2014年11月30日日曜日

フューリー

フューリー
Fury
2014年 イギリス/中国/アメリカ 134分
監督・脚本:デヴィッド・エアー

1945年4月、ドイツ領内に移った西部戦線でドン・コリア―軍曹が指揮するシャーマン戦車はドイツ軍の反撃を受けて副操縦手を失って原隊に復帰し、そこで間違って戦車部隊に配属されたタイピストのノーマン二等兵を加えて前線に戻り、歩兵部隊に協力してドイツ軍の対戦車砲陣地を撃破して進路にある町に侵入し、小競り合いのあとで占領に成功して短い休息時間を過ごし、そこへドイツ軍反攻の知らせが届くのでコリア―軍曹はアメリカ軍支援部隊の側面を守るためにシャーマン戦車四両を指揮して前線を越え、そこでタイガー戦車と遭遇して友軍三両を失い、たった一両で指定された突出部に到達したところで今度は中隊規模の武装SSと遭遇する。 
映画史上、シャーマン戦車をもっとも美しく撮った映画だと思う(しかもAP、HE、WPと容赦なしに打ちまくる)。そしてこれも映画史上初めて本物のタイガー戦車が出演させて、これまでに映画に登場したたタイガー戦車との決定的なフォルムの違いを観客の前で明らかにする。本物は意外なまでにシャープなのである。そしてこのタイガー戦車対シャーマンの戦闘シーンはすばらしい仕上がりで、それに先だっておこなわれる歩兵部隊との共同作戦も戦術的に正確で心理的にも納得できる描写がすばらしい。プロット自体は古典的な戦争映画をなぞっているが、抑制された演出と戦場と戦闘行為の半端ではないむごたらしさとその結果として出現する終末観で戦争という世にもおぞましい災厄の普遍化に成功している。戦車、兵士、捕虜、民間人、避難民、いずれを取ってもディテールがすごい。 
Tetsuya Sato

2014年11月29日土曜日

Plan-B/ 箱

S1-E13
 工事現場のフェンスに裂け目があるのに子供たちが気がついた。習性として、裂け目があればそこにもぐり込まずにはいられない。子供たちは裂け目をくぐって工事現場に入っていった。週末なので森閑としている。あちらこちらにいろいろな物の山がある。砂利の山、セメントを詰めた袋の山、束になった鉄筋の山。子供たちは砂利の山に登って、山のうしろでそれを見つけた。スチール製の箱がある。正方形で、高さは子供たちとあまり変わらない。頑丈そうな枠がはまっていたが、表面は少し錆びていた。一人が蹴ると、ほかの子供も蹴り始めた。中からなにか、音が聞こえた。なにかが叫ぶような音が聞こえた。子供たちは顔を見合わせ、それから再び蹴り始めた。箱が動いた。軋むような音がした。それからものすごい音がして、箱の表面に突起が浮かんだ。またすごい音がして、突起の先に穴が開いた。なにかが中で叫んでいる。なにかが外に出ようとしている。子供たちは顔を見合わせ、それからそろって逃げ出した。

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2014年11月28日金曜日

Plan-B/ 島

S1-E10
 男は休暇を取って仲間と一緒に島へ出かけた。山のなかの小屋を借りてあたりを歩き、無人になった農場で仔馬ほどの大きさの巨大な鶏に遭遇する。巨大な鶏は凶暴で、人間を見ると襲いかかる。仲間の一人が突き殺された。男は仲間とともに森へ駆け込み、そこで鳩ほどの大きさの巨大な蜂に遭遇する。巨大な蜂は凶暴で、人間を見ると襲いかかる。仲間の一人が刺し殺された。男は仲間とともに小屋へ戻り、仔牛ほどの大きさの巨大なネズミの群れに囲まれる。巨大なネズミは凶暴で、人間を見ると襲いかかる。仲間の一人が食い殺された。自然界のバランスが崩れたのだ、と男は仲間に説明する。
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2014年11月27日木曜日

Plan-B/ 風

S1-E12
 山の奥からあふれた風が蒼ざめた空の下で渦を巻いた。梢を揺すり、青葉を散らし、白い道を駆け下りた。駐車場に並ぶ車を包み、休憩所の壁を撫で、開かれた窓からなかへ入って人間たちの息を奪った。ひとが手をとめ、足をとめた。声を出す者はない。息をする者もない。ただ佇んで、あるいは腰かけたまま、焦点を失った目を前に向けている。誰かの手からカップが落ちて、湯気の立つ液体が脚にかかった。誰かの手から財布が落ちて、硬貨が床に転がった。騒ぐ者はいない。あわてて腰を屈める者もいない。厨房から炎が噴き出した。からだが炎にあぶられる。しかし逃げ出す者は一人もない。

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2014年11月26日水曜日

Plan-B/ 蠕動

S1-E09
蠕動
 夜のあいだに訪れた嵐が電柱を傾け、電線も電話線も引きちぎった。外界へと通じる道は土砂でつぶされ、その小さな町は孤立した。町では対策本部を設けて被害を調べるために素人同然の職員を走らせ、途切れがちな緊急無線を使って隣の町に応援を頼んだ。しかし異変はすでに始まっていた。電柱から垂れた電線が地面に大量の電流を流し、その影響によって地中のミミズが凶暴化していた。凶暴化し、集団化し、しかも俊敏にもなったミミズは雨に濡れた地面から這い出して町の住民に襲いかかった。うかつな農夫はミミズの大群の前で足を滑らせてはらわたを食われ、藪に隠れて不純異性交遊に励む男女はミミズに囲まれて絶叫を放ち、浴室に入った娘はシャワーヘッドのあり得ないほど大きな穴から飛び出すミミズの雨に洗われた。次々と上がる悲鳴は次々に途絶え、町は墓場に変わっていく。
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2014年11月25日火曜日

Plan-B/ 光

S1-E08
 ペントハウスの広いテラスをバスローブをまとった娘が歩いていく。プールの縁に立ってバスローブを脱ぎ捨て、水着姿になると雲を映す水に飛び込んだ。腕を差して、力を込めて泳ぎ始める。しばらくしてから異様な気配を感じ取った。水をかいても、なぜか前に進めない。からだが妙な具合に浮かび上がる。空は曇っているのに妙に明るい。気がついたときには娘は光に包まれていた。逃れることはできなかった。光が放つ不自然な力で娘は水から引きずり出された。昇っていく。しずくを垂らしながらプールを見下ろし、ペントハウスのある建物を見下ろし、急速に遠ざかる町並みを見下ろし、悲鳴を上げながら光をたどって雲のあいだに消えていった。

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2014年11月24日月曜日

Plan-B/ 鳥

S1-E11
 乗客を満載した旅客機が宇宙から飛来した巨大な鳥に襲われた。乗客たちは窓から外を見て悲鳴を上げ、パイロットは怪物を振り払おうと急降下を試みる。鳥は醜悪な嘴を振り下ろして機体を砕き、旅客機は炎を噴き上げて空中に散った。地上から戦闘機の一群が飛び立った。急上昇して怪物を視認し、司令部はただちに攻撃を命じる。しかしミサイルも機銃も宇宙から飛来した巨大な鳥には効果がない。巨大な鳥は巨大な翼を振って戦闘機を端から叩き落とし、地上に向かって舞い降りていく。列車が襲われ、町が襲われ、都市は火に包まれる。まるで戦艦だ、と誰かが言う。まるで戦艦みたいな化け物だ、と兵士たちが口々に言う。軍は総力を結集する。相手は戦艦みたいな化け物だ、と司令部も言う。 

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2014年11月23日日曜日

インターステラー

インターステラー
Interstellar
2014年 アメリカ/イギリス 169分
監督:クリストファー・ノーラン

地球では環境が悪化して植物が死滅しつつあって、人類は遠からず酸素の供給を断たれて空腹を抱えて絶滅する運命にあって、すっかり貧乏になったアメリカで農業をしているクーパーは娘マーフが見つけた謎の手がかりから消滅したはずのNASAの施設にたどり着き、そこではNASAが十年も前から移住可能な惑星の探査を続けていて、地球上には次世代のための時間が残されていないと知らされたクーパーはそもそもNASAのパイロットであったことから最後の探査船の乗員に志願し、必ず帰ってくるとマーフに約束して旅立って木星の軌道付近からワームホールへ飛び込んで別銀河へ移動して、先遣隊が有望視したとされる惑星を目指して進んでいくが、期待した成果を得られないまま時間を無駄に費やすことになり、そのあいだに成長したマーフはNASAの物理学者になって移住計画の根本的な問題に気がつき、計画自体の秘密にも気がついて銀河のかなたに絶望を伝え、そのメッセージを見たクーパーは偶然に助けられて次元の階梯をのぼっていく。
劇中でしきりと繰り返されるディラン・トマスの詩がうざい。全体的な雰囲気はジェームズ・ティプトリーJr.の暗めの短編を星野之宣が大幅に肉付けして描いた漫画の映画化、という感じになるかと思う。つまり人間性に関する単細胞な洞察やむやみと情緒的な部分も含めて正統派のSFであり、宇宙探査と相対論的な時間の経過をこの規模で正攻法に扱った映画はたぶん珍しいと思うし、宇宙機のデザインなどもよくできているし、ワームホールやブラックホールの描写もいかにもという具合になっているし、異星の景観もきわめて地味ではあるがよくできているし、なによりロボットたちが有能でかわいらしい。3時間近い長尺ではあるが、構成上のバランスもよく取れていて、よどみも破綻もない、ということであれば、ここ数作のノーラン作品のなかではいちばん優れているということになるのではないだろうか。ただ、ことさらなメッセージ性は気になるし、そのメッセージの中身が『ダークナイト』終盤の悶着を拡大しただけ、ということになると少々わずらわしい。 マシュー・マコノヒーの父親役でジョン・リスゴーが、NASAの職員の役でウィリアム・ディベインが顔を出していて、これはちょっとうれしかった。


