2012年1月31日火曜日

美しきエレーヌ

いわゆるトロイア戦争の原因になったパリスによるヘレネ誘惑を題材にしたオッフェンバックのオペレッタ(1864)。
第一幕:スパルタの王メネラオスが熟睡している隣でヘレネが倦怠を語り、羊飼いとのアバンチュールを夢見ているとパリスがのこのことやって来て預言者カルカスの手引きでヘレネに近寄る。起き上ったヘレネはパリスを前から横から後ろからと検分して舞い上がり、そこへガイドに率いられた観光客、アガメムノン、両アイアス、アキレウスのギリシア諸王がパジャマ姿で現れてパジャマパーティに毛の生えたような競技会の開始を宣言する。パリスはクイズと詩の創作で勝利して喝采を浴び、ここで初めてプリアモスの子であることを明かしてヘレネに晩餐に招かれるが、メネラオスの存在をうとましく感じたパリスは偽の預言でメネラオスをクレタへ送り、自分は早々と夫婦のベッドに横たわる。
第二幕:パリスは約束どおりにヘレネを訪ねるが、ヘレネは愛欲と貞節のはざまで揺れてパリスの求愛を退け、寝室の護衛を二倍にした上でカルカスに夢を求めて夢のなかでパリスを迎えようとするが、夢は夢ではなかったためにクレタから戻ったメネラオス(空港の免税店の袋をぶら下げている)に同衾しているところを発見される。激怒したメネラオスは隣の部屋にそろっていたギリシアの諸王に復讐を求めるが、予告なしに帰宅したおまえにも責任があるという方向へ話が流れ、流れたところで、だから責任はもっぱらメネラオスにあるということになり、ヘレネも尻馬に乗って夫をなじり、それはそれとしてパリスはスパルタから追放される。
第三幕:ヘレネとメネラオスの夫婦は気分を変えるために海辺のリゾートを訪れるが、夫が嫌味を言い続けるのでヘレネは怒り、アガメムノンはメネラオスのせいでギリシアが女神の不興を買ったことで不安を覚え、しかも海辺を見ればオレステスをはじめとする若い男女が怪しい踊りを踊っていたりするのでいよいよギリシアの将来が心配になり、自分も必要があればイフゲニアを犠牲にする覚悟があるのだから、と説得して全ギリシアのためにメネラオス一人が犠牲になることを要求する。そこへパリスがキュテラの預言者として現われて解決策を提案し、メネラオスの同意のもとにヘレネをさらって海へ逃れ、全員の希望どおりにメネラオス一人が犠牲になる。
パリ・シャトレ座の2000年の公演を録画で鑑賞。第一幕、第二幕ともにダブルベッドが舞台で中心的な役割を果たし、第三幕はいわゆるビーチなのでさすがにベッドはないな、と思っていたらパリスがベッドに乗って降臨した。メネラオスの寝取られ亭主ぶりがかなりすごい。


Tetsuya Sato

2012年1月30日月曜日

恐竜100万年

恐竜100万年(1967)
One Million Years B.C.
監督:ドン・チャフィ


岩族のトマクはささいな理由から部族を追われ、荒野を横切って海岸に辿り着き、そこで力尽きて倒れているところを貝殻族のロアナに救われる。貝殻族は岩族よりも文明的な生活を送っていたが、トマクはささいな理由で貝殻族からも追い出され、ロアナとともに山岳地帯を目指して進んでいく。するとそこへ兄サカナが現われてロアナに襲いかかるが、サカナはトマクに襲われて降伏する。トマクが不在のあいだにサカナは岩族の族長となっていたので、そのサカナを倒したトマクは自動的に岩族の族長となり、岩族はロアナを通じて貝殻族の進んだ技術を導入するが、トマクによる支配を快く思わないサカナとその一味は逆転の機会を狙っていた。
というような話の合間にハリーハウゼンが動かす恐竜が登場する。ハリーハウゼンの恐竜の動きはすばらしいが、必要以上に爬虫類的な様子があり、これは好みがわかれるところであろう。ただ、いずれにしても古典であることは間違いない。 



Tetsuya Sato

2012年1月29日日曜日

戦慄!プルトニウム人間

戦慄!プルトニウム人間(1957)
The Amazing Colossal Man
監督:バート・I・ゴードン


プルトニウム爆弾の実験で放射線を浴びた陸軍軍人マニング中佐が巨大化する。そして巨大化すると血のめぐりが悪くなるのか、意思疎通がむずかしくなって、婚約者が一生懸命説得しても耳を貸さずに腰巻一枚の姿で暴れ始める。そこで軍隊は鎮静剤か何かを巨大な注射器で打ち込もうとするのだけど(でっかい注射器をみんなで抱えて巨人の足元に突撃していた)、これは失敗して、足を滑らせた巨人はダムへ落ちて絶命する。たぶん注射器がいちばん金のかかった大道具だったのではないだろうか。バート・I・ゴードンによる例のごとき巨大化ものの一本だが、子供心にはけっこう怖かったのである。
で、ダムに落ちて死んだ筈の巨人が顔に傷痕をこしらえて蘇ってくる続編もあるけれど、残念ながらわたしはまだ見たことがない。




Tetsuya Sato

2012年1月28日土曜日

地球へ2千万マイル

地球へ2千万マイル(1957)
20 Million Miles to Earth
監督:ネイザン・ジュラン


秘密裏に発射されたアメリカの宇宙船が金星に到達し、地球への帰還の途上、隕石と衝突してシチリア沖に墜落する(「波間」に突き刺さっている宇宙船のショットは感動物)。事故を目撃した漁師たちは船に乗り込んで一人を救出し、浜に住む少年は波打ち際で怪しい円筒を発見する。そしてその中にあった怪しいゼリー状の物体をローマから来ていた獣医に200リラで売り飛ばすが、実はこれが金星獣イミールで、復活したイミールは最初は小犬ほどの大きさ、翌朝にはこれが人間大になり、ローマの動物園へ運び込もうと企んだ獣医の檻を破って逃げ出してしまう。イタリアの警察とアメリカ軍が出動して脅えたこの怪物を散々に脅かして生け捕りにした後、結局、ローマの動物園へ運び込む。地球の大気のせいで代謝が混乱したイミールはさらに巨大化するが、周りに集まった世界各国の科学者たちは怪物を縛り上げ、薬漬けにした上で電気を流して痛めつける。ところが日本人科学者のミスで電流が絶たれ、イミールは縛めを解いて暴れ出す。それまでの虐待が虐待なので、これは当然のことであろう。動物園の中なのでまず象と戦い、それから出動してきたイタリア軍と戦い、フォロ・ロマーノを破壊し、コロセウムの壁の上に追いつめられてバズーカと戦車砲の餌食になる。とにかくイミールが痛々しくて、見ているこちらの心まで痛んできた。 




Tetsuya Sato

2012年1月27日金曜日

世紀の謎:空飛ぶ円盤地球を襲撃す

世紀の謎:空飛ぶ円盤地球を襲撃す(1956)
Earth vs. the Flying Saucers
監督:フレッド・F・シアーズ


空飛ぶ円盤に乗って宇宙人が現われ、人類に降伏を要求するので人類は戦う。すると宇宙人は太陽表面で爆発を起こして天変地異を引き起こすが、人類はなおも戦う。最後に科学者たちが円盤の動力を遮断する銃を発明して退治する。例によって低予算映画ではあるが、ハリーハウゼンの視覚デザインには目を引くものがある。つまり飛んでいる円盤はもちろんだとしても、湖畔に着陸している円盤もなかなかに迫力なのであった。きわめてシンプルな場面であっても、やる人がやると随分違うというよい証拠であろう。






Tetsuya Sato

2012年1月26日木曜日

放射能X

放射能X(1954)
Them!
監督:ゴードン・ダグラス


核実験の放射能を浴びて巨大化した蟻が人間を襲う。反撃に出た軍隊は砂漠で巨大蟻の巣を発見して焼却するが、すでに羽蟻が飛び立った後だった。全米に監視網が敷かれ、西海岸の沖では貨物船が巨大蟻の襲撃に遭って乗員が殺される。そしてロスアンゼルスの地下水道では新たな巣が生まれようとしていた。夜の影に向かって放たれる銃弾、生き残った少女のうわ言とまず導入部が抜群によくできていて、その後も軍隊の出動、事件の拡大、荒野から都会へと場面の展開が実にきびきびとしていてよどみがない。50年代SF映画の傑作である。 




Tetsuya Sato

2012年1月25日水曜日

水爆と深海の怪物

水爆と深海の怪物(1955)
It Came from Beneath the Sea
監督:ロバート・ゴードン


水爆実験で放射能を浴び、そのせいで魚を捕れなくなった巨大なタコが動きの遅い人間を狙ってサンフランシスコに上陸する。海軍の記録映画を巧みに流用して嵩を増やし、都市破壊型怪獣映画を定石どおりに展開していて、その思わせぶりにけっこうわくわくするのである。タコの上陸を阻むためにまず機雷が敷設され、金門橋からは電流を流した網を垂らし、それ来たぞということになると爆雷で攻撃するのである。最後に科学者たちが特殊な魚雷を発明し、それを潜水艦から発射して退治する。残念ながら予算の関係で、ハリーハウゼンのタコはあまり出番がない。 




Tetsuya Sato

2012年1月24日火曜日

遊星よりの物体X

遊星よりの物体X(1951)
The Thing From Another World
監督:クリスチャン・ネイビー、ハワード・ホークス

北極圏にある科学調査基地の近くに飛行物体が墜落する。軍人や科学者を乗せたDC3が現地へ飛び、氷の下に埋まった謎の物体を確認するが、氷を溶かそうとしてテルミット爆弾を使ったところ、火炎が引火して物体は爆発してしまう。爆発した物体のすぐそばには別の物体が氷の中に隠さされていた。宇宙人の体である。そこでそれを氷ごと切り出して基地に運ぶと、事故によって氷が溶けて中から宇宙人が蘇り、血をすすりながら地球侵略の作業に取り掛かるのである。原作はキャンベル Jr.の「影が行く」。ただし侵略者の設定は植物人間で、だからタネを播く、という単純な形に変えられている。そうした意味では正統派の映画化作品になるのは、やはりジョン・カーペンター版ということになるのだろう。ただ、だから面白くないかというとそんなことは全然なくて、視覚的にも十分に見ごたえがあるし、クライマックスなども実にスリリングなのである。 




Tetsuya Sato

2012年1月23日月曜日

ガメラ対ギャオス

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(1967)
監督:湯浅憲明

日本道路公団では日本縦断高速道路の建設を進めていたが、その中部地区では富士山を間近に見る二子山で地元住民の反対に出会った。村長に率いられる反対派がごね得を期待して土地の売り惜しみを始めたからであったが、そこへさらに富士山が噴火し、噴煙に引かれてガメラが現われ、調査のために派遣されたヘリコプターは各界の代表を乗せたまま謎の光線によって撃墜され、二子山付近の墜落現場では死体が一つも見つからないという異常事態が発生する。それでも道路公団は工事の推進を求めて現地責任者を督励し、督励された責任者であるところの堤志郎は反対派住民との交渉をおこなうべく村へ入るが、敵対的な村人たちによって村長との会見を拒まれる。
ところでその村長には英一という名の孫があり、その英一はスリングショットを携帯して、鳥が飛び立てばそれを狙うという根っからの悪ガキなのであったが、いまは特ダネを求めて現われた記者に拾われ、道案内役として二子山を奥へ奥へと進んでいた。やがて二人の前には洞窟が現われ、その入口が怪しく光っているのを見て中に入る。ところがそこへ地震が起こり、記者は英一を洞窟に残して一人で逃げるが、その記者の身体はいきなり出現した怪物に掴まれ、記者は悲鳴を残して怪物の口の中に消えてしまう。残された英一にも危険が迫る。だがそこへガメラが現われ、死闘の末に怪物を撃退して英一を背中に乗せて飛ぶのであった。一連の光景を目撃した堤志郎は村長の家へ報せに走り、村長や英一の母親代わりの姉とともに車に乗って近所の遊園地へと急ぐ。観覧車の脇ではガメラが着陸して待っているので、堤志郎はゴンドラに乗り込んで英一を救い出すのであった。その英一と言えばガメラに乗ったことで一躍マスコミの寵児となり、もとよりカンの虫に祟られているのであろう、防衛本部へ聴取のために招聘されれば新たに現われた怪物を耳に触る甲高い声でギャオスと名付けて譲らない。
さて、そのギャオスに対して航空部隊による攻撃を開始されるが、山間に隠れて姿の見えないギャオスに対して空爆は成果がなく、それどころか光線を浴びた戦闘機はひとたまりもなく撃墜される。一方、村では牛や馬が姿を消し、後を追った牧童は正気を失って村へ戻る。脅えた村人たちは土地の売り時ではないかと村長の前に押し寄せるが、村長は承知しない。その村長の孫英一は堤に対してギャオスがおやつの時間の前には出現しないことを告げ、堤の通報によって対策本部はギャオスが夜行性であるという可能性に到達する。そこで東南アジアでの使用を目指して開発中の新式の照明弾を二子山上空で使用し、戦車部隊による攻撃を開始するが、山腹に現われたギャオスは翼によって強風を起こし、戦車部隊を殲滅した上で空高くへと舞い上がる。間もなくギャオスは名古屋に現われ、走行中の新幹線に襲いかかり逃げ惑う乗客を食べてしまう。だがそこへガメラが現われ、両者は空中での戦いを繰り広げ、やがて戦いの場は次第に伊勢湾へと移り、ガメラはギャオスの足を噛んで海中に引きずり込もうと試みる。そうしているうちに夜明けが訪れ、ギャオスの頭が怪しく光り、ついにギャオスは自らの足を切り捨ててねぐらへと飛び去っていく。
対策本部はギャオスが切り捨てた足を回収して研究し、ギャオスが紫外線に弱いということを突き止める。それを聞いた自衛隊はレンジャー部隊に紫外線灯を持たせて二子山に派遣することを提案するが、動物学を専門とする青木博士はそれは不可能であると一蹴し、代わりにギャオスを何かの台座に載せてぐるぐると回転させてすっかり目を回させて、その状態のままで朝を迎えさせればよいと提案する。それというのも英一少年が姉を引きずって会議室に現われ、博士にヒントを与えたからであったが、その台座として遊園地の敷地内にある回転式の展望台を使うように提案したのも英一少年なのであった。そこでギャオスをおびき寄せるための人工血液の開発が始まり、展望台のモーターが強化され、変電所の電力もまた強化される。一切の準備が整い、夜明け前、ヘリコプター部隊が人工血液を散布しながらギャオスのねぐらへ接近する。ギャオスは血の臭いによっておびき出され、人類の思惑どおりに展望台の上に乗って噴水から降り注ぐ血液を飲み始める。ギャオスを載せた展望台は最大の速度で回転を続け、効果があったのか、ギャオスは目を回してふらふらしているように見えなくもない。だが変電所で異常が起こった。作戦は失敗に終わり、ギャオスは朝日を嫌って巣穴へ戻る。
希望は断たれたように見えた。道路公団は高速道路のコース変更を告示した。村人たちは村長の家に押しかけ、村長の責任を詰問する。だが英一の母親代わりの姉が皆の前に立って謝り、皆の利益を考えてのことだったと弁明し、さらに英一が現われておもちゃを村人たちに投げつけると、村人たちも怒りを解いて立ち去っていく。村長は心を入れ替えて対策本部を訪れ、自分の山に火を放って火事を起こし、それでガメラをおびき寄せてギャオスを退治するという作戦を提案する。実を言うとこの作戦を思いついたのは英一であったが、村長の提案を聞いた道路公団の堤志郎はそれをすれば森林資源で二億円の損害になると警告する。村長は損害を恐れずに作戦を遂行するようにと要請し、作戦は実行に移され、道路公団は延焼防止のための伐採に参加し、山には火が放たれる。すると期待通りにガメラが飛来し、ギャオスはガメラに首根っこを掴まれて噴煙を上げる富士山の火口に引きずり込まれる。最後にきらめいた怪光線はギャオスの断末魔なのであった。道路公団はコースの変更を中止し、心を入れ替えた村人たちは土地を手放し、英一は飛び立つガメラに別れを告げる。



Tetsuya Sato

2012年1月22日日曜日

ガメラ対バルゴン

大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン(1966)
監督:田中重雄

火星行きのロケットが隕石に衝突して爆発し、地球へ戻ったガメラは体内を電気エネルギーで満たすために東洋最大の発電所がある黒部ダムに襲いかかり、発電施設を破壊して炎で包み、燃え盛る炎を吸い込むと行き掛けの駄賃でダムを破壊して飛び去っていく。
さて、所は変わって大阪となり、平田一郎はかつて太平洋戦争中に兵士としてニューギニアにいたが、その折に巨大なオパールを発見し、後に日本に持ち帰ろうとたくらんで山奥の洞窟に隠しておいた。それから20年、平田は小野寺、船員の川尻、弟の圭介を仲間に入れ、足が不自由な自分は日本に残り、三人の仲間をニューギニアに送り込む。三人は山中の村を訪れ、問題の洞窟が虹の谷と呼ばれる場所にあることを知るが、そこは現地の人々にとって訪れてはならない場所であった。現地の村に移り住んで15年の日本人医師、その助手で日本語に堪能な現地の女カレンなどが先へ行ってはならないと説得するが、三人は禁を侵して谷に足を踏み入れて密林の奥で洞窟を見つけ、洞窟の中で隠されていたオパールを発見する。三人は計画の成功を喜ぶが、そのときには船員川尻の脚にすでにサソリがしがみついていた。小野寺はそれを目にしながらサングラスをかけて眼差しを隠す。川尻はサソリの毒にあたって絶命し、若い圭介は川尻の死を嘆く。その間に小野寺は洞窟に爆薬を仕掛けて一人脱出するのであった。
圭介は村の診療所で目覚め、村の女カレンから恐るべき事実を明かされる。オパールだと思っていた物体は実はオパールではないのであった。そのオパールを手にして小野寺は船に乗って一路日本へと向かっていたが、マラリアの症状に苦しみ、医務室で治療を受ける身となっていた。またジャングルで水虫を拾っていたので、医師からの勧めにしたがって赤外線灯を足に当てていた。船がようやく神戸に到着したとき、小野寺は船員仲間とともにマージャンを楽しんでいたが、船室に置き去りにされたオパールには消し忘れた赤外線が照射されていた。間もなくオパールの中からはトカゲのような生物が現われ、瞬時に巨大化して船内を火の海にする。小野寺はからくも難を逃れて岸壁に上がるが、オパールは船とともに沈んだと考え、迎えに出た平田にもそう告げる。そこへ海中から巨大な怪物が躍り出て神戸の港湾施設を破壊する。
怪物は長大な舌の先端から冷凍ガスを撒き散らし、周囲を氷の世界に変えながら大阪を目指して進んでいった。防衛部隊が出撃するが、冷凍ガスによって壊滅する。そこで司令官は気がついた。遠くから攻撃すれば、安全なのではあるまいか。そこで遠くにあるミサイル基地に攻撃命令が下されるが、そのとき、怪物は動物のカンによって危険を察知し、背中から虹を放出してミサイル基地を破壊する。これこそがバルゴンの虹であった。その虹に引かれてガメラが寄ってくるものの、バルゴンの冷凍ガスを浴びてガメラはもろくもくずおれる。
圭介とカレンの二人は空港のテレビで状況を知り、カレンはバルゴンに近づきたいと希望を言うが、圭介は代わりに小野寺を家に襲い、死闘の末に殴り倒して柱に固く結びつける。小野寺が兄夫婦を殺害したと信じていたからであったが、それは事実に相違なく、平田は小野寺の失言を聞き、そこから弟と川尻が実は小野寺に殺されたことを知って襲いかかり、死闘の末に夫婦そろって返り討ちにされたのであった。
圭介とカレンは防衛部隊に出頭し、バルゴンが水に弱いという弱点を告げる。またバルゴンはダイヤモンドの光にも弱いので、持参した5000カラットのダイヤモンドで琵琶湖に導き、そこでダイヤモンドを湖底に深く沈めれば、バルゴンもまたダイヤモンドを追いかけて湖底に深く沈む筈であった。そこでさっそくダイヤモンドをヘリコプターからぶら下げてバルゴンの鼻先に吊るしてみるが、期待したような効果はない。そこへ大阪府知事が現われてカレンを怪しみ、ダイヤモンドの真贋を怪しみ、ねちねちと嫌みを言って去っていくが、実はこのバルゴンは赤外線の照射を浴びて体質が変異したバルゴンであったので、ダイヤモンドのただの光には反応しないということが判明する。そこで天野教授が開発中の殺人光線の発生装置を改造し、ダイヤモンドを媒介に赤外線を照射するようにしてみると、バルゴンはおとなしくついてくるのであった。
いよいよ琵琶湖の湖畔が近づいてきた。水陸両用の先導車が湖水を割って進んでいく。バルゴンも湖に近づいてきた。だがそこへ欲に目がくらんだ小野寺がモータボートに乗って現われ、護衛の自衛隊員に発砲してダイヤモンドを奪い取る。そしてボートに乗って逃げ去ろうとするが、バルゴンの長大な舌にからめ捕られ、小野寺はダイヤモンドを抱いたまま悲鳴を上げて食われてしまう。ダイヤモンド作戦は人間の欲望に破れたのであった。
失意の圭介とカレンはミサイル基地の廃虚を訪れ、そこで鏡が無傷で残されていることに気づき、バルゴンの虹は鏡によって跳ね返されるのだと確信する。そこで防衛部隊は手近のパラボラアンテナに鏡を張り、そのまわりに無人の兵器を並べてバルゴンを攻撃、バルゴンの虹を誘発する。作戦は成功した。鏡に跳ね返されたバルゴンの虹はバルゴンの身体を痛めつけた。だが十分ではない。バルゴンは絶命に至らない。圭介は再度の攻撃を主張するが、天野教授は首を振る。動物は失策によって自分が傷つけば、同じ失策を繰り返さないのである。万事休すか。だがそこへガメラがやってきた。氷が溶けて、呪縛から逃れたのであった。ガメラは死闘の末にバルゴンを組み敷いて湖底に沈める。最後にきらめいた虹の光はバルゴンの断末魔なのであった。人類の危機は去り、圭介は時間の経過ともに色白になるカレンの手を取って、ともにニューギニアへと旅立っていく。

               (予告編は『大魔神』との二本立て)


Tetsuya Sato

2012年1月21日土曜日

大怪獣ガメラ

大怪獣ガメラ(1965)
監督:湯浅憲明

アメリカの戦闘機が北極圏で某国の爆撃機(機影からするとイギリスのように見える)を撃墜。核爆発が起こり、割れた氷山の間からガメラが姿を現わす。これはかつてアトランティスに存在したと伝えられる巨大なカメであったが、そのアトランティスが北極に存在したと確信する東京大学動物学教室の日高教授は助手の京子くんやカメラマンの青柳くんと共にエスキモーの村を訪れ、アトランティスにそのようなカメがいたのか、それともいなかったのか、といったことを唐突に訊ねて村長の記憶を探るのであった。ところがそうしているうちに日本の砕氷船ちどり丸がガメラを目撃した直後に連絡を断ち、母船の難を知った教授は調査の継続をあきらめて渡米する。そしてアメリカのテレビに出演し、アトランティスにはガメラと呼ばれるカメがいたこと、北極から出現した怪物こそがそのカメにほかならないが、放射能を浴びているので遠からず死ぬであろうこと、などを説明する。
さて、テレビ出演を終えた教授とその一行が飛行機に乗り込んで日本を目指している間に世界では謎の飛行物体が出現し、ピラミッドの上空やエッフェル塔の上空、万里の長城の上空などで目撃される。同じ頃、北海道の灯台守の息子俊夫は母親代わりの姉からカメを処分するようにと言い渡されて海岸を訪れ、放したカメの代わりにガメラと遭遇すると、そうか、チビはガメラになったんだ、とわけのわからないことを呟きながら、俊夫少年はガメラに対して無条件の信頼を抱き、ガメラは悪くない、ガメラを苛めないで、と耳に触る甲高い声で叫びながら大人たちの決死の防衛ラインに飛び込んでいって、そのたびに迷惑をかけるのであった。
通常兵器がまったく通用しないガメラを退治するために国際社会は総力を結集してZ計画を推進し、そのための施設を大島に建設する。もちろん俊夫少年も資材に紛れて大島へもぐり込み、またしてもみんなに迷惑をかけるのであった。やがてZ計画の準備が整い、炎を食べるガメラの前に重油がまかれ、火が放たれて東京湾から大島まで炎の道が作られる。その道を追ってガメラが大島に近づいてきた。ガメラ、来ちゃだめだ、と俊夫少年が呟くと、祈りが届いたのか、南の海上から台風が近づいてきてせっかくの炎の道を消してしまう。万事休すか。すると青柳くんが資材に火を放ち、焚き火を熾してガメラを呼ぶ。だが、その炎も台風の雨によって消えてしまう。万事休すか。だがそのとき三原山が噴火を起こし、その炎に引き寄せられてガメラは大島に上陸する。一方、俊夫少年はZ計画の巨大な施設に心を奪われてガメラのことは眼中にない。なんという現金なガキであろうか。Z計画実行の瞬間がやってきた。炎に導かれたガメラが巨大なステージの中央に到達する。そこでスイッチが入れられると地下から巨大なドームが出現して巨大なガメラを包み込み、巨大なドームを支える巨大なロケットも現われて、点火されるとこれが火星を目指して飛び出していく。人類の危機は去ったのであった。




Tetsuya Sato

2012年1月20日金曜日

佐藤亜紀『金の仔牛』

佐藤亜紀の新作長編『金の仔牛』連載第一回が小説現代2月号に掲載されています。



Tetsuya Sato

大巨獣ガッパ

大巨獣ガッパ(1967)
監督:野口晴康

プレイメイト社、というのがどういう出版社なのかよくわらないのだけど、社名と同じグラフ誌か何かを出しているらしい。その創刊5周年でプレイメイト・ランド、というようなものを作ることになって、それは日本にいながらにして南海の風情を味わうことができる施設で、完成すると南海の様々な動物などが展示され、南海の原始の美女が踊りを見せたり手料理などをしたりするのである。で、そのような動物や美女を採集するためにプレイメイト社の社員が船で南海を進んでいくとオベリスク島という火山島に到着し、ではここから、ということで上陸すると村の長老が現われて、日本軍に教わった日本語でガッパの怒りについて話し始める。このガッパというのが島の守り神らしい、と推理したプレイメイト社の社員は島の奥に進んで巨像を発見し、巨像の背に隠されていた洞窟でガッパの子供を発見する。そこで早速これを日本に持ち帰ると、親ガッパが子ガッパを取り戻すために現われて、まず相模湾から熱海に上陸して戦車部隊を壊滅させ、河口湖ではミサイル部隊と戦い、日光へ飛んで華厳の滝の上に立ち、それから南下して東京を狙う。
1961年の『怪獣ゴルゴ』を当時の日活が翻案したものだという。 熱海で温泉芸者を上げているところを怪獣が襲う、とか、文金高島田の花嫁が飛行するガッパを見上げる、とか、珍しい場面があったりする。ただ、特殊効果は全体にきわめて質が低い。からす天狗にしか見えないガッパの造形は安っぽいし、方針としてハイスピードショットを使っていないように見えるが、これはもしかしたらフィルム代を節約するためなのではあるまいか。



Tetsuya Sato

2012年1月19日木曜日

怪獣ゴルゴ

怪獣ゴルゴ(1961)
Gorgo
監督:ユージーン・ローリー


アイルランド沖で火山の爆発に遭遇した民間のサルベージ船が、住民がゲール語を話す怪しい島に漂着し、そこで怪物を捕獲する。ロンドンに運んで見世物にしていると、数十倍の体格を持つ怪物の親が子供を捜しに出現し、まず島を破壊し、どういうルートを採っているのかさっぱりわからないが、海軍の猛攻をかいくぐってロンドンに上陸する。タワーブリッジを破壊し、国会議事堂を破壊し、ピカデリーサーカスを破壊し、陸軍の猛攻を物ともせずに、遂に子供を救って海へ戻る。よく言われることだが、あちらの映画としては珍しい着ぐるみ怪獣による都市破壊物である。改めて見ると、けっこう寒い。人物描写は思わせぶりな割りにはないに等しいし、行動も脈絡がない。海軍の攻撃シーンはほとんどストックフィルムの寄せ集めだし、ミニチュアも格別精度が高いとは思えない。ただ、人間が巻き添えを食う容赦のない描写はロンドン空爆体験が生かされているのか、こちらはちょっと迫力があった。





Tetsuya Sato

2012年1月18日水曜日

新宿アンデッド

『新宿アンデッド』(井村恭一+金波三平、ジョルダンブックス)


新宿という巨大なターミナル駅にはただそこを通り抜けるだけでは目につかないような別の世界が存在していて、途切れもしない雑踏の陰に隠れたその目立たない世界にはガイドを職業とする男、ポーターを職業をする男、仕事を仲介する男、伝言をする女、さらにそうした裏の世界の住人を利用する得体の知れない連中などがいて、そうした世界に属する一人、タッソと呼ばれるガイドは新宿駅西口でバスから降り立った微妙に怪しい一団を引率する仕事を引き受けるが、途中で妙な横槍が入ったことから突然の暴力に巻き込まれ、件の怪しい一団は制御を失って凶暴な正体をさらけ出し、つまりゾンビとしての正体をさらけ出してあたりを血の海に変え、そしてもちろんゾンビに噛まれた人間もゾンビになって人間に襲いかかるので新宿駅構内はまたたく間もなく地獄のような場所になり、パニックが起こり、出動してきた警察も機動隊もゾンビの波状攻撃の前では無力をさらし、タッソを含む生存者は生き残りをかけて脱出路を求め、駅構内をさまよい歩く。
背景になっているのは新宿駅という限定された空間で機能している一種の「裏社会」であり、それ自体は言わば非日常に近いものではあるが、作者はその非日常を一定の緊張を備えた日常として詳細に描き、ガイドのタッソをはじめとする豊富な視点を配して状況を多元的に描写しようと試みる。そこに現われるのは大上段にふりかぶった黙示録的な世界ではなく、肉薄する脅威にかかわる体験の集積であり、その強度を保証するために今度はテキストがゾンビに対して肉薄する。ここに登場するゾンビはありがちな記号ではなく、血と肉への渇望を備え、残留思念を脳のどこかにちらつかせながら生け贄に向かって跳躍し、突進する怪物である(つまり、いわゆるロメロ型ではなくて、系統的にはリメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』などの疾走するゾンビに属している)。そしてこの怪物どもは背景などには決してとどまらずに積極的に前に出て人間を襲い、その執拗さによって余計なドラマを作る暇を与えない。素材に対してきわめて忠実なゾンビ小説だということになるだろう。




Tetsuya Sato

2012年1月17日火曜日

怪獣ウラン

怪獣ウラン(1956)
X the Unknown
監督:レスリー・ノーマン


演習中の陸軍の部隊が放射能の漏出を検出し、見ているうちにその場所には地割れが現われて炎が噴き出す。居合わせた兵士が被爆していることが明らかになり、科学者が原子力委員会の捜査官とともに調査に乗り出す。やがて周辺地域での放射性物質の盗難が報告され、しかも現場には溶けた犠牲者が残されている。生き延びた者も重度の放射線障害で命を落とし、これは地底から出現した謎の生物が放射能を求めて地上を移動しているのだと判断した科学者は放射性物質で怪物をおびき出し、同調させた二台のレーダーから電磁波をあてて退治する。どうしてそれで退治できるのかよくわからないのだが、先立ってそれらしき実験を繰り返していたので、それはそういうことなのであろう。地味な登場人物が地味な土地を背景に地道に怪物と戦い、黙々と撃退する有様を地味な演出で撮っている。渋い。 
怪獣ウラン [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月16日月曜日

蝿男の逆襲

蝿男の逆襲(1959)
Return of The Fly
監督:エドワード・バーンズ


アンドレ・ドランブルの悲劇から十数年が経過し、息子フィリップはすでに立派な大人となっていて、父親の汚名をはらそうと物体転送機の実験に取り掛かっていた。ところが相棒に選んだアランは実はイギリスで殺人を犯して逃げてきた悪党で、フィリップの発明を盗んで大企業に売ろうと企んでいた。そしてアランがまさにそうしようとしていると、そこへ警官が現われて逮捕しようとするので反撃を加え、昏倒させたところを転送機にぶちこんでモルモットと合成してしまう。その死体を片付けて戻ってくると今度はフィリップが現われて詰問をするので早速これにも反撃を加え、昏倒させたところを転送機にぶちこんでハエと合成してしまう。というわけで蝿男の逆襲が始まり、フィリップは町へ出て行ってアランとその仲間を片付ける。父親の事件があった頃とは違って今度は伯父さんや警官が対処方法を心得ていて、白い頭のハエを捕まえていてくれたのでフィリップは無事に人間の姿に戻るのであった。なんだかね。
蝿男の逆襲 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月15日日曜日

蝿男の恐怖

蝿男の恐怖(1958)
The Fly
監督:カート・ニューマン


天才科学者アンドレ・ドランブルは女房子供をほったらかしにして研究に励んでいたが、それでも夫婦仲に問題はなかったし、息子にも尊敬してもらえたのである。時代が違ったのであろう。物体転送機の開発に成功したアンドレは試みに日本製の灰皿を転送し、"made in japan"の文字が裏返っていることを女房から指摘されて発奮し、さらに研究室にこもって文字が裏返らない転送機に仕立て上げる。そこへ運悪くやってきたのが息子の飼っていたニャンコ(すごくかわいい)であった。アンドレは節操もなくこのニャンコを転送機にぶち込むが、再生に失敗して空中を漂う原子ニャンコになってしまう。そこでアンドレはまた発奮し、続いてモルモットの転送には成功すると喜び勇んで女房を食事とバレエに誘うのであった。そして帰宅してからニャンコでは失敗したことを告白し女房を激しく驚かすが、それでも女房は許すのであった。わたしなら絶対に許さないであろう。そして最後にアンドレはハエと合体して蝿男と化し、分相応の最期を遂げ、亭主の最期に手を貸した女房はまこと貞女の鑑と称えられるのであった。
蝿男の恐怖 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月14日土曜日

恐怖の雪男

恐怖の雪男(1957)
The Abominable Snowman
監督:ヴァル・ゲスト


謎の生物イェティを求めて、登山隊がヒマラヤに登る。だが、これは学術調査隊ではなく大衆の好奇心を満たして意識革命を起こそうと企む邪悪な登山隊であったので、どうにかイェティとの遭遇を果たすものの、自らの思惑に滅ぼされて次々と命を落としていく。ただ一人生き延びて悲劇を伝えるのは、登山に先立ってラマ僧から謙虚であれと教えられていた善良な学者一人なのであった。どうせ低予算映画と思って舐めて見始めたら、ちゃんとアルプスかどこかでロケをしているし、安易に発砲すれば雪崩れが起こるし、イェティが出てくれば出てきたで相当に怖い。しかもこのイェティ、最後になるまで右手しか登場しないのである。登場人物がその全身を見ていても、画面に映るのは右手だけ。で、それがテントの隙間から這い込んでくるというような場面が意外なほど怖い。なんだか「ガラスの仮面」の月影千草かという感じだが、背中をどつくようなストレートな描写に慣れていると、このような控え目な描写が実に新鮮なのである。フレーミングとダイアログで見事に場面を作り上げる筆力に感心した。 
恐怖の雪男 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月13日金曜日

恐怖のワニ人間

恐怖のワニ人間(1959)
The Alligator People
監督:ロイ・デル・ルース


新婚の夫婦ポール・ウェブスターとジョイス・ウェブスターが夜行列車に乗り込んで新婚旅行に取りかかっていると車掌が電報の束を持って現われ、ポール・ウェブスターは一通の電報に目をとめると表情を変え、態度も変えて次の停車駅で妻を置き去りにして姿を消し、まったく釈然としないジョイス・ウェブスターは消えた夫を探すために手を尽くし、夫の大学時代の住所を見つけ出してルイジアナの沼沢地へ分け入っていくと列柱のある立派な屋敷が出現し、そこに住むホーソーン夫人は夫の所在を訊ねるジョイス・ウェブスターを拒絶するが、その日は列車がないということでそこに一泊することになり、ジョイス・ウェブスターは部屋に閉じ込められて銃声を聞き、部屋から抜け出してピアノを弾く怪しい影を目撃し、翌朝、シンクレアと名乗る医師が微妙な誘導尋問を試みてくるといよいよここは怪しいと考えるので、強い調子でホーソーン夫人を問い詰めるとこの老婦人が実はポール・ウェブスターの母親であることが判明し、続いて医師の口から恐るべき生体実験の事実があきらかにされ、つまり飛行機事故で瀕死の重傷を負ったポール・ウェブスターはシンクレア医師がアリゲーターから抽出した蛋白質を処方され、その処置によって異常な再生能力を発揮して死の床からよみがえったが、ありがちな副作用によって肉体の爬虫類化が進行することになり、妻の前に再び現われたポール・ウェブスターは残酷な運命から逃れるために危険な放射線治療を要求し、母親と妻が見守る前でいよいよその治療が開始されるとそこへジョイス・ウェブスターに懸想したことでポール・ウェブスターの鉄拳を浴び、また、そのことでホーソーン夫人から解雇を言い渡された薄汚い森番で、ワニに左手を食いちぎられたことでワニを憎むことでは誰にも負けないロン・チェイニーJr.がポール・ウェブスターへの仕返しをたくらんで現われ、一切の制止を振り切って放射線照射の制御装置に駆け寄るので、制御装置は火を噴き、治療は失敗し、そしていったいどこをどうすればそうなるのか、ポール・ウェブスターは首から上がワニになる。神を畏れぬ実験がもたらした恐るべき悲劇なのである。いたってまっとうに作られた映画であり、語り口に破綻はないし、画面もおおむねしっかりしているが、いちおうディック・スミスが参加しているワニのスーツはあまり出来がよろしくない。


Tetsuya Sato

2012年1月12日木曜日

死んでいる

ジム・クレイス『死んでいる』(渡辺佐智江訳、白水uブックス―海外小説の誘惑)


五十代の夫婦が海岸を散歩中に暴漢に襲われ、死体となって砂浜に転がり、それから六日のあいだ放置されて腐敗していく。そして作者は時間軸を交錯させながらこの二人の三十年前の出会いを語り、それぞれの人柄を語り、その日の朝の出来事を語り、突然消息を断った両親の行方を探す一人娘の心情を語り、砂浜を縄張りとする様々な生物が死体に取りついていく有様を語る。当然ながら全体に死の気配が漂い、死者に多くのことが割かれているが、どちらかと言えば遺された者の魂の救済を問題にした小説であり、弔辞を聞くときには当の本人は死んでいる、という意味では架空の人物を対象にした非常によくできた弔辞である。周辺描写を丹念に折り込んだ視界の広いテクストはなかなかに魅力的であったが、死と対照するためになぜいちいちセックスを持ち出さなければならないのか、わたしにはよく理由がわからなかった。ちなみに同じくジム・クレイスの『四十日』(こちらは荒れ野に出たイエスを扱っているが、日曜学校への幼稚な反発で書かれたとしか思えない)を読むと、この作者が単に浅薄で想像力を欠いているだけなのではないかという疑いが生まれる。




Tetsuya Sato

2012年1月11日水曜日

黄金

黄金(1948)
The Treasure Of The Sierra Madre
監督・脚本:ジョン・ヒューストン


1925年のメキシコ。ハンフリー・ボガート扮する浮浪人が同胞のよしみでとかなんとか言いながら地元のアメリカ人にたかって暮らしている。そのうちに日雇いの仕事にありついて小金を稼ぎ、宝くじにも当たるので、それを軍資金にして二人の仲間とともに金を掘りに出かけていく。途中の鉄道では山賊どもの襲撃を受け、とある村でロバを買って人跡未踏の土地を進んでいくと、カナダでも掘った、アラスカでも掘った、カリフォルニアでも掘ったと言っていた老人が見事に砂金の鉱床を嗅ぎつける。そこで三人は協力して砂金取りの仕事にかかり、そうしているとどこから嗅ぎつけたのかテキサスの男がキャンプに現われ、鉄道で見かけた山賊も現われ、山賊を追って軍隊も現われ、砂金を取り終えて下山すると意外と近くに村があるし、村人たちは老人を崇め始めるし、途中の山には炭焼きが住んでいるし、鉄道で見かけた山賊をまた見かけるし、そんな具合でどこが人跡未踏なのかわからないような有様で、そのどこか栓の抜けたようなワンダーランドぶりがなんとも言えずに楽しいのである。ハンフリー・ボガートは欲望に狂った人間を熱演しているが、ウォルター・ヒューストンの爺さんぶりにはいささかかなわない模様であった。
黄金 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月9日月曜日

宇宙人ポール

『宇宙人ポール』(2011)
Paul
監督:グレッグ・モットーラ


いわゆるSFオタクのイギリス人グレアム・ウィリーとクライヴ・ゴリングスはサンディエゴを訪れてコミコンに参加し、それからキャンピングカーを借りるとUFO関連の名所を訪れるために中西部に乗り出していくが、夜道で自動車事故に遭遇し、壊れた車に近づいていった二人の前には恥も外聞もなくグレーそのものであるところのエイリアンがくわえ煙草で現われて同乗を申し入れるので、二人はポールと名乗るエイリアンに請われるままに車を北へ進めていくと、創造論者の父親からがちがちに教育を受けたインテリジェント・デザインな娘が狂信から解放されて仲間に加わり、狂信とショットガンを抱えた創造論者の父親とおっかないシガーニー・ウィーバーに率いられたなにやらメン・イン・ブラックな組織のエージェントとその間抜けな子分があとを追い、車がワイオミングに入ってポールの目的地に近づいていくと、前方にはどこかで見たような様子でデビルズタワーが姿を現わす。
脚本はサイモン・ペッグとニック・フロスト。冒頭、コスプレまみれの混沌としたコミコンの興奮をそのまま引き継いでにぎやかに切れ目のなく続くダイアログが非常に楽しい。そして開巻間もなくホテルの部屋でピザボーイから発せられる「エイリアンて何さ」という台詞が象徴するようにエイリアン同士の敷居は限りなく低く、楽天的でほほえましい。グレッグ・モットーラの演出には多少の不安を感じていたが、ジェイソン・ベイトマン、ビル・ヘイダーと慣れた俳優でうまい具合に脇をかため、細部にいたるまでリズミカルにまとめている。 




Tetsuya Sato

アフリカの女王

アフリカの女王(1951)
The African Queen
監督:ジョン・ヒューストン

イギリス人の兄妹が中央アフリカでメソジスト派の布教活動にいそしんでいる。兄は司祭の試験に失敗していて、妹は不器量で嫁のもらい手がなかったらしい。周りにいるのはアフリカの"土人"ばかりで、たまにやってくるイギリス人は近くの鉱山でベルギー人のために働いている薄汚い"職人"のみである。第一次大戦勃発とともに兄妹の村にはドイツ軍が進攻し、家々に火をかけて村人を兵士として徴発する。そのショックのあまり兄は病死し、残された妹は職人の船で村を後にする。
職人がハンフリー・ボガートで、行かず後家の妹がキャサリン・ヘップバーン、船の名前が「アフリカの女王」である。果敢な性格の妹は湖を占拠している敵の砲艦を爆破しようと決意して、不可能な川下りを提案する。で、二人はちっちゃな蒸気エンジンを搭載した「アフリカの女王」で中央アフリカの川を下り、湖で砲艦爆破の準備にかかるのである。もちろんそこへ至るまでには激流があり、ドイツ軍の要塞があり、二人は恋に落ちたり泥だらけになったり船を修理したりする。いろいろと起こるわけだけど、何がいいのかと言うと無駄がない。構成要素のことごとくがドラマツルギーに奉仕していて、無用のリアリティや情緒を排除しているのである。ドイツ軍が来るぞという話をしていると、次の場面ではちゃんとドイツ軍がやってくるし、恋に落ちて関係が前進しても、行為には必要最小限の説明しか与えない。時代による表現の制約があるにしても、それで十分だろうということである。昨今のような余計な説明は映画を30分から1時間も長くして、しばしば観客を退屈させることになる。時間の無駄づかいはしないことだ。とにかく見ていて心地よかった。 
アフリカの女王 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月8日日曜日

マルタの鷹

マルタの鷹(1941)
The Maltese Falcon
監督:ジョン・ヒューストン


ダシル・ハメットの原作をジョン・ヒューストン自身が脚色し、まったく無駄のない演出でサム・スペードとその周辺の人物が織りなす異様な世界をきわめてシャープに描き出している。ハンフリー・ボガート扮するサム・スペードの込み入った性格、メアリー・アスター扮する謎の美女ブリジッド・オーショーネシーの込み入ったうそつきぶり、シドニー・グリーンストリートのこれもまた込み入った習性、ピーター・ローレにいたってはもう何がなんだかわからない、というありさまで、一歩間違えばコメディになっているはずのものが、なぜだか猛烈にかっこよく撮られているので、これはやはりかっこいいのである。 
マルタの鷹 特別版 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月7日土曜日

狼は天使の匂い

狼は天使の匂い(1972)
La course du lie`vre a` travers les champs
監督:ルネ・クレマン


フランスの海岸で事故を起こしてジプシーの子供たちを殺した男トニーはジプシーに追われてアメリカに逃れ、傷を負わされてカナダに逃れ、モントリオールの万博会場で殺人事件を目撃したことでチャーリーが率いる泥棒の一味に捕えられる。そして一味が根城とする湖畔の小さなホテルに監禁されるが、物怖じしないトニーにチャーリーとその一味は引き寄せられ、間もなく仲間に数えられるようになり、一味が仕組んだ大仕事に加わって一緒に警察本部を襲撃する。
老境にある泥棒がロバート・ライアン、ジプシーに追われて逃げているのがジャン=ルイ・トランティニャンである。冒頭からすでにルイス・キャロルが引用され、ウサギやチェシャ猫の表象が現れ、逃走経路には忽然と穴が出現し、追い詰められて孤立した男たちの少々ファンタジックな精神世界が現実世界の襲撃にあって童心へと逃げ込んでいく。だから最後は大の男が二人してベビーベッドにもぐり込み、ビー玉を賭けてライフルを構えることになるのである。ある意味、『ワイルド・バンチ』に近接した作品だが、ルネ・クレマンの老成した視線に批評性はなく、このわがままで見栄っ張りな男たちをもっぱら暖かく見守っている。明瞭に配置されたキャラクターがよく描き込まれ、どこかで別の声を聞いているような不思議な演出がきわめて強い印象を残す。
狼は天使の匂い [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月6日金曜日

アマゾニア

『アマゾニア』 粕谷知世(中央公論新社,2004/10/25)


アマゾン川の流域に泉の部族と呼ばれる女ばかりの部族があり、弓や吹き矢を操る戦士の一団を持ち、戦士団の務めを終えた女たちは年に一度、男と交わって子供を作り、産み分けによって女を産んで子孫としている。一人の子供には産みの親のほかに名付けの親と育ての親があり、部族に生まれた子供たちは大人として認められる前に精霊を宿すことになる。その精霊は森の娘と呼ばれていて、泉の部族とは古い契約を交わしており、この精霊の力によって部族は悪霊から守られている。もちろん悪霊は好ましくない。悪霊に取り憑かれるとだるさを感じ、疲れやすくなる。苛立ちと無気力が繰り返され、「ブヨに刺され、蚊に刺され、蝿にまとわりつかれ、蟻に食われるといった、森では当たり前の出来事が我慢できなくなる」。
森では最近、大きな戦いがおこなわれた。泉の部族は亀の部族、鰐の部族、猿の部族、バクの部族、ペッカリーの部族、河イルカの部族、カワウソの部族、大ナマズの部族、カピバラの部族と共同してジャガーの部族を倒したのだった。ジャガーの部族の死体は森に転がって獣や虫の餌食となり、放っておけば悪霊となる。悪霊となれば悪事を働くことになるので、そうさせないためには再び十の部族が集って鎮魂の儀式をおこなう必要があったが、その音頭を取るべき泉の部族の赤弓は身辺の雑事に気を取られているのか、なかなか事を起こそうとしない。弓隊の隊長なのでお宿りの儀式の護衛をしなければならないし、森の娘の侍女たちとはどうにも関係がうまくないし、部族の女が父親の知れない男児を産むし、亀の部族の司祭は歯切れが悪いし、鰐の部族の族長はどうにも挙動が怪しいし、男が自分を見る目が気に入らないし、露骨に粉をかけてくるのが腹立たしいし、そういうことで苛立っていると川上からは腹を空かせたスペイン人まで流れてくる。なにしろ十六世紀なのである。
女族とはいえ、ペンテシレイアに率いられているような孤高の戦闘部族ではなくて、近接地にあるふつうの部族との交流を持ち、だから外部とはごたごたを抱えているし、内部は内部でごたごたがあるし、それでも特定の族長を抱かずになんとなく合議制でやっている、というこの特殊な社会の風景が面白いし、それを描き出すときの作者の目の配り方も面白い。十六世紀のアマゾン川流域でもダイエットの話が出現したりするのである。この背景に女ばかりの部族と女ばかりの部族に幻影を抱くまわりの部族の男たち、セックスレスの女戦士、処女のままで死んだ少女の霊、河を流れてくる無教養で筋肉バカのスペイン人、あるいは大学出のスペイン人などが効果的に配置され、作者は性差と性愛に関わる諸問題を追い詰めていく。そして性が交わるところに生と死が交わり、薄暗い灰色の領域が生み出され、そこで繰り広げられる光景は壮麗で見逃せない。これを描き出す忍耐と筆力に感心した。力作なのである。装丁も実に美しい。


Tetsuya Sato

2012年1月5日木曜日

終わり続ける世界のなかで

『終わり続ける世界のなかで』粕谷知世(新潮社,2011/11/20)


語り手である岡島伊吹は1969年の生まれで、小学校の高学年のころ、テレビの番組でノストラダムスの予言を知り、1999年の7の月に世界が滅びるという話を真に受け、親友の中原瑞恵に引っ張られる形で世界を滅亡から救うために何をすべきかを考えることになり、中学に入ってクラスで疎外感を味わうと滅亡の情景を幻視し、親友の助けで疎外感から抜け出すと世界を救うために勉強に励み、進学校を受験して受かって国立大に進み、そこで世界救済委員会と名乗るサークルと出会い、世界救済員会によって予言に関する認識を正されたことで1999年に世界は滅びるという言わば盲信からは解放されるが、十代の重要な時期を言わば盲信によって過ごしたため、いきなり寿命を延長された世界にも自分にも対処できなくなり、どう生きるべきかを問いかけたところ、したいようにすればよいという答えを得て、以降、十代における空白を埋めるためにしたいように日々を送るが、やがてその生活は破綻を迎える。
凡庸で相対的な価値しか認められない人間が一種の狂信から必要に迫られて別種の狂信へと乗り換えていく背後ではベルリンの壁が崩壊し、バブル経済が破綻し、阪神大震災が起こり、どこからともなく新たな狂信が顔を出して地下鉄サリン事件を引き起こす。もはや電車に安心して乗ることはできなくなり、世界は混沌とし、足元は不確かで、心は安らぎから限りなく遠いところに置かれている。そしていたるところに悪がはびこるので、信仰は救済の手立てを失い、イエスはただの善いひととなり、神を認めるものはいなくなる。ここでひとはどう生きるのか、という根源的な問い掛けがおこなわれ、そこから始まる議論はプラトンの『国家』を思わせるが、そこにいるのは力を称揚するトラシュマコスだけであり、ダイモンの言葉に耳を傾けるソクラテスは登場しない。
よるべきものを得られない孤立した個人を現代世界から取り出して、その不安に満ちた心象を描き出した力作である。たくみな年代設定と、およそ20年にわたるタイムスパンを自在に扱う抑制されたテキストに感心した。孤独で荒んだ人間がそれぞれの内面を隠して機能的に配置され、その交わりが読者に十分すぎるほどの圧力を加えてくる。その有様は悲劇的で、ときには暴力的だが、幸いなことに作者はこの迷える魂に永劫を感じさせる力を与え、最後には安らぎへと導いていく。



Tetsuya Sato

2012年1月4日水曜日

黙示録の四騎士

黙示録の四騎士(1921)
Four Horsemen of Apocalypse
監督:レックス・イングラム

原作は『われらの海』などのヴィセンテ・ブラスコ・イバニェス。アルゼンチンの大地主マダリアガには二人の娘があり、そのうちの上の娘はフランス人の男を婿に取り、下の娘はドイツ人の男を婿に取っていた。下の娘とドイツ人との間にはドイツ人と同じような鉄縁の眼鏡をかけたこどもが三人もあったが、大地主はこの三人に愛情を抱くことができなかった。ところが上の娘とフランス人との間に男の孫が生まれると大地主はこれにフリオと名付けて愛情を注ぎ、やがてフリオが成長すると放蕩三昧を教え込む。次女とドイツ人と間にできたこどもたちもすくすくと成長していよいよ父親と見分けがつかなくなっていたが、その一家の不安と言えば財産を残らずフリオが受け継ぐのではないか、ということであった。噂によれば大地主はそのために遺言を書き換えようとしているという。だが実際にそうなる前に大地主の寿命は尽き、莫大な遺産は長女と次女で分かち合い、そうならなかったことでフリオはどうやら失望を味わう。
さて、次女を妻とするドイツ人カール・フォン・ハートロットは息子たちに正しい教育を受けさせるためにドイツへの移住を決意する。一方、長女を妻とするフランス人マルセル・デノワイエは妻からフランスへの移住を持ちかけられて、正体を明かさざるを得なくなる。デノワイエは社会主義者として手配されていたのであった。だが、それはそれとしてそれでもパリへ移り住むことになり、いったん移り住んでしまうともうどうでもよくなったのか、デノワイエはマルヌに城を買い、そこをいかがわしい骨董品の山で埋めていく。そしてその息子フリオは画家を自称してアトリエを持ち、裸婦ばかりを描いていたせいなのか、親からの資金援助を打ち切られる。そして金を無心しに実家を訪れたところで技師ロリエの妻マルガリータと出会い、二人は一瞬で恋に落ちる。実を言えば、マルガリータはすでにフリオの存在を知っていた。フリオはタンゴ・パレスのスター・ダンサーだったのであった。
そのタンゴ・パレスではフリオはマルガリータとしか踊らなくなり、当然ながらその有様は目撃されて、夫ロリエの知るところとなる。ロリエはフリオのアトリエに踏み込み、二人の密会の現場を押さえるとフリオに決闘を申し込む。だがそのとき第一次世界大戦が勃発し、ロリエは制服に身を包んで前線におもむき、マルガリータもまた看護婦に志願する。マルヌの城はドイツ軍に占領され、デノワイエの骨董品はドイツ兵に好きなように扱われ、出征した技師ロリエは目を負傷して戻り、病院でマルガリータの看護を受けるが、ロリエにはそれが妻だとはわからない。そしてそこへフリオが現われ、光を失った夫の前で二人は短い逢引をする。やがてそのフリオも出征して前線で敵の兵士と遭遇するが、それはドイツへ移住したいとこなのであった。驚いて見つめあう二人の真上で非情の砲弾が炸裂する。同じ頃、パリではマルガリータが夫を捨てて家を出ようとしていたが、そこへ戦死したばかりのフリオの亡霊がいさめに現われる。するとマルガリータは自らの軽率な行動を恥じ、夫への愛に生きることを誓うのであった。
というわけで新大陸から旧大陸へ移住した二組の一家は戦争によって財産を失い、こどもを失い、こんなことなら新大陸にいればよかったと嘆くのである。話の舞台はアルゼンチンからパリ、マルヌとダイナミックに移動し、不倫関係のメロドラマに歴史の荒波が覆いかぶさるというのはスケールの大きさと見なすべきであろう。いとこ同士が戦場で敵味方に別れて遭遇する、というパターンはこのあたりが走りなのかもしれないが、それはそれとして、これのどこが黙示録の四騎士なのかというと、フリオのアトリエの上の階に怪しいロシア人が住んでいて、デューラーの挿し絵が入った黙示録を自慢そうに取り出して説明するからなのである。以降、戦争の悲劇などが現われると四騎士が駆け抜けていく光景が象徴的に挿入される仕掛けになっていて、それ自体は視覚的に面白い見せ物になっている。とはいえ、そこに黙示録的な意味合いを見出すには見ているこちらが荒み過ぎていてちょっと難しい。
黙示録の四騎士 [VHS]

Tetsuya Sato

2012年1月3日火曜日

D.W.グリフィス『イントレランス』(1916)

イントレランス(1916)
Intolerance: Love's Struggle Throughout the Ages
監督・脚本:D.W.グリフィス


(現代編)改革主義者の婦人たちが資本家の姉に資金を求めると、姉は資本家に資金を求め、資本家は資金を充当するために工場労働者の給与を切り下げるので、ストライキが起こり、鎮圧のために軍隊が派遣され、工場の警備員も発砲する。すると工場で働く青年の父が死に、可愛い娘の父は職を失い、青年は悪の道に染まるものの可愛い娘の愛の力で立ち直り、二人は結婚するものの、青年は無実の罪で刑務所へ送られ、可愛い娘の息子は改革主義者たちに取り上げられ、そこへ町のボスが現われて息子を取り戻すための手伝いをしようと申し出るが、ボスは嫉妬を抱いて情婦に殺され、出所してきた青年は無実の罪で刑務所へ送られ、そこで死刑を待っていると、やがて真犯人の存在が明らかになり、死刑執行停止のために可愛い娘が飛び出していく。最後のこの追っかけがものすごい。
(近世フランス編)茶色い眼をした可愛い娘は青年と婚約を交わしていたが、二人はどちらもユグノーで、ユグノーに敵意を抱くカトリーヌ・ド・メディチはシャルル九世をそそのかして聖バルテルミーの虐殺を引き起こし、茶色い眼をした可愛い娘の家は傭兵どもの襲撃にあい、通行証を手にした青年は娘を助けるために飛び出していく。
(古代エルサレム編)パリサイ人が偽善者ぶりを発揮していると、そこへイエスが現われて奇跡を起こたりマグダラのマリアを救ったりするので処刑される。
(古代バビロン編)バビロンにやって来た山の娘がベルシャザールに一目ぼれするが、山の娘にはベル神を崇拝する青年が一目ぼれする。その頃、キュロスがペルシアの軍勢を率いてバビロンに迫り、バビロンは難攻不落ぶりを発揮してペルシア勢を退け、バビロンの民は勝利を祝って宴会を始め、バビロンのイシュタル信仰に異を唱えるベル神の神官はキュロスに意を通じてバビロン陥落を画策し、その事実を青年から聞かされた山の娘は事実を確認した上でベルシャザールに報告するが、そのときにはすでにペルシア勢が門からなだれ込んでいる。
超大作である。とりわけバビロン編では本物のバビロンにもなかったのではないかと思えるような巨大建造物が林立し、膨大な数のエキストラが登場する。迫るキュロス王の軍勢も半端ではないし、攻城戦になると当然のように攻城塔が登場するし、投石器や石弓も登場するし、なんだかよくわからない火炎放射器も登場する。そのバビロン編のどこか不寛容だったのか、これもいまひとつよくわからないし、そもそも『国民の創生』のような不寛容きわまりない映画を作った人物に他人の不寛容を云々する資格があるのかどうかも怪しいが、四つの異なるエピソードが同時進行する形で混在し、四つのクライマックスが同時に突っ走る緊張感は相当なもので、グリフィスの才能はまったく非凡なものであると感心させられる。とにかく、出てくる絵が圧倒的である。 
イントレランス クリティカル・エディション [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月2日月曜日

D.W.グリフィス『國民の創生』(1915)

國民の創生(1915)
The Birth of a Nation
監督:D.W.グリフィス


北部の急進的な政治家の息子フィル・ストーンマンは弟とともにサウスカロライナに住む親友ベン・キャメロンを訪ね、その妹フローラと恋に落ちる。そしてベン・キャメロンはフィル・ストーンマンの妹エルシーの写真を見て会いもしないうちから恋に落ちる。しかし間もなく南北戦争が勃発、両家の兄弟はそれぞれ北軍と南軍に志願し、それから二年半、ストーンマン家の次男はキャメロン家の三男と同じ戦場で戦死し、キャメロン家の次男がさらに戦死し、ベン・キャメロンは北軍の捕虜となる。戦闘で重傷を負ったベン・キャメロンは勤務する北軍の野戦病院に送られ、ここで看護婦として勤務するエルシー・ストーンマンと初めて出会う。ベン・キャメロンの母親が苦労して面会に訪れるが、いまだ病床にあるベン・キャメロンにはすでに死刑の宣告が下され、嘆く母親にエルシー・ストーンマンが手を差し伸べ、ふたりの女はリンカーン大統領に直訴して恩赦を勝ち取る。南北戦争の終結後、ベン・キャメロンは荒廃した自宅へ戻って家族と再会し、一方、急進的な政治家ストーンマンは南部の白人への弾圧をリンカーンに訴えるが、リンカーンは宥和政策を唱えて退ける。しかし1865年4月14日、世に言うところの運命の日にリンカーンは(精密に再現された)フォード劇場のボックス席でジョン・ウィルクス・ブースに暗殺され、そのあと、おそらくはなにかの手違いによって、政府の舵取りは急進的なストーンマンに任される。そのストーンマンの前には堕落した白人によって扇動され、浮かれて慣れない権力を手にした黒人サイラス・リンチが現われ、ストーンマンは南部における集票活動をこのサイラス・リンチに一任、自らもまた家族とともにサウスカロライナを訪れる。ベン・キャメロンはエルシー・キャメロンと再開し、二人の仲は発展するが、二人の逢引の光景を木陰から盗み見るのは邪悪な恋心を抱いた黒人サイラス・リンチなのであった。そのサイラス・リンチは黒人を政治勢力として結集し、民兵組織を使って白人の投票をさまたげ、自らはサウスカロライナの副知事となり、また同一党派の黒人多数を州議会に送り込むが、事態を看過し得ないとする南部の白人はついにクー・クラックス・クランを結成して黒人勢力に挑戦する。サイラス・リンチはスパイを放ってKKKの関係者を探し、キャメロン家の温厚な主人キャメロン博士が誤りによって逮捕されると、キャメロン一家は黒人従僕、黒人家政婦の協力を得て父親を奪還、北軍退役軍人の一家が暮らす大草原の小さな家に難を逃れるものの黒人民兵隊によって包囲される。エルシー・ストーンマンはサイラス・リンチに直訴して問題の解決を試みるが、サイラス・リンチはエルシー・ストーンマンに求婚し、激しい身振りをともなう激しい拒絶に出会って逆上、結婚を強行するためにエルシー・ストーンマンを監禁する。しかしエルシー・ストーンマンは窓ガラスを破って助けを求め、助けを求める声を聞いたクー・クラックス・クランの面々は白い衣に身を包み、馬を駆って町を襲撃、黒人民兵隊と戦闘になる。戦いはクー・クラックス・クランの勝利に終わり、エルシー・ストーンマンは救出され、邪悪な恋心を抱いた黒人サイラス・リンチは分相応の最期を遂げ、草原の小さな家で包囲を受けていたキャメロン一家もまたクー・クラックス・クランの活躍で救い出される。黒人は武装解除され、次の選挙では選挙権を事実上剥奪され、アーリア系は対立を忘れて再び手を取り合い、世界には平和が戻り、恋人たちは水平線にエルサレムを幻視する。
南北戦争のせいで苦労させられた南部人D・W・グリフィスによるサイレントの大作。映像はダイナミズムがあり、構図には工夫があり、いま見てもまったく古びていない。とはいえ、かなり政治的な問題(戦えクー・クラックス・クラン、強いぞクー・クラックス・クラン)を積極的に抱え込んだ結果、成功した『コルベルク』(1945年製作のドイツの戦意高揚映画)のようにしか見えない、という難点がある。
國民の創生 [DVD]

Tetsuya Sato

2012年1月1日日曜日

2011年の映画 ベスト10

  1. ランゴ
  2. 塔の上のラプンツェル
  3. タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密
  4. ハッピーフィート2 踊るペンギンレスキュー隊
  5. カーズ2
  6. ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル
  7. スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
  8. アンストッパブル
  9. 英国王のスピーチ
  10. ザ・タウン
『ランゴ』は壮絶な傑作ぶりで文句なしの1位にした。続いて残りを心のおもむくままに並べたところ、5位までがアニメーション作品で埋まることになり、これはさすがに我ながらかたよっていると思ったが、どういじってみても不思議なことに変わらない。
わたしは映画に対して物語を求めていないし、まして登場人物の成長も、共感も教訓も求めていない(小説についても同じだが)。それを体験することが快楽となるかどうかで作品の善し悪しを判断する。映画という表現形式で快楽を与える要素は錯綜している。まず絵があり、絵の動きがあり、絵を動かす語り口があり、語り口をつなぐ音がある。それらすべてを総合した結果としての心地よさが作品に対する評価となり、このとき絵を加工する自由度からすると実写作品はあきらかに分が悪いので、上記のような結果になるのだと思う。実写とアニメーションは分けたほうがいいのかもしれない。

かたよったせいで『ソーシャル・ネットーワーク』が入らない、という結果になった。フィンチャー作品には多少の疑問符をつけるという妙な習性があるような気もする。
『ピラニア3D』を入れたいような気もしたが、最終的には良識の声にしたがった。
『インシディアス』を見逃したし、『宇宙人ポール』をまだ見ていない、という点については反省している。

Tetsuya Sato