2014年6月30日月曜日

ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日

ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日
This Is the End
2013年 アメリカ 107分
監督:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ

ジェームズ・フランコが新居でパーティを開いている、ということでセス・ローゲンがジェイ・バルシェルを誘って出かけていくと、そこにはジョナ・ヒルにエマ・ワトソン、マイケル・セラやリアーナなどセレブ多数が参加していて、なんとなくその場に馴染めないジェイ・バルシェルがセス・ローゲンを誘って近所のコンビニまでたばこの買い出しに出かけていくと、いきなり天変地異が始まって地上は大混乱に陥り、青い光が天から注いで人間を吸い上げていくので、セス・ローゲンとジェイ・バルシェルはあわててジェームズ・フランコの家に駆け戻るが、そこでも異変が始まってジェームズ・フランコの家の前に巨大な穴が開いてパーティー客を次々に飲み込み、見ればハリウッドはかなたまで炎上しているという有様なので、生き残ったセス・ローゲン他は生き延びるために家に立てこもるが、そうしているといろいろ恐ろしいことになってくる。生き残ったエマ・ワトソンがレイプされないようにという無用な心配を始めると、話の経緯からレイプされると思い込んだエマ・ワトソンが斧をつかんで襲いかかってきたりするのである。 
主要な出演者は全員が自分役で、思い上がりの激しいジェームズ・フランコをジェームズ・フランコが、とてつもなく嫌味なジョナ・ヒルをジョナ・ヒルが、無責任で無定見なのに理由もなくひとに好かれるセス・ローゲンをセス・ローゲンが、恥知らずな性豪のマイケル・セラをマイケル・セラが演じている。チャニング・テイタムについては触れたくもない。この頭のゆるい連中が手前勝手なことをしていると家の外では冗談抜きで審判の日が始まっていて、そのビジュアルイメージはなかなかにすごいし、そういうことが起こっているのを知らずに家にこもって、退屈したあげくに『スモーキング・ハイ』の続編を作り始める緊張感の乏しさがとても楽しい。たいそう手間のかかった自主製作映画のように見えなくもないが、ある種の傑作なのではないかという気もしないでもない。 


Tetsuya Sato

2014年6月29日日曜日

ザ・イースト

ザ・イースト
The East
2013年 アメリカ/イギリス 116分
監督:ザル・バトマングリッジ

FBIから民間の調査会社に移ったジェーンは環境テロ組織ザ・イーストへの潜入調査の任務を与えられてバックパッカーを装って反社会的な分子に接近し、接触に成功すると正体を偽って仲間に入り込み、テロ活動にも関与して被害を食い止めるために会社に状況を報告すると会社からはそれは顧客ではないのでスルーするようにと言われて疑問を抱くようになり、一方、ザ・イーストを指揮するベンジーには次第に共感を抱くようになる。 
淡々とした演出ではあるが、強度があって、緊張感が持続するタッチが好ましい。ヒロインを演じたブリット・マーリングのニュートラルな風貌が印象的で、姿が温和すぎていまひとつ元FBIに見えてこないという難点はあるものの、映画の雰囲気にはよくあっている。エレン・ペイジがテロリストの役ですっぴん同然のふてくされた様子で現われて、これにはちょっと驚いたが、さすがに見ごたえはある。調査会社のトップを演じたパトリシア・クラークソンの怪物じみた演技も面白い。
登場するテロ組織については、その性格があまりにもナイーブで、そのせいでリアリズムを感じにくい。ただ、これを超えて過激になると身も蓋もないことになるのであろう。テロの標的に製薬会社や製鋼会社が登場するが、あの有害ぶりからするとテロの対象になる前に集団訴訟の対象になっているような気がした。テロ組織が背負っているナイーブさはおそらくこの映画自体が背負っているナイーブさなのではないかと理解している。というわけでいくらか首をかしげないでもないものの、良心的に作られたよい映画だと思う。 