Tetsuya Sato

2014年11月22日土曜日

Plan-B/ 爪

S1-E07
 ペントハウスの広いテラスをバスローブをまとった男が歩いていく。ウィスキーが入ったグラスを手にしてプールに近づき、プールの脇のテーブルの上にグラスを置いた。バスローブのポケットに手を入れて、葉巻、ライター、カッター、サングラスを出してテーブルの上のグラスのまわりに並べていく。バスローブを脱いで軽く畳むと二つ並んだビーチチェアの一方にかけ、残る一方に身を横たえて葉巻を取って香りを嗅いだ。カッターを使って端を切り、口にくわえてからライターを取って葉巻の先端を念入りにあぶった。口からゆっくりと煙を吐く。グラスを取って琥珀色の液体を口にふくみ、グラスを置いてサングラスを手に取った。サングラスをかけて空を見上げて、奇妙な影に気がついた。巨大なものが太陽を背にして羽ばたいている。それは邪教の呪文で甦った翼ある蛇の神、ケツァルコアトル。常に太陽を背にして飛ぶので誰にも見られることはない。それは獲物に気がついた。凶暴な爪が舞い降りてきて、男をつかんで空の彼方へ運び去った。
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2014年11月21日金曜日

Plan-B/ 手

S1-E06
 ペントハウスの広いテラスをバスローブをまとった女が歩いていく。白ワインが入ったグラスを手に黒大理石を貼ったテラスを裸足で横切り、爪先をジャグジーに浸して湯の温度を確かめた。グラスをジャグジーの脇に置いてバスローブを脱ぎ捨て、泡の立つ湯にからだを滑らせるとグラスに向かって手を伸ばした。琥珀色に近い液体を口にふくんで目を閉じる。ヘリコプターの爆音が近づいてくる。グラスを置いてからだを伸ばした。ヘリコプターが近くにいる。銃声のような音も聞こえる。とてもうるさい。なにかが潰れる音を間近に聞いて目を開いた。テラスを囲むステンレス製の手すりが握りつぶされていた。毛むくじゃらの巨大な手が手すりを握りつぶしていた。女はからだを起こしてジャグジーから飛び出した。それと同時に手が動いた。ジャグジーをつかんで大理石の床から引き剥がした。女は振り返らずに走り続ける。ペントハウスに飛び込んで、そこで初めて息をもらした。

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2014年11月20日木曜日

Plan-B/ 羽音

S1-E04
羽音
 垂れかかる森の下で川が木漏れ日を浴びている。川辺に若い男女が現われた。二人は服を脱ぎ棄てて、冷たい水に入って悲鳴とも歓声ともつかない上げた。胸まで水に浸かって唇を重ね、肌を重ねた。男は唐突に水にもぐり、女は男を探して暗い水に目を這わせた。女が羽音を聞いて顔を上げる。黒いものがすばやく舞い下りてくるのを目で感じて、咄嗟に腕を上げて顔をかばう。焼けるような痛みが腕に走った。痛みが肩から頭に駆け抜けた。前腕が膨れ上がり、皮膚がめくれて血が流れ出し、女の口から絶叫があふれた。男が水面を破って現われた。笑みが消えて恐怖が浮かぶ。女の腕に蚊の拡大模型のようなものがとまっていた。それが羽音を立てて舞い上がった。一直線に近づいてくる。

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2014年11月19日水曜日

Plan-B/ 計画

S1-E01
計画
 宇宙人は地球の軌道に円盤を浮かべて地球人を監視していた。太古から、地上で起こるあらゆるできごとに目をとめて、細大漏らさず記録にとって、地球人を調べていた。地球人はそのことを知らない。気がついていない。まったく気がつく気配がない。宇宙人は怒り始めた。もしかしたら気がついていないのではなくて、無視しているのではあるまいか。気がついていないのならしかたがないが、無視しているのだとすれば許せない。地球人ごときに無視されて、我慢できるはずがない。ひとつ恐ろしい思いをさせてやろう。そう決心した宇宙人は人気のない墓場を訪れて、人目がないのをよく確かめてから死体を二つ甦らせた。
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2014年11月18日火曜日

Plan-B/ 死者

S1-E02
死者
 床に入って眠ろうとしていた。睡眠導入剤が効き始めて、頭のなかにぼんやりとした眠気を感じたところで枕元の携帯電話が振動した。電話を取ってモニターを見た。午前一時をまわっていた。電話の声が、彼が死んだとわたしに伝えた。長くはないと聞いていた。病院まで何度か見舞いにいったが、痩せ衰えて痛みに苦しむ様子が痛々しかった。雄弁でたくみにユーモアをあやつった男が痛みを耐えて言葉少なに話す様子が気の毒だった。しかし終わったのだ、とわたしは思った。電話を枕元に戻して眠ろうとした。妙な気配を不意に感じてドアのほうへ目を向けた。ドアの輪郭がかすかに見えた。ノブをまわす音がした。ドアを揺する音がした。来たんだな、とわたしは思った。

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2014年11月17日月曜日

Plan-B/ 渋滞

S1-E05
渋滞
 男はハンドルを叩いて毒づいた。進めない。この一時間で二十メートルも進んでいない。数珠つなぎになった車のせいで前が見えない。どちらの車線も町から逃げ出す車で埋まっている。歩くべきだった。歩いたほうが早かった。すぐ脇の歩道をパジャマ姿の男が歩いていた。光のない目をどこかに向けて、手を前に差し出して、冷えて固まった脚を動かして、どこかに向かって歩いていた。近づいてくる。男はハンドルを握り締めた。逃げ場を求めて助手席側のドアを見た。隣の車が邪魔で開けられない。グローブボックスを手探りする。武器などない。近づいてくる。汚れたパジャマ姿の死人が近づいてくる。光のない目でどこかをにらんで、固めたこぶしを窓に叩きつけてきた。死人の背後にも死人がいる。まだいる。まだまだいる。

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2014年11月16日日曜日

Plan-B/ 神々

S1-E03
神々
 月の光が丘を照らし、青白く輝く丘の向こうで排気音が轟いた。猛々しい音があたりに響き、震える空気が丘を下り、ふもとにうずくまる家々が瀟洒な窓を一斉に鳴らす。明かりが灯る。叫びが上がる。丘の上に警察の車両が現われた。旋回灯がきらめいている。警官たちが降り立って丘の向こうに銃を向けた。続けざまに発砲する。それが姿を現わした。改造バイクにまたがったバイカーたちが警官たちにのしかかる。巨大なバイクは車輪だけでも直径三メートルを超えている。警官が蟻のように弾き飛ばされ車が玩具のように押し潰される。エンジンが唸る。マフラーが吠える。神々のバイクが丘を下る。

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2014年11月15日土曜日

さらば、ベルリン

さらば、ベルリン
TheGoodGerman
2006年 アメリカ 108分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ

1945年の夏、AP通信の記者ジェイク・ガイスマーはポツダム会談を取材するためにベルリンを訪れるが、どうやらジェイク・ガイスマーの本意はポツダム会談よりも旧知の女性レーナ・ブラントと旧交を温めることにある。そのレーナ・ブラントは荒廃したベルリンで生存のために選択をおこない、ジェイク・ガイスマーの運転手タリー伍長の情婦となり、ドイツからの脱出をたくらんでいる。ジェイク・ガイスマーは偶然によってレーナ・ブラントとの再会を果たすが、タリー伍長はレーナ・ブラントの国外脱出を不正な手段によって進めつつあり、タリー伍長が死体となって発見されると、ジェイク・ガイスマーの周囲にはアメリカ軍当局による陰謀が浮かび上がる。
ジョゼフ・キャノンの原作は未読だが、監督はプロットに格別の関心を払っていない。これはおそらくハードボイルド版の『ソラリス』であり、原作はあくまでもネタであって、主眼はどこかで見たようなスタイルをコラージュすることにある。映画の背景となるベルリンを映し出したモノクロの粗い映像はジンネマン『山河遥かなり』をどことなく思わせるし、そこを動き回るジョージ・クルーニーはハンフリー・ボガードのようであり、ケイト・ブランシェットの悪女ぶりはワイルダーの『情婦』に登場したディートリッヒを思い出させる。ケイト・ブランシェットのほうがやや強面に見えるのは、やはりご時勢であろう。演出はジョン・ヒューストンのようでもあり、ラオール・ウォルシュのようでもあり、マイケル・カーティスのようでもあり、一時期のフリッツ・ラングのようでもあり、ジョージ・クルーニーがいつまでも絆創膏のお世話になっているのは、もしかしたらポランスキーの『チャイナタウン』と関係があるのかもしれない。意識的にB級を気取っているのか、カメラワークは時としてまとまりを欠き、スクリーンプロセスもワイプ処理も古めかしい。同じソダーバーグのモノクロ作品であっても『Kafka』のようなクリアな映像は登場しない。いや、そもそもオープニングのワーナーブラザーズのロゴにしてからが、モノクロでくすんでいるのである。それでも突発的な暴力描写はあきらかに現代の作品に属するが、その暴力で使用される椅子の脚がいとも簡単に折れるのは使用の起源がどこにあるのかをことさらに明示するためであろう。ただ、この映画が『ソラリス』と大きく異なるのは、ソダーバーグが『ソラリス』において表現手法としてのSFに根本的に背を向けたのに対し、ここでは素材に対して忠実な姿勢を示している点にある。映画への意識の差を別にすれば、これはロドリゲス/タランティーノによる『グラインドハウス』に似ていなくもない。ということで、懐かしいものを懐かしむような気持ちから、つまり、やってるやってる、という感じで素朴に楽しんだのである。俳優について言えばトビー・マグワイアがとにかく印象的で、登場するやいなや、ジョージ・クルーニーを完全に食っていた。ケイト・ブランシェットも記憶に残る仕事をしており、これまでに見たなかではいちばん魅力的であった。




