ゲーム

ハンガー・ゲーム
The Hunger Games
2012年 アメリカ 143分
監督:ゲイリー・ロス

パネムという国があって、そこはどうやら13の地区にわかれていて、そのうちの12の地区がかつて反乱を起こして鎮圧されて、国家はその記憶を国民が失わないように、という配慮から、ということらしいのだけど、年に一度、反乱を起こした12の地区から12歳から18歳の男女一人ずつを選び出して最後の一人になるまで殺し合いをさせる行事をおこなっていて、第12地区に暮らすカットニス・エバディーンは自分の妹の身代わりにこの行事に志願する。 
最初の一時間をだらだらと状況説明に使い、一時間を過ぎたあたりからようやくゲームが始まって、それで少しはましになるのかと思ったら、結局最後までだらだらしておしまいで、この二時間半はかなり長い。プロットはお粗末で演出はまるでやる気がない。しかも肝心のゲームがいんちきばかりで面白くない(途中でルールを変えるのは問題外だし、都合よく遺伝子改造されたスズメバチの巣があったりとか、致死性の毒を持った木の実があるとか、小学生が書いた小説じゃあるまいし、だいたい、いきなり飛び出してくるCGの怪物はいったいなんですか)。反乱地域の取ってつけたような貧困描写は背景を欠いているので説得力がまるでないし、集められた少年少女もヒロインがやたらとクローズアップされる一方で影らしい影も与えられていない。周辺のおとなも魅力がなくて、ウディ・ハレルソンも役柄がよくわからないし、ドナルド・サザーランドはまったくのアルバイトに徹している。未来都市の描写もいただけない、というか、美術は全体に凄惨なことになっている。 


Tetsuya Sato

2014年3月19日水曜日

リトル・ランボーズ

リトル・ランボーズ
Son of Rambow
2007年 フランス/イギリス/ドイツ 94分
監督:ガース・ジェニングス

母と妹、祖母と暮らすウィル・プラウドフットは一家が根本主義のプリマス同胞教会に属している関係で一切の娯楽を絶たれ、自分の聖書をひたすらに落書きで満たしていたが、同じ学校の言わば悪たれ小僧リー・カーターの家で偶然『ランボー』を見たことで言わば世俗の楽しみによる害悪をただちにこうむり、頭のなかを暴力的な空想で満たし、さらにそれを聖書の落書きに書きくわえていくと、BBCの少年向け映像コンテストに応募するという野心を抱くリー・カーターはウィル・プラウドフットの聖書を見てそれをそのまま映像化しようと考え、ふたりは血の兄弟のちぎりを結び、言わば悪たれであるリー・カーターが停学をくらうとカメラを預かるウィル・プラウドフットが自ら監督となって撮影を進め、リー・カーターは学校に戻って疎外感を味わい、ふたりの友情に傷がつくが、収まるべきものは収まるべきところに収まって、リー・カーターは家族と友情を取り戻し、ウィル・プラウドフットの一家は根本主義の悪夢から抜け出す。
ほとんどフランドル絵画から抜け出したようなプラウドフット家の異様な描写から小学校のこどもたちのいかにもイギリス的にかしいだ日常まで細部の描写が非常に楽しい。主役のふたりにしても、その周辺にしても子役が実に達者で感心した。同じ監督の『銀河ヒッチハイク・ガイド』もいちおう好きな映画だが、本人のこだわりが違うのか、仕上がりはこちらのほうが上であろう。 