Tetsuya Sato

2014年6月28日土曜日

マラヴィータ

マラヴィータ
Malavita/The Family
2013年 アメリカ/フランス 111分
監督:リュック・ベッソン

かつてニューヨークで町を仕切っていたジョヴァンニ・マンゾーニは察するところFBIに追いつめられてファミリーを丸ごと売り飛ばして、名前を変えて妻と娘と息子を連れてFBIの証人保護プログラムでノルマンディーの小さな町へ越してきて、そこで目立たず騒がずに地元に馴染もうと試みるが、そもそも心の狭いノルマンディーの田舎町なので、アメリカ人と見れば「44年に上陸してきたからって偉そうに」というような陰口が流れ、インテリぶった隣人も友好的な顔で近づいてきて妙な具合に揚げ足を取り、そういう具合なので本質的には善良で気持ちのいいこの一家も実は道に迷っているせいで凶暴無比であったので、気に入らないことがあればたぢどころに暴力に訴えて、ときおり恐ろしいことを始めるものの、それでも小市民の鉄面皮な仮面をかぶってがんばっていると、ひどく込み入った事情からマフィアに所在がばれて殺し屋の一団が送られてくる。 
ジョヴァンニ・マンゾーニがロバート・デ・ニーロ、その妻がミシェル・ファイファー、監視役のFBIがトミー・リー・ジョーンズ。一家の子供たちも含めて、出演者はみなすばらしい仕事をしていると思う。壮絶に血なまぐさいにもかかわらず、日常的なほほえましいスケッチをふんだんに織り込んだ「ファミリー映画」になっていて、ゆるめに作られた部分がいきなり暴力性へと収斂していく唐突さがものすごいし、二つの軸がキャラクターの強固な自我を媒介に緊密にねじり合わされていく手口がまたすごい。リュック・ベッソンのタッチはまったく奔放で油断できない。


Tetsuya Sato

2014年6月27日金曜日

THE ICEMAN 氷の処刑人

THE ICEMAN 氷の処刑人
The Iceman
2012年 アメリカ 106分
監督:アリエル・ヴロメン

1964年、ポルノのダビングを仕事にしているリチャード・ククリンスキーはディズニー映画のダビングをしていると嘘をついて美貌のデボラをデートに誘い、まじめなおつきあいのあとで結婚して、よい夫になり、娘が生まれるとよい父親になり、妻子に愛情を注ぎながら家をグレードアップし、郊外に戸建ての家を買い、娘たちは私立の学校に通わせ、娘の誕生日には詩を朗読し、もちろん妻にはプレゼントも忘れない、という具合にとにかく家族を大事にしていたが、おそらく天性の殺人者で、おそらくは自覚として一種の異常者で、おそらくは本性に逆らってただもう愛のために意志の力で家庭人を演じながら、60年代から80年代まで殺し屋稼業を淡々と続けて100人も殺した、という実話の映画化。
主演がマイケル・シャノンで、たいへんな力演をしているし、このひとのキャラクターがあって映画が成立しているようなところもある。妻がウィノナ・ライダー、殺し屋稼業の相棒がクリス・エバンズ、ククリンスキーに最初にかかわるブルックリンのギャングのボスがレイ・リオッタ、マフィアのボスがロバート・ダヴィ、ほぼ殺されるだけの役でジェームズ・フランコ、ククリンスキーの弟役でちょっと顔を出すのがスティーブン・ドーフ、というけっこうなオールスター・キャストで、アリエル・ヴロメンの演出はこの特異な主人公の性格を的確に際立たせながら20年近いタイムスパンを巧みに処理して無駄がない。なにしろマイケル・シャノンなので立っているだけですでに異様、という感じではあるが、非常によくできた映画だと思う。 