Tetsuya Sato

2014年11月14日金曜日

Gガール 破壊的な彼女

Gガール 破壊的な彼女
My Super Ex-Girlfriend
2006年  アメリカ 93分
監督:アイヴァン・ライトマン

建設会社に勤めるマット・サンダースはギャラリーに勤める女性ジェニー・ジョンソンとの交際を始めるが、このジェニー・ジョンソンには微妙に神経症的なところがあり、しかも性的には貪欲で、日常的に疑い深く、嫉妬深く、おまけにニューヨークの平和を守るスーパーヒーローで、スーパー聴力で事件の発生を知ると変身して空を飛んでいって悪いやつをやっつけたりする。事実を知ったマット・サンダースは自分が著名なスーパーヒーローと「やった」ことを喜ぶものの、間もなくジェニー・ジョンソンの性格に恐怖を覚え、また勤め先の女性ハンナ・ルイスにもともと友情以上のものを感じていたという都合のよい事実にも気がついて、ジェニー・ジョンソンとの関係を清算しようと試みるが、ジェニー・ジョンソンは「後悔するわよ」と宣言するとスーパーヒーローの力を悪用して嫌がらせの限りを尽くすので(車は衛星軌道に投げ上げ、窓からホオジロザメを放り込む)、マット・サンダースはいよいよ恐怖を覚えるが、そこへ超悪者のベッドラム教授が子分をしたがえて現われて、ジェニー・ジョンソンを無力化する計画を持ちかける。
空飛ぶスーパーヒーロー、Gガールがユマ・サーマン。アイヴァン・ライトマンのほとんど伝統的に気の抜けた演出をへらへらと笑いながら楽しむと、とても楽しい。脚本をもう少しひねりを利かせた上でブラッシュアップして、演出のテンションを高くすれば傑作になっていたような気もするのだが、いまのままでも別に悪いことはないと思う。





Tetsuya Sato

2014年11月13日木曜日

謎の要人悠々逃亡

謎の要人悠々逃亡
Very Important Person
1961年 イギリス 98分
監督:ケン・アナキン

1943年の5月だか8月だか11月。天才的な科学者が英国政府の委託を受けて新たな航空装備の開発をおこなっている。そして秘密裏にそのテストをおこなうことになり、科学者は海軍中尉の名前と身分で空軍のランカスター爆撃機に乗り込んでいく。ところがドイツ上空で対空砲火にあって爆撃機は被弾、科学者は開いた穴から吸い出されてパラシュートで降下し、ドイツ軍の捕虜となる。で、この33歳でサーの称号を受けたビーズ卿、あるいはニセの海軍中尉というのがとにかく威張り返ったおっさんで、それが英国本土にあってはまわりを軽んじ、捕虜収容所(ドイツ空軍の収容所で英国の将校ばかり600人)でもまわりを軽んじ、もちろん捕虜仲間だけではなくて所長のことまで軽んじるので所長が怒って頬を叩くと脛を蹴って反撃を加える。怒るのは所長だけではなくて、まわりの連中も怒り始めてあれはスパイであろうなどと勘ぐっていると、そこへロンドンからの指令がもたらされ、あれはチャーチル首相ご指名のVIPだということが判明し、だから一刻も早く脱出させてイギリスに戻さなければならない、という話になっていく。
いちおうコメディなのである。収容所の細かな描写はそれなりに笑えるものの、主軸よりも周辺人物の漫才めいた状況を作るほうに力が入って、特異な人物設定を消化しようという努力があまりおこなわれていない。だからジェームズ・R・ジャスティス扮する科学者も自分で認めているほど賢そうには見えてこない。もう少し賢い話を期待していた。


Tetsuya Sato

2014年11月12日水曜日

アジャストメント

アジャストメント
The Adjustment Bureau
2011年 アメリカ 106分
監督:ジョージ・ノルフィ

上院選に出馬したデヴィッド・ノリスは選挙終盤で失速し、敗北演説について考えているときに運命の女性エリース・セラスと出会い、二人は本能的に引き寄せられて恋に落ちるが、二度目の出会いを阻む運命があり、その運命がうまく機能しなかったせいで二人は二度目の出会いを果たし、人間の運命を監視している調整機関がこれはたいへんだということで訂正に取りかかり、訂正する現場を目撃したことで運命の舞台裏について知ることになったデヴィッド・ノリスは運命にさからって出会いを求め、三年がかりで三度目の出会いを果たすので、今度は調整機関の上層部が動いて二人の出会いを引き裂きにかかり、つまり運命とは定められたものか、それとも自ら切り拓くものかというところで見解を異にするデヴィッド・ノリスは調整機関に挑戦する。
フィリップ・K・ディックの原作『調整班』は未読。デヴィッド・ノリスがマット・デイモン、エリース・セラスがエミリー・ブラント。マット・デイモンの無我夢中という感じの表情がいい。対する上層部で登場するのはテレンス・スタンプなのでけっこう怖い。シンプルなアイデアを手堅く膨らませた脚本はよくまとまっているし、運命の舞台裏という破天荒なイメージは視覚的にも面白い。なかなかによくできた映画だと思う。 

Tetsuya Sato

2014年11月11日火曜日

リーグ・オブ・レジェンド

リーグ・オブ・レジェンド
The League of Extraordinary Gentlemen
2003年 アメリカ・ドイツ・チェコ・イギリス 110分
監督: スティーブン・ノリントン

グラフィック・ノベルの映画化とのこと。20世紀前夜の世界を舞台にアラン・クォーターメインが超人集団を率いて世界征服を企む悪と戦う。で、その超人集団というのがネモ船長、ミナ・ハーカー、ドリアン・グレイ、ジキル博士(というよりもハイド氏)、透明人間、トム・ソーヤーということになっていて、ネモ船長が巨大なノーチラス号を率いればミナ・ハーカーは吸血鬼になってコウモリを率いて空を飛び、ドリアン・グレイは不死身の肉体でばったばったと敵を切るし、ジキル博士はハルクかビッグXかという感じで巨大なハイド氏に変身し、透明人間が長所を生かしてスパイをすればトム・ソーヤーは米国の密偵でスナイパーもするというような次第なのである。なお、善玉がこういう構成なので、悪玉の正体も当然そのようなことになっている。
で、ここまで目茶苦茶だと後はもうスピードで観客の目をくらますしかないとでも思ったのか、オープニング・タイトルが流れているあいだに霧のロンドンに怪戦車が出現して軍隊に守られたイングランド銀行が襲撃され、それから超人集団の集結ということになってアクションを取り混ぜながら登場人物を順次紹介していくのだけど、なにしろ数が多いので一通りの紹介が終わった後はもう戦う時間しか残されていない。中身と呼べるような中身はない。撮影がおもにチェコでおこなわれたから、というわけでもないだろうけれど、パースペクティブの処理にはどこかカレル・ゼーマン的な歪曲がほどこされていて妙に懐かしいような感じがした。でも、もしかしたら安普請なだけだったのかもしれないし、チェコつながりで考えると、この薄っぺらな映像と根本的な野暮ったさはカレル・ゼーマンではなくてオルドリッチ・リプスキーあたりに近いのではあるまいか。そしてオルドリッチ・リプスキーの作品と同様に、この映画も趣味的な居直りで作られていると考えるべきであろう。つまり、やりたいことをやるようにやるという姿勢は前向きに評価したいと思うし、観客もまた趣味的な居直りが可能であるとすれば(努力すればたいていのことは可能だが)、冒頭の銀行襲撃のくだり、どんな狭い運河でも平気でどんどん入っていくノーチラス号、そのノーチラス号の潜水部隊やファントム配下の甲冑軍団(火炎放射器を背負っている)といったあたりで評価の材料は提供されているということになる。まともな映画だとはまったく思わないが、まあ、ともあれ、わたしは嫌いではない。 

Tetsuya Sato

2014年11月10日月曜日

ドラゴンスレイヤー

ドラゴンスレイヤー
Dragonslayer
1981年 アメリカ 108分
監督:マシュー・ロビンス

高齢の魔法使いウルリクのもとに旅人の一団が現われ、ウルランドの国を訪れてドラゴンを退治してほしいと依頼する。ウルランドの国ではカシオドラス王とドラゴンのあいだに協約があり、王は春分と秋分にくじ引きで一人の処女を選び出し、ドラゴンは処女を受け取るかわりに国を荒らすのを控えていた。このドラゴンはウルリクの記憶にあり、齢を得て意地悪になっていたのであった。すべてを予見していたウルリクは依頼に応じて腰を上げるが、そこへウルランドの騎士ティリアンが現われてウルリクに腕試しを挑み、ウルリクはティリアンに殺される。ウルリクのからだは火葬にされて灰となり、ウルリクの弟子ゲイレンは半人前であったが、ウルランドの一行を追って自分がドラゴンを倒すと宣言する。そして軽率にもドラゴンの巣に近づいて地崩れを起こし、ドラゴンを怒らせるので国は荒廃するのであった。問題を解決するためにはウルリクの従僕ホッジの言葉を思い出さなければならなかったが、ゲイレンは半人前の魔法使いである上に村の鍛冶屋の娘に夢中になっていて、だから解決は遅れるのである。
ドラゴンや魔法使いといった素材を余計な再解釈を抜きに扱い、良くも悪くも一定の世界に構築している。そしてその範囲では雰囲気や美術、衣装などは誉めるべきだが、実際のところくそまじめだという以上の取り柄はない。数少ないゴーモーションの作例ではあるが、ドラゴンの動きに格別感心はしない。メカニカルに頼りすぎであろう。主人公の半人前の魔法使いを演じているのはピーター・マクニコルで、つまり後のジョン・ケイジ(つまり『アリー・マイ・ラブ』でアリーが勤めている弁護士事務所のパートナー)である。知らなければただの面白みのない若者だが、『アリー・マイ・ラブ』を見てからこちらを見るとジョン・ケイジ流の法廷弁護のいかがわしさが半人前の魔法使いのいかがわしさに重なってちょっと面白い。


