2016年6月20日月曜日

帰ってきたヒトラー

帰ってきたヒトラー
Er ist wieder da
2015年 ドイツ 116分
監督:ダーヴィト・ヴネント

自殺してガソリンで焼かれたはずのヒトラーがガソリンのにおいを漂わせて現代のベルリンに出現し、ベルリンの様子が著しく異なることに驚きながら2014年にいることを知り、それでもあくまでアドルフ・ヒトラーとしてふるまい続けると映画監督志望で放送局を解雇された若者が復帰のネタに使えるということを考えてドキュメンタリーの製作を始め、YouTubeで再生回数を稼いだところでそれを放送局に持ち込むと局長はヒトラーをヒトラーネタのお笑い芸人として採用し、早速お笑い番組に登板させたところ予想を上回る反応を得たのでアドルフ・ヒトラーはTVヒトラーとして一世を風靡することになり、Facebookで親衛隊の隊員を募る。 
ティムール・ヴェルメシュの小説『帰ってきたヒトラー』の映画化。小説で言及されていたYouTubeなどの視覚要素が映像化されている点はそれなりに面白いが、もともと格別面白いわけでもない小説を格別の手間もかけずに映像化した気配があり、しかもヒトラーを単なる批判的なアイコンにとどめずに現代ドイツの情勢やら民心やらと接続した結果、それでなくても似ていないヒトラーがますますヒトラーに見えなくなってくる。ヒトラー役にブルク劇場の俳優を引っ張ってきたのは「オーストリア」絡みでなにかしらの意図があったのかと思ったが、どちらかというと「ドイツ」を避けるためであろう。しかもこのヒトラーはヒトラーらしからぬことに長身でがっちりとした骨格を備えており、この対極的な特徴は「ドイツ」を避けた上で、さらに「ヒトラー」を避けるためではなかったかと邪推している。ゴス少女の秘書はかわいいが、特に見るべきところはない。唐突に始める『ヒトラー 最期の12日間』のパロディも『アイアン・スカイ』のほうが上であろう。 
Tetsuya Sato

2016年6月12日日曜日

マネーモンスター

マネーモンスター
Money Monster
2016年 アメリカ 95分
監督:ジョディ・フォスター

アイビス・キャピタルの株がプログラム取引のバグらしきものが原因、という説明で暴落し、生放送の財テク番組『マネーモンスター』の司会者リー・ゲイツの楽屋にディレクターのパティ・フェンが現われてゲストに予定していたアイビス・キャピタルのCEOウォルト・キャンビーがまだ機上にいて間に合わないので代わりにアイビス・キャピタルの広報担当ダイアン・レスターがテレビインタビューに応じると告げ、90年代から一人で夕食をとったことがないリー・ゲイツは夕食の相手を探すのに忙しく、スタジオに入ってからはあれやこれやと要求を連ね、いよいよ番組が始まると手慣れた様子で司会を演じ始めるが、そのスタジオに箱を抱えた男が現われてリー・ゲイツにピストルを突きつけ、驚いたパティ・フェンが放送を切ると男は放送を続けるように要求し、リー・ゲイツには箱の中にある爆薬付きのベストを身に着けるように要求し、リー・ゲイツがベストを着るとデッドマンスイッチに親指をかけ、この番組で推奨されたアイビス・キャピタルの株を買って暴落で全財産を失ったと告白して、ここから生きて出るつもりはないと宣言するので、通報を受けた警察が建物を包囲、交渉人が交渉に取りかかろうとすると男は交渉を拒絶して説明を求め、アイビス・キャピタルの暴落はプログラム取引のバグによるものだという説明をリー・ゲイツが繰り返すと男は再びピストルを突きつけ、その話はもう聞きたくないと言い、パティ・フェンから連絡を受けたダイアン・レスターがアイビス・キャピタルの暴落はプログラム取引のバグによるものだと説明して自分も損害をこうむったと言うと同情を買おうとしているのかといきり立ち、そのアイビス・キャピタルではCEOが事実上行方不明のままで、この状況をおかしいと感じたパティ・フェンは真相を探るためにダイアン・レスターと連携し、ハッカーを使い、番組プロデューサーを各所に走らせる。 
リー・ゲイツがジョージ・クルーニー、パティ・フェンがジュリア・ロバーツ、侵入者カイル・バドウェルがジャック・オコンネル、ダイアン・レスターが『アウトランダー』のヒロイン、カトリーナ・バルフ。事件の「真相」の単純さが少々残念なものの、モダンで目配りのよい脚本をジョディ・フォスターが手堅くまとめており、中心から周辺まで人物が分厚く配置されていて、その描写の手際のよさと面白さで退屈な「サスペンス物」にしていない。特にカイル・バドウェルの妊娠中のパートナーのすさまじい罵倒ぶりには恐れ入った。 