Tetsuya Sato

2014年6月26日木曜日

コン・ティキ

コン・ティキ
Kon-Tiki
2012年 イギリス/ノルウェイ/デンマーク/ドイツ/スウェーデン 118分
監督:エスペン・サンドベリ、ヨアヒム・ローニング

ポリネシアでの10年間にわたる実地研究でポリネシアの住民が南米から渡来したという仮説に達したトール・ヘイエルダールは自説をまとめて出版するためにニューヨークを訪れるが、最後に訪れた出版社で海を渡って立証しろと言われ、そのつもりでナショナル・ジオグラフィックを訪れてその場で支援を断られ、妻子が待つリレハンメルへ戻るはずが、目的地を変更してペルーのリマへ飛び、そこで資金難に苦しみながらペルー政府の支援をどうにか取りつけると昔の技法で組んだバルサ材の筏『コン・ティキ』に四人の仲間とともに乗り込んで1947年4月28日に出発、フンボルト海流で北西に流されながら困難の末に南赤道海流をつかまえて出発から102日後の8月7日にツアモツ諸島に到達し、ラロイア環礁で座礁する。 
いわゆる『コン・ティキ号漂流記』の映画化で、監督は『マックス・マヌス』のエスペン・サンドベリとヨアヒム・ローニング。時期的にも『マックス・マヌス』の精神状態をいくらか引きずっていて、乗員の一人が実際にレジスタンスだったという話も加わって、その観点から眺めるとなかなかに興味深い。主役のポール・スヴェーレ・ハーゲンはエドワード・ノートンとピーター・オトゥールを足して二で割ったような風貌で、ヘイエルダールという独特のカリスマを魅力的に演じている。撮影は非常に美しく、道中で遭遇する光景も神秘的で目が離せない。素材が素材だけに地味ではあるが、雄弁で力強い。 


Tetsuya Sato

2014年6月25日水曜日

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
Percy Jackson: Sea of Monsters
2013年 アメリカ 106分
監督:トール・フロイデンタール

パーシー・ジャクソンの前にとても感じのいいキュクロプスが現われて異母兄弟だと名乗ったころ、半神の訓練所をバリアーで守る木が毒にあたって枯れ始めるので、パーシー・ジャクソンは金の羊毛を求めて仲間と一緒にバミューダの魔の三角海域を目指し、そこでクロノスを復活させてオリンポスを滅ぼそうとする陰謀と出会い、カリュブデスに飲み込まれて胃袋に落ちるとそこで南軍のゾンビを乗員とする南軍の軍艦(装甲艦ヴァージニアを近代化改装した感じ)と、それを指揮するアレスの娘と出会い、これをまとめて仲間に加えるとカリュブデスの胃袋から脱出してなぜかバミューダ近辺にあるキルケ―の島に上陸し、キュクロプスから金の羊毛を奪い取ることに成功するものの、クロノス復活をたくらむ一味につかまって金の羊毛を奪われ、見ている前でクロノスが復活する。 
監督がとにかく相性の悪いクリス・コロンバスではなくなったからなのか、無駄なオールスター大進撃をやめたからなのか、あるいは単に二作目で余裕が出たからなのか、キャラクターは生き生きとしているし、プロットは集中力があるし、ビジュアルも面白いし、ということで悪くない。ヘルメス役でネイサン・フィリオンが登場して、ばかな役を楽しそうに演じているが、ちょっと見ないあいだにずいぶんと太っていたので驚いた。 


Tetsuya Sato

2014年6月24日火曜日

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
Percy Jackson & the Olympians: The Lightning Thief
2010年 カナダ/アメリカ 121分
監督:クリス・コロンバス

ゼウスの稲妻が盗まれ、ゼウスはポセイドンの息子が犯人であると決めつけ、ポセイドンの息子パーシー・ジャクソンは父親がポセイドンであることを知らないまま、ふつうに高校生として生活していたが、いきなりエリニュスのたぐいに襲われて動転し、神々の子らが学ぶキャンプに送られてポセイドンの声を聞き、世界を破滅から救うためには自分がゼウスに弁解する必要があると考えるが、稲妻を求めるハデスに母をさらわれるので、まず母を救うために冥界を訪れようと決めて仲間と旅に出て、あっちでメドゥーサを倒し、こっちでヒュドラを倒し、ラスベガスにあったロートパゴイの国で道に迷い、ハリウッドの大看板の裏から冥界にもぐる。
ユマ・サーマンのメドゥーサはよかったが、ショーン・ビーンはゼウスに見えなかった。このひとはせいぜいヘルメスというところであろう。原作を読んだひとの話だと、もともとあったアホなディテールがかなり省略されているらしい。だとすれば残念なことではあるが、それでもまだそれなりにアホな内容なので、クリス・コロンバスとしては思っていたほど悪くない。ただ、やはりわたしとしては古代ギリシアの神々が生贄もなしにほったらかしにされてひっそりと上のほうに存在している、というのがいまひとつ信じられなくて、いたらいたで、もっと大騒ぎになっていたであろうと思うのである。 