Tetsuya Sato

2014年3月18日火曜日

プライド 栄光への絆

プライド 栄光への絆
Friday Night Lights
2004年 アメリカ 118分
監督:ピーター・バーグ

テキサス州オデッサ(小さな町らしい)にあるパーミアン高校のフットボール・チームが1988年のシーズンを迎え、ほかに楽しみを知らない町の住民はこぞって試合に押しかけて選手やコーチにプレッシャーをかける。チームは主力選手を怪我で失い、体格では他校のチームに差をつけられ、それでもテキサス州のプレーオフに漕ぎ着けて、そこでもさらに勝ち進み、決勝戦に臨んでいく。
実話に基づいているのだとすれば、エピソードはかなり刈り込んであるのではないだろうか。とはいえ、州の頂点に立つことを前提にされて、17歳の若者たちが過酷なプレッシャーにさらされながら肉弾戦を繰り広げる有様は壮絶である。
コーチ役でビリー・ボブ・ソーントンがいい味を出している。若い出演者たちの演技も印象に残る。演出のテンションは高く、短いカットを多用しながら主要登場人物とその背景を素描していく手腕には巧みさを感じた。また、ほぼ全編、手持ちカメラで撮影されたとおぼしき映像は、少々目まぐるしいものの、なかなかに個性的であった。アメリカン・フットボールについては全然ルールを知らないけれど、それでもクライマックスの試合シーンは見ごたえがある(ただ、高校生の試合でもほんとにあんなに凄惨なことになるのか? あんまり血まみれなので、ちょっと引いた)。

Tetsuya Sato

2014年3月17日月曜日

ゴッド・オブ・バイオレンス/シベリアの狼たち

ゴッド・オブ・バイオレンス/シベリアの狼たち
Educazione siberiana
2013年 イタリア 104分
監督:ガブリエレ・サルヴァトレス

ソ連時代にシベリアから南西部(ウクライナ?)へ強制移住させられたウルカのコミュニティを背景に1980年代からソ連崩壊後の90年代後半まで、およそ10年間のタイムスパンで首領の孫に生まれたコリマがコミュニティに特有のモラルにもとづいた教育を受けて成長し、コミュニティが決めた復讐の実行者となって目的を果たすまで。 
コミュニティの首領がジョン・マルコヴィッチ、タトゥーのマスターがピーター・ストーメアで、特にピーター・ストーメアがこの怪人を嬉しそうに演じている。
製作はたぶんラウレンティス一族の関係者で監督もイタリア人、ロケはおもにノルウェイあたりと思われるが、川辺で水がびしゃびしゃしているところはタルコフスキーやミハルコフを研究したようで、それなりに雰囲気が出ていると思う。これでダイアログがロシア語だったらもっと雰囲気が出ていたはずだが、あいにくとDVDに収録されているのは英語版。演出に格別の冴えはないもののまじめで安定感があり、主人公ほか配役のよさにも助けられて見ごたえのある作品に仕上がっている。 序盤で「正直な犯罪者の家」に土足で上がり込んだソ連治安部隊を追い出しながら一族が歌う歌の歌詞のすさまじさには感動した。


Tetsuya Sato

2014年3月16日日曜日

アナと雪の女王

アナと雪の女王
Frozen
2013年 アメリカ 102分
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー

フィヨルドに面したアレンデールの国の王女エルサは冬を呼び寄せる魔法の力を生まれながらに備えていて妹のアナにせがまれて宮殿のホールに雪を積もらせてアナと一緒に遊んでいたところアナが積もった雪から転落するのでアナを助けようとしたエルサは誤って魔法の力をアナにぶつけ、驚いた両親はアナをトロールのすみかへ運んで魔法に詳しいトロールの力でアナを救い、トロールの進言にしたがってエルサの力を秘匿するために宮殿の扉を閉ざしてエルサを世間からもアナからも隠すことにして、それから10年が経過してエルサとアナは両親を亡くし、やがてエルサが戴冠することになって閉ざされていた宮殿の扉が開き、扉が開いたことで興奮したアナは初めて出会った某国の王子ハンスと恋に落ちて婚約し、その旨を戴冠したばかりのエルサに伝えるとアナの非常識な行動にエルサは怒ってその場で魔法を暴発させて夏を退け、アレンデールの国を凍りつかせてから山へ逃れて氷の宮殿を作り上げ、アナは姉をなだめるためにアレンデールの国をハンスにまかせて山を目指してひとりで進み、途中で馬から振り落とされて凍りついてたどり着いたノルディックな店で孤独な氷売りのクリストフと出会い、クリストフの助けを得てエルサの宮殿にたどり着くもののアナの説得を受け入れようとしないエルサは興奮すると魔法の力を誤ってアナの心臓に打ち付け、心臓が凍り始めたアナを救うためにクリストフはトロールのすみかを訪れ、凍った心臓を溶かすためには真実の愛が必要であると聞かされる。 
真実の愛が男どもをすかっとかわして勝手に完結しているところに感心したし、ありがちな設定を見事に変奏してみせたプロットの強さにも感心した。視覚的にはただ豊穣と言うしかなく、導入部の氷の切り出しの場面から魔法の力で作り出される氷や雪の風情、難破の場面、突然の冬に襲われてアレンデールの港で凍りつき、凍った水に押し出されて転覆する船、冬の山、雪の感触などにただ呆然としながら見とれていた。そしてさらに大きな驚きだったのがキャラクターの骨の太さ、肉の厚さで、そのいかにも重たげな存在感はこれまでのアニメーション作品では見たことがない。モデリング技術の決定的な進化を目撃したような気がする。傑作。 だが王位継承順位が13番目、などという若造と婚約してはいけない。
Tetsuya Sato