Tetsuya Sato

2014年11月9日日曜日

マラキム


 わたしはひとのかよわぬ森の奥に住まいを見出し、孤独を伴侶として静かな生活を送っていたが、あるとき孤独の執拗な愛撫に疲れを感じ、また静寂に包まれた森の奥にも嫌気が差して、新たな住まいを村のはずれに探し求めた。そこはひとの住む場所で、近くにはひとの気配と雑音があり、前の道にはわずかながらの往来があった。
 そこに移り住んでから、わたしは向上心に促されて自分を変えようと試みた。茫洋としてときを過ごすことをやめ、生活者として生活を改め、勤勉であろうと努力した。そのための意志に不足はなかった。悲しみとともに朝寝に耽ることもなくなったし、夜を徹して思索に耽ることもなくなった。結果はすぐに実感に現われ、時の経過は意義を備え、日々は意味によって満たされていった。ところが間もなく孤独が森の奥からわたしを追ってやって来て、重たい影を引いてわたしに寄り添い、陰気な静寂でわたしを再び包み込んだ。たちまちのうちにわたしの意志は損なわれた。わたしは孤独に追い詰められて朝寝に耽り、夜を徹して思索に耽り、孤独に抗するために出会いを切望するようになった。
 わたしは寝床から起き上がって身支度をととのえ、出会いを探し求めて村を歩いた。視線をめぐらし、路上の動きに注意を払い、ときには戸口に開いた隙間の奥に目を凝らした。そしてこれはと思うときには後をつけ、意を決したときには誠意を込めて声をかけた。だが報われることは一度もなかった。わたしにはいかなる不足もなかった筈だが、出会いはなぜかわたしを遠ざけ、わたしを嫌って逃げ続けた。近づいていくと背を向けて立ち去り、背後から忍び寄ると不意に気づいて悲鳴を上げた。誠意に対する見返りには黙殺が戻され、真心を込めて書き上げた手紙はことごとくが破り捨てられた。何度となく同じ場面が繰り返され、わたしははじめにもどかしさを味わい、続いて激しい怒りを感じた。
 目には見えない奇怪な原理が、あきらかにどこかで働いていた。そうでなければ、わたしが拒まれる理由は一つもなかった。わたしよりも容姿の点で劣った者がすみやかに出会いを獲得する一方で、わたしは出会いを得られずにいた。わたしよりも資力の点で劣った者がすみやかに出会いを獲得する一方で、わたしは出会いを得られずにいた。それだけではない。わたりよりも知力の点で劣った者がすみやかに出会いを獲得する一方で、わたしは出会いを得られずにいた。
 謎を解明しようと考えて、出会いを得た者に訊ねてまわった。
 ここにはいかなる秘密が隠されているのか。
 そう訊ねると、わたしよりも容姿の点で劣った者は驚いたように口を開け、秘密はないと言って首を振った。資力の点で劣った者は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、知力の点で劣った者はいきなりわたしに襲いかかった。
 わたしは小さな傷を負って家に戻り、堅い寝床に横たわり、孤独に抱かれて考えに耽った。すると新たな可能性が頭に浮かんだ。容姿の点で劣っていると見えた者は、わたしの前で容姿を偽っていたのかもしれなかった。資力の点で劣っていると見えた者は、わたしの前で資力を偽っていたのかもしれなかった。そして知力の点で劣っていると見えた者は、わたしの前では知力を偽っていたのかもしれなかった。一瞬、真理を見つけたような気がしたが、わたしのためには、それが真理であってはならなかった。それにそもそも、ありそうになかった。
 わたしはなおも答えを探し求めた。わたしは苦悩し、わたしの苦悩の大きさを戸口の隙間から見たあるひとが、とある家の場所を示してこのように言った。
「その家の戸を叩きなさい」
 そこでわたしはその家を訪ねて戸を叩いた。なかから現われたのは頬にひげをたくわえた男で、不足を補う技術に長じていた。わたしは問題を男に打ち明け、男はわたしの問題を解決した。
「神に祈りなさい」と男は言った。
 男の説明によると、わたしは多くの点で足りていたが、信仰だけは不足していた。信仰を補うためには、祈らなければならなかった。わたしは荒れ野へ出かけて最初に見つけた丘にのぼり、大工が不要と見なした石で祭壇を築いた。そして食と水を断って三日のあいだ祈りを捧げ、期待に胸をふくらませて村に戻った。だが何も変わってはいなかった。
 わたしは再び戸を叩いた。頬ひげをたくわえた男がなかから現われ、わたしは問題を男に打ち明け、男はわたしの問題を解決した。
「羊を捧げなさい」と男は言った。
 男の説明によると、わたしの祈りは長さの点で足りていたが、捧げ物が不足していた。祈りを補うためには捧げ物を加えなければならなかった。わたしは市場へ出かけていって羊の値段の交渉をした。売り手は法外な値を言った。資力に不足はなかったものの、それでも羊の値段はわたしの支払い能力を越えていた。頑として譲ろうとしない売り手を市場に残し、わたしは三度目の助けを求めて戸を叩いた。
「金を稼ぎなさい」と男は言った。
 男の説明によると、隣の村の葡萄畑で葡萄の取り入れが始まっていた。畑の持ち主は多数の働き手を必要としており、好条件で募集をおこなっている。採用されるためには隣村の広場に立つだけでよく、経験や資格が云々されることは決してない。だが、と男はわたしに言った。朝、広場に立ってはならない。朝に採用されれば朝から日没まで働くことになるからだ。また、と男はわたしに言った。昼に広場に立ってはならない。昼に採用されれば昼から日没まで働くことになるからだ。
 わたしは隣の村を訪れ、日没の間際に広場に立った。そして日没までの時間を働き、多くの働き手のなかからまずわたしが給金を得た。それを手持ちの金とあわせると、羊をあがなうのに十分なだけの額となった。続いて昼から働いていた者たちが給金を得た。この者たちには、わたしが得たのと同じだけの額が支払われた。最後に朝から働いていた者たちが給金を得た。この者たちにも、わたしが得たのと同じだけの額が支払われた。騒ぎが起こり、多くの働き手が怒りを叫んで葡萄畑の持ち主を囲んだ。朝から働いた者たちは、朝から日没まで働いた者が日没の間際から日没まで働いた者と同じ額を受け取るのは不公平であると主張した。昼から働いた者たちは、昼から日没まで働いた者が日没の間際から日没まで働いた者と同じ額を受け取るのは不公平であると主張した。
「いけないのか?」と葡萄畑の持ち主は言った。
 公平ではない、と働き手たちが叫びを返した。
 すると葡萄畑の持ち主は自分を指差し、自分は公平ではない、と言った。
 翌日、わたしは市場で一頭の羊をあがない、引き綱を引いて荒れ野に出かけた。祭壇を築いた丘にのぼり、羊を殺して各部に切り分け、臓器と脚を水で洗った。祭壇に薪を積んで頭と脂肪をそこに並べ、残りをまわりに配置した。そして薪に火をつけて肉をあぶり、香りが立ちのぼるのを待ってから神に向かって祈りを捧げた。
 空は雲で覆われていた。祈りを続けていると頭上はるかに見える雲のかたまりを白く輝く光が貫き、その光の源となるあたりに小さな黒い点が現われた。見守るうちに黒い点は天上から注がれた水のように長く尾を引く線となった。そしてそれはすぐに梯子の形となって猛烈な速さで虚空を走り、わたしの鼻先をかすめて大地に達した。それはひとの手による物ではなかった。梯子の先端にえぐり取られた丘の表皮が褐色の埃となって舞い上がった。わたしはひざまずいて祈りを続けた。祈りを続けながら、わたしはその淡い光に包まれた梯子をおそるおそるに見上げていった。梯子を伝って地上を目指す二つの影をかなたに認めた。わたしに向かって一直線に近づいてきた。わたしは恐怖のとりことなって頭を垂れ、地面を踏む音を聞いて顔を上げるとそこには二人の御使いがあった。
 前に立つ一人は小柄な男の姿をしていて、ゆるやかな白い衣をまとっていた。後に立つ一人は巨体を誇る男の姿で、屈強と見えるからだに獣の皮を巻きつけていた。小柄な御使いがわたしに近づき、手振りで立つようにと促した。わたしは震えながら立ち上がった。小柄な御使いの背後では大柄な御使いが背中から革袋を下ろして口を広げ、そこにわたしの捧げ物を投げ込んでいった。小柄な御使いは手を伸ばしてわたしのからだのあちこちを調べ、懐の奥からわたしの財布を見つけ出した。御使いは財布の中身を手に広げると、銅貨の一枚一枚をかじってその真贋をあらためた。それからわたしの銅貨を自分の腰帯にぞんざいに押し込み、わたしには空になった財布を投げてよこした。そして最後に蔑むような目つきでわたしをにらみ、わたしに背を向けて同僚の肩を軽く叩くと先に立って天へと続く梯子をのぼり始めた。大柄な御使いが革袋を背負って後を追った。御使いの動きはすばやかった。その姿は間もなく線上を這う点となり、いくらもしないで雲に飲まれて天に消えた。
 驚嘆と恐怖をやり過ごすと、わたしには渦巻くような困惑が残った。何かを期待していた筈だが、起こったことは期待していたことと違っていた。すべての努力は不愉快な形で終わったのだという確信が募る一方で、目の前にそのまま残された梯子が次に起こる何かを期待させた。わたしは神に祈りながら待つことにした。しばらくすると御使いたちが梯子を伝って戻ってきた。御使いたちが立つのを見て、わたしはその場にひざまずいた。小柄な御使いがわたしに言った。
「神は嘉納された」
 御使いの言葉を聞いて、わたしは口を開けたような気がする。そのわたしを小柄な御使いは蔑むような目つきでにらみ、背後の同僚に顎をしゃくって合図を送った。すると獣の皮をまとった大柄な御使いが飛び出してきて、わたしの前で毛むくじゃらの拳を握り締めた。逃げる暇など一瞬もなかった。わたしは顎を殴られ、自分の身長の二倍ほどの距離を吹っ飛んで、地面にしたたかに打ちつけられてはなはだしい痛みを味わった。脇腹を下にして横たわり、苦痛に喘いで肺腑を絞った。流れ出る涙で目がかすんだ。かすんだ視界の隅では小柄な御使いが先に立って梯子をのぼり、大柄な御使いがその後を追った。最後に梯子が引き上げられた。
 わたしは痛みに苛まれながら、長い午後の時間を横たわって過ごした。ようやくからだを起こしたときには、すでに日が暮れかけていた。わたしは立ち上がって石で築いた祭壇を見つめ、夕陽に染まる空を見上げて御使いの言葉の意味について考えた。神が捧げ物を嘉納されたのならば、祈りは満たされなければならなかった。殴られた理由についても考えたが、皆目見当がつかなかった。やがて荒れ野のかなたに太陽が沈み、夜の闇が丘を包んだ。闇のなかで、わたしは背後に気配を感じた。ひとが住む場所ではなかったので、気配を漂わせるものがあるとすれば、獣以外にあり得なかった。だがその気配は、あきらかに獣とは異なっていた。恐ろしいものから喜ばしいものまで、いくつもの予感が胸をよぎり、期待を込めて、勇を鼓して、わたしはゆっくりと振り返った。
 そしてわたしは探していたものを見つけ出した。声に出して神を讚え、暗がりの奥に目を凝らした。そこには一人の女がいた。目によって見たのではなく、心によって感じ取った。闇のせいで見えなかったのではない。仮に昼の光があったとしても目で見ることはできなかった。その女には目に見えるような形がなかった。肌もなく、肉もなく、骨も備えていなかった。臭いもなく、色もなく、声もなかった。血をかよわせる気配だけで存在していた。多くの点で不足があったが、それでもわたしは出会いを得た。美しいのか醜いのか、痩せているのか太っているのか、年上なのか年下なのか、そのいずれにしても確かめるすべはなかったが、それでもわたしの心は満たされていた。わたしが歩くと、女はわたしにしたがった。わたしが丘をくだると、女はともに丘をくだった。わたしは女を連れて村へ戻り、家から孤独を追い払った。
 わたしが出会いを得たことはすぐに村中に知れ渡った。わたしは口を閉ざしていたが、村の者たちは気配によってそれと悟った。男たちが女を一目見ようと押しかけてきて、戸口をふさぎ、互いを押しのけ、首を伸ばしてなかを覗いた。あるいは軒先を肩に乗せて屋根を押し上げ、壁の上から覗き込んだ。
 姿が見えない、と男たちは口々に言った。どこにいるのか、と一人の男がわたしに訊ねた。わたしは部屋の隅の、女がいる場所を指差した。やはり見えない、と男たちは口々に言った。男たちはしきりにいぶかしんだ。見えないからには訊くしかない、と男たちの一人が言った。わたしは女の容姿や年齢、名前といった答えられないことを訊かれるのではないかと心配した。
 その女は、と早速壁の上から訊く者がいた。だが男が口にした質問は、わたしが心配していたようなものではなかった。その女は、と男は訊ねた。毎日、朝と夕に水を汲むのか。わたしが答えに詰まっていると、続いて別の者がこう訊ねた。その女は、かまどに火をおこして料理をするのか。その女は、とまた訊ねる者がいた。伝統の織物ができるのか。その女は、とさらに訊ねる者がいた。繕い物ができるのか。その女は、とまだ訊ねる者がいた。家のやりくりができるのか。その女は、と厚かましく訊ねる者がいた。夜の務めを果たせるのか。ほかにもこう訊ねる者がいた。その女は洗濯ができるのか。
 何もできない、とわたしは答えた。
 いるだけか?、と男たちはわたしに訊ねた。
 そのとおりだ、とわたしは答えた。
 男たちは口をつぐんだ。戸口を背にして一人の老人が口を開いた。村の長老と見なされている男だった。
「もしそれが事実なら、これは悪い前例となるに違いない。あなたは出会いを得たことでいまは喜んでいるかもしれないが、出会い自体はすべてのことの始まりにすぎず、すべての問題は出会いの後で出現することになっているからだ。あなたが言うように、その女は朝と夕に水を汲まない、かまどに火をおこして料理をしない、織物も繕い物もしない、家のやりくりもしないし夜の務めを果たさない、その上に洗濯もしない、ということであれば、それは問題となるであろう。我々はそのような女を決して女とは認めないが、一方、女たちは女の悪しき性によってそれもまた女であると認め、いるだけでよいのであればそれ以上の楽はないと考え、まさにその考えによってあなたの女の行動に学び、村に損害を与えようとたくらむであろう。考えるだに恐ろしいことだ。それだけではない。子供というのは母親の行動から様々なことを学ぶものだが、母親が行動によって村に損害を与えるのを見たら、いったい子供たちはそこから何を学ぶことになるであろうか。これもまた考えるだに恐ろしいことだが、行動によって村に損害を与えることを学ぶのである」
 恐ろしい、と男たちは口々に言った。
 そして村の男たちはわたしの家の戸口で協議にかかり、投票によって決まったことをわたしに伝えた。わたしは女に女としての正しいふるまいを教えなければならなくなった。ただ教えるだけではなく、教えたことを実践するように求めなければならなくなった。
 わたしは四度目の助けを求めて、頬ひげをたくわえた男の家の戸を叩いた。
「姿を与えなさい」と男は言った。
 男の説明によると、女にはまず姿が不足していた。教えるだけであれば必ずしも姿は必要としないが、実践を求めるためにはどうしても姿が必要であった。だが、いかに不足を補う技術に長じていても、この圧倒的な姿の不足を補うことはできなかった。わたしはその方面に詳しい賢者に会って、教えを請うように勧められた。
 わたしは長い旅に耐えられるだけの支度をととのえ、村から七日の距離にある古い町を訪れた。そこはひとの住む大きな町で、毎日のように市が立ち、大通りには朝から晩まで往来があった。わたしはその町で賢者の家を探し出し、その家の戸を叩いて女に姿を与えるための方法を訊ねた。
 賢者にはかつて牡牛の気配に牡牛の姿を与えた経験があった。材料にはひとがまだのぼったことのない山から取った大量の土と、ひとがまだ渡ったことのない川から取った大量の水、若干の塩と若干の硫黄、それにいくらかの香辛料と顔料が使われた。賢者は二年にわたる試行錯誤の末に牡牛の気配に牡牛の姿を与えることに成功し、成功を祝うために姿を与えたその牡牛を殺して食べたところ、二年のあいだに得たすべての知識を失った。
 賢者の言葉によれば、姿を与えた牛の味は美味であった。しかし差し引き勘定で考えるなら、苦労して牛の気配に牛の姿を与えるよりも、最初から姿のある牛を市場であがなったほうがよほどに効率的であった。市場であればまるごと一頭をあがなわなくても、肉屋に頼めば好きな部位だけをさばいてもらえる。市場で買った肉ならば、食べて腹をこわすことがあったとしても、それで知識が失われることはないであろう。賢者が言わんとしたことはあきらかだったが、わたしが姿を与えようとしていたのは牛ではなくて女であり、食べるためではなくて家事をさせるためであった。肉屋がわたしのために家事をさばいてくれるとは思えなかった。
 わたしは賢者に懇願して材料を書きとめた紙を手に入れた。そしてそのまま旅を続けて各地をまわり、材料を集めて村へ戻った。わたしには一頭の家畜もなかったので、すべてを自分の背中で運ばなければならなかった。
 それから一年のあいだ、わたしは家にこもって女に姿を与えるための試みを続けた。水と土を混ぜて泥を作り、泥に塩と硫黄を混ぜてこねまわした。配合を変えて同じことを繰り返し、熱を加え、熱を奪い、ときには新たな材料を加えて結果を求めた。気質として閉じこもることに向いていたわたしは間もなくこの仕事に夢中になり、全神経を傾注し、結果を得られないことで次第に苛立ちを募らせた。いかなる努力にもかかわらず、女は変わらずに気配のままで、怒りを込めて投げつけた泥は気配を抜けて壁にあたった。それでもわたしは大胆に泥をかきまぜ、硫黄を使い、顔料を振り、村の者たちは鼻をつまんで現われて悪臭のことで苦情を言った。家にすっかりしみついた硫黄の臭気が外へと漂い、村の空気を汚染していた。床はいつも泥にまみれて、不快な湿り気をのぼらせていた。
 気がついたときには、仕事どころではなくなっていた。わたしは湿気によって健康を損ない、臭いのせいで病気になった。頭痛と吐き気とひどい無気力に悩まされた。試みを続けることは不可能になり、わたしは最後の気力を振り絞って立ち上がり、壁を洗い、床を洗い、残った材料を残さずに捨てて堅い寝床に横たわった。
 病の床で、わたしは女を罵った。おまえのせいで、とわたしは叫んだ。わたしは壁を洗わなければならなかった、床を洗わなければならなかった。おまえのせいで厄介事を抱え込んだ。おまえのせいで病気になった。おまえのせいで遠くまで旅をし、おまえのせいで重たい荷物を運ばなければならなかった。それというのもおまえが不手際をしたからだ、おまえが姿を備えていなかったからだ。なぜ気配だけで現われたのか、避けられない理由でもあったのか、うっかりしていたとでも言いたいのか、それとも悪意からしたことなのか。おまえのせいで、わたしはひどく不幸になった。
 わたしが罵声を浴びせても、気配は部屋の隅を漂うだけだった。わたしは疲労に押しつぶされて眠りに落ち、熱にうなされて目を覚まし、頭痛とともに朝を迎え、吐き気を抱えて昼をすごした。数日で病の床から抜け出したが、心は無気力に包まれたままで、床に腰をおろして壁を見つめることが多くなった。わたしがそうしていると女の気配はわたしに寄り添い、わたしが飢えや渇きに促されて動くまで、決して離れようとはしなかった。女の気配に孤独のような冷たさはなかった。優しさがあり、温もりがあった。時とともに、わたしは女によって癒されていった。離れがたいという気持ちがわたしの心にはっきりと芽生え、続いて抱き寄せたいという抑えがたい願望が現われた。抱き寄せるためには手ごたえを必要とした。わたしは女に姿を求めた。家事をさせるためではなく、わたしの愛を表わすために、再び女に姿を求めた。
 だが試みはすでに失敗に終わっていた。わたしは五度目の助けを求めて頬ひげをたくわえた男の家を訪ねたが、男は虚しく首を振った。遠くに旅して様々な町の賢者を訪ねたが、答えを知る者は一人もなかった。ある者は例によって肝心な部分の記憶を失い、ある者はわたしを異端者と呼んで棒で打って追い出した。石を投げてきた者もいた。それでもわたしは答えを探した。答えを求めてわたしは苦悩し、わたしの苦悩の大きさを戸口の隙間から見たあるひとが、とある家の場所を示してこのように言った。
「その家の戸を叩きなさい」
 そこでわたしはその家を訪ねて戸を叩いた。その家には奇跡を起こすことで知られた預言者がいた。なかから現われたのは預言者の弟子をしている若者だった。若者はわたしをなかへ招き入れた。家のなかは外見からは信じられないほどの広さがあり、十字の形に並べられた食卓を囲んで多くの者が食事をしていた。その半数は収税吏で、その半数は娼婦だった。近隣の村や町をまわってすべての収税吏や娼婦を集めても、まだ足りないほどの収税吏と娼婦がそこに集まっていた。わたしは頭に浮かんだ疑問を口にしたくてならなかったが、若者はわたしに沈黙をうながし、わたしを家の裏手へと導いていった。
 裏口から外へ出ると、そこにはいくつもの籠が並んでいた。籠のかたわらには顎ひげをたくわえた預言者が立ち、見ている前で一匹の干し魚を二つに裂いた。預言者は裂いた魚を籠に投げ込み、それから弟子に目を向けてこのように言った。
「この前は籠に何杯余ったのか?」
「籠に七杯です」と弟子が答えた。
「その前は籠に何杯余ったのか?」
「十二杯でした」と弟子が答えた。
「なぜ、余らないようにできないのか」と預言者が言った。「招かれた者の数は多いが、選ばれた者の数は少ない。なかへ戻って選ばれた者の数を数えよ。選ばれなかった者は外でわめき、悔しさで歯軋りをするであろう」
 若者は預言者に一礼して家のなかへ飛び込んでいった。そのあいだに預言者はもう一匹の干し魚をどこからか取り出し、二つに裂いて籠に入れた。それを終えるとまた一匹をどこからか取り出し、二つに裂いて籠に入れた。預言者にはわたしに気づく様子がなかったので、わたしのほうから預言者に近寄り、その傍らにひざまずいた。預言者の衣の裾に手を触れると、預言者はからだを震わせて叫びを放った。
「わたしの衣に触れたのは誰か?」
 叫びを聞いて、なかから若者が飛び出してきた。若者はわたしを指差し、預言者はわたしに目をとめた。わたしはひざまずいたまま頭を垂れて、わたしの問題を説明した。そして預言者の助けを請うと、預言者はわたしを立ち上がらせてこのように言った。
「神に祈りなさい」
 祈った結果、こうなったのだとわたしは言った。すると預言者は静かに首を振ってこのように言った。
「信仰薄き者よ、あなたは幸いである。あなたは偽りの祈りによって祈りのための器を得たにすぎない。ならばその器を祈りで満たし、あなたの信仰を証すがよいだろう」
 それで結果を得られるのか、とわたしは訊ねた。すると預言者は静かにうなずいてこのように言った。
「わたしは言おう。神の国はあなたのようなひとのために開かれている。なぜならば神の国とは、葡萄畑の持ち主が葡萄の取り入れのためにひとを雇うのに似ているからである。葡萄畑の持ち主は朝のうちに広場へ出かけていってひとを雇い、雇われた人々は葡萄畑へ出かけていった。葡萄畑の持ち主は昼にも広場へ出かけていってひとを雇い、雇われた人々は葡萄畑へ出かけていった。葡萄畑の持ち主は日没の間際にも広場へ出かけていってひとを雇い、最後に雇われた人々もまた葡萄畑に出かけていった。やがて陽が暮れて賃金を支払う時刻になると、葡萄畑の持ち主は最初に雇った者が最後となるように、最後に雇った者から賃金を払った。昼から働いていた人々や朝から働いていた人々は、日没の間際から働いていた人々が受け取る金額を見て、自分たちはそれよりも多くをもらえると思ったが、その自分たちもまた同じ額を受け取ったので、葡萄畑の持ち主を囲んで不公平であると不平を言った。そこで葡萄畑の持ち主は不平を言う者たちに答えを与えた。自分の持ち物をなぜしたいようにしていけないのか、あなたがたは少なく働いて同じ額を取った者がうらやましいのか。このように最後の者は最初となり、最初の者は最後となる」
 それは実際にあったことだ、とわたしは言った。すると預言者は怒りに震える声でこのように言った。
「わたしがたとえ話をしているときに、なぜ、それは実際にあったことだ、などと言い始めるのか。耳があっても聞こえないのか。なぜ、わからないのか」
 わたしは預言者の怒りの大きさを見て震え上がった。そこへ家のなかから若者が現われ、数えた結果を報告した。
「干し魚の数は足りていました」
「では、余った数を籠で数えよ」
「ただ、果物が足りないようなのです」
「果物のことなど、わたしは知らない」
「大きないちじくの木があった筈です」
「そのいちじくの木なら、もう枯れた」
 そう言うと預言者は、もはやわたしには目もくれずに家のなかへ入っていった。
 わたしは自分の家へ駆け戻った。まずは信じるしかないと考え、女の気配の前に立って女のために祈り始めた。預言者に言われたように女を祈りのための器と考え、神への祈りをそこへ注いだ。祈りを続けるうちに、女は前よりも近しい存在となった。わたしは手ごたえを感じてさらに祈った。日々は祈りで満たされた。日は週となり、週は間もなく月となった。半年ほどが経過すると、祈りのための姿勢は不要となった。一年の後にはすべての言葉が祈りとなり、三年の後にはすべての動作が祈りとなった。五年の後にはわたしのすべてが祈りとなり、すべての祈りは女の器に注ぎ込まれた。
 あるとき、家で床を磨いていると、戸口に開いた隙間の向こうで一人の男がわたしを見つめているのに気がついた。なぜ見つめるのか、とわたしは訊ねた。祈りを学ぶために、と男は答えた。あるとき、三人の賢者がわたしの家を訪れた。三人の賢者はわたしに信仰に関わる助言を求め、わたしはそれに沈黙で答えた。賢者たちはわたしの手に接吻をして立ち去った。あるとき、わたしは光を見た。天からこぼれ落ちた無数の光が地上をさまよっていることに気がついた。それは地上にあるべき光ではなかった。わたしは光をすくい取り、祈りによって天に戻した。
 七年後、祈りを注いだ器がついに女の姿となって現われたが、わたしはすでにその姿をよく知っていた。心を騒がす驚きはなく、ただ静かな喜びがそこにあった。至福のときがやってきた。わたしは愛を表わすために女の前にひざまずき、抱き寄せるために腕を広げた。すべてはこのために用意された。わたしは女を見上げ、手を近づけ、掌に女の鼓動と体温を感じた。さらに手を近づけ、女の肌に触れようとした。だがその瞬間、女の視線が不意に動き、わたしもまた背後に不穏な気配を感じて振り返った。
 そこには二人の御使いがいた。前に立つ一人は小柄で、ゆるやかな白い衣をまとっていた。後に立つ一人は巨体を誇る男の姿で、屈強と見えるからだに獣の皮を巻きつけていた。小柄な御使いがわたしに言った。
「神とともに歩め」
 御使いの言葉を聞いて、わたしは口を開けたような気がする。そのわたしを小柄な御使いは蔑むような目つきでにらみ、背後の同僚に顎をしゃくって合図を送った。すると獣の皮をまとった大柄な御使いが飛び出してきて、わたしの前で毛むくじゃらの拳を握り締めた。逃げる暇など一瞬もなかった。わたしは腹を殴られて前にのめり、御使いは転がりかかるわたしをすばやく捕えて肩に担いだ。わたしは自由を求めて抵抗したが、太くたくましい御使いの腕から逃れることはできなかった。
 家の外には天からおろされた梯子があり、そのこの世ならぬ輝きを村の者たちが遠巻きにしていた。まず小柄な御使いが先に立って、天を目指してのぼり始めた。大柄な御使いが後に続き、わたしを担いでのぼり始めた。戸口に女の姿が現われた。わたしは女に別れを告げた。女は寂しげな笑みを浮かべて、いつまでもわたしに手を振っていた。
 天の国へと至る道はかなり長い。生身のままで、御使いの肩で運ばれた者には特に長い。それは苦難の道であった。だが、わたしはいまここで神とともにあり、そして女のことを考えている。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年11月8日土曜日

捕えられた伍長

捕えられた伍長
Le Caporal Epingle
1961年 フランス 105分
監督:ジャン・ルノワール

1940年。敗北によってフランス兵はドイツ軍の捕虜となり、休戦協定の締結後も解放されることのないまま、ドイツへ無料の労働力として送られる。そのなかの一人、伍長は監視のゆるい野外作業の最中を狙って脱走を試み、うまく列車に乗り込んでフランス国境まで到達するが、駅員の妨害に出会って失敗する。二か月の懲罰生活を送ったあとは身も心も疲れ果ててドイツ兵との馴れ合い生活に首まで浸るが、歯痛を感じたことから出会った歯医者の娘に心を励まされて再び脱走を決意する。今度は夜間にバラックの鍵をあけ、監視のドイツ兵を文字通り排除して(なにしろベッドを出口の扉に寄せて寝ているので)逃げ出そうと試みるが、その場で見つかって失敗する。伍長はまたしても懲罰生活を強いられるが、そうしているあいだに伍長を伍長、伍長と慕うハリー・ポッター似の善良な兵士は伍長が見ている前で無謀な選択をおこなって、一人でバラックを抜け出していく。そして伍長は目の前に現われた機会を逃さずにその場の判断で三度目の脱走に取りかかり、歯医者の娘の支援を受け、危険をくぐり抜けてついにパリに到着する。
残念ながらやる気を疑いたくなる駄作である。書き込みの甘い登場人物、浅薄で唐突な人物描写、ご都合主義の展開、といいところがあまりないのである。1961年の時点でうっかり作られた戦意高揚映画のように見える。ジャン・ピエール・カッセル扮するこの伍長はむら気なだけにしか見えないのに、なぜみんなにああも好かれるのか?

Tetsuya Sato

2014年11月7日金曜日

外套と短剣

外套と短剣
Cloak and Dagger
1946年 アメリカ 106分
監督:フリッツ・ラング

第二次大戦末期、フランスのレジスタンスの偵察で大量のウランがドイツへ運ばれていることをつきとめたOSSは物理学者アルヴァ・ジェスパーを徴用し、アルヴァ・ジェスパーはドイツから逃れてきたハンガリーの物理学者カテリン・ローダと会うためにスイスを訪れるが、スイスではゲシュタポのスパイが目を光らせ、ようやく接触を果たしたカテリン・ローダはゲシュタポによって誘拐されてしまうので、アルヴァ・ジェスパーは対独協力者のアメリカ人美女を恐喝してカテリン・ローダが監禁されている場所をつきとめ、そこをOSSの要員とともに急襲するが救出に失敗、アルヴァ・ジェスパーはドイツ側の情報を得るために今度はイタリアに潜入してイタリアの物理学者ポルダと接触し、娘を人質に取られて口を閉ざすポルダのためにアルヴァ・ジェスパーは娘の救出を約束し、イタリアのレジスタンスが救出作戦を進めるあいだ、アルヴァ・ジェスパーはレジスタンスの美しい娘ジーナと隠れて過ごすことになるが、ここでもゲシュタポやオヴラが目を光らせ、戦争とレジスタンス活動によって身も心も穢れたと感じているジーナは隣人の怪しい挙動も尼僧の怪しい挙動もことごとく危険な兆候として読み取るのでアルヴァ・ジェスパーには心の休まるひまがない。というわけで素人の物理学者ゲイリー・クーパーが素人だからと言い訳をしながら素人とは思えない活躍をする。最後はトンプソンで武装したイタリア人レジスタンスとドイツ軍の大銃撃戦。いわゆるスパイものとしてそこそこによくできたプロットとゲイリー・クーパーの存在感で最後まで飽きることはないものの、サスペンス演出は直球勝負でフリッツ・ラングらしさはあまり見えない。ちなみに撮影はほとんどがセットでおこなわれており、セットの使い方は非常にうまい。



Tetsuya Sato

2014年11月6日木曜日

戦闘機対戦車

戦闘機対戦車
Death Race
1973年 アメリカ 73分 TV
監督:デヴィッド・ローウェル・リッチ

エルアラメインの戦いのあと、アメリカ陸軍航空隊のカルペッパー中尉は給油のためにイギリス軍の基地に立ち寄るが、カルペッパー中尉のカーチスP-40に爆弾架がついていることに目をつけたイギリス軍は中尉の飛行機にいきなり爆弾を積み込んで地雷原の空爆を依頼し、気の進まないカルペッパー中尉に監視役としてイギリス空軍に所属するアメリカ人マクミランをつけるので、カルペッパー中尉とマクミランは砂漠へ飛び立ち、一方、ドイツ軍第六師団のハンス・ピムラー将軍はひとりで砂漠をさまよっているところを自分の師団に属する戦車に拾われ、戦車に乗って進んでいって友軍の隊列と遭遇するが、ドイツ軍のその車列に向かってマクミランが攻撃をしかけて車列は全滅、戦車では将軍自らが機銃を操作してマクミランの乗機を撃墜し、カルペッパー中尉は負傷したマクミランを救うために着陸するが、離陸しようとしているところで戦車砲の砲撃を受けて主翼を損傷、飛び立つことができなくなり、しかもラジエターからは冷却液が漏れ始める、ということで地上を這いずって戦車から逃れ、戦車の上の将軍は地上を這いずるカルペッパー中尉のカーチスP-40を目の敵にして部下を叱咤激励しながら突進を始める。
カルペッパー中尉がダグ・マクルーア、マクミランがロイ・シネス、将軍がロイド・ブリッジス、戦車の下士官がエリック・ブレーデン。小さなスケールに状況とアイデアを盛り込んで、ユニークな作品に仕上がっている。 



Tetsuya Sato

2014年11月5日水曜日

コールドマウンテン

コールドマウンテン
Cold Mountain
2003年 アメリカ 155分
監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ

ノースカロライナの山間部。チャールストンからやってきた牧師の娘エイダは村の男インマンに恋をするが、教養が邪魔して親密になれない。そこへ南北戦争が始まってインマンとエイダは土壇場で互いの気持ちを確かめあい、帰りを待つというエイダの言葉を受け取ったインマンは戦場へ旅立っていく。それから三年。戦場ではインマンとノースカロライナの仲間たちが疲れ果て、ノースカロライナではエイダが生活の糧を失って困り果てていた。教養が生存のための生業を拒否したからである。エイダの困窮を見かねた隣人は無敵の農婦ルビーを派遣、ルビーはエイダの農場のパートナーに収まって見事に問題を解決する。その頃、インマンは前線で負傷して病院へ送られ、南軍から脱走して一人ノースカロライナを目指していた。そのノースカロライナでは酷薄な義勇軍によって過酷な脱走兵狩りがおこなわれ、しかも南軍は敗北を続け、背後には北軍が迫っているのである。
ジュード・ロウと二コール・キッドマンの交合の場面はどちらも実に立派な体格をしていて、一度でも飢餓にさらされた人間には見えなかった(そもそも必要なシーンですらなかった)。レニー・ゼルウィガーの勇ましい農婦はちょっと面白い。ジュード・ロウも悪くない。だが二コール・キッドマンはこの役には貫録がありすぎる。インテリの行かず後家という設定であったとしても雰囲気が違う。戦闘シーンは冒頭の一箇所のみで主に惨さを強調している。ノースカロライナの大自然は美しいが、話にはあまり締まりがない。脱走して故郷を目指すジュード・ロウの前には戦争の悲惨が次から次へと現われ、人命は軽く、運命は惨く、故郷を守る二コール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー組のほうにも戦争の悲惨が次から次へと現われ、人命は軽くて運命は惨い。この二軸構造はうまく消化されていないし、挿入される回想はわざとらしい。


Tetsuya Sato

2014年11月4日火曜日

グリフィン家のウエディングノート

グリフィン家のウエディングノート
The Big Wedding 
2013年 アメリカ 88分
監督:ジャスティン・ザッカム

彫刻家のドンはエリーと結婚して二児をもうけ、さらにコロンビアから養子を取って池のほとりの家で暮らしていたが、結婚から20年後、結婚生活が終わっていることに気がついてエリーと離婚、エリーの親友のビービ―と同棲していたが、コロンビアから来た養子のアレハンドロの結婚が決まったことでエリーは10年ぶりにドンを訪ね、アレハンドロはコロンビアから実母が来ると聞いて、厳格なカトリックである実母は養父母がすでに離婚していることには耐えられないはずだと訴えるので、ドンとエリーは夫婦を演じることにするが、そのせいでいきなり二号に格落ちしたビービ―は面白くないし、長男のジャレドはアレハンドロの実母とともにやって来た妹ヌリアに気を取られ、長女のライラはライラで結婚問題を抱えている。 
ドンがロバート・デ・ニーロ、エリーがダイアン・キートン、ビービ―がスーザン・サランドン、なにかと言うと地獄落ちを口にする神父がロビン・ウィリアムズ。俳優たちはおおむねリラックスした雰囲気のなかでリラックスした演技をしているが、ただリラックスして用意された台詞をしゃべっているだけのように見えなくもないし、映画本体について言えば脚本家出身の監督が自分で書いた脚本を馬鹿正直に採録しているだけ、という気配もあって、ダイアログを垂れ流している割にはシチュエーションを生かせていない。結婚式コメディは難しい。


Tetsuya Sato

2014年11月3日月曜日

プロキオン


 百年に一度の祝祭の日が近づいていた。祝祭の日には祝祭の王が選ばれ、祝祭の王に選ばれた者は祝福を受けて、一年のあいだ犬を養う権利を得る。犬と言っても、ただの犬ではまったくない。太古からの血を受け継いだ高貴な犬で、ともに暮らす者を幸福にいざない、末長く続く繁栄をもたらす。
 やがて祝祭の日が訪れた。祝福を求めて四方八方からひとが集まり、七日のあいだ喧騒が続いた。そして祝祭の王にはわたしが選ばれ、犬を預かる栄誉を授けられた。
 わたしは自分の幸運を心から喜び、犬を受け取るために教えられた家の戸を叩いた。町のはずれにたたずむ、古びた小さな家だった。音にこたえて、厳かに用向きを訊ねる声が聞こえた。わたしは祝祭の王であると名乗り、用向きを伝えた。すると戸を開けてなかから一人の男が現われたが、巨躯を誇り、大きな顔に黒ひげをたくわえ、まるで王者のような風格の持ち主で、全身から威厳と犬の臭いをにじませていた。男はわたしをなかに招き、腕を上げて散らかった部屋の一角を示した。
 手入れの悪い長椅子の上に一頭の大型犬が寝そべっていた。聞かされていたことに間違いはなかった。高貴な犬だということがすぐにわかった。全身がやわらかそうな長い黄金色の毛でおおわれていて、細長く垂れた耳のあいだから長い顔が突き出ていた。顔が長ければ四肢も長く、歩き方には妙になげやりな様子があり、名前を呼ばれて近寄ってくると、頭は男の腰と並んだ。しっとりとした輝きのある上品な目をしていたが、その眼差しにはどこかひとを値踏みするような気配があった。犬がわたしの顔を見上げた。わたしが頭を撫でようとして手を伸ばすと、一歩退いて顔をそむけた。
 王の犬だ、と男が言った。男は両手を高く差し上げてわたしと犬の幸運を祈り、わたしと犬を家の外へと送り出した。わたしは男に飼育にあたっての注意事項などを問い質したが、男はただ首を振り、王の犬だ、と繰り返した。それからわたしの耳に口を近づけ、先に立って進め、と小声で言った。わたしは意味もわからずにうなずいた。
 男は家に戻って戸を閉ざし、路上にはわたしと犬が残された。犬は地面に腰を下ろして高い空を見上げていた。わたしも横に立って空を見上げた。小鳥が二羽、縄張りを争って戦っていた。しばらくしてから目を落とすと、犬は後脚を上げて耳の後ろをひっかいていた。ひっかくたびに全身を覆う長い毛が、ほとんど暴力的なまでに揺れ動いた。
 わたしはすぐにも犬を連れ帰って、近所に自慢して歩くつもりだった。だから犬と一緒になって、いつまでも道の真ん中で時を過ごしているわけにはいかなかった。わたしは犬にやさしく声をかけた。犬は後脚をそっと下ろした。その動作には思わず見とれるような気品があった。だが立ち上がりそうな気配は露ほども見せずに、そのまま路傍のどこかへ視線を移した。犬の視線のその先では、一輪の小さな花が風に吹かれて震えていた。わたしは再び声をかけた。すると犬は脚を畳んで、長々と地面に寝そべった。そこでわたしは間近に見える戸口に向かって、助けを求めるつもりで声をかけた。家のなかから応答はなかった。ここでわたしは男の言葉を、先に立って進めという助言があったことを思い出し、犬をその場に残して先に立って進み始めた。三歩進んでから振り返ると、犬はわずかに顔を上げてまっすぐにわたしを見つめていた。よい兆候のように思えたので、さらに三歩進んで振り返った。犬はまだそこにいて、じっとわたしを見つめていた。値踏みされているような気がした。わたしは犬に背を向けて四歩進んだ。五歩目にかかろうとしたところで考えを変え、飼い主の威厳を込めて手招きするつもりで振り返ると、立ち去りつつある犬の後ろ姿が飛び込んできた。
 犬は家とは反対の方角を目指して進んでいた。道の先には森があり、森の先には見知らぬ世界が広がっている。預かり物を見失うわけにはいかなかった。わたしはあわてて犬を追った。犬の足取りのなげやりな様子からすぐに追いつけるものと期待したが、犬は予想に反して速く進んだ。垂れかかる黄金色の毛が動作をなげやりに見せているだけで、実際になげやりに歩いているわけではまったくなかった。それだけではない。分厚い肉球をそろえた足の裏は、あきらかに屋外をすばやく進むことに適していた。一方、わたしの足の裏には外歩きに適した肉球はない。慣れない速さで歩くことを強いられて、わたしは息切れに苦しんだ。苦しむわたしの目の前で、犬は軽々とした調子で地面を蹴って先へ先へと進み続けた。預かり物を見失うような予感がした。わたしは必死の思いで犬を追った。犬を追って森へ踏み込み、かまびすしい木漏れ日の下を抜けていった。
 森の向こうには野原があった。ゆるやかに伸び上がる緑の丘がうねる波のように重なり合い、空には白い雲が筋を引き、はるか彼方には青く霞む山々があった。道は丘のあいだを縫うようにしながら、彼方の山のほうへと続いていた。
 犬は先へ進んでいった。わたしも犬を追って道を進み、そしてとある丘のふもとで手紙を拾った。封筒は風雨にさらされて朽ち果てる寸前にあり、封を開けて傾けると宝石のついた指輪が転がり出た。指輪はわたしの薬指に計ったようにぴったりと合った。見事な筆跡でしたためられた文面によれば、手紙の差出人は高い塔に監禁されたとある国の王女であり、王女を束縛の身から救い出すためには祝祭の王であるわたしの力が必要であった。救い出すことに成功すれば美しい王女の夫となり、やがては一国の王となることが約束されていたが、わたしは犬を追わねばならなかったので、指輪と手紙をもとの場所に戻して先を急いだ。なおも犬を追って進んでいくと、別の丘のふもとでは武装した市民の集団に出会った。彼らはいままさに凶悪な独裁者と戦っている最中で、戦いを勝利に導くために祝祭の王であるわたしの力を必要とした。独裁者を打ち倒すことに成功すれば、わたしには輝かしい民主国家の初代大統領となることが約束されたが、わたしは犬を追わねばならなかったので先へ進んだ。続く丘のふもとでは一匹の緑色のカエルと出会った。姿は醜いカエルでも正体は魔女に呪いをかけられた隣国の王子で、もとの姿に戻るためには祝祭の王であるわたしの接吻を必要とした。たった一度の接吻でいかなる栄耀栄達も思いのままだとカエルの王子は約束したが、そうしているあいだにも犬が先へ先へと進むので、わたしはカエルを放り出して犬を追わねばならなかった。
 犬を追って進んでいくと、丘の陰から一人の男が飛び出してきて、急ぐわたしの進路をふさいだ。町外れの家にいたあの黒ひげの男だった。なぜ、と男はわたしに訊ねた。あなたは犬の後を歩くのか。なぜ犬の前を歩かないのか。犬の足が速いので、とわたしは答えた。すると男はわたしに向かって指を突き立て、この無能者、愚か者と罵った。犬の前を歩けば犬は必ずあなたにしたがうであろう、しかし犬の後を歩くなら、幸福をもたらすすべての機会をことごとく横目に見て終わることになるであろう。
 だから犬を追い抜け、と男は叫んだ。そこでわたしは走り始めた。意外なことに犬はすぐ先で地面に腰を下ろしていた。足音を立てて近づいていっても振り向くだけで、腰を上げる気配はない。わたしはそのまま走り続けて犬を抜いた。そこは道と道が交わる場所で、道を渡った向こう側では心の貧しい羊飼いに率いられた心の黒い千頭のヒツジが道を渡る者を待ち受けていた。羊飼いがそれっと叫ぶと、千頭のヒツジが一斉にわたしに襲いかかった。わたしはヒツジに全身をかじられて悲鳴を上げ、悲鳴を上げるわたしを横目に見ながら、犬は道の先を目指して進んでいった。
 かじりつくヒツジの群れを払いのけ、決死の思いで立ち上がり、わたしは犬を追って道を進んだ。橋のない川の川原では犬は再び足を止めてわたしを先に進ませたが、その川には心を迷わせた千頭のヘラジカが住み着いていて、唇に引きつったような奇妙な笑みを浮かべながら一斉にわたしに襲いかかった。わたしはヘラジカにかじられて悲鳴を上げ、犬はわたしを残して道を進んだ。断崖に挟まれた谷底の道の入り口でも、犬は足を止めてわたしを先に進ませた。ここには心のねじくれたシロクマがいて、崖の上から大きな石を投げつけてくるので、超人的な瞬発力を発揮してそのすべてをかわさなければならなかった。体力を使い果たしたわたしの前を、犬が先を目指して進んでいった。
 道の終点には大理石で作られた玉座が置かれ、玉座のまわりには月桂樹の林が広がっていた。陽が沈み、月の光が玉座を照らした。影が洗い流され、玉座の上に犬の姿が描き出された。犬が玉座に座っていた。長い黄金色の毛を優雅に垂らし、気品のある細面の顔をわずかにかしげ、値踏みをするような目でじっとわたしを見つめていた。疲労困憊したわたしは玉座の前に膝を突き、そこはわたしの場所だと犬に言った。強い調子で三度同じ言葉を繰り返したが、犬は動こうとしなかった。わたしが吐息を漏らすと、闇を破って黒ひげの男が飛び出してきた。わたしに向かって指を突き立て、この無能者、愚か者と罵った。
 あなたのような人間を、だめな飼い主とひとは言うのだ。
 そうかもしれない、とわたしは答えた。
 すると天から、けたたましい笑いの声が降り注いだ。運命は、もはやひとの手には握られていない。

Copyright c2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年11月2日日曜日

ヘラクレス

ヘラクレス
Hercules
2014年 アメリカ 98分
監督:ブレット・ラトナー

難題を克服してきたヘラクレスとその仲間は傭兵をして引退資金を稼いでいたが、そこへトラキア王の娘が現われてトラキアの惨状を訴え、破格の報酬を提示しながら平和の回復のために手を貸してほしいと頼むので、ヘラクレスとその仲間はトラキアへ出かけてトラキア王と面談し、トラキア王の軍勢に訓練をほどこして使えるレベルに仕立て上げ、トラキア王の指示を真に受けて敵対勢力と交戦してトラキアに統一をもたらすが、実はトラキア王こそが暴君でトラキアの平和を乱していることが明らかになると、ヘラクレスは報酬を投げ捨ててトラキア王に挑戦する。
ヘラクレスがドウェイン・ジョンソン、トラキア王がジョン・ハート、ヘラクレスの仲間のアムピアラオスがイアン・マクシェーン、アウトリュコスがルーファス・シーウェル。ドウェイン・ジョンソンはいかにもドウェイン・ジョンソンという感じの明確なヘラクレス像を提示している。イアン・マクシェーンがとぼけた感じを出していて、ルーファス・シーウェルが意外といいところをさらっていく。ジョン・ハートのいかにもトラキアじみた悪役というのも楽しいし、全体に配役はよくできていると思う。個々のアクションシーンも作り込まれていて、画面がよく動いている。ヘラクレスが戦ってきた怪物のたぐいが伝聞のなかにのみ登場し、現在進行形で指摘される怪物も遭遇するとリセットがかかるというモダンな解釈も悪くない。時代がなぜかヘレニズムになっている、という奇妙な設定は真意がよくわからないが、これはおそらく原作コミックをそのまま引き継いだものであろう。おおむねにおいて悪くない仕上がりだとは思うものの、たぶんどこかに演出のむらがあって、比較的短い尺で、内容も一応詰まっているにもかかわらず、途中でいきなり眠たくなった。 



Tetsuya Sato

2014年11月1日土曜日

ハマー・オブ・ゴッド

ハマー・オブ・ゴッド
Hammer of the Gods
2013年 イギリス 99分
監督:ファレン・ブラックバーン

9世紀末のイングランド中部でバイキングのバグセッグ王はサクソンへの反攻をたくらんで国外に援軍を求め、末息子のスタイナーが五百の援軍を率いて到着するが、バグセッグ王は重傷を負って死の床にあり、スタイナーは部族の新たな長として長兄を探す旅に出てサクソンの領土に足を踏み入れ、サクソン人を殺害し、サクソン人の襲撃を跳ね除けながらとある森へ入っていくと、そこでは長兄がケルトに染まったカーツ大佐と化している。
『ヴァルハラ・ライジング』『アイアンクラッド』を足して3で割ったような感じだろう。バイキング一味の問答無用の殺しっぷりはなかなか堂に入っているし、殺陣もなかなかにきびきびとしているが、暗い。スコットランドの高地のようなさびしい場所をとぼとぼと歩いていくとあれやこれやが起きる、という構成で、脚本家はなにやら警句のようなものを散りばめようと努力しているが、あまり効果は上げていない。 

Tetsuya Sato