Tetsuya Sato

2014年6月23日月曜日

エバン・オールマイティ

エバン・オールマイティ
Evan Almighty
2007年  アメリカ 96分
監督:トム・シャドヤック

妻と三人の息子とともに暮らすエバン・バクスターはTVのキャスターから下院議員に転進し、それにあわせてバージニア州の自然をあからさまなまでに切り拓いて作られた宅地に豪邸を構えるが、豪邸で最初の朝を迎えると創世記を暗示した数字が現われ、続いて古典的な大工道具が、さらに建材のたぐいが何者かによって届けられ、間もなく神が現われて箱舟を作れと命令する。
『ブルース・オールマイティ』の続編で、エバン・バクスターがスティーヴ・カレル、神様がモーガン・フリーマン。モーガン・フリーマンが肩の力を抜いた感じで神を演じてそれらしい。コメディとしては水準作で、どちらかと言えばこじんまりとした内容だが、それでも箱舟のセットが原寸大で登場し、大量の動物がそこに乗り込み、最後にはほんとうに洪水が起こって箱舟が荒波にもてあそばれる。聖書的なスペクタクルがちゃんと起こるのである。スーツを着た下院議員からノアな格好をしたノアに変容したスティーヴ・カレルが箱舟の上で杖を振りかざす姿もなかなかに神々しくて、このクライマックスは見ごたえがあった。ちなみに悪役はジョン・グッドマン。 

Tetsuya Sato

2014年6月22日日曜日

ブルース・オールマイティ

ブルース・オールマイティ
Bruce Almighty
2003年  アメリカ 101分
監督:トム・シャドヤック


ニューヨーク州バッファローのローカルテレビ局でレポーターをしている自己中心的な男ブルース・ノーランは四十を控えて自分のキャリアの行き詰まりを感じていて、アンカーになることを夢見ていたら、そのアンカーの地位をエバン・バクスターに奪われたことで激しい怒りを味わい、怒りの結果、めちゃくちゃなレポートをして職を失い、前方に現われた無数のサインを無視して事故に遭い、自らの不運を呪って神の怠慢を激しく非難したところ、神が現われて、だったら自分でやれ、という話になり、そこで全能の力を手にしたブルース・ノーランはまずダイナーを訪れて皿のなかのトマトスープを紅海の水のように分け、さらに復職を画して力を使い、アンカーの地位を求めて力を使い、さながら悪魔のようにふるまっていると、バッファローの全市民から届けられた祈りの言葉が朝と晩に耳を襲い、対処に困って無制限に祈りをかなえていると混乱が起こり、あげくに恋人にまで逃げられてしまう。ということでブルース・ノーランは神が与えた試練を越えて正しい生き方に達するわけだけど、神と信仰に触れる部分の扱いが非常に敬虔な感じで好ましい。ブルース・ノーランがジム・キャリー、神様がモーガン・フリーマン。ジム・キャリーの演技はやや騒々しいものの、安心して見ることができる。 