2014年3月15日土曜日

ラングーンを越えて

ラングーンを越えて
Beyond Rangoon
1995年 イギリス/アメリカ 100分
監督:ジョン・ブアマン

1998年、夫と幼い息子を殺害されて心に傷を負ったアメリカ人の女医ローラ・ボーマンは姉に誘われてビルマを訪れて古い寺院などを見学するが心が晴れないままラングーンに戻って眠れない夜を迎え、起き上がって外に出てみるとアウン・サン・スーチー女史が率いる民主化集会の真っ最中で、兵士が集会の妨害に出るのをアウン・サン・スーチー女史が非暴力で突破する様子を高い場所から眺めて感銘を受け、翌日出国しようとするとパスポートがなくなっていることに気がついて、空港まで姉を見送ったあと大使館でパスポートの再発行を受け、大使館からは速やかな出国を勧められたにもかかわらず、大使館の前で出会ったもぐりの観光ガイド、ウー・アウン・コーに誘われるままに郊外へ出てウー・アウン・コーがかつて僧侶をしていたという寺を訪れ、ウー・アウン・コーの車が故障したために村に足止めされ、ウー・アウン・コーの知人の家に招かれていってみると、そこには民主派勢力の学生たちが潜伏していて、ウー・アウン・コーにしてからがそもそもは大学教授だったことがわかり、そのウー・アウン・コーが手配されて学生たちはタイへの脱出を決め、ウー・アウン・コーはラングーンへ戻るローラ・ボーマンを村の駅まで送り届けるが、検問をしていた兵士がウー・アウン・コーの正体を見破ってウー・アウン・コーを打擲し、同行していた学生がウー・アウン・コーをかばって兵士に襲いかかり、兵士は学生を射殺、すでに列車に乗り込んでいたローラ・ボーマンはウー・アウン・コーを救うために列車から飛び出すとウー・アウン・コーを引きずって車を走らせ、ジープの追撃を受けて車を川へ沈めると近くの民家に助けを求めて筏に乗って川を下り、途中、軍による残虐行為を目撃しながらカレン族の支配地域に到達し、そこに集結していた学生たちとともに川を渡ってタイに入り、難民キャンプで医師として働き始める。 
ローラ・ボーマンがパトリシア・アークエット、すぐに退場する姉がフランシス・マクドーマンド。『イン・マイ・カントリー』と同様、ジョン・ブアマンの作品のなかではジャーナリスティックな視点が強い。演出は無駄がなく、大規模ではないがモブシーンなどは迫力があり、マレーシアでロケをしたビルマは非常によくできている。 

Tetsuya Sato

2014年3月14日金曜日

ザ・ジェネラル

ザ・ジェネラル
The General
1998年 アイルランド/イギリス 120分
監督:ジョン・ブアマン

ケヴィン・スペイシー主演の『わたしが愛したギャングスター』のモデルになっている実在の泥棒マイケル・カーヒルの伝記映画。並べて見ると似たような場面が次から次へと登場してちょっと笑える。
ただしこちらは大真面目である。舞台はダブリンだが、地縁血縁的な泥棒一味の描写はどことなくシリトーを思わせる。また犯罪を職業とする一方で、家では家庭を大事にしていて、というのはデイブ・コートニーの回想録『悪党』を思わせないでもないが、ロンドンとダブリンの違いなのか、当人の性格に起因するのか、マイケル・カーヒルの生涯は今一つ不器用で痛々しい。
気骨はあるものの妙に痛々しく、そして少々間抜けな男の生涯をジョン・ブアマンがかっちりとした映画に仕上げている。 
Tetsuya Sato

2014年3月13日木曜日

わたしが愛したギャングスター

わたしが愛したギャングスター
Ordinary Decent Criminal
2000年 ドイツ/アイルランド/イギリス/アメリカ 95分
監督:タッド・オーディナリー

ケヴィン・スペイシーがマスクで顔を覆った泥棒に扮して、ダブリンで愉快犯的な犯行を繰り返す。浅知恵で裁判を切り抜けたり、朝方に宝石会社を襲ったり、白昼堂々、フェルメールを盗んだりするわけだが、対するダブリン警察はえらく小所帯で、犯罪が同時に二ケ所で起こると対処できないようなのである。ただ、その割には、というべきなのか、そのせいで、というべきなのか、妙に重武装でパトカーはダッシュボードの下にMP5を隠しているし、トランクからはFALが登場する。どちらもけっこう発砲していたけれど、正体はちょっとのんきな雰囲気のコメディ調で、たぶんにこれはアイルランド風ということになるのであろうか。他愛ない、というような言い方はあまり好きではないのだけれど、掛け値なしに他愛ない映画なのであった。 

Tetsuya Sato

2014年3月12日水曜日

サウンド・オブ・ノイズ

サウンド・オブ・ノイズ
Sound of Noise
2013年 スウェーデン/フランス/デンマーク 102分
監督:オーラ・シモンソン、ヨハンネス・ファーネ・ニルソン

『ひとつの町と六人のドラマー』という四楽章の曲にしたがって六人のドラマーが町に音楽テロのようなことをしかけ、病院では手術室と患者を楽器に変え、銀行では窓口業務周辺機材各種と札束を楽器に変え、ハイドンを演奏中のホールの前には重機類を持ち込んで、ということを始めるので、著名な音楽一家の生まれで名前も迷惑なことにアマデウスという音痴で音楽が嫌いでひたすらに静寂を求めている刑事が事件を追う。 
構成は控えめだがバランスよく仕上がっている。四回にわたる音楽テロの場面で使われる曲はラディカルな現代音楽という感じでよくまとまっていてなかなかに楽しいし、無用な音楽の氾濫に対する反発にはなんとなく共感を感じていた。音痴の刑事を演じたベンクト・ニルソンという俳優が微妙な悲哀をにじませていい感じで、対する音楽テロリスト側のリーダーを演じたサナ・パーションも魅力的であった。これは悪くない。


Tetsuya Sato

2014年3月11日火曜日

レッド・ドーン

レッド・ドーン
Red Dawn
2012年 アメリカ 96分
監督:ダン・ブラッドリー

ロシア軍の協力を得た北朝鮮の軍隊がなにやら新兵器を使ってアメリカの国防網を壊滅させてアメリカを占領してしまうので高校生が武器を取って抵抗を始める。 
つまりジョン・ミリアスの『若き勇者たち』のリメイクで、オリジナルの84年当時ですらロシアとキューバの連合軍がアメリカ北西部の田舎町をなぜか占領するという無理矢理な設定がナンセンスに感じられたものだが、どうせナンセンスなら、ということで居直ったのか、消去法で北朝鮮くらいしか思いつかなかったからなのか、自称北朝鮮の軍隊が今回はシアトルとその近郊を占領するわけだけど、装備類がむやみと近代的で、小火器がAKというくらいで車両はアメリカ軍そのまんま(一瞬、北朝鮮のマークをつけたピラーニャが登場する)、兵士たちは栄養状態がとてもよくて(失礼だが)あちらの国のみなさんにはあまり見えない、という様子なので要するに言い訳以上のものではなくて、それらしく見せようという努力もたぶんしていない。それでもオリジナルよりいくらかましに見えるのはあちらが山岳戦だったのに対してこちらが都市ゲリラでバリエーションが豊富なこと、十代向け映画というフレームがはっきりしていて、その範囲ではちゃんとまとまっていること、などの理由があるからであろう。 


Tetsuya Sato

2014年3月10日月曜日

奴らを高く吊るせ!

奴らを高く吊るせ!
Hang 'Em High
1968年 アメリカ 114分
監督:テッド・ポスト

牧童のジェド・クーパー(クリント・イーストウッド)が800ドルで買った牛の群れを追っていると、そこへ9人の男が現われてジェド・クーパーを牛泥棒と決めつけてジェド・クーパーの首を吊り、代わって現われた連邦保安官がジェド・クーパーを救ってフォート・グラントの町へ送り、間もなく牛泥棒の真犯人が見つかったことでジェド・クーパーは自由の身となるが、フォート・グラントのフェントン判事(パット・ヒングル)は復讐を求めるジェド・クーパーを連邦保安官に任命し、ジェド・クーパーは法を執行するために自分を吊るした男たちを追って無法がはびこるオクラホマ準州にウマを走らせる。ジェド・クーパーを吊るした男たちは追手が迫っているのを知ってジェド・クーパーの買収をはかってあえなく失敗し、そもそも無実の者をリンチにかけたことが失敗であり、リンチにかけていながら相手を生き延びさせたことも失敗であったと悟り、ジェド・クーパーを殺害するためにフォート・グラントの町を訪れ、ジェド・クーパーに向かって何発となく弾丸を叩き込むことに成功するが、いったいどこを狙ったのか、またしても失敗し、負傷から回復したジェド・クーパーは自分を襲った男たちを捕えるために再び馬上のひととなる。
私法と公法の暴力性がほぼ同質に併存する状況を背景に、方向性の異なる人物像を豊富に配して視点の多様性を与え、奥行きのある内容に仕上げている。しっかりとした脚本を腕の確かな監督が堅実にまとめ、見ごたえがある。後半、お祭り騒ぎのなかで進行する処刑の場面が特にすごい。

Tetsuya Sato

2014年3月9日日曜日

マチェーテ・キルズ

マチェーテ・キルズ
Machete Kills
2013年 ロシア/アメリカ 107分
監督:ロバート・ロドリゲス

元麻薬カルテルで革命家、その状態ですでに多重人格だという人物がメキシコからアメリカを恫喝している、ということで合衆国大統領がアメリカの市民権を一方的にマチェーテに与えて祖国のために戦えと命じてメキシコに送り込んでみると、その背後では全世界の浄化をたくらむ『ムーンレイカー』な死の商人ヴォズの暗躍していたりする。 
大統領がチャーリー・シーン、ジェシカ・アルバが早々に退場し、レディ・ガガ、キューバ・グッディングJr.、アントニオ・バンデラスが一つの役を共有し、メル・ギブソンがなんだか嬉しそうに狂った悪役をやっていて、アレクサ・ヴェガがとてもおとなになっている。
やりたい放題のごった煮ぶりがかなりすごいことになっていて、その煮込み加減の類似から『セインツロウ4』の劇場版を見ているような不思議な感覚を味わっていた。話が妙に大きくなって、『マチェーテ』にあった「メキシコ人をなめるな」というモチーフが大きく後退している分、ダニー・トレホのキャラクターもいくらかあいまいになっているが、とにかくアホウな場面の連続だし、出演者もみんな楽しそうなので見ていて飽きることはない。
Tetsuya Sato

2014年3月8日土曜日

フェイル・セイフ(2000)

未知への飛行
Fail-safe
2000年 アメリカ 86分 TV
監督:スティーブン・フリアーズ

CBSで生放送されたドラマだという。内容は シドニー・ルメットによる1964年版の事実上のリメイクであり、脚本も64年版と同じウォルター・バーンスタイン。
大きな違いは64年版よりも30分短いことで、切られているのは爆撃機の飛行シーンとカッシオ大佐の両親についてのエピソード、ワシントンの夜会とそれに続くドライブの場面である。夜会の場面が削られた結果、好戦的な政治学者の台詞は国防省のシーンにまとめられることになって、結果として政治学者はさらに好戦的な発言をすることになる。これ以外の大きな変更は、爆撃機の編隊長が64年版よりもクローズアップされていること。これは演じているのがジョージ・クルーニーだからであろう。編隊長を説得するために呼ばれる家族は妻から息子に変更されている。これはおそらく時代の反映であろう。ちなみに妻は死んでいるという説明があった。戦略空軍司令部での副官カッシオ大佐の暴走もいくらか変更されていて、これはそのせいで状況が間抜けに見えるようになってしまった。64年版ではロシアとの電話を切ってから内輪でもめている。大統領役がヘンリー・フォンダからリチャード・ドレイファスに代わったことで、ホットラインの場面で受ける印象は全体に柔らかくなったようだ。これもおそらく時代の反映であろう。なにしろ64年版が作られた当時は、現実の話だったからである。
なぜこれを今、というのが正直な感想だが、作り手の基本的な関心はフェイルセイフ・システムではなく核兵器の廃絶にあったようで、そのために冷戦中の核の恐怖を思い出させるという主旨であれば、たぶん成功している。演出は手堅いし、場面数の多い高度な芝居を生放送でやったという勇気は十分評価に値すると思う。 


Tetsuya Sato

2014年3月7日金曜日

フェイル・セイフ(1964)

未知への飛行
Fail-safe
1964年 アメリカ 107分
監督:シドニー・ルメット

ICBMがまだ十分に配備できなかった時代、戦略核の主要な運搬手段は爆撃機であった、ということで戦略空軍の爆撃機は編隊を組んでいつも空を遊弋していて、戦争の気配を察知するとフェイルセイフ・ポイントと呼ばれる空域へ接近を開始する。そして気配が本物になった瞬間、ここからさらにロシアへと潜入して爆弾を落とすことになっていて、攻撃の命令は音声ではなくてフェイルセイフ・ボックスと呼ばれる暗号受信機からコードで伝えられる。
ある日、フェイルセイフ・ポイントを旋回していた爆撃機の一編隊が攻撃コードを受信してロシアに接近を開始する。標的はモスクワ。攻撃コードは機械的な故障で発信されたようだけど、原因はわからない。大統領は音声で命令を撤回するが、爆撃機の乗員は訓練に基づいて帰還を拒絶する。ロシア側の迎撃機による撃墜は失敗する。生き残った一機がモスクワに到達し、水爆を投下する。大統領はこれが事故であることをロシアに証明するため、自ら命令を下してニューヨークに水爆を投下する。あわせて一千万人の犠牲で、核戦争は回避される。
大統領がヘンリー・フォンダ、政治学者がウォルター・マッソー。現実の状況を背景にしたグロテスクな話だ。映画は淡々とした会話劇で構成されており、それを映し出すモノクロームの映像がどことなく寒さを感じさせる。ある種の名作には違いないが、衝撃的な内容に負けているのか、登場人物が多すぎるせいなのか、緊張が確実に持続しないところが難ではある。 
未知への飛行 フェイル・セイフ [DVD]
Tetsuya Sato

2014年3月6日木曜日

フィクサー(2007)

フィクサー
Michael Clayton
2007年 アメリカ 119分
監督・脚本:トニー・ギルロイ

30億ドルの集団訴訟を抱えた農薬会社Uノースの弁護を担当するケナー・バック&レディーン法律事務所のパートナー、アーサー・イーデンスは愛に目覚めることで真実の口当たりのよさを知り、顧客の利益に反して原告の味方となってしまうので、同じ事務所でトラブル処理を担当するマイケル・クレイトンが対処に乗り出すものの一枚上のアーサー・イーデンスには法を盾に取られ、Uノースの新任の法務部長カレン・クラウダーからは17年もいるのにまだパートナーではない、という理由からさげすまれ、それだけでは足りずに個人的には七万五千ドルを借金を抱え、ギャンブルへの依存症も抱えていて、アーサー・イーデンスが殺害され、まったく首のまわらないマイケル・クレイトンは買収されることになるが、勇み足をしたUノースが余計なちょっかいを入れたせいで結局マイケル・クレイトンもまた真実の口当たりのよさに目覚め、すぐ隣に見つけた正義の世界へ飛んでいくのでマイケル・クレイトンの周囲は自動的に破滅する。
大企業の不正を暴き立てるサスペンス映画ではなく、人生のむなしさに気づいた人々が幻想の王国を求めていく話であり、つまり外見は『インサイダー』のように見えても、正体はシャマランの『アンブレイカブル』あたりに近いと思う(音楽もジェームズ・ニュートン・ハワードだし)。出演者はいずれも印象に残る演技を残し、演出はやや力み気味ではあるものの、非常にていねいで好感が持てる。



Tetsuya Sato

2014年3月5日水曜日

フィクサー(1968)

フィクサー
The Fixer
1968年 アメリカ 132分
監督:ジョン・フランケンハイマー

帝政末期のロシア。ペテルスブルクにはすでにラスプーチンがいるらしい。キエフでひとりのユダヤ人が逮捕され、殺人の嫌疑で未決囚として投獄される。殺人事件には最初から政治的な解釈が加えられていて、国家の目的は容疑者の検挙にではなくユダヤ人排斥運動の前進にある。逮捕されるユダヤ人がアラン・ベイツ、妙に親切な(しかし怪しい)検察官がダーク・ボガート、もうひとりの、そして悪意に満ちた検察官がイアン・ホルム、法務大臣がデビッド・ワーナーという素晴らしいキャスティングで、しかも全員が実に見事にはまっている。特に純白の衣装に身を包み、さらにヌビア人の召使いを抱えていた法務大臣デビッド・ワーナーはなんだかすごい。フィクサーというタイトルは修理人を意味しており、それはそのまま獄中にいる囚人アラン・ベイツの職業でもある。
スピノザ的な理想を掲げて世界を修理するという主題が見え隠れするが、マラマッドの原作がそうなのか、ドルトン・トランボの脚本だからそうなったのか、その成果は現代的かつ一般的なヒューマニズムの賛歌となって結実する。実によくできた映画だが、ただアラン・ベイツがユダヤ人である必要性は必ずしもなかったような気もしないでもない。囚人が獄中で瞑想に入り、最終段階で昇天してしまうようなカバラ的飛躍をなんとなく期待してしまったこちらとしては結末は少々味気ない。
Tetsuya Sato

2014年3月4日火曜日

ヤギと男と男と壁と

ヤギと男と男と壁と
The Men Who Stare at Goats
2009年 イギリス/アメリカ 94分
監督:グラント・ヘスロヴ

地方新聞の記者ボブ・ウィルトンは妻を編集長に奪われたことから妻を見返す必要を感じ、また自分と向き合う必要も感じたことから記事のネタを求めてイラク戦争の現場を目指し、クウェート国境で足止めされたところでリン・キャシディと名乗る男と知り合い、かつてリン・キャシディの同僚を取材していたことでリン・キャシディの正体を見抜き、リン・キャシディがアメリカ陸軍超能力者部隊の一員であったことを指摘するとリン・キャシディは事実を認め、これから国境を越えてイラクへ入るというリン・キャシディにボブ・ウィルトンは同行し、その道中で超能力者部隊「新地球軍」についてあれこれを知ることになるが、つまりリン・キャシディの説明によればベトナム戦争期間中にベトコンの弾を受けて倒れた男ビル・ジャンゴは撃たれた瞬間に耳にした一言の意味を解明するために六年間にわたってニューエイジの洗礼を受け、軍に復帰して「新地球軍」のコンセプトを説明したところ、折からソ連側の超能力者部隊(ネコをいじめている)についての情報を得て対抗策の必要を感じていた国防省は「新地球軍」の創設を認め、リン・キャシディもその一員となって「ジェダイの戦士」となるために透視能力などの技術を磨いていたが、スプーン曲げの能力を認められて部隊に入ったラリー・フーバーが秩序を乱してビル・ジャンゴを軍から追い出し、リン・キャシディにヤギをいじめるように強要し、任期を終えて除隊するリン・キャシディを中国に伝わる点穴の技で死の罠にはめ、それはそれとして自分は現役の兵士であり、現在も秘密活動の最中であるとリン・キャシディは説明し、あてにならない超能力で砂漠を進み、遭難しかけた二人の前に謎の米軍基地が出現する。
新聞記者がユアン・マクレガー、超能力者リン・キャシディがジョージ・クルーニー、「新地球軍」の指揮官ビル・ジャンゴがジェフ・ブリッジス、部隊を崩壊に導く邪悪なSF作家ラリー・フーバーがケヴィン・スペイシー、途中砂漠で二人を拾う謎の政商がロバート・パトリック。きわめていかがわしい話とそのいかがわしい話を信仰にした善良な人々の話とが実にうまく混淆されて面白い映画になっているが、それにしても驚くべきオールスターぶりである。出演者はみないい感じの演技をしていて、特にジェフ・ブリッジスが楽しそう。 

Tetsuya Sato

2014年3月3日月曜日

ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方

ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方
The Life And Death Of Peter Sellers
2004年 アメリカ・イギリス 125分
監督:スティーブン・ホプキンス

ジェフリー・ラッシュが四半世紀にわたるタイムスパンでピーター・セラーズを怪演している。ジェフリー・ラッシュ本人がすでに若くはないので50年代の描写はやや不自然に感じたものの、当然のことながらあとになるほどよくなってきた(もう一つ難を言うと、声の感じがピーター・セラーズとかなり違う)。で、そのジェフリー・ラッシュ扮するピーター・セラーズがひどくこどもじみた性格の持ち主で、自分で自分の家庭を破壊し、離婚と結婚を繰り返し、自らの人間としての無個性ぶりに気がついて、そうした自分自身を投影するかのように『チャンス』に取り組んでいく。
凝った手法を取り入れようといろいろと試みてはいるが、失敗が目立つ。察するに、スティーブン・ホプキンスはそれほど気の利いた監督ではないのであろう( 『プレデター2』)。とはいえ、こちらとしてはジェフリー・ラッシュが「ピーター・セラーズごっこ」をしているだけで面白かったし、そこへブレイク・エドワーズ(ジョン・リスゴー)、ブリット・エクランド(シャーリーズ・セロン)、ソフィア・ローレン、カルロ・ポンティ(一瞬だけ)、スタンリー・キューブリックなどが登場し(いや、どれもあまり似てないけれど)、絡む、というのも趣向としてはなかなかに楽しい。 

Tetsuya Sato

2014年3月2日日曜日

チャンス

チャンス
Being There
1979年 アメリカ 130分
監督:ハル・アシュビー

イェージー・コジンスキー原作・脚本。
庭師チャンスは老人の死によって屋敷から追われ、見知らぬ外界へ放り出される。生まれて以来、まったく社会と関わりを持たず、読み書きを知らず、ただテレビだけを友にしながら暮らしていたこの男は老人から与えられた極上の服をまとい、立派な押し出しでワシントンの町に現われ、アメリカ金融界の大物の車に轢かれて傷を負うと治療のためにその家に招かれる。そして立派な押し出しによって上流人士であると誤解され、物怖じしない様子から大人物であると勘違いされ、素朴な庭師としての発言はことごとくアメリカ経済の先行きを示す貴重な指標として大統領の演説に引用され、次期大統領候補として持ち上げられる。
現代版カスパー・ハウザーという感じの話だが、周囲の人物はこの庭師が一種の精薄であることに最後まで気がつかない。この主人公とアメリカ権力中枢との対照がグロテスクで行き場のない話を作り上げている。ピーター・セラーズは庭師チャンスを厳かな表情と厳かなほど緩慢な台詞回しで巧みに演じ、不思議なほどのリアリティと魅力を与えている。冒頭、庭を追われたチャンスが山高帽に傘をぶら下げた姿で国会議事堂の前に現われ、そこにリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラ』(デオダート版)が重々しくかかり、映画の寓話としての指向性が明確に示され、何かこの世ならぬ雰囲気をかもし出して見る者を何か興奮させる。 


Tetsuya Sato

2014年3月1日土曜日

モーツァルトとクジラ

モーツァルトとクジラ
Mozart and the Whale
2005年  アメリカ 94分
監督:ペッター・ネス

アスペルガー症候群を抱えるドナルド・モートンは学位をもっているものの満足な就職ができないままタクシー運転手を続けてくびになることを繰り返し、その一方、同じ問題を抱えたひとびとのサークルを主催している。そのサークルに同じくアスペルガー症候群のイザベル・ソレンソンが現われるとドナルド・モートンは積極的にふるまうイザベル・ソレンソンに引き寄せられ、ふたりは間もなく恋仲になるものの、関係は絶えずダイナミックに変化する。
ジョシュ・ハートネット扮するドナルド・モートンは数字に関する独特の才能を備え、加えてかなり重たいアスペルガー、という設定らしい。ラダ・ミッチェル扮するイザベル・ソレンソンはふつうに美容師ができるくらいなので症状はそれほど重くはないが、それでもかなりの地雷を抱え込んでいる。
アスペルガー症候群に付随する微妙な行動形式、唐突に発生するコミュニケーションの難しさ、といったことがなかなかにうまく取り込まれており、そうした性向をいやみを感じさせずにコミカルな場面に組み上げることにも成功している。演出もまた誠実でいやみがなく、こうした素材を扱う場合の適当な節度を感じさせて好ましいが、ただ、ジョシュ・ハートネットが主演であるという以上に、たぶんに男性視点で作られていたような気がしないでもない。 

Tetsuya Sato