2013年12月31日火曜日

エンジェル ウォーズ

エンジェル ウォーズ
Sucker Punch
2011年 アメリカ/カナダ 110分
監督:ザック・スナイダー

財産を狙う継父によって精神病院へ送られた少女は継父の陰謀によってロボトミー手術を受ける運命となるが、運命から逃れるために四人の少女と協力して脱出を計画し、脱出に必要なアイテムを得るために空想のなかで戦いを演じる。
基底にあるのが精神病院で、その風景を継承した形で売春宿が出現し、脱出を計画する少女たちはそこで患者から踊り子へと変身を遂げ、敵の目をあざむくための踊りがそれぞれ空想的なステージにつながっていく。空想の世界では鎧武者が現われて剣を振り、ミニガンを乱射し、第一次大戦を背景にドイツの航空機が爆撃を加え、死からよみがえった兵士たちがガスマスク姿で塹壕を埋め、あるいはファンタジックな古城が怪物で満たされ、その上空をB-25とドラゴンが飛び、疾走する未来の列車で銀色に輝くロボットが武器を手にして爆弾を守る。そのあたりの描写はおおむねにおいて精緻ではあるものの、文脈を欠いているだけに軽さが目立ち、どれほど精緻であっても記号以上の意味にならない。そこで戦う少女たちの動作はそれなりに洗練されたものとなっているが、これも文脈を欠いているので軽さが目立ち、そのせいで単調にすら見えてくる。とはいえ、最大の難点は空想の世界がいちいち踊りと直結しているところで、そこだけに妙な脈絡がついているせいで、空想が空想として広がらない。基底にある単純さとそこに同居している宿命的な重さと宿命から逃れる行為の軽さとが混然と同居してバランスを得るに至っていない。つまり視覚的にどうこう、という以前に構築の粗が目立つのである。 

Tetsuya Sato

2013年12月30日月曜日

マン・オブ・スティール

マン・オブ・スティール
Man of Steel
2013年 アメリカ/カナダ/イギリス 143分
監督:ザック・スナイダー

ジョー=エルは滅亡するクリプトンの未来を息子のカル=エルに託して地球に送り、ケント家に拾われてクラーク・ケントとなったカル=エルは出生の秘密に悩んで世界をさまようあいだに北極の氷塊のなかに眠るクリプトンの宇宙船に遭遇して出生の秘密にかかわる問題を解決し、その場にいあわせたロイス・レインも謎を追ってクラーク・ケントの実家をつきとめ、反乱の罪によってファントム・ゾーンに追われていたゾッド将軍とその一味はクリプトンの未来をカル=エルの手から取り戻すために地球に現われて全地球を相手にカル=エルの引き渡しを要求すると軍はロイス・レインをおとりにカル=エルを捕えてゾッド将軍に引き渡し、カル=エルを捕えたゾッド将軍は地球をクリプトン化する作戦にかかり、ゾッド将軍の手から逃れたカル=エルはアメリカ軍とともにゾッド将軍に立ち向かう。 
スーパーマンというアイデンティティにいくらか混乱を抱えている上に匿名性が脆弱なキャラクターにモダンな合理性を付与するための一連の手続きは解釈として面白いと思う。しかしその結果、スーパーマンは設定の危うさを気にもかけない超人性を失うことになり、ありがちな苦悩を抱えた面白みのないヒーローに成り果てたのだ、と言えなくもない。
映像作品としては冒頭のクリプトンにおける一連のシーンをはじめてとして特に美術面に見るべきところが多いし、視覚的にもおおむね洗練されているが、カットバックは見ているうちに面倒になるし、ほぼ全編が破壊の連続で、クライマックスのマンハッタンのシーンは正直なところ、見ているうちにいやになった。壊し過ぎだし殺し過ぎ。そう思って見ているとヘンリー・カヴィルの妙に血の気の濃い顔も気になってきて、胸に書いてあるそのSの字は希望ではなくて、もしかしたら『ソプラノズ』のSではないかと問いたくなってくる。一定の完成度に達していることは認めなければならないが、わたしとしてはやはりリチャード・ドナー版のほうが好き。つまり、いまどきのスーパーマンが"truth, justice and the american way"とはなかなか口にできないであろうことは承知しているが、それでもあえて口にすることがもしかしたら重要なのではあるまいか。 


Tetsuya Sato

2013年12月29日日曜日

マジック・マイク

マジック・マイク
Magic Mike
2012年 アメリカ 110分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ

フロリダ州タンパで屋根の瓦ふきなどをしているマイクは工事現場でアダムと名乗る19歳の若者と出会い、フットボールの奨学金で大学に入ったアダムはすでにドロップアウトして姉の家に居候をしていて職を求めている状態で、そのアダムとクラブの前で再び出会ったマイクは自分の夜の仕事にアダムを引き入れ、初日に臨時の登板を求められたアダムは自分の仕事をやり遂げるので店のオーナーのダラスはアダムに正式に職を与え、以降アダムはマイクとともにストリッパーとしての道を歩み、マイクはアダムの姉ブルックに感情を抱きながらストリッパーから抜け出す道を探る。
マイクがチャニング・テイタム、ダラスがマシュー・マコノヒー。出演者はいずれも健闘していて、特にアダム役のアレックス・ペティファーが印象に残る。ソダーバーグの演出はともすれば微妙にも感じられるフィルターワークも含めて隙がないが、主要な関心は男性ストリッパーとその日常という素材の珍しさにあって必ずしも映画的な造形にはないように見える。


Tetsuya Sato

2013年12月28日土曜日

ミュンヘン

ミュンヘン
Munich
2005年 アメリカ 164分
監督:スティーブン・スピルバーグ

1972年の九月に「黒い九月」がミュンヘン・オリンピックの選手村を襲撃してイスラエルの選手、役員など11人を殺害し、イスラエルはその報復としてPLO、PFLP、「黒い九月」の関係者11人を殺害する計画を立案、モサドの工作員アフナーをリーダーとする五人の暗殺チームをヨーロッパに送り込む。
内容はジョージ・ジョナスの『標的は11人』におおむねしたがいながら、膨大な情報を巧みに刈り込んでよくまとまった映画に仕上げている。テンポは速く、場面転換は心地よく、2時間42分の上映時間はまったく長さを感じさせない。
エリック・バナ、ジェフリー・ラッシュをはじめ、イスラエル側の登場人物は実にみごとに70年代的な風貌を装い、特にエリック・バナはキブツ出身のイスラエルの若者という役をそれらしく演じることに成功している。細部にわたる時代色もさることながら、暗殺の舞台となるパリ、ローマ、アテネ、キプロス、ベイルートがそれぞれに異なる空気をまとっていたことは特筆すべきであろう。マルタ島ロケと思われるテルアビブもよくできていた。
映画は祖国イスラエルから切り離されてイスラエルの任務に殉じる暗殺チームが、その使命に巻き込まれることによって必然的にアウトサイダーとなることを強いられ、結果として祖国を喪失していく過程を少ない言葉で手際よく描写し、それと並行してミュンヘン事件の経過を全体に散らすことによって暴力の連鎖が現在に至るまで途切れなく続いていることを観客に知らせる。連鎖に関する表現はおそらくは必要以上に政治性を帯びたものとなり、ミュンヘン事件のクライマックスにアフナー夫妻の性行為がオーバーラップするあたりはいささか悪趣味にも感じられたし、ラストシーンでエリック・バナとジェフリー・ラッシュがかわす会話はマンハッタンを背景におこなわれ、ユダヤとイスラエルのきわめて個人的な決別が示されたあと、カメラは左にパンして彼方に立ち並ぶ国際貿易センタービルを映し出す。意外なまでのメッセージ性の強さにいくらか驚いたのは事実である。
それにしても劇中に登場する料理のおいしそうなこと。暗殺チームの食事に限って言えば、『標的は11人』では料理は当番制で、なんだかまずそうなものを食べていたと記憶している。ちなみにミッション遂行中に貯め込んだ給料10万ドルを最後にイスラエル政府に取り上げられた、という話は気の毒すぎるのか、映画には出てこなかった。



Tetsuya Sato

2013年12月27日金曜日

シンドラーのリスト

シンドラーのリスト
Schindler's List
1993年 アメリカ 197分
監督:スティーブン・スピルバーグ

ワルシャワのゲットーからアウシュヴィッツまで、多くのイメージがたくみに再現され、さまざまな顔がいずれも個性的に描き出される。どこかアウグスト・ザンダーを思い起こさせるようなヤヌス・カミンスキーによるモノクロームの映像が印象的である。構成は多面的で、オスカー・シンドラーが西欧的なおとぎ話を敷延したような形で登場し、それがユダヤ的な干渉によって義人へと変換されていくプロセスが面白い。酷薄な小物アモン・ゲーテに扮したレイフ・ファインズが好演していた。ホロコーストという比較的最近の事件の視覚的な再現という取り組みにはいつも抵抗を感じるのだが、とにかくひとかど以上の作品に仕上がっている。


Tetsuya Sato

2013年12月26日木曜日

アミスタッド

アミスタッド
Amistad
1997年 アメリカ 155分
監督:スティーブン・スピルバーグ

1839年、奴隷船アミスタッドで奴隷たちが反乱を起こし、乗員を殺戮して船を奪い、アメリカ合衆国東部にたどり着き、そこで海軍によって捕らえられる。スペイン女王イザベラ二世、スペインの奴隷商人、さらにアメリカ海軍士官が奴隷の所有権を主張する一方、奴隷解放運動を進める一派は捕らえられたアフリカ人の自由を求め、一審はアフリカ人の主張を認めるが、選挙運動中のヴァン・ビューレン大統領は奴隷釈放による南部の反発を恐れ、司法に介入して最高裁に決定を委ねる。
奴隷解放運動家がモーガン・フリーマン、アフリカ人側の弁護士がマシュー・マコノヒー、支援に乗り出すジョン・クインシー・アダムズがアンソニー・ホプキンス、対する地方検事がピート・ポスルスウェイト。視覚的には迫力があり、黒を基調とした撮影は美しいが、話の作りには少々難があり、問題が「アメリカ」へと回収され始めた途端に言葉は締りをなくし、構造もまた散漫になる。アンソニー・ホプキンス扮するクインシー・アダムズは見栄えがするものの、後半、すべてのポイントがそこへ動いていくために周囲は生彩を失っていく。


Tetsuya Sato

2013年12月25日水曜日

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
Catch Me If You Can
2002年 アメリカ 141分
監督:スティーブン・スピルバーグ

フランク・アバグネイルSr.は第二次大戦に出征し、フランスで妻を見つけて一児をもうけ、ニューヨーク州の地方都市で店を営んでいたが、国税局による告発を受けて財産を失う。一家は戸建ての家からアパートの部屋へ移り住み、息子は私立から公立の高校へ、妻はパート探しを余儀なくされる。そして妻は夫との離婚を選び、その唐突な報せに驚いた16歳の息子フランク・アバグネイルJr.は家を飛び出し、糊口をしのぐための空手形を連発するうちに手形詐欺の手口を独学で身につけていく。外見で信用を得るためにパンナムのパイロットの制服を身にまとい、その格好で飛行機にもただ乗りし、ジェームズ・ボンドにあこがれてコピーのスーツを三着も買い、アストン・マーチンを乗り回し、FBIの追跡をかわしながら、ある時は外科医となって救急外来の指揮にあたり、ジョージア州では司法試験に合格して検事補の任についたりもする。つまりこのひとは本当に頭がよいのであろう。少しあやかりたいものである。
フランク・アバグネイルSr.がクリストファー・ウォーケン、Jr.がディカプリオ、FBIの捜査官がトム・ハンクス。スピルバーグの演出は軽いタッチでテンポが速く、重たくなるところにはあまり足を止めずに片づけていく。その点では見やすい映画だと思う。反面、軽いだけで格別のカラーがないためにどうしてもキャラクターの造形が曖昧になって、人物関係などは構図以上のものにはなっていない。とはいえ、クリストファー・ウォーケンは落ちぶれながらも絶対に息子を売ろうとしない父親を好演しているし、トム・ハンクスとディカプリオの掛け合いも悪くない。60年代を再現した美術は見ごたえがあった。


Tetsuya Sato

2013年12月24日火曜日

未知との遭遇

未知との遭遇
Close Encounters of the Third Kind
1977年 アメリカ 132分
監督:スティーブン・スピルバーグ

高校二年の時に見て感動した(ちなみに劇場はテアトル東京)。ただしこの映画はオリジナルを見ても、そしてその後の特別編を見ても明らかなように根本的に構成というものを欠いている。スピルバーグが観客に見せたいと考えた映像が最低限の文脈に基づいて並んでいるに過ぎない。その一つひとつはどれもとても魅力的で、時にはこちらの感性にも強く訴えてくるので最後まで見てとおすことができるのである。一個の作品と考えるよりは、スピルバーグ少年のスケッチブックだと考えた方が正しいのかもしれない。絵の一枚一枚の仕上がりには好感が持てる。ジョン・ウィリアムスの音楽は文句なしの大傑作。 


Tetsuya Sato

2013年12月23日月曜日

レア・エクスポーツ 囚われのサンタクロース

レア・エクスポーツ 囚われのサンタクロース
Rare Exports
2010年 フィンランド/ノルウェイ/フランス/スウェーデン 80分
監督:ヤルマリ・ヘランダー

フィンランド北部の田舎町のすぐそばに小高くそびえる山があり、その山頂でなにやらあやしい企業が採掘作業を進める一方、町のほうでは母親を亡くして父と二人暮らしの少年ピエタリがサンタクロースの恐ろしい正体を調べ、クリスマスがやってくると町では怪事件が起こってラジエーターやドライヤー、袋が消え、子供たちが姿を消し、ピエタリの父親がしかけたオオカミ獲りの罠には怪しい老人がかかり、しかもしぶとくまだ生きている、ということで、持っていたパスポートから老人がアメリカ人で、山頂で作業をしていた一味であると考えた父親は仲間を呼んでこの老人をいきなり人質に取り、身代金を稼いでオオカミの被害を補填しようとたくらむが、ピエタリはこの老人の正体を見破り、かつてサーミ人が氷中に封印したサンタクロースがついに復活したことを知り、ピエタリの話を信じた父親たちはアメリカ企業にこのサンタクロースを売り飛ばしてオオカミの被害を補填しようとたくらむが、実はこのサンタクロースはサンタクロースではなくてサンタクロースの妖精であり、巨大なサンタクロースはまだ復活の途上にあることがわかり、サンタクロースの妖精に包囲された人々はピエタリの作戦にしたがってサンタクロースを退治すると、妖精たちを囲いに入れて輸出する。
サンタクロースやサンタクロースの妖精もなかなかに不気味な仕上がりだが、何が恐ろしいと言って、とにかくどのような状況にもふてぶてしく立ち向かう田舎のお父さんたちが恐ろしい。全員が武装しているし、妙に手際がいいのである。細部にわたるまでていねいに作り込まれた空間と丹念な演出に好感を持った。勇敢で有能だけど、いつもぬいぐるみを抱えている少年ピエタリがかわいらしい。 



Tetsuya Sato

2013年12月22日日曜日

RONIN

RONIN
Ronin
1998年 アメリカ 122分
監督:ジョン・フランケンハイマー

冷戦終結後のヨーロッパ。食いっぱぐれた元エージェントや自称プロが仕事を求めてうごめいている。まず、モンマルトルのうらぶれたカフェ。怪しい気配の男女が集い、一台の車に乗り込んで倉庫へ移動。ジェラルミンのケースを奪うというミッションが与えられる。指揮官の女はアイルランド人。雇われたのはフランス人、アメリカ人、ロシア人など多国籍の5名。まず武器の調達。セーヌ河畔でディーラーと接触し、だまし討ちにあう。激しい銃撃戦。結果としてイギリス人が脱落し、チームはケースを求めてニースに移動する。敵の護衛チームのレベルを調査して作戦を立案、第三者の迷惑を顧みずに狭い道でロケット弾、機銃を使用して敵のコンボイに襲撃を加え、またしても激しい銃撃戦。八百屋さんが巻き添えで倒れ、続いてニース旧市街でシトロエンとアウディのカーチェイス。カフェテラスが破壊され、激しい銃撃戦と爆発があり、ケースは手をすり抜けてアルルへ移動。ローマ時代のコロセウムで銃撃戦。今度は観光客が犠牲になる。赤穂浪士のファンタジックなディオラマが登場し、それから舞台はパリに戻り、市街地でBMWとプジョーのカーチェイス。この場面はものすごい。ケースは敵の手に戻り、まだその後も殺し合い。
フランケンハイマーがA級予算で作った「B級アクション映画」の大作。デ・ニーロとジャン・レノが渋い。ジョナサン・プライスの悪役ぶりもなかなかのものだが、使っている役者が役者なのだから、この人物にはもう少しひねりがほしかった。ちなみにこれは、昔だったらダーク・ボガートがやっている役ではあるまいか。ショーン・ビーンは例によってかわいそう。残念ながら脚本はあまりこなれていないし、サムライや浪人に関する蘊蓄はエキゾチックすぎてつきあえない。ほぼ全編、徹底したアクションのつるべ打ちなので、それを楽しめばよいのであろう。その範囲ではまったく裏切られることがないし、失業スパイのうらぶれた雰囲気もまたよろしい。


Tetsuya Sato

2013年12月21日土曜日

私がクマにキレた理由(わけ)

私がクマにキレた理由(わけ)
The Nanny Diaries
2007年 アメリカ 106分
監督:シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ

ニュージャージーの母子家庭出身で看護師の母親の支援を受けて大学で経営学と人類学を学んだアニー・ブラドックは卒業すると金融業会での成功を志してハドソン川を渡ってゴールドマン・サックスの面接を受けるが序盤で失敗、失意のどん底でセントラルパークに沈んでいるとふとしたことから一人の少年を事故から救い、この少年グレイヤーの母親でアッパーイーストサイドの典型的な母親であるという理由からすばやく記号化されたミセスXから嘱望されてグレイヤーのナニーをすることになり、早速マンハッタンで住み込みのナニーを始めるが、ミセスXはあれやこれやと理由をつけて育児を拒み、ミスターXは息子に対して愛情を見せず、グレイヤーは愛情面で阻害され、ミセスXとミスターXの夫婦関係は崩壊している上にミセスXはアニーに対して小間使いのような仕事もまで押しつけて休日まで取り上げる、という有様なので辞めることを考えるものの、グレイヤーへの愛情から逃げ場を失う。 
アニーがスカーレット・ヨハンソン、ミスターXがポール・ジアマッティ、アニーの恋人が『キャプテン・アメリカ』のクリス・エヴァンス。いろいろと悪いうわさの多いニューヨークのナニー事情を暴露的なタッチで盛り込みながら、その外側に人類学的な枠をはめておく、という趣向は面白いし、各所で造形面の頑張りが見える。スカーレット・ヨハンソンは混乱したキャラクターを好演し、ローラ・リニーの異常にテンションの高いミセスXも見ごたえがある。 

Tetsuya Sato

2013年12月20日金曜日

人生に乾杯!

人生に乾杯!
Konyec
2007年 ハンガリー 107分
監督:ガーボル・ロホニ

1950年代後半、ハンガリー共産党の運転手をしているエミル・キシュはとあることから階級敵の娘ヘディと出会い、それから50年ほどが経過してエミル・キシュは81歳になり、妻のヘディも71歳になり、わびしい年金暮らしでアパートの家賃も払えず、電気もとめられて、という生活をしているところに執行吏が現われてヘディが最後に残していたイヤリングまで持っていくのでエミル・キシュはソ連人が残していったトカレフを手にチャイカに乗り込むと郵便局で強盗を働き、ガソリンスタンドでも強盗を働き、稼いだ金で電気料金を支払い、妻のためにテレビを買い、そうしていると警察に身元が割れて刑事がエミル・キシュの家に現われ、エミル・キシュがヘディを呼び出すと警察はエミル・キシュを罠にかけて捕えようと試みるのでヘディがエミル・キシュに警告を囁き、老夫婦はチャイカに乗り込んで警察の目をくらますとさらに強盗を繰り返す。
主人公の老夫婦が非常にチャーミングで、周辺人物の描き込みもうまい。空間処理や音楽などが微妙にアメリカン・ニューシネマな雰囲気で『バニシング・ポイント』を意識しているような気配が見えた。決して洗練された演出ではないし、終盤の刈り込みに少々乱暴さを感じたが、それでも作りはていねいで、そしてなによりもチャイカが強い。いい映画だと思う。


Tetsuya Sato

2013年12月19日木曜日

レッド・ヒル

レッド・ヒル
Red Hill
2010年 オーストラリア 95分
監督:パトリック・ヒューズ

妊娠中の妻を転地させるために小さな田舎町レッド・ヒルに転勤した警官シェーン・クーパーが初日に出勤すると刑務所から囚人ジミー・コンウェイが脱獄したという報道があり、そのジミー・コンウェイがもともとレッド・ヒルの住民で、武装しているということから町の警察を率いる警部は警官たちを武装させ、さらに武装した町民を集めて要所に配置し、シェーン・クーパーもまた見張りの任務を帯びて街道に立つが、間もなくそこへジミー・コンウェイがショットガンを構えて現われ、説得を試みたシェーン・クーパーは足を踏み外して谷へ落ち、町へ進んだジミー・コンウェイは武装した町民を次々に殺害し、谷から脱出したシェーン・クーパーは徒歩で町へ戻って惨状を知り、警部に応援を要請するが、なぜか警部は応援を求めることを拒絶して町の人間で対処することに固執する。
現代のオーストラリアが舞台になっているけれど、移動のかなりの部分が馬で、雰囲気もかなり西部劇という変わった映画で、しかも背景にはどこからともなく現われたヒョウがいて、獲物を求めて徘徊している。撮影がシャープで美しく、嵐を控えた天候の移り変わりが効果的に使われている。語り口は正直だが、演出は丹念でテンションが高い。銃器類の扱いが渋く、警官がライフルを構えて照準器をちらりと動かす場面になぜかはっとさせられた。見ごたえのある作品である。

Tetsuya Sato

2013年12月18日水曜日

大追跡サバイバル・ロード

大追跡サバイバル・ロード
The Pursuit of D.B. Cooper
1981年 アメリカ 100分
監督:ロジャー・スポティスウッド

1971年にオレゴン州上空でダン・クーパーと名乗る男が国内線のボーイング727をハイジャックし、20万ドルの身代金を受け取ったあとパラシュートで脱出、その後の行方は知られていない、という現実の事件を受ける形で、D.B.クーパーが727の後部ドアから飛び出すところから話は始まり、地上に降り立ったD.B.クーパーが山深い一帯を走り、急流をくだって逃走を企てていると、保険調査員があとを追ってくる。

すでに伝説になっているD.B.クーパーがトリート・ウィリアムズ、その特殊部隊の元上官かなにかで保険調査員がロバート・デュヴァル。のんびりとしている割りにはけっこう体当たりのアクションで、なかなかに面白かったと記憶している。ちなみに『大追跡サバイバル・ロード』は80年代のビデオ・リリース・タイトルで、その後、邦題は『ハイジャック・コネクション』に変更されている模様。

ハイジャック・コネクション [VHS]
Tetsuya Sato

2013年12月17日火曜日

ドニエプル攻防決戦1941

ドニエプル攻防決戦1941
Днепровский рубеж
2009年 ベラルーシ 131分
監督:デニス・スコヴォゾウ

1941年6月、保安部隊に逮捕されて拷問されていた陸軍将校が突如として釈放されると歩兵部隊の師団長としてドニエプル川に近い都市モギリョフに送られ、そこで抗戦の指揮にあたる。
厭世観たっぷりの音楽が流れるところへシュトゥーカの攻撃を受けた列車の脇でカタツムリが交尾しているとか、死体が転がる列車の床をカメが這っているとか、He111の編隊がトンボにオーバーラップするとか、序盤の奇妙な演出にいささか首をひねった。
正攻法で戦争映画を作ることよりも、その先の得体の知れないなにかに昇華させようとしているような気配があって、中盤以降も三号戦車が踏みにじる麦の穂がアップになったり、塹壕の底で幼い少女がぽかんと口をあけて戦闘を見上げていたり、看護婦二人が兵士のからだから破片を抜きながら自分が見た夢について語り合ったり、師団長が伝道の書について語りながらいきなりギターを弾き始めたり、といった具合に微妙に変な場面が登場する。もう二押しくらいすれば作り手が意図したようななにかに化けていた可能性も否定できないが、力が足りていないところがあって、残念ながら作品としては不足が目立つ。
とはいえ戦闘シーンはかなり立派なもので、少々CGが安めなのが気になったものの、陣地戦から遭遇戦、市街戦と背景を変えながらドイツ軍の攻勢に押されたソ連軍がNKVD、義勇軍を動員して抵抗を続け、最後に弾がなくなると肉弾戦を挑むところまで、視点を惜しまずに立体的に描こうとする努力があって好ましい。ネーベルヴェルファーは映画では初めて見たと思う。 


Tetsuya Sato

2013年12月16日月曜日

セデック・バレ

セデック・バレ
Seediq Bale
2011年 台湾 276分(第一部:144分、第二部:132分)分
監督・脚本:ウェイ・ダーション

(第一部 太陽旗)台湾のセデック族が藩ごとにわかれて狩場を争って首狩りをしていたころ日本の統治が始まって文明化が押しつけられ、セデック族は抵抗を抑えつけられて首狩りを禁止され、首狩りが禁止された結果、戦士になる機会も勇者になる機会も失い、死後に虹の橋のかなたにある狩場に入る機会も失ったまま30年のときが流れ、不満が鬱積したところへ日本人巡査が(いかにもやりそうなことだが)不満を爆発させるような干渉をおこない、不満を爆発させたセデック族は頭目の一人モーナ・ルダオの指揮で1930年10月、霧社でおこなわれる運動会に集まった日本人を300人の戦士で襲撃し、およそ140人を殺害する(というか、血の儀式をおこなって首を狩る)。
(第二部 虹の橋)台湾総督府は陸軍、警官隊からなる討伐軍を霧社に送って霧社を奪回するが、山に入ったセデック族から手ひどい反撃を受け、増援に加えて航空機、野砲、毒ガス、迫撃砲などを投入し、さらに同じセデック族からモーナ・ルダオの敵を味方につけて山狩りをおこなう。 
いわゆる霧社事件の映画化。セデック族のハイランダーみたいな勇猛ぶりがかっこいい。戦いぶりはほとんど無敵という感じで、日本軍はもっぱら殺されるために登場する。とはいえ、これは抗日映画にありがちな大言壮語というよりも近現代史を背景に出現した民族叙事詩としてとらえるべきであろう。事実上の主役はモーナ・ルダオということになるが、おそらくは同じ理由からモダンな個性は排除されており、逆に日本人の周辺キャラクターのほうがステレオタイプながら書き込みが多い。決してまとまりがいいわけではないし、四時間半という上映時間は少し長いような気がしたし、技術的な難点(一部の撮影、特殊効果)もいくらか目についたが熱意のこもった力作だと思う。




Tetsuya Sato

2013年12月14日土曜日

ゼロ・グラビティ

ゼロ・グラビティ
Gravity
2013年 アメリカ 91分
監督:アルフォンソ・キュアロン

ライアン・ストーン博士がスペースシャトル『エクスプローラー』から船外作業に出てハッブル望遠鏡の修理をしているとロシアが自国の衛星を爆破して連鎖反応で周辺の衛星も壊れてデブリの大群になってシャトルに襲いかかり、シャトルから伸びるアームの先端にいたストーン博士はデブリによってもぎ取られたアームとともに宇宙へ流されてシャトル指揮官のコワルスキ―によって救出されるが、シャトルは全壊している上に通信衛星も破壊されているのでヒューストンとの連絡も絶たれ、生き延びるためにかなたに見えるISSに向かって移動を始める。 
冒頭の船外作業におけるはしゃぎぶりには時代錯誤な印象を受けたし、中盤以降は監督はもしかしたらテレンス・マリックなのではないかという疑いも抱いたが、テレンス・マリックなら確実に寝ていたはずなのでやっぱりキュアロンなのだと思い直して最後まできちっとした作りに感心しながら見終わった。
短編映画でも難しそうな素材を二人芝居(中盤からサンドラ・ブロックの一人芝居)という形でハードルを上げて、微細かつダイナミックな背景描写で仕上げるあたりの筆力は申し分ない。ISSの崩壊シーン、ソユーズ宇宙船のロシア的なアナログぶり、ソユーズとそっくりな神舟の近代化改修ぶりなど楽しめるところもたくさんある(ただ、正直なところを言うと壊し過ぎだし殺し過ぎ。この映画を見て心が傷ついた宇宙計画の関係者はけっこう多いのではあるまいか)。キャスティングもたくみで、ある意味誰でもよさそうなところにサンドラ・ブロックをあてることでサンドラ・ブロックの身体的な強度が生かされている。
つまりきわめてよくできた映画ではあるが、それにもかかわらず一点豪華主義的な、そして一点においてよければ観客は満足するというこちらの弱点を見通しているような、ある種のあざとさが微妙に嗅ぎ取れる、というところにたぶんいくらかの抵抗を感じている。原題の"Gravity"が最終的にあのような形に帰結するところもどこか気恥ずかしい。洒落だったのかもしれない、という気もする。 
Tetsuya Sato

トゥモロー・ワールド

トゥモロー・ワールド
Children of Men
2006年 アメリカ・イギリス 109分
監督:アルフォンス・キュアロン

2027年のイギリス。人類は18年前から子を作れなくなり、そのせいなのかなんなのか知らないけれど文明は世界各地で崩壊し、ただ一国どうにか秩序が保たれているイギリスに難民の群れが押し寄せている(らしい)。で、いかにもイギリス的に底意地の悪そうな兵隊たちが不法入国者を端からとっつかまえてキャンプに放り込んでいる頃、エネルギー省に勤めるくたびれた男セオドール・ファロンの前に別れた妻ジュリアンが反政府組織を率いて現われる。察するに元妻と寄りを戻したいという気持ちがどこかにあったのであろう、最初は拒絶するものの、結局セオドール・ファロンはこの反政府組織の行動に引きずり込まれ、成り行きによって責任を背負い込み、人類の未来を守るためにやむなく権力や暴力に立ち向かい、銃弾の雨のなかを突き進むことになっていく。
P・D・ジェイムズの原作は未読。なくてもいいようなストーリーとやたらと感傷的な音楽がいささか邪魔であったが、全体に美術は質が高いし映像面での満足度も高い。ウェザリングがほどこされた町や車や個人の持ち物などの細部にわたるプロップの作り込みには感心したし、冒頭、クライヴ・オーウェンがカフェでコーヒーを買って路上に出て、そこでいきなりテロが起こるという短いシーンも非常に迫力があるし、一歩郊外に出ると鉄道沿線にも森の奥にも暴徒が蝟集し、なんだかわからないけど襲ってくるという終末的な描写もなかなかに魅力的だし、クライマックス、難民キャンプ内で暴動が起こってクライヴ・オーウェンが走り始めてからの十分近いワンショットは市街戦のリアリティに挑戦しており画面の細部に見ごたえがある。
ということで大筋はともかく、こまかいところに長所の多い映画だと思う。クライヴ・オーウェンもジュリアン・ムーアもどちらかと言えば嫌いな種類の役者だが、全人類が鬱状態で景気が悪くて薄汚れている、という設定だと、この二人の不機嫌で不景気そうな様子もほとんど気にならない(というか、つまりそういうキャスティングであったと理解している)。マイケル・ケインがいい感じ。あと、登場するイヌやネコが人類の不幸ぶりと対照的に幸せそうなのが面白い。


Tetsuya Sato

2013年12月13日金曜日

モンスター上司

モンスター上司
Horrible Bosses
2011年 アメリカ 98分
監督:セス・ゴードン

ニックは昇進を約束されて八年間にわたる過酷な超過勤務に耐えるが、その上司デイヴ・ハーケンはニックの期待を裏切って昇進の機会を奪った上にさらにこき使うと宣言し、カートは人柄のよい社長(ドナルド・サザーランド)の下で働いていたが、その社長が突然の心臓発作で死ぬとろくでなしの息子ボビー・ペリットが社長になってろくでなしぶりを全開にし、児童公園で立小便をしたせいで性犯罪者の前科持ちになっているデイルは歯科医の助手をしていたが、歯科医のジュリアはデイルにセクハラの限りを尽くし、ニックとカートとデイルは夜毎に集まって身の不運を嘆き、なんとはなしに上司を片付けることができたら、というような願望を口にしてみると、いっそのこと本当に片付けてみたらどうだろうか、というような話になり、殺し屋を求めて町をさまよっているとマザーファッカー・ジョーンズと名乗る怪しい黒人が手を差し伸べ、言われるままに5000ドルを払うと殺害方法についての適当な指南だけしてくれるので、教えにしたがって標的の情報を集め、弱みを探るようなことをしていると意外なことから意外な展開になり、状況を糊塗しようとあたふたとしているうちにいよいよ恐ろしいことになってくる。
凶悪な上司デイヴ・ハーケンがケヴィン・スペイシー、あほうな社長ボビー・ペリットがかなり化けたコリン・ファレル、ほとんど色情狂のような歯科医がジェニファー・アニストン。この三人の怪演ぶりがかなりすごいし、対する腰抜け三人組のどことなく小動物じみたうろうろぶりもよくできているし、マザーファッカー・ジョーンズ役のジェイミー・フォックスも楽しそう。演出は密度が高く、構成に無駄がない。質が高くて笑えるコメディである。 



Tetsuya Sato

2013年12月12日木曜日

モンスターズ・フォレスト

モンスターズ・フォレスト
The Millennium Bug
2011年 アメリカ 90分
監督:ケネス・クラン

1999年12月31日、Y2Kパニックを避けたとおぼしき夫婦と娘の三人家族がとある山に入ってキャンプをしているとそこへ山中に孤立していたせいで遺伝的に劣化したとおぼしき一家が襲いかかって、といういつもの展開をしているところへUMA学者が現われ、続いて怪獣が現われて殺人鬼一家、犠牲者一家、UMA学者に襲いかかる(ちなみに犠牲者一家の父親の名前がバイロン・ハスキンだったりする)。 
独立プロダクションの低予算の作品で、CGなし、怪獣はスーツ、パペット、メカニカルで表現し、家、森、廃墟などにもミニチュアを使い、森のなかのいくつかの場面ではどうやらセットを使って撮っている。全体にある種の安さは否めないものの、撮影はおおむねにおいて統一があり、演出、演技もこのクラスの映画としては好ましいレベルに達している。傑作だというつもりはないが、間違いなくがんばっているし、素材に対するこだわりが見える。 


Tetsuya Sato

2013年12月11日水曜日

ラスト・デイズ

ラスト・デイズ
Los ultimos dias
2013年 スペイン 100分
監督:アレックス・パストール、ダビ・パストール

屋外に出ることができなくなる、出ると発作を起こして死ぬ、という症状が次第に世界に広まっていって、バルセロナでプログラマをしているマルク・デルガドは出勤したままオフィスのある建物から出ることができなくなり、同じように閉じ込められた人びとと協力して地下鉄の線路に出る穴をあけ、地下鉄と線路をたどって無法状態の地下世界をくぐり抜けると恋人のフリアを探して自分のアパートにたどり着くが、そこにはすでに見知らぬ一家が住みついていたので地下に戻ってさらにフリアを探し続ける。 
監督は『フェーズ6』のアレックス・パストールとダビ・パストール。演出は淡々としているが表現はおおむねにおいて洗練されており、荒廃した世界の描写は見ごたえのあるものになっている。撮影も非常に美しくて、スーパーマーケットでの戦いの手持ちカメラによるワンショットには感心した。主人公がどう考えても短気すぎる、ところどころで背景や状況描写の詰めが甘い、などの欠点があるが、エンディングがはらんだ絶望と再生への期待はとても感動的。 
ラスト・デイズ [DVD]
Tetsuya Sato

2013年12月10日火曜日

バウンティ・キラー

バウンティ・キラー
2013年 アメリカ 92分
監督:ヘンリー・セイン

グローバル化した企業が互いをつぶすために戦争を繰り返したせいで世界は荒廃、安定を取り戻すために現われた謎の評議会が企業側の犯罪者に賞金をかけ、賞金稼ぎが民衆の英雄となって企業と戦い、ヒロインのメアリー・デスもまた撃ちまくって殺しまくる。 
低予算ながら配役はいちおうそろっている。シンプルだがそれなりにモダンな背景で、ただもう撃ちまくって殺しまくっていればもう少しいいところまでいった可能性のある素材だが、ヒロインとその恋人には余計な背景があり、守るの守れないのといったうざい展開があり、むやみと強いヒロインが思い出したように弱くなったりめそめそしたりする、という有様で、つまり頭の悪いストーリーのせいでせっかくの魅力的なヒロインが分裂しているようにしか見えなくなっている。演出にも弱さが見え、特にアクションシーンでは常にカット数が足りないような気がしてならなかった。企業側の一味でゲイリー・ビジーが顔を出していて、このひと『イラク 狼の谷』のときはひどい痩せ方が気になったが、今度は太り方が気になった。大丈夫か。 
バウンティー・キラー [DVD]
Tetsuya Sato

2013年12月9日月曜日

アフターショック

アフターショック
Aftershock
2012年 アメリカ/チリ 89分
監督:ニコラス・ロペス

アメリカ人とそのチリ人の友人二人がサンティアゴ近辺で観光をしているあいだにアメリカ人姉妹とロシア人女性と知り合ってパーティを目当てにバルパライソへ移動して夜中にすっかりできあがったところへやや大きめの地震が起こってパーティ会場が壊滅、命からがらに逃げ出すと町では略奪が始まっていて、しかも倒壊した刑務所から逃げ出した凶悪犯の群れが武器を手に入れてひとを襲っている。 
やたらとナンパにこだわるバツイチのアメリカ人がイーライ・ロス。低予算ではあるものの、時間帯を夜にして、さらに場面を限定することで災害の雰囲気を出すことに成功している。ただ、地震が怖い、というよりも、地震に乗じて脱獄した囚人が怖い、という内容で、囚人に襲われたり囚人から逃げたりしているとなぜか余震が起こって状況を変更する、という繰り返しを眺めているといくらかの単調さを感じることは否めない。 

Tetsuya Sato

2013年12月8日日曜日

47RONIN

47RONIN
47Ronin
2013年 アメリカ 121分
監督:カール・リンシュ

天狗の里で天狗に育てられたキアヌ・リーヴスは天狗の里から逃れて赤穂に現われ、その赤穂では家臣を率いる浅野内匠頭がなにやら『もののけ姫』な麒麟を狩り、野心を抱く吉良上野介は将軍徳川綱吉とともに赤穂を訪れて菊地凛子の妖術を使って浅野内匠頭の心を乱し、心が乱れた浅野内匠頭は寝床の吉良上野介に襲いかかって取り押さえられるので、浅野内匠頭は切腹、浅野家の家臣団は解散、所領は浅野内匠頭の娘ミカが継ぐが、野心を抱く吉良上野介がミカを嫁に迎えることを宣言し、綱吉から一年間の服喪を許されたミカは吉良上野介の人質になり、野心を抱く吉良上野介の手によって一年間を土牢で過ごした大石内蔵助は解放されると浅野家の家臣団をかき集め、なにやら『パイレーツ・オブ・カリビアン』な出島に渡って『300』な怪物と戦うキアヌ・リーヴスを仲間に加え、キアヌ・リーヴスの手引きによって天狗の里で武器を調え、そうして吉良上野介に襲いかかると菊地凛子の妖術によってあっけなく敗退するので生き残った47人が血判状に名を寄せて、これはほとんどモルドールではあるまいか、という感じでそびえる吉良上野介の城にさながら特殊部隊のように這い上がって野心を抱く吉良上野介に戦いを挑むと妖術を使う菊地凛子が龍に変身する。ちなみに菊地凛子はフェネックにも変身する。
美術と衣装は日本と中国を足して二で割ってから石岡瑛子をちょっと加え、どこかで見たようなファンタジー系のフレームをまったく考えずに手順どおりに展開し、視覚的にはあれやこれやとありもののイメージをつなぎ合わせて『GOEMON』の完成型に流し込んでいる、という雰囲気で、つまり目指したものがごった煮であるという性格からどうしても統一感は乏しいものの結果的には構造的にまとまっている。真田広之はそのまんまジャパンアクションクラブ、浅野忠信は軽い悪役を楽しそうに演じている。キアヌ・リーヴスはたぶん切腹がしてみたかっただけであろう。創意に恵まれた作品ではないが、それでもいろいろといじった結果が見えて、その範囲では面白い。
Tetsuya Sato

2013年12月7日土曜日

モネゲーム

モネゲーム
Gambit
2012年 アメリカ 89分
監督:マイケル・ホフマン

印象派を専門とする美術品の鑑定士ハリー・ディーンは雇い主のメディア王シャバンダーに復讐するために趣味で贋作をしている少佐とともに一計を案じてモネの『積みわら』連作の一枚を製作し、それからはるばるテキサスまで旅をして、かつてゲーリングのコレクションと接近遭遇したアメリカ軍兵士の孫娘PJ・プズノウスキーを仲間に引き入れ、予定に反してなかなか罠にかかってこないシャバンダーの前にむりやりPJ・プズノウスキーを立たせてどうにか商談を進めようとするが、そうするあいだにシャバンダーはPJ・プズノウスキーを口説きにかかり、ハリー・ディーンのカードは限度額を超えて使えなくなり、ハリー・ディーンの能力を疑うシャバンダーはハリー・ディーンの解雇を決めて、ケルンの美術館から新たに鑑定士を招き寄せ、あとがなくなったハリー・ディーンは覚悟を決めてシャバンダーのパーティ会場に乗り込んでいく。 
ハリー・ディーンがコリン・ファース、シャバンダーがアラン・リックマン、PJがキャメロン・ディアス。監督が『終着駅 トルストイ最後の旅』のマイケル・ホフマンで、脚本がコーエン兄弟。
笑えるところはいろいろとあるものの、90分という比較的短い尺であるにもかかわらず、だれ場が目立つ、というのはおそらく決定的に刈り込みが足りないせいであろう。コリン・ファースとアラン・リックマンは悪い意味でいつものとおりで、つまり芸域の狭さが見え隠れする。魅力がない。 

Tetsuya Sato

2013年12月6日金曜日

スタンリーのお弁当箱

スタンリーのお弁当箱
Stanley Ka Dabba
2011年 インド 96分
監督:アモール・グプテ

ムンバイの、宗派がいまひとつはっきりとしないキリスト教系の学校に通う小学生のスタンリーは明るいふるまいに反してどうもどこかで虐待を受けているような気配があり、しかもお弁当を持ってこれない事情もあるようで食事の時間になると水道の水を飲んで空腹をしのいだり同級生からお弁当を分けてもらったりしていたが、スタンリーがお弁当を分けてもらっていることに気がついたヴァルマー先生はその事実に異様にこだわってスタンリーを叱りつけ、スタンリーに同情した同級生のアマンが四段重ねの豪華なお弁当を持ってくるとヴァルマー先生は今度はそのお弁当を奪い取ることに熱意を見せ、子供たちが何度となくヴァルマー先生の裏をかいてヴァルマー先生の食欲を裏切り続けるとヴァルマー先生はついに怒ってスタンリーを学校から追い出し、同級生たちはスタンリーを救うために動き始める。
最終的に見えてくるのは児童労働の恐ろしい実態で、映画はその問題に警鐘を鳴らしているが、スタンリーもまわりの子供たちも陽気でへこたれることを知らないので画面が暗くなることはない。語り口が少々つたないのと、ところどころに挿入される歌が微妙にうるさく感じられるという欠点があるものの、子供たちの演技はすばらしいし、なによりも料理の場面がものすごい。お弁当もとても豪華。ヴァルマー先生のほとんど妖怪のような行動がすさまじいが、あの文脈だとインドでは子供が持ってきたお弁当を先生が食べる、というのがふつうにおこなわれているように見える。実際のところ、どうなのだろうか。


Tetsuya Sato

2013年12月5日木曜日

ジャックと天空の巨人

ジャックと天空の巨人
Jack the Giant Slayer
2013年 アメリカ 114分
監督:ブライアン・シンガー

小作人のジャックは馬を売るためにお城のある町へ出かけていって馬と引き換えに豆を手に入れるが、王女のイザベルが雨宿りのためにジャックの家に入ったちょうどそのとき、その豆の一つが床下に落ちて水を浴びて猛烈な勢いで成長を始めて王女をジャックの家ごと天空に運び去るのでブラムウェル王はエルモントが率いる騎士団の精鋭、軍司令官のロデリックとその配下のウィック、志願したジャックに王女救出の任務を与え、豆の木をのぼって天上の世界に達した一行は王女の痕跡を追ううちに巨人に襲われ、すでに捕らわれの身のなっていた王女の前には王女の婚約者でもあるロデリックは魔法の冠をかぶって現われていきなり婚約を破棄、魔法の冠の力で巨人の軍団をしたがえると王を名乗って地上世界の征服に乗り出し、王女とエルモントは巨人に食われかけたところをジャックに救われ、ジャックは王女を連れて地上に戻り、巨人の軍団がそのあとを追う。 
騎士エルモントがユアン・マクレガー、巨人の軍団の頭目ファロン将軍の二つある頭の一方がビル・ナイ。シンプルなプロットで展開が素早く、不合理な描写はまったくなくて、悪いやつは悪く死ぬ、というのは全然悪くない。視覚的にもいいところがいっぱいあるし、最後の攻城戦もなかなかに見ごたえのある場面の連続になっているが、不思議なことに妙に薄味、というのがたぶんブライアン・シンガーの持ち味ということになるのだろう。 


Tetsuya Sato

2013年12月4日水曜日

ヒステリア

ヒステリア
Hysteria
2011年 イギリス/フランス/ドイツ/ルクセンブルク 100分
監督:ターニャ・ウェクスラー

1880年のロンドン。牧師の家の出で妙に進歩的な発想をするクランビル医師は旧態依然とした上司を批判したせいで次々と病院をクビにになり、行き先に困った結果、婦人科専門のダリンプル医師の病院に勤めを得るが、この病院というのがヒステリー性の患者の治療を事実上専門としていて、ヒステリーとはすなわち子宮の過活動に原因があるとの解釈から治療のために患者の小陰唇に刺激を与えるというようなことをしていて、ダリンプル医師から手ほどきを受けてクランビル医師はそのような治療に従事して大量の患者を処置したせいで腱鞘炎になり、動かない右手に替えて左手を使ったところ患者の不評を買うこととなってダリンプル医師から解雇を言い渡されるが、友人の発明家エドモント・セント・ジョン・スミスが開発していた電動羽ボウキに着想を得て電動マッサージ器の開発に成功するとダリンプル医師のメイドを使って生体実験を敢行し、見事に成功を収めてダリンプル医師の病院に復帰してダリンプル医師の次女エミリーとの婚約を果たすが、ダリンプル医師の長女で改革派のシャーロットが騒ぎを起こす。 
婦人科のダリンプル医師がジョナサン・プライス、長女シャーロットがマギー・ギレンホール。ジョナサン・プライスは非常にいい雰囲気を出しているし、マギー・ギレンホールも悪くない。いわゆる電動バイブレーターの開発秘話という素材は面白いし、ビクトリア朝的なステレオタイプを適当に配して猥談をするという範囲ではそれなりに楽しめる仕上がりになってはいるが、脚本にいささか弱さがあり、後半に入ってまとまりの悪さが目立ってくる。撮影が微妙に雑なところも気になった。 


Tetsuya Sato

2013年12月3日火曜日

ハプニング

ハプニング
The Happening
2008年 アメリカ/インド 91分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン

人々がいきなり立ち止まったり言葉を失ったり自殺したりするようになったので高校の科学教師エリオットは妻アルマとともにフィラデルフィアを脱出するが、乗り込んだ列車は途中で立ち往生して見知らぬ田舎に放り出され、安全な場所を求めて野原を進んでいく。
難民化した市民が野原をさまようというきわめて古典的なB級SFのシチュエーションを驚いたことにほぼそのままの形で繰り返している。ところどころに織り込まれるサスペンス演出もきわめて古典的であり、つまり創意を疑いたくなる種類の演出であり、実を言えば、シャマランの映画でこのような粗雑さに遭遇するとはあまり考えていなかった。撮影、音楽にも粗雑さが見え、造形的な面での完成を認めることは難しい。

Tetsuya Sato