Tetsuya Sato

2014年6月20日金曜日

300<スリーハンドレッド>  帝国の進撃

300  帝国の進撃
300: Rise of an Empire
2014年 アメリカ 103分
監督:ノーム・ムーロ

イオニアにおける反乱に加担したから、ではなくて、自由を謳歌しているから、という理由でダレイオスはペルシア勢を率いてマラトンに上陸、ギリシア勢に対して数では圧倒的な有利に立っていたが、アテナイ勢の指揮官テミストクレスは果敢な攻撃に出てペルシア勢を壊滅に導くとダレイオスを狙って自ら矢を放ち、テミストクレスの矢を受けたダレイオスは息子クセルクセスを死の床に呼んでギリシアとの争いを禁じるが、ダレイオスの右腕としてペルシア海軍を預かるアルテミシアは個人的な復讐心からギリシアの滅亡を願ってクセルクセスの心をあやつり、クセルクセスを不気味な改造人間に仕立て上げ(つまり、あれです)、アルテミシアにあやつられたクセルクセスは百万の軍を率いてギリシアに侵攻、テルモピュライの隘路に陣取ったスパルタ勢をペルシアの陸軍が攻めるあいだ、アルテミシアの海軍はエウボイアの沖でアテナイの海軍と交戦し、テミストクレスが率いるアテナイ勢は奇策を弄して緒戦を有利に戦うものの圧倒的な数量差に負けて敗退、アテナイは陥落してアテナイ勢はサラミスに再集結し、そこへアルテミシアが復讐心に猛って、というよりも、テミストクレスの食い逃げに怒って現われるので、テミストクレスはアテナイの残存兵力を率いて迎撃に出て、そこへスパルタ勢その他が援軍に駆けつける。 
つまり時間的にはマラトンからアルテミシオン、テルモピュライ、サラミスまでを扱っていて、『300』のエピソードはそのなかに含まれる形になっている。対立関係はレオニダス対クセルクセスからテミストクレス対異常に強化されたアルテミシアに変わり、クセルクセスが後景に退いた分、奇形的な描写は大幅に減り、テルモピュライの周囲に余計なものを貼りつけるという構成もなくなって、説明的な部分はナレーションで飛ばしながら最初から最後までほぼ戦闘に終始している。
古代ギリシア世界の表現はあいかわらず特異で暑苦しいが、海戦の場面では衝角攻撃から白兵戦までいろいろやってくれるし、帆柱をはずした三段櫂船が海に浮かんだ箱みたい、という描写はもしかしたらなかなか貴重かもしれない(たぶんそのあたりを強調するためにアウトリグがなくなって、全通甲板が与えられて、漕ぎ手の配置が変更されている)。
エヴァ・グリーンはアルテミシアを怪演し、最後は二刀流でテミストクレスと一騎打ち。テミストクレスを演じたサリヴァン・ステイプルトンが微妙にテミストクレスに似ているところが面白い(エンドロールからするとテミストクレスの横にいたのはどうもアイスキュロスだったみたい)。悪くなかった、というのが素朴な感想になる。
Tetsuya Sato

ハリケーン・チェイサー

ハリケーン・チェイサー
Storm
1999年 アメリカ
監督:ハリス・ダン

アメリカ軍がハリケーンを制御して無公害型最終兵器に仕立て上げようとするのを極秘プロジェクトに巻き込まれた若い気象学者が阻止する。
いろいろと疑問は残るけれど低予算でも頑張ってみましたという雰囲気の仕上がりで好感が持てる。悪い将軍にはちゃんとマーチン・シーンを引っ張ってきているし、クライマックスでハリケーンがロスアンゼルスを襲うあたりの描写もできる範囲で手を抜いていないし、同じ飛行機が何度も機体番号を変えて登場し、その度に墜落するのも作り手の涙ぐましい図々しさが感じられてたいへんよろしい。天気予報のキャスターをやっていたレネ・エステベスという女優はマーチン・シーンの娘で、つまりチャーリー・シーンやエミリオ・エステベスの妹ということになるらしい。

Tetsuya Sato

2014年6月19日木曜日

ハリケーン・コースト

ハリケーン・コースト
Virtual Storm/Storm Watch
2002年 アメリカ 100分
監督:テリー・カニンガム

人工衛星から気圧を操作して嵐を軍事利用するシステムが完成する。ちょうどその頃ネットのバーチャル・ゲームで名プレイヤーぶりを発揮していた少年ハッカーは個人情報を改変するぞと何者かに脅されて件のシステムを完成させたベンチャー企業へのハッキングを強要され、仕方がないのでそうしていると人工衛星の監視用コンピューターだかなんだかがわけのわからない状態になって、しかも太平洋上にはいきなり巨大な嵐が出現してそれがアメリカへ近づいてくる。察するに人工衛星が暴走でもしたのであろうが登場人物は誰一人としてそのあたりの状況を説明してくれないのでまあいいかなどと思っていると、ハッキングをした少年とテレビのリポーターがなにやら調べ事をして実はネットのバーチャル・ゲームを開発したのもそのベンチャー企業で嵐を発生させた黒幕にもゲームを介してアクセスできるということが判明して、つまりベンチャー企業の内部に黒幕がいるらしい、ということなので実際に乗り込んでみるとそんな奴はどこにもいなくて、実は気象観測用のプログラムがいろいろと気象を観測しているうちに自分を救世主だと思い込んでシステムを乗っ取り、嵐を起こして人類の38パーセントだかを滅ぼそうと企んでいたのであった。そこで少年ハッカーはゲームにもぐり込んでプログラムと対決することになって、ところが相手はどうやら使用期限付きのプログラムだったみたいで(お試し版か?)、最後にシステム日付を未来に書き換えてやっつける。
簡単なヘッドマウント・ディスプレイを装着しただけでなんであんな風に見えるのか、とか、システム日付を書き換えたくらいでなんでこのコンピューターは火を吹くのか、とか、そもそも何が起こっていたのか、とか、いろいろと疑問の多い内容だけど、パトカーを4台も走らせたりとかヘリコプターを低空で2機飛ばしたりとかSWATを3人も登場させたりとか、この種の映画としては破格にお金がかかっている。で、結局、嵐は上陸しないのである。 


Tetsuya Sato

2014年6月18日水曜日

ボルケーノ in ポンペイ 都市が消えた日

ボルケーノ in ポンペイ 都市が消えた日
Pompei
2007年 イタリア 182分 TV
監督:ジュリオ・バーセ

ローマの騎兵隊長マルクスはめでたくヴァレリアと婚約するが、その直後に東方属州へ派遣されて戦闘(ユダヤ戦争?)で倒れて捕虜なり、数年後、ポンペイに帰還すると先般の震災で両親を失ったヴァレリアは偽の登記書類によって家を奪われて兄夫婦とともに造営官の家で働く奴隷となっていて、親切な造営官はマルクスの話を聞いてヴァレリアとその兄夫婦を奴隷から解放することを約束するが、その晩、造営官は何者かに殺害され、近くにいたヴァレリアの兄が犯人として逮捕され、奴隷による殺人事件であることから兄とともに造営官のほかの奴隷も処刑される可能性があると判明するとマルクスはヴァレリアを救うためにローマへ走ってティトゥス帝に直談判して捜査権を手に入れてポンペイに戻り、造営官殺害の謎に迫っていくと造営官の書斎から黙示録の一節を記した断片が見つかり、ポンペイ市内に潜伏するキリスト教徒からの情報を得ると断片は全部で四つになり、その裏に記された地図から先般の震災で失われた記録保管所がそのまま地中に埋もれていることがあきらかになり、マルクスはヴァレリアの家を奪った詐欺行為の証拠をつかんでその犯人であるポンペイの執政官が造営官殺害の犯人であると推測し、そのころヴァレリアはその執政官が皇帝暗殺をたくらんでいることを知り、知らせを受けたマルクスは友人の護民官ティベリウスのもとへかけつけるが、ローマの大火によって両親を失い、キリスト教徒に憎しみを抱き、帝国の腐敗を嘆くティベリウスは皇帝暗殺計画の一味であったので、マルクスは捕えられて地下牢につながれ、ヴァレリアは邪心を抱くポンペイの執政官の寝室へ連れ去られ、執政官の手がヴァレリアのふとももに迫ってあわやというところでヴェスヴィオ火山が大爆発。
長さ不明のオリジナルを3時間に縮めた短縮版で火山の爆発までにおよそ2時間半、ポンペイとして登場するのは別のテレビシリーズで使われたローマのセットではなかろうか。中身はまったくの昼メロで、悪いやつはひたすらに悪く、火山が爆発すると悪いやつの頭に破砕物が降り注ぐ。降り注ぐ火山灰、降り注ぐ噴石などの描写にはいちおうの力が入っているが、爆発や火砕流のCGはテレビ映画としてもかなり粗い。


Tetsuya Sato

2014年6月17日火曜日

ネイビーシールズ

ネイビーシールズ
Act of Valor
2012年 アメリカ 110分
監督:スコット・ウォー

麻薬カルテルの大物クリストと国際テロリストとの関係を調査するためにコスタリカに潜入していたCIAの工作員がクリストに捕らえられるのでシールズのチームがカルテルの拠点に侵入してCIAの工作員を救出して携帯電話を持ち帰り、その携帯電話を調べたところテロリストが全米で自爆テロをしかけようとしていることがわかるのでシールズの隊員が今度はアフリカへ飛んでアメリカへの侵入ルートを見張り、さらに南太平洋へ飛んでクリストを捕らえて尋問し、メキシコへも飛んでテロリストの拠点を急襲し、襲撃の手を逃れたテロリストがメキシコ、アメリカ国境に接近しているということで続いてメキシコ、アメリカ国境へ飛んでカルテルの拠点に突入する。 
なにかでどこかに出払ってでもいるのかシールズ以外に特殊部隊がないように見えるが、シールズ全面協力でメインキャストも本物のシールズの隊員が演じている、ということで物理的な描写は非常にリアルにできていて、それを映し出すカメラは切れ味がいい。ダイアログはもっぱら状況を説