Tetsuya Sato

2016年6月8日水曜日

1944 独ソ・エストニア戦線

1944 独ソ・エストニア戦線
1944
2015年 エストニア/フィンランド 99分
監督:エルモ・ヌガネン

1944年7月、タンネンベルク線に投入された第11SS義勇装甲擲弾兵師団のエストニア人部隊はソ連軍の攻勢を押し戻し、デンマーク人部隊と共同してソ連軍突出部の撃退に成功するが、ドイツ軍の撤退にともなって移動を命じられ、避難民とともに南下したあと後方の拠点を確保、前方に森を見ながらソ連軍エストニア人部隊と交戦し、そこまでの語り手であったカール・タミクがあっさりと戦死、ソ連軍エストニア人部隊の中隊長がラディッシュ(外は赤いが中身は白い)であったことからソ連軍は交戦を停止、生き残った武装親衛隊所属のエストニア人は戦場を離脱し、カール・タミクが姉に宛てて書いていた手紙をソ連軍エストニア人部隊の下士官ユーリ・ヨギが拾い上げ、ソ連軍によって解放されたタリンでカール・タミクの姉に手渡し、ソ連軍エストニア人部隊はハープサル方面へ進出、ドイツ軍から除隊または脱走して赤軍に編入された補充兵を加えながら戦いを続け、エストニアを「解放」する。 
つまり前半はドイツ側で戦ったエストニア人の話、後半はソ連側で戦ったエストニア人の話という構成になっていて、監督は『バルト大攻防戦』のエルモ・ヌガネン。序盤の塹壕戦から中盤の遭遇戦、終盤のソ連軍のむやみな突撃場面まで、戦闘シーンは地味ながら非常によくできていて、戦闘状況の変化にともなう兵士のふるまいが変わっていくあたり(接近戦が近づいてくると手榴弾の準備に取りかかる、など)も芸が細かい。StG44を使っている背後でもう一人の兵士がせっせと弾込めをしている描写は初めて見た。ドイツ軍、ソ連軍の装備類はよく再現され、T-34が二両ほど登場する。尺は短い映画だが、淡々としている分テンポはのろい。だが、戦争それ自体を含む状況のむごたらしさが粘り強く描かれていて見ごたえがある。力作であろう。 



Tetsuya Sato

2016年6月7日火曜日

スタング

スタング
Stung
2015年 ドイツ/アメリカ 67分
監督:ベニ・ディーツ

田舎に住んでいる富豪の未亡人とその息子が地元の名士を集めてガーデン・パーティを開くということで父親からケータリング会社を引き継いだジュリアは察するところ唯一の従業員のポールとともにシトロエンの古いバンで屋敷を訪れ、ほぼ素人同然の手順の悪さで準備にかかり、見ているこちらがその仕事ぶりにいいかげんイライラし始めたところで夕方になってパーティが始まり、そこへ大きな蜂が大群で現われて招待客に襲いかかり、刺されたひとは地面に倒れて、倒れたひとのからだを破って牛ほどもある蜂の怪物が現われ、富豪の未亡人とその息子、家政婦、市長、ジュリアとポールがどうにか難を逃れて屋敷に戻り、携帯は圏外だということなので固定電話を使おうとすると脱出を図った招待客の車が電信柱に激突し、外へ出て車で逃げようとするとポールが鍵をなくしていて、ばたばたとしているうちに一人が刺され、また一人が刺され、生き残りはジュリアとポールだけになり、そもそもジュリアに恋い焦がれていたポールはジュリアの前で勇敢にふるまい、ポールに毛ほども関心がなかったジュリアはポールの勇敢なふるまいを見て気持ちが動き、最後のキスシーンが長い長い。 
市長が頭の悪いドイツ映画にときどき顔を出しているランス・ヘンリクセン。いちおうアメリカ某所が舞台ということになっているけれど、どこをどう見てもドイツ某所であろう。アサイラムあたりも含めて頭に悪い映画に共通していることだけど、演出力もないのにやたらと時間をかけて人物描写のようなことをしても時間を無駄にしているだけで、たいていは何の描写もできていない。蜂に刺されると蜂の怪物が犠牲者のからだから、という描写もリアリティを欠いていて、頭の悪いプレゼンテーションを見ているような気分になる。ステップ1、蜂に刺される、ステップ3、蜂の怪物が出現する。で、ステップ2はどこにいった? 

Tetsuya Sato

2016年6月6日月曜日

サベージ・キラー

サベージ・キラー
Savaged
2013年 アメリカ 95分
監督:マイケル・S・オヘダ

わずかに発話する能力を持つ聾唖者のゾーイは婚約者デインと結婚するために車を走らせて一人でカリフォルニアを出発し、ニューメキシコへ入ったところで地元の男たちが先住民を虐殺している現場に遭遇、助けを求める先住民の男を車に乗せるが地元の男たちに取り囲まれ、果敢に抵抗するものの、先住民の男は殺され、ゾーイは捕えられて暴行を受け、白人の女で聾唖者だから警察が来る、と予想した男たちはゾーイをナイフで刺して荒野に埋めるが、浅く埋めたのでアパッチの呪医がゾーイを見つけて、救い出してまじないをするとゾーイの魂はゾーイの肉体に戻るが、それとともに百年前に白人にだまし討ちにされて殺されてそれまで一帯をさまよっていたアパッチの大酋長「赤袖」の魂もゾーイにもぐり込み、「赤袖」に操られたゾーイはほぼ無敵の戦闘能力を発揮して地元の男たちに戦いを挑み、一人また一人と血祭りにあげていく。 
ゾーイの殺し方がなかなか壮絶で、腹を裂いて腸を引きずり出すわ、至近距離から矢を浴びせるわ、もちろん頭の皮は剥ぐわ、というありさまで、これには恐れを知らない地元のレッドネックも恐れを感じて銃を手にして立てこもり、そうするとゾーイのほうは血も凍る霊現象を先触れにして乗り込んでいく。ところどころで説明的な場面が入るのがほんの少し気になったが、プロット、ダイアログがこなれていて、ヒロインがよく造形されている。この系統の作品にありがちなサディスティックな描写は控えめで、積極的に武闘系の映画としてまとめたところが勝因かもしれない。好ましい仕上がりになっている。 



Tetsuya Sato

2016年6月5日日曜日

デッドプール

デッドプール
Deadpool
2016年 アメリカ 108分
監督:ティム・ミラー

特殊部隊出身の傭兵ウェイド・ウィルソンは依頼を受けてはちょっと悪いやつをちょっと懲らしめて小銭を稼ぐような暮らしをしていたが、ある日、娼婦のヴァネッサと出会って意気投合し、あちらのほうもたいそう相性がいいということで結婚を決意したところ、ウェイド・ウィルソンが末期癌であることが判明し、ウェイド・ウィルソンが激しく苦悩しているとそこへ男が現われて癌治療の道を示すので、ウェイド・ウィルソンは決断をして怪しげな上に不潔にも見える施設を訪れ、まわりにいる怪しげなひとかげを横目に眺めているうちに寝台に拘束され、そこへエイジャックスと名乗る男がやってきて、これからおまえに突然変異を起こしてスーパー奴隷にすると宣言し、怪しげな点滴やら注射やらをしてから突然変異を引き起こすためにウェイド・ウィルソンに拷問を加え、すると拷問によって死にかけたウェイド・ウィルソンに変異が起こり、これよによって拷問の目的は達せられたはずだが、自分をかわいらしい本名で呼んだウェイド・ウィルソンが気に入らないエイジャックスはウェイド・ウィルソンをさらに拷問にかけるので、ウェイド・ウィルソンはエイジャックスの施設を破壊してエイジャックスと対決、エイジャックスによって殺されるものの、突然変異で得た能力によってよみがえり、一変した顔や肉体をもとに戻すためにエイジャックスのあとを追い、一年がかりでコスチュームや武器を進化させ、デッドプールと名乗ってエイジャックスの痕跡に現われる人物を端から殺しているとウェイド・ウィルソンの存在に気付いてX-MENがリクルートに現われ、ウェイド・ウィルソンに向かって説教を始めたX-MENのせいでエイジャックスを取り逃がし、一方エイジャックスはヴァネッサをさらってウェイド・ウィルソンに対決を求める。 
よく考えるとけっこうむごたらしい話だが、語り口は陽気で小気味がよい。主人公はおおむねにおいて陽性だし、周辺人物もノリがよく、余計な考え事にふけったりしないで暴力沙汰に励んでいる。楽しいし、面白い。よくできた映画だと思う。 

Tetsuya Sato