2013年7月31日水曜日

カーツーム

カーツーム
Khartoum
1966年 アメリカ・イギリス 134分
監督: ベイジル・ディアデン、エリオット・エリソフォン

19世紀末、ムハンマド・アリー朝エジプトのスーダンでアラブ人の反乱が起こり、エジプトがこの問題に対処できなかったため、エジプトに対して影響力を行使するイギリスはエジプトにスーダンの放棄を提案し、エジプトに義理立てする必要から、カーツームに駐屯するエジプト軍の撤退を支援するためにチャールズ・ゴードン将軍を送り込むが、ゴードン将軍がカーツームに到着したときにはマハディ率いる反乱軍がカーツームの包囲を進めていて、ゴードン将軍はマハディと直接交渉することで退路を確保しようと試みるが、救世主を自称するマハディはカーツームのエジプト人を全滅させることに神の意思を認めていて、神の道具であることを自認するゴードン将軍は自分以外にも神の道具がいることを知って衝撃を受けるとともにエジプト軍の撤退がきわめて困難であることを知り、篭城の準備を進めながらイギリス本国に軍事的支援を要請するが、グラッドストーン政権はゴードン将軍に状況をかき回されることを嫌って時間を稼ぎ、本国が状況を正しく認識していないと考えたゴードン将軍は交渉のために副官をイギリスに送り、軍部と世論を味方につけてどうにか支援を取りつけるが、派遣された部隊は政府の命令にしたがってエジプトで時間をつぶし、そうしているあいだにナイル川の水位が下がってゴードン将軍が作った掘も乾き始めるので、ゴードン将軍はヨーロッパ系市民を船で脱出させ、その船がいっこうに到着しないということに気がついたエジプトのイギリス軍は少々あわてて先発隊をナイルの上流に送り、イギリス軍の動きに気がついたマハディは大軍勢でカーツームに襲いかかる。
ゴードン将軍がチャールトン・ヘストン、マハディがローレンス・オリヴィエ。シネラマ(公開当時)の大作だが、ベイジル・ディアデンの演出は力に乏しく、せっかくお金をかけた戦闘シーンも迫力がない。チャールトン・ヘストンのゴードン将軍は非常にいいが、ローレンス・オリヴィエのマハディは演技プランに混乱が見える。凡庸な作品だが基本的な構成や脚本には問題がないと思うので、監督が違っていたら傑作になっていたかもしれない。エキゾチックな描写は豊富で、近代エジプト軍の各種装備などは面白い。


Tetsuya Sato

2013年7月30日火曜日

第九軍団のワシ

第九軍団のワシ
The Eagle
2011年 イギリス/アメリカ 114分
監督:ケヴィン・マクドナルド

二世紀初頭、カレドニア北部に侵入したローマ軍第九軍団5000人が軍団旗にあたる鷲とともに消息を絶ち、それから20年後、第九軍団の指揮官フラビウス・アクイラの息子マーカス・フラビウス・アクイラは志願して任地にブリテン島を選び、拠点の砦の指揮官に任命されて現地におもいたところ、ドルイド僧が率いる現地勢力の攻撃を受け、果敢に戦って負傷して名誉除隊となり、そのままブリテン島にとどまって静養を続けていると第九軍団の鷲をはるか北の土地の神殿で見かけた、という話を聞いて、父親の名誉を回復するためにブリテン人の奴隷エスカとともにハドリアヌス帝の城壁を越えて北へ進み、やがてアザラシ族の土地に達して、そこで鷲を目撃する。 
ローズマリ・サトクリフの原作は未読。ローマ人の話、というよりもアフガニスタンかアフリカのどこかで原住民に連隊旗を奪われて顔色を変えている英国の軍人の話のように見える。50年代ならば何かの間違いで美談でとおったかもしれないが、何も再解釈を入れずにこれをいま映画化する理由がわからない。エスカ役のジェイミー・ベルは非常にシャープな演技をしていて気に入った。主役のチャニング・テイタムは与えられたキャラクターがそもそも退屈なせいか、魅力がない。本腰を入れて再現されたローマ軍、ブリテン島原住民の様子はそうとうに迫力があり、特にローマ軍のプロップの作り込みには感心したが、映画の作りはただまじめだというだけで、演出に格別の才気は感じられない。一部の効果音と英語(ラテン語)以外の会話に妙なエコーがかかっていて、なにかしらの意味がもしかしたらあったのかもしれないが、わたしはいらいらしただけであった。 

Tetsuya Sato

2013年7月29日月曜日

252 生存者あり

252 生存者あり
2008年 日本 128分
監督:水田伸生

小笠原方面で発生した地震の直後、海底から大量のメタン・ハイドレードが排出されて海水温が上昇し、それが強力な台風を発生させ、東京は雹、高潮に襲われ、高潮のせいで湾岸部から新橋付近までが壊滅し、地下鉄新橋駅の地下に取り残された生存者は余震と出水の恐怖にさらされ、接近する台風のせいで救助も思うように進まないなか、台風の目をついて地表を爆破し、突入路を作って消防庁のレスキュー隊員が突入する。
突入から救出までの時間が18分と設定されている割には救出する側もされる側も妙にのんきなのが奇妙だし、超大型の台風と言っている割には台風の被害に関する描写がまったくないのも奇妙だし、被害現場は山ほどもあろうに消防庁のレスキュー隊員がほとんど一か所に集まっているように見えてならないのも奇妙と言えば奇妙だし、日本テレビが作った映画でフジテレビの本社ビルの崩壊風景がことさらに強調されるのは奇妙というよりもどうかという気もするのだが、内容に破綻はなく、例によって登場人物の説明的な掘り下げや情動に関する説明的な台詞がうるさいが、それなりのテンションも持続している。劇場映画の格はないが、TV映画としては水準であろう。伊藤英明(またかよ、という感じだが)の娘を演じた子役の大森絢音ちゃんの熱演ぶりは見ごたえがあった。 


Tetsuya Sato

2013年7月27日土曜日

終戦のエンペラー

終戦のエンペラー
Emperor
2013年 アメリカ/日本 105分
監督:ピーター・ウェーバー

太平洋戦争終結後、マッカーサーの幕僚の一人として日本を訪れたボナー・フェラーズ准将はマッカーサーの命令で戦犯のブラックリストの作成にあたり、リストにあがった人物を片端から逮捕していたが、このときリストからはずされていた天皇がアメリカ本国の意向でリストに入ることになり、天皇が逮捕されて裁判を受けることになった場合の日本国民の反応を案じたマッカーサーはボナー・フェラーズ准将に命じて天皇の戦争責任の調査にあたらせる。
現実のボナー・フェラーズはそうとうに多忙な思いをしたに違いないが、この映画に登場するボナー・フェラーズは戦争前に知り合った日本人女性の安否ばかりを気にしていて、気がつくと戦前の甘い回想にふけっているという有様で熱心に仕事をしている気配がない。
『ハンニバル・ライジング』の監督ピーター・ウェーバーは素材に格別の関心がなかったようで(あるいは結局のところこれが実力なのか)、構成は散漫で演出は力に乏しく、肝心の戦犯問題についてもまともに情報が入っていないし、表層にメッセージ性を浮かべることにでも気を取られていたのか、咀嚼をしようとした気配もない。主演のマシュー・フォックスは魅力を欠き、トミー・リー・ジョーンズのマッカーサーはマッカーサーの仮装をしているトミー・リー・ジョーンズにしか見えてこない。日本勢の俳優陣も総じて面白みがなくて、夏八木勲の関屋宮内次官くらいしか見どころがない。低予算でやりくりをして雰囲気を作り出そうとした努力はなんとなく認められるものの、映画としての仕上がりは感心できたものではない。 
Tetsuya Sato

トラ!トラ!トラ!

トラ!トラ!トラ!
Tora! Tora! Tora!
1970 アメリカ/日本 144分
監督:リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二

ゴードン・プランゲの研究書をネタ本にした戦争映画超大作。原寸で復元された戦艦長門のセットをはじめ、あらゆるところに金が使われている。言うまでもなく舞台は真珠湾で、製作そのものを日米両国で分担していて歴史的な態度はきわめて公平である。この種類の記録映画的色彩の強い戦争映画としては、おそらく最良の作品ではないかと思う。戦闘シーンも大迫力で、しかも絵に描いたような傑作場面が多数登場する。大量のカーチスP40が見事に地上で吹っ飛ばされるし、その吹っ飛ばされ方がいちいち芸が細かくて感心する。カタリナ飛行艇も吹っ飛ばされるが、この場面にはなんか愛情がこもっていて感動的。しかしなんといっても最大の見物は着陸脚を出せなくなったB17が日本軍の攻撃の中で強行着陸を敢行する場面であろう。ショットがばっちりと決まっていて、もう、涙ものの迫力なのである。 




Tetsuya Sato

2013年7月26日金曜日

インドへの道

インドへの道
A Passage to India
1984年 イギリス/アメリカ 163分
監督・脚本・編集:デヴィッド・リーン

英国人女性アデラ・ケステッドは将来義母となる可能性のあるモア夫人とともにインドに渡り、ボンベイから鉄道でチャンドラボアへ入ってモア夫人の息子で判事をしているロニーの出迎えを受け、地元の英国人サークルは早速モア夫人を囲い込みにかかるが、インド人に会いたいというモア夫人の希望を入れて地元の学校で教鞭を取るリチャード・フィールディングがインド人の医師アジズ、哲学者ゴドボルを招いてお茶会を開き、インド人の家を訪ねてみたいというモア夫人の希望に対して英国人を招くことができるような家ではないと考えたアジズはモア夫人とアデル・ケステッドをマラバー洞窟の探検に誘い、仲間の助けを得て準備を整えてモア夫人、アデル・ケステッドとともに登山鉄道に乗り込んでマラバー洞窟を目指し、ガイドを先頭に立てて洞窟へ入っていくとマラバー洞窟が作り出す奇怪な反響に取り乱したモア夫人はそこで探検をやめ、アデル・ケステッドとアジズがガイドの案内で山の上にある洞窟を目指すが、そこでアジズから離れたアデル・ケステッドはひとりで洞窟に入って、察するに暑熱に打たれたのであろう、半狂乱で山を駆け下りて町へ戻り、いぶかるアジズがモア夫人とともに町へ戻るとアジズは逮捕され、アデル・ケステッドを襲った罪によって起訴されるので、たちまちのうちに町は反英主義に染まって暴動の気配を帯び、アジズの無実を確信するリチャード・フィールディングは英国人サークルと決別し、裁判が始まると英国人の検事は偏見を隠しもしないでアジズの人格を攻撃し、カルカッタから現われた反英主義者の弁護士は検事と法廷を侮辱し、あられもない状況にたまりかねたモア夫人はインドを離れ、ついにアデル・ケステッドが証人台に立って真実を話し始めるが、察するに暑気あたりで頭が混乱していたということであろうが、自分は婚約者をまったく愛していなかった、という事実を認めて告訴を取り下げてしまうので、アジズは釈放され、英国人社会はアデル・ケステッドを見捨てる。
『ライアンの娘』のローズとは対照的に衝動を内向させたアデル・ケステッドがジュディ・デイヴィス、フィールディングがジェームズ・フォックス、怪しい賢者ゴドボルがアレック・ギネス。E・M・フォースターの原作は未読だが、ヒロインの人物造形からするとデヴィッド・リーンの手がかなり入っていると考えたほうがいいだろう。画面にはエキゾチックで、同時にステレオタイプでまとめられた「インド」が出現し、そこに英国風の植民地根性が醜悪さを帯びたステレオタイプで投げ込まれている。細部にわたる描写は実にカラフルで、情動にからむ表現はヒロインが抱える英国的抑圧を反映してか、痛々しい。ストーリーだけ拾い上げるとよくよく傍迷惑な内容だが、デヴィッド・リーンの緩急を心得た演出は3時間近い上映時間にまったくだれ場を与えていない。 


Tetsuya Sato

2013年7月25日木曜日

戦場にかける橋

戦場にかける橋
The Bridge on The River Kwai
1957年 アメリカ 155分
監督:デビッド・リーン

第二次大戦中のタイ・ビルマ国境。日本軍は連合軍捕虜に労役を課していわゆる泰緬鉄道の建設を進めていた。斉藤大佐が指揮する捕虜収容所には英国軍捕虜の一団が到着するが、ニコルソン大佐をはじめとする将校たちはジュネーブ協定を理由に労役を拒む。そこで斉藤大佐はニコルソン大佐を営倉にぶち込み、そうしている間に米軍将校シアーズ少佐は捕虜収容所から脱出を果たし、斉藤大佐は相手の粘りに負けてニコルソン大佐を釈放する。釈放されたニコルソン大佐はクワイ川への架橋建設で日本側に協力を申し入れ、日本側は技術将校の無能を認めて建設の主導権をニコルソン大佐に引き渡す。
一方、脱出したシアーズ少佐はインド駐留の英国軍に保護され、英国側は断れない理由をシアーズ少佐に突きつけて橋の爆破作戦に案内人として参加させる。タイ国内にパラシュートで降下したコマンド部隊は現代的な感覚ではおよそコマンド部隊とも思えないのんびりとした旅でビルマへ近づき、そのかん、さんざんに植民地の白人的な好色ぶりを発揮しながらクワイ川に近づいていく。クワイ川の橋は完成に近づき、英国軍捕虜たちは建設の喜びによって誇りを取り戻し、斉藤大佐はニコルソン大佐に敬意を払い、そのニコルソン大佐は自分たちの偉業を銘に刻んで嬉しそうに橋に打ち付けるが、その橋には払暁を前にすでにコマンド部隊が訪れて橋脚に爆薬をしかけて去っていた。導火線は川の水によって隠されるはずであったが、朝を迎えて川はいきなり水量を減らし、見えないはずの導火線は宙にさらされる。そしてその様子を見て怪しんだのは警備の日本兵(なぜか橋の内側を見てる)でも斉藤大佐(まるで役に立たない)でもなくニコルソン大佐で、目の前にある橋の建設に自分の存在理由をすっかり投げかけていて、利敵行為云々という文脈からまるで離れたところにいたニコルソン大佐はただただ奇怪に思う気持ちから、眉をひそめて導火線をたどっていく。その先には友軍の銃口があり、日本軍の汽車は橋に近づき、爆破の瞬間がいよいよ近づき、シアーズ少佐は叫びを放ち、で、狂気だ、狂気だ、という話になるのである。




Tetsuya Sato

2013年7月24日水曜日

CAT SHIT ONE THE ANIMATED SERIES

CAT SHIT ONE THE ANIMATED SERIES
2009年 日本 22分
監督:笹原和也

小林源文『CAT SHIT ONE』のパッキーとボタスキーが中東某所で民兵組織に誘拐された民間人を救出する、というフルCGアニメ。オリジナルのコミックに比べるとキャラクターが微妙に力んだ調子になっていて、そこが微妙に気になったものの(カタカナで読み上げているようなアラビア語を含め、ダイアログには改善の余地がある)、お尻の重そうなウサギさんが武器を抱えてもふもふと歩いたり走ったりする様子は非常によくできていて(ちょっぴりだけどしっぽも動くし)、モーション・キャプチャーからこのプロポーションに起こし直すのはけっこう大変だったのではないかと推察する。おそらくは予算面で相当に制約があったと想像しているが、その割には戦闘シーンなども迫力がある。 

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Tetsuya Sato

2013年7月23日火曜日

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
2009年 日本 101分
監督:佐藤祐市

いじめにあって高校を中退し、八年間引きこもっていた若者が小さな向上心を頼りに小さなソフトウェア開発会社にプログラマーとして就職するが、そこは社長はいないも同然、リーダーは暴君、残りのメンバーも社会人として問題があり、そのようなストレスの高い環境で残業前提の短納期の開発ばかりを請け負うものだから相当に苦しい思いをすることになるが、生きることとはそういうことだと考えてまだ頑張ろうと決意する。
体力勝負で挑んで根性だけで状況を肯定されては困るような気もするのだが、このあたりの作りは『電車男』と同じであろう。嘘でもいいから、結論として社会化しなければならないのである。経験を踏まえて言うと、その社会化しているふりの部分がこの社会のいちばんの問題点であるような気がしてならないのだが、それはそれとして、映画について言えば序盤の音楽の使い方に少しく首をひねったものの、語りを一人称にまとめたことで説明過剰も適当に回避されているし、おおむねテンションが持続して鑑賞に耐える仕上がりになっている。ただ、背中を向けてから立ちどまって振り返るというあの演出、そろそろやめようと考えるひとはいないのか?



Tetsuya Sato

2013年7月22日月曜日

ヘンゼル&グレーテル

ヘンゼル&グレーテル
Hansel & Gretel: Witch Hunters
2013年 ドイツ/アメリカ 88分
監督:トミー・ウィルコラ

ヘンゼルとグレーテルは父親に森に捨てられてさまよった末にお菓子の家にたどり着いて、そこで魔女につかまってヘンゼルが食べられそうになったところでグレーテルが反撃を加え、兄と妹で魔女を倒すと家には帰らずにそのまま魔女ハンターになってあちらこちらの魔女を片端から倒して有名になり、そうしているとアウグスブルクで子供が次々と魔女にさらわれるという事件が起こり、市長に雇われたヘンゼルとグレーテルが解決のために乗り出していって、そこへ白い魔女が加わり、トロールのエドワードも加わり、最後はサバトに集まった魔女を大虐殺。
ヘンゼルがジェレミー・レナー、グレーテルがジェマ・アータートン、悪い魔女の頭目がファムケ・ヤンセン、アウグスブルクの保安官がピーター・ストーメア。
ヘンゼルは魔女にお菓子を大量に食べさせられたせいで糖尿病で、だからアラーム付きの腕時計を持っていて、定期的にどうやらインスリンの注射をしているようだし、アウグスブルクの町ではさらわれた子供たちの似顔絵が牛乳瓶のボトルに貼ってあるし、という具合に妙なアイデアがいろいろと盛り込まれていて、ヘンゼルとグレーテルの魔女狩り装備も左右にも同時に発射できる連射式のボウガン、銃身折り畳み式のショットガン、ガトリングガンと珍装備が満載で、とにかく細部が面白い。
語り口もおおむねにおいて好調で、オープニングはなかなかの傑作ぶりだし、余計なことはしないでてきぱきと話を進めていく。アクションシーンの演出がやや単調だが、ジェレミー・レナーがうまく使われていて、ジェマ・アータートンも魅力的で、ファムケ・ヤンセンがなんだかとても楽しそう、ということになると悪いところもそれほど気にならない。 


Tetsuya Sato

2013年7月20日土曜日

風立ちぬ

風立ちぬ
2013年 日本 116分
監督・脚本:宮崎駿

堀越二郎の少年時代から飛行機の設計技師になることを目指して東京へ出て、そこで関東大震災を経験し、三菱に入社して陸軍向けの試作機の失敗に立ち会い、ユンカースG38の技術導入のためにドイツへおもむき、帰国して海軍機の設計主任となって九試単座戦闘機の設計にあたるまで。
堀越二郎という一人のテクノクラートの視野に幻視と夢想を織り込みながら1920年代から30年代、最終的には敗戦を迎えるまでの歴史的なパースを大胆に象徴化するという手法が採用され、そこから立ち上がる暗雲は地獄のように重くて笑えない悲劇に満たされている。宮崎駿の語り口は自在で、空は果てしなく雄弁で風は確実に個性を抱き、風景はどこまでも美しく、そしてまがまがしい。我々はおそらく宮崎駿という傑出した作家による表現の集大成をここで見たことになるのだろう。複雑な構成は生半可な感想文でどうにかなるようなものではない。だからここでは、すごいものを見せられた、という感想にとどめておく。
冒頭、堀越二郎の夢のなかで飛ぶ飛行機が美しいし、20年代から30年代にかけて型式を変えながら走り続ける蒸気機関車が美しいし、飛行するユンカースG38の翼のなかを見ることができるし、カプロニC.60の無残な失敗を見ることもできるし、九二式重爆撃機の飛行、鳳翔とおぼしき空母の着艦、離艦のプロセスを見ることもできる。市電やバスまでが美しくて、動くものへの尽きせぬ愛着があふれていて、それだけでもとにかくおなかいっぱいになる。 
Tetsuya Sato

SR サイタマノラッパー

SR サイタマノラッパー
2008年 日本 80分
監督:入江悠

埼玉県深谷市?(劇中ではフクヤ市)に住む無職の若者が五人の仲間とともにヒップホップのグループ"SHO-GUNG"を結成してライブをしようと計画するが、仲間のうちの三人は乗り気ではないし、そもそも協力しようという気配も希薄だし、残る二人もバイトに忙しい様子だし、当の本人も新聞を切り抜いてライムのネタにしようとしても、いまひとつ心に迫るものがないという状態で、意気込みばかりが空転しているうちに仲間はばらばらになり、グループは空中分解するが、それでもあきらめないという気持ちをライムの乗せてラップをする。
決定的な問題として、音楽を題材に扱っている割には音声トラックの水準が低い。あきらかに一部の音声は同録したままで、ポストプロダクションを経た痕跡がない。背景が田舎であることがモチーフになっていたとすると、そのモチーフは明確に機能していないし、主人公の疎外感とも連結していない。状況に対して余計な人物が目立ち、状況を経過させるパフォーマンスを低下させている。題材自体は興味深いが、脚本の消化が悪いし、全体として見ると要領が悪い。頻繁に使われるフェイドアウトはテンポに対して配慮が乏しい証拠であろう。ラップ自体はそれなりに面白くできていると思う。 


Tetsuya Sato

2013年7月19日金曜日

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ
2012年 日本 103分
監督:吉田大

バレー部の桐島がいきなり部活をやめて登校もしなくなり、なにも知らされていなかった友人、バレー部員、ガールフレンドは状況に置き去りにされて校内に桐島の影を求め、一方、剣道部の部室に居候している映画部は顧問教師の脚本を拒否して独自に映画の撮影を開始し、校内でロケをしていると映画の撮影をまったくの遊びだと解する桐島の友人、バレー部員などから軽く扱われる。
原作は未読。監督は『クヒオ大佐』の吉田大八。視点を女子グループ、片思いをしている管弦部の少女、映画部などに移し変えながら同じ時間軸の再話を繰り返すという形式で、金曜日から翌週の火曜日までの五日間の出来事を描いている。
演技やダイアログはおおむねにおいて自然で、日本映画にしばしば登場するばかげた「心理描写」は排除することで一定のリアリティを与えることに成功しているが、視点の変更による再話が面白いかというとそうでもなくて、高校生のだらだらとした日常と会話を繰り返して見せられるだけで、同意できる視点を見つけられない観客にとってはただ単に退屈なしろものになっている。構成するという構想だけがあって、それをどう映画的に処理するかという取り組みがすっぽり抜けているように感じられた。いっそスプリットスクリーンにして同時進行する形にでもなっていれば上映時間も節約できたし、もう少し興味深い仕上がりになっていたのではあるまいか。全体に考えが足りていないという印象があって、そういう点では悪い意味での高校生の自主制作映画になんとなく似ているような気もするが、まさかそういう狙いで作ったわけでもないだろう。ちなみに終盤、映画部の前田くんの脳内に飛来するゾンビ襲撃シーンも唐突なだけで生きていない。

Tetsuya Sato

2013年7月18日木曜日

96時間 リベンジ

96時間 リベンジ
Taken 2
2012年  フランス 91分
監督:オリヴィエ・メガトン

ブライアン・ミルズの行動によってアルバニア山中某所では多くの者が父を失い、あるいは子を失うことになったので、アルバニア山中某所を根城とするひとびとはブライアン・ミルズに復讐を近い、イスタンブールに現われたブライアン・ミルズとその元妻、娘に襲撃をかけてブライアン・ミルズと元妻を拉致監禁し、拘束されたブライアン・ミルズは襲撃を逃れた娘を遠隔操作して武器を手に入れると自分を捕らえた一味を殺害、まず娘をアメリカ大使館に避難させ、一味の手中に残された元妻を救うためにイスタンブールの町を走る。
一作目に引き続きブライアン・ミルズがリーアム・ニーソン、元妻レノーアがファムケ・ヤンセン、娘がマギー・グレイス。アルバニア人の側に動機付けが加わった結果、一作目にあった直線的な構造は失われ、その結果、娘をさらわれてぶちきれた父親が手段を選ばずに突進するという勢いも失われた。アクション映画としての水準はクリアしているが、あの傑作の続編ということになると、どうにも分が悪い。
どうせならナンセンス路線で一歩進めて、夫や息子を殺されたアルバニアの女たちが号泣しながら石を握って、どこまでもどこまでもわらわらと追いかけてくる、というような作りにして、それがまるでエリニュスのように恐ろしい、というところまでやれば面白かったのではないか、という気がしたが、つまり見ているあいだにそういうことを考え始める程度にテンションは低い。

Tetsuya Sato

2013年7月17日水曜日

96時間

96時間
Taken
2008年  フランス 93分
監督:ピエール・モレル

CIAの工作員であったブライアン・ミルズは仕事で家庭を崩壊させたことを反省し、金持ちと再婚した妻と娘の近くに住んで娘の幸福を見守っている。ところが17歳の誕生日のあと、娘が友達と一緒にパリへ旅立ち、着いたその日に何者かに拉致されるので、いまにもさらわれそうな状況にある娘から得た情報と同じ電話から聞こえた犯人の声からすばやく一味を特定し、元妻の金持ちの再婚相手のプライベート・ジェットに乗り込んでパリへ飛び、娘を取り戻すためにまったく手段を選ばずに活動を始める。元工作員の技能を生かして情報を集め、敵を見つければ殴る、蹴るはあたりまえ、銃器で武装した群がる敵とほとんど徒手空拳で戦ってことごとくに勝ち、捕まえた敵には拷問を加えて情報を吐かせ、ついに人身売買組織の本陣を突き止めてそこでも死体の山を築き、もちろん、その合間にはフランス官憲ともタイマンを張るのである。
このナンセンスなほど無敵の父親もリーアム・ニーソンが人生の影を背負って重々しく演じることでリアルに見えてくるから恐ろしい。冒頭で手際よく人物の関係と性格を説明し、それが終わると状況を即座に切り替えて、そこから先はアクション・シーンの連続になるといういたってシンプルな構成だが、主人公が活動を始めてからのテンションの高さが半端ではない。アクション自体に格別の派手さはないものの、演出と編集がうまいのでどれもスリリングな場面に仕上がっている。適当に味付けを変えて単調にならないように考えているところも好ましい。ファムケ・ヤンセンもきれいに撮れてるし、アクション映画を作るという目的に対してまったくぶれのない点で、これは傑作なのである。 

Tetsuya Sato

2013年7月16日火曜日

トリプルX・ネクストレベル

トリプルX・ネクストレベル
xXx: State of the Union
2005年 アメリカ 101分
監督:リー・タマホリ

NSAの支部が襲撃を受けるので、オーガスタス・ギボンズ大佐は刑務所で服役中の海軍大尉ダリウス・ストーンを新たなトリプルXに任命すると、そこから先はもうほとんど脈絡なしにアクションの連続になる。
悪役は鳩派の大統領を亡き者にしようとたくらむ国防長官ウィレム・デフォー。話はアメリカ国内でのみ進行し、それでは別にトリプルXでなくてもよいのではないか、という気がしないでもなかったが、テンポは速いし元気もよいので、だったら別にいいじゃないか、というのが素朴な感想である。
アイス・キューブのトリプルXはヴィン・ディーゼルに比べるとちょっと上品になりすぎているかもしれないし(やらしいことは一度もしない)、一作目にあったような破格のスタントはここではほとんど見受けられない。代わりにカスタムメイドの特殊部隊や秘密兵器が登場し、二重砲塔戦車M5などといういかがわしい代物が空母インディペンデンス上を走り回り、APCをカタパルトで射出して戦車をやっつけるといった具合にギミックとそこから派生したアイデアがなかなかに楽しめるものになっている。それにしてもいまどきは軍隊が反乱を起こしたりすると、自由を守るために立ち上がるのはラッパーの自動車泥棒なんだねえ。悪い戦車が目の前に現われると瞬時にジャッキアップして行動を奪い、ハッチを破壊し、乗員をホールドアップして盗んでいた。





Tetsuya Sato

2013年7月15日月曜日

トリプルX

トリプルX
xXx
2002年 アメリカ 123分
監督:ロブ・コーエン

『ワイルドスピード』の監督、主演コンビによるスパイ・アクション。騒々しさからすると『スパイキッズ』のチンピラ版といったところになるのであろうか。
アメリカの国家安全保障局が西海岸の筋肉付きチンピラをプラハに派遣する。敵の組織がパンクな傾向へ走っていって髭を剃らなくなってしまったために、タキシードを着たスパイでは太刀打ちできなくなったからである。チンピラにはチンピラを、ということでチンピラをぶつけてみると、敵のほうのチンピラはディスコの奥でウォッカをぐびぐびやっている割にはやっていることが007で、プラハの郊外に秘密基地を持っていて、科学者を使って世界滅亡の大陰謀を企んでいたりする。
で、派手にスタント・アクションが展開するという趣向である。子犬の目をした筋肉男ヴィン・ディーゼルはそれなりに魅力があるし、バイクやスノーボードのスタントは掛け値なしにすごいと思う。とはいえ、それ以上の内容はあまりないし、おばかに徹しているというわけでもない。冒頭の選抜テストの場面で見せたテンポがそのまま後半にも持続していったらすごいかな、と期待したけれど、やっぱりそういうことはなかったのである。あと、少々音がうるさい。 


Tetsuya Sato

2013年7月14日日曜日

ワイルドスピード EURO MISSION

ワイルドスピード EURO MISSION
Fast & Furious 6
2013年 アメリカ 130分
監督:ジャスティン・リン

売れば数十億ドルになる秘密兵器を開発するために何者かがヨーロッパ各地で暴れて部品を集めているということでFBIのホブス捜査官は手段を選ばずに犯人の特定を急いでオーウェン・ショウというイギリス人の名前をつかみ、ショウの一味にシリーズ四作目で死んだはずのレティが加わっていることに気がつくとカナリア諸島に潜伏中のドミニク・トレットを訪ねて協力を求め、レティの問題となると捨ててはおけないドミニク・トレットは各地に散った仲間をイギリスに集め、オーウェン・ショウが警官隊の包囲を突破して道をふさぐパトカーの群れを特殊車両で跳ね飛ばしながらロンドンの町を突進するとドミニク・トレットとその仲間が出動してあとを追いかけ、ドミニク・トレットはショウの一味にレティの存在を認め、そのレティはドミニク・トレットに向かって発砲し、オーウェン・ショウとその一味がドミニク・トレットと仲間の追跡をかわすとドミニク・トレットは肩に命中したレティの弾やショウが使った改造車からショウの一味の痕跡を探り、そうしているあいだにショウの一味はスペインのNATO軍基地に現われて秘密兵器の最後の部品を奪おうとたくらむのでショウのたくらみを察知したホブス捜査官は秘密兵器の部品を護送に出し、ショウの一味が護送のコンボイに襲いかかるのでドミニク・トレットと仲間が反撃に出る。
このあとのチーフテンみたいな戦車が高速走行しながら乱暴狼藉の限りを尽くし、離陸しようとするAN-124の巨体を取り囲んでワイヤーアクションがらみのややこしいカーチェイスが登場し、どちらもものすごい見せ場になっている。序盤のロンドンにおける追撃戦も非常に手間のかかった場面になっているし、ストリートレースのシーンもあって、これはもう当然のように車両の通行止めがない。ちなみにこのストリートレースのシーンでレティが乗るのがニトロ装備のインターセプターで、走りっぷりは涙ものの仕上がりであった。
ヴィン・ディーゼルがまた老けてきているのが少し気になったが、ドウェイン・ジョンソンとタグを組んでプロレスばりの肉弾戦に挑むところは素朴に楽しいし、ミシェル・ロドリゲスとジーナ・カラーノも二度にわたって対戦して壮絶な場面を作っている。プロットはいたってシンプルだが登場人物のキャラクターをよく引き出しているし、ほぼ全編が破格のアクションのつるべ打ちでだれ場がない。

Tetsuya Sato

2013年7月13日土曜日

ワイルドスピード MEGA MAX

ワイルドスピード MEGA MAX
Fast Five
2011年 アメリカ 130分
監督:ジャスティン・リン

ドミニク・トレットは仮釈放なしの懲役25年を宣告され、重警備の刑務所へ送られる途中で仲間の助けによって脱獄を果たし、ブラジルへ逃れると資金を得るために自動車泥棒に加担するが、この一件にはリオの裏社会の顔役レイエスがからみ、ドミニク・トレットは盗み出した車からレイエスの資金の流れを知るとレイエスの資金を残らず奪って自由へのパスポートを得ようとたくらんでアメリカから仲間を呼び集めて計画を練り、そのドミニク・トレットを追ってアメリカからルーク・ホッブス捜査官が現われ、ドミニク・トレットとその仲間、レイエスの一味、ホッブス捜査官が率いる完全武装の捜査チームが三つ巴となってファヴェーラで戦い、ドミニク・トレットのたくらみを知ったレイエスは自分の資金を残らず警察の金庫に隠すので、ドミニク・トレットは警察襲撃に計画を変え、いよいよ実行というところへホッブス捜査官が踏み込んできてドミニク・トレットと一味を捕え、一味を護送するホッブス捜査官の車列にレイエスの一味が襲いかかり、危ういところでドミニク・トレットとその仲間が反撃に加わってレイエスの一味を撃退し、部下を失ったホッブス捜査官は悪の張本人がレイエスであることを知り、ドミニク・トレットとともに警察を襲撃する。
まず序盤、チューンナップされたスポーツカーの群れが護送バスを襲撃する場面がなかなかにすごい。話がブラジルに移るとすぐに自動車泥棒の話になるが、盗み出す自動車は荒野を疾走する列車のなかに収まっていて、そこへバギータイプのトラックを横付けして手早く盗み出す描写が実に冴えている。テンポの速さと盛りだくさんの内容に感心した。ファヴェーラを背景に派手に追撃戦があり、いちおうそういうシリーズなのでストリートレースもちゃんとやり、クライマックス、警察署から10トンの金庫をそのまま盗み出して、公道を高速で疾走しながら追跡する警察車両を金庫を武器に撃退する。特にこの最後のカーチェイスシーンは非常に手間のかかったもので、迫力、スピード感、自信にあふれている。
ヴィン・ディーゼルは少し歳を取ったように見えるが、とりあえず主役の存在感を示し、ホッブス捜査官の役で出てくるドウェイン・ジョンソンが、言ってしまえばいつものドウェイン・ジョンソンということになるが、これも精悍な感じで悪くない。
Tetsuya Sato

2013年7月12日金曜日

ワイルドスピード MAX

ワイルドスピード MAX
Fast & Furious
2009年 アメリカ 107分
監督:ジャスティン・リン

中米で逃走生活を送っていたドミニク・トレットは妹のミアからの連絡で恋人のレティが殺されたことを知ってロサンゼルスへ戻り、レティが殺された現場に立ってタイヤ痕などから犯人が使った車が改造車であることを突き止め、改造車の特徴から売り主にあたりをつけて売り主を締め上げて関係者の名前を白状させると今度は関係者の家を訪ねて締め上げにかかり、そこへ二作目の結末で前科を帳消しにされていまはFBIの捜査官となっているブライアン・オコナーが別件で現われ、ドミニク・トレットが追う相手とブライアン・オコナーが追う相手がほぼ近接していることがわかり、一連の事件にはメキシコから持ち込まれる麻薬がからんでいて、麻薬組織が運び屋を選ぶためにストリートレースをしていることもわかり、ドミニク・トレットとブライアン・オコナーは一作目の不信感を引きずったままそれぞれストリートレースに参加して運び屋に選ばれ、メキシコへ運ばれると麻薬を積んだ改造車で国境を越え、そこでドミニク・トレットはレティ殺害の犯人に迫り、爆発があって銃撃があって組織の麻薬を手中にしたドミニク・トレットとブライアン・オコナーはそれをネタに組織のボスを引っ張り出して事件を解決しようともくろむが、相手のほうが一枚上であった、ということになるのか、麻薬組織の一味はメキシコへ逃走してしまうので、ドミニク・トレットとブライアン・オコナーは一作目の不信感を振り切ると一味を追ってメキシコへ走る。
冒頭、四重連くらいのタンカーを襲撃する場面があって、これはかなりすごい仕上がりになっている。中盤の通行止めなしでおこなわれるストリートレースのシーンもなかなかの迫力があるし、メキシコからアメリカへ抜ける坑道を高速で突っ走るという凝ったシーンもあって、とにかく手間のかかった見せ場を用意して車と車の走りを見せることにはたいへんな力を入れていることがわかるが、無用な対立を含むプロットはだるい。

Tetsuya Sato

2013年7月11日木曜日

ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT

ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
The Fast and the Furious: Tokyo Drift
2006年 アメリカ 104分
監督:ジャスティン・リン

アメリカの高校生が危険運転と器物破損で国にいられなくなり、父親のいる東京へやってきて詰襟の制服で都立高校へ通い始めるが、立体駐車場で繰り広げられるドリフトレースに首を突っ込み、抜けられなくなってドリフトを習得すると最後にドリフトキングと対決する。
まずレースありきの世界なので何事につけてもレースで勝負だという展開は非常にわかりやすい。九十九折の山道で展開するドリフトレース、渋谷や新宿を背景にした追跡場面などは迫力があり、豊富に登場するドリフトカーも個性があって面白い。レースを除けばたいして中身のない映画だが、とにかく車の走りがあって、そこに好ましい勢いがあって見世物として充実している点は評価すべきであろう。口を開けて、なんとなく見てしまうのである。ヴィン・ディーゼルのカメオ出演がちょっとうれしい。

Tetsuya Sato

2013年7月10日水曜日

ワイルドスピード X2

ワイルドスピード X2
2 Fast 2 Furious
2003年 アメリカ 108分
監督:ジョン・シングルトン

前作の結末で犯人の逃亡を幇助したブライアン・オコナーはマイアミに逃れてストリートレースで稼いでいたが、警察に逮捕されて捜査協力を強要され、潜入捜査官モニカ・フェンデスの手引きで麻薬組織を率いるカーター・ベローンに雇われ、旧友のローマン・ピアースを相棒に引き入れると危険の気配を感じながら税関とFBIに情報を流し、いよいよカーター・ベローンが動き始めるとブライアン・オコナーの車には麻薬の売上金が積み込まれ、賄賂と脅迫に屈していた地元の警察が良心に目覚めてマイアミの町を走るブライアン・オコナーの車を追う。
一作目よりも乗りが軽くなり、アクションは派手になり、まとまりもよくなっている。ストリートレースのシーンは迫力があるが、一作目と同様にCGがちょっと邪魔。警察が自動車用のスタンガンのようなもの(電磁波で攻撃するらしい)を持ち出すけれど、あれは実在するのであろうか。技術的に無理っぽいような気もするが、描写は説得力があった。


Tetsuya Sato

2013年7月9日火曜日

ワイルドスピード

ワイルドスピード
The Fast and the Furious
2001年 アメリカ 106分
監督:ロブ・コーエン

白人、黒人、中国人の3つのグループが公道でレースをやっていると、白人の若い男が現れて白人のチームに潜り込む。リーダーの妹はちょっとした美人で、この若い男といい関係になっていくが、男は実は潜入捜査官だったので面倒なことになる。
リーダーのドミニク・トレットがヴィン・ディーゼル、潜入捜査官のブライアン・オコナーがポール・ウォーカー。州警察とFBIは最近頻発しているトラックジャック事件が3つのグループのうちのどれかの仕業であると睨んでいた、という設定はもしかしたら余計だったのかもしれない。実際、機能していたようには見えなかった。主眼は改造日本車がニトロ噴射剤きめきめで吹っ飛ばすシーンをいかに見せるかというところにあったようで、これはそれなりに見る価値はあったと思う。それにしても皆さん、やっていることの割に地に足がついていて、生活が楽しくなさそうであった。もう少しいかれていてもよさそうな気がした。

Tetsuya Sato

2013年7月8日月曜日

モンスターVSエイリアン

モンスターVSエイリアン
Monsters vs Aliens
2009年 アメリカ 94分
監督:ロブ・レターマン、コンラッド・ヴァーノン

結婚を控えたスーザンは宇宙から飛来した隕石の直撃を受けて身長50フィートの『妖怪巨大女』に変身したため、結婚式はキャンセルされ、その名前を言うだけで国家反逆罪に問われるという極秘の基地に監禁されるが、その基地ではスーザンのほかにも覚えのあるモンスターがいて、外界から隔離されて空しく日々を送っている。ところがこのとき宇宙から怪ロボットが出現し、人類側の攻撃はことごとくが失敗に終わるので、怪しいものには怪しいもので、ということなのか、秘密基地のモンスターたちが解放を条件に動員されてロボットと戦うことになり、なんとなく勝利をおさめたモンスターたちは解放されてスーザンの実家を訪れる。しかしパーティは失敗に終わり、スーザンの婚約者は婚約を破棄し、行き場を失ったスーザンは突如として出現したエイリアンの宇宙船にトラクタービームで吸い込まれ、スーザンをさらった悪のエイリアン、ギャラクサーは人類の奴隷化を宣言するので、モンスターたちはスーザンを救い出すためにエイリアンの宇宙船に乗り込んでいく。
開巻、お月さまに腰かけているドリームワークスのあの男の子が『あの円盤』にさらわれたところで、この映画の評価は決まっていたような気がする。つまり趣味的なところでおなかがとてもいっぱいになる映画なのである。50年代B級SF映画に偏った引用がとにかく楽しいし、モンスターたちが実に愛らしい(特にむなしい目をしたムシザウルス)。もちろん、原典を知らなければ楽しめないようなひとりよがりには陥っていない。



Tetsuya Sato

2013年7月7日日曜日

モンスターズ・ユニバーシティ

モンスターズ・ユニバーシティ
Monsters University
2013年 アメリカ 110分
監督:ダン・スキャンロン

学校で仲間はずれにされていたマイク・ワゾウスキはモンスターズ・インクを見学したことで怖がらせ屋になる夢を抱き、やがて成長すると夢を実現するためにモンスターズ・ユニバーシティに入学して勉強に励むが、怖がらせることにそもそも向いていないということを学長に指摘され、同じく新入生で怖がらせ屋の名門の出身であるジェームズ・P・サリバンが言わば才能を鼻にかけてマイク・ワゾウスキにからむので、マイク・ワゾウスキとジェームズ・P・サリバンはつまらないことから学長が見ている前で事故を起こしてともに怖がらせ学部から追い出され、学部への復帰を望むマイク・ワゾウスキは学内の怖がらせ大会への出場を決め、ただしそのためにはソサエティに参加する必要があったのではみ出し者ばかりのカッパ・クラブに入り、カッパ・クラブの人数が足りないせいで怖がらせ大会にエントリーできずにいるとジェームズ・P・サリバンがそこに加わり、マイク・ワゾウスキとジェームズ・P・サリバンはいがみ合いながら友情をはぐくみ、怖がらせ大会を勝ち抜いていく。
マイク・ワゾウスキが率いるカッパ・クラブに対抗するのがエリートばかりのオメガ・クラブで、つまりよくある大学ソサエティ対抗ものの定式を素直になぞりながら、それなりのアイデアを盛り込んでかっちりとまとめている。美術は例によって非常に精緻だし、アニメーションは美しいし、キャラクターはよく造形されているし、周辺人物のコミカルな挙動は素朴に楽しいし(特にスコットのママが素敵)、マイク・ワゾウスキが紛れ込む人間世界のキャビンで暗闇を割って現われる子供たちはなにやら恐ろしい(ちょっと『ハッピーフィート』を思い出した)。
ということで単体で見れば水準以上の作品に仕上がっているが、ディズニーのキャラクター・マーチャンダイジングの枠のなかにおとなしく収まっているように見える。残念ながらアニメーションがもたらす驚きはない。

Tetsuya Sato

2013年7月6日土曜日

モンスターズ・インク

モンスターズ・インク
Monsters, Inc.
アメリカ 2001年 92分
監督:ピーター・ドクター、デビッド・シルバーマン

クロゼットのドアの隙間から夜中に出現する化け物は、そもそもいかなる用向きを携えているのか。もちろん子供を怖がらせるためではあろうが、ただ怖がらせていればよいほど暇なのか。たぶんそんなことはないだろう、というのがどうやらこの映画の出発点で、そしてその理由が発見された瞬間に、子供を怖がらせる行為が化け物の側のノルマに転じるという発想がなかなかに恐ろしい。怪物たちは子供から悲鳴を盗んで、それをエネルギー源に使っていたのである。ノルマを果たせないと電力供給がストップしてしまうのである。ところが最近の子供たちはあまり怖がらなくなっていて、だから怪物たちの方でもちょっぴり強硬な手段を考え始めたりしているのである。そんな怪物の世界へ人間の子供が紛れ込んできて、本当は子供が怖くて仕方ない怪物たちはたいそう恐ろしい思いをすることになる。この、ほとんど乳幼児という感じの女の子がちょっとすごい。まず人語を喋らないし、直感と感触を頼りにしているので怪物を全然怖がらない。毛むくじゃらの怪物は毛むくじゃらだからニャンコなのである。ニャンコ呼ばわりされた怪物の方でも、女の子がぺたぺたとなついてくるからなんとなく情が移っていく。名前を付けるのは危険なのだ。最初はとにかく片づけることしか考えていないけど、そのうちに保護者としての強い責任を感じ始めるようになり、最後には悪と戦ってしまう。
いや、実に立派に責任をまっとうしていました。
CGは感動物。噂には聞いていたけど、あの毛並みの処理はものすごい。なんとなく油染みた感じがするし、逆毛も立つし、粉雪がくっつくとそれはもうたいへんな状態になるのである。それに色調や構図のデザインなどにも心強い安定感が現われていて、画面が実に見やすくなっている。ほとんど天空を満たさんばかりになって行き交うクロゼットのドアの大洪水もビジュアル・イメージとしてものすごい。それにしてレストラン「ハリーハウゼン」が寿司屋だったとは。 

Tetsuya Sato

2013年7月5日金曜日

ソラリス

ソラリス
Solaris
2002年  アメリカ 99分
監督・脚本:スティーヴン・ソダーバーグ

クリスとレイアは列車の中で出会って恋に落ち、やがて結婚してともに暮らすようになる。二人は理想のカップルであったが、幸福の日々はそう長くは続かない。レイアは情緒が不安定で世界を拒絶する傾向があり、やがてクリスの前でも心を閉ざすようになる。クリスはレイアの心を開こうと努めるものの、そのレイアが二人の間の子供を独断で中絶していたことを知って激昂し、必死で引き止めるレイアを残して遂に家を出てしまう。しばらくしてから思い直して帰宅すると、レイアはすでに自らの命を絶っていた。クリスは心に傷を負い、それからいくらかの時が過ぎた。クリスの前に死んだ妻と同じ姿の女が現われてレイアと名乗る。不思議なことに妻の記憶までも備えている。クリスはこれを贖罪の機会であると考え、新しいレイアに愛を注ぐ。だがクリスの前に現われたのは、本物のレイアではなかった。だから女はクリスを詰り、あなたは自分の記憶を愛しているだけだ、と告げて悲しみのうちに立ち去っていく。そして残されたクリスは失ったものを前にして初めて自分の心に知り、これもまた悲しみのうちに女の後を追うのであった。
というような話なので、舞台になるは冬のマンハッタンでも春先のボストンでも真夏のニューオーリンズでも午後のサンディエゴでもよかった筈なのである。それなのに惑星ソラリス上空を選んでしまったのは、この映画の最大の瑕疵であろう。
映画を見る限りではソダーバーグが何を企んだのかは今ひとつ定かではないが、レムの原作にはまったくと言っていいほど関心がない。据えっぱなしのカメラによる単純でアーティフィシャルなショットの連続、手持ちカメラ、くすんだ色彩、乏しい音源で構成したひどく粗悪な効果音(素人くささを気取ったような「同時録音」を含む)、うんざりするような音楽、そして女優のエキセントリックな美貌(気のせいか、個別の造作がアヌーク・エーメを思い出させる)、などから推定すると、アラン・レネ、ルイ・マル、ゴダールあたりを適当に放り込んで、話の方にはルルーシュも入れて、水をべしゃべしゃ降らせて取り敢えずタルコフスキーへの敬意も忘れない、というような感じで60年代ヨーロッパ系芸術映画をなんとなく自分なりにまとめてみました、だからベルイマンは入ってませんけど、でもよく見てください、最後の方はちょっとキューブリックも入ってます、というようなことなのではないだろうか。その主役をジョージ・クルーニーが大真面目な顔でやっていたりするので、かなり趣味の悪い冗談映画なのではあるまいか、という気もしないでもない。なぜ映画化しようなどと考えたのか? 

Tetsuya Sato

2013年7月4日木曜日

惑星ソラリス

惑星ソラリス
Solyaris
1972年 ソ連 165分
監督:アンドレイ・タルコフスキー

レムの同名の原作に基づく。心理学者のクリスが小川の流れの中でたゆたう水草の群れを切りも際限もなく見つめていた頃、宇宙の彼方では惑星ソラリスの探査計画が失敗の危機にさらされていた。そこでクリスは状況打開の要員としてソラリスの観測ステーションへ派遣されるが、その足元では知性を持っているとかいう例の海がただもう切りも際限もなくたゆたっている。そしてステーションの内部は荒廃し、研究組織は崩壊して、わずか二人が研究員が互いに孤立を保って留まっているだけだった。おまけにステーションの内部にはいない筈の人影があり、やがてクリスの前には自殺した妻ハリーが昔そのままの姿で出現する。もちろんそれは知性を有するソラリスの海が人間を試みるために送り込んできた幻影であったが、立派に実体を備えていたのでクリスはこの幻影のハリーに激しく心を動かされるのである。
何度見ても無用に長いシーンがあるように思えてならないが、水に対する独特の美意識と湿度を強調とした対象との距離感、きわめて限定的ではあるものの印象的な特殊効果、よくできた美術などがあいまって実に不可思議な映画に仕上がっている。 

Tetsuya Sato

2013年7月3日水曜日

ソルト

ソルト
Salt
2010年 アメリカ 100分
監督:フィリップ・ノイス

CIAのロシア担当部員イヴリン・ソルトは北朝鮮で捕虜になって拷問を受け、恋人の活動で解放されると恋人と結婚し、それから二年後、結婚記念日にロシアからの亡命者が現われて、尋問するイヴリン・ソルトの前でソ連時代には特殊な訓練をするスパイ学校があったと語り、そこで訓練を受けたスパイはアメリカ人に偽装してアメリカへ渡り、スリーパーとして市民にまぎれて作戦開始を待っていると説明し、実はあのリー・ハーヴェイ・オズワルドもその一人で、目の前にいるイヴリン・ソルトもその一人で、イヴリン・ソルトの任務は訪米中のロシア大統領を暗殺することにあると言い始めるので、防諜部門はイヴリン・ソルトに嫌疑を抱き、イヴリン・ソルトは夫が事件に巻き込まれるのを恐れてその場から逃れ、帰宅すると夫は不在で、拉致されたような痕跡があり、自宅にも表れた防諜部門の追跡の手を逃れてニューヨークに移動し、外見を変えて警備陣を突破し、ロシア大統領に襲いかかり、クモの毒を使ってロシア大統領を麻痺させるといったいどこの誰が診断したのか、ロシア大統領の死亡が確認されてロシア国内に反米の機運が持ち上がり、逮捕されて警官の手から逃れたイヴリン・ソルトはかつての仲間の前に現われ、仲間が夫を殺害するとそこにいた仲間を残らず殺害し、計画にしたがってNATOの連絡員に変装してホワイトハウスに現われると騒ぎが起こって大統領は護衛とともに地下へ逃れ、大統領はすべてがロシアの攻撃であると信じて核兵器を使う準備に取りかかり、するとそれまでおとなしい顔をしていたイヴリン・ソルトの上司がまわりの全員を殺して大統領を殴り倒し、核兵器の照準をテヘランとメッカにあわせて世界を大混乱に陥れようとしていると、そこへイヴリン・ソルトが現われて上司と戦い、核兵器のカウントダウンを中止して逮捕され、自分から夫を奪った連中を皆殺しにすると宣言して護送のヘリコプターから冬のポトマック川へ逃走する。
ニコライ・タルコフスキー(タルコフスキー!?)、と正体を名乗るCIAの上司がリーヴ・シュレイバー。冒頭、CIAの「国内支局」が石油会社に隠蔽されているところで実はすでに引いていた。頻繁に挿入される回想シーンが不安を高め、不安を確信に変えながら単調なアクションシーンを眺めて退屈した。ある意味きわめてカート・ウィマーらしいカート・ウィマーの脚本が幼稚。いっそ60年代を舞台にして、たとえばロバート・ロドリゲスが『マチェーテ』でやったように頭の悪いふりをする、といった趣向でやったほうがまだよかったのではあるまいか。いまさら真面目に作るような内容ではない。場面がきっちりと色を帯びているところはさすがにフィリップ・ノイスの作品だが、演出はあきらかにやる気がないし、アンジェリーナ・ジョリーも勝手に感極まっているだけでいいところがまるでない。スリーパーの頭目の役でダニエル・オルブリフスキーが登場する。 

Tetsuya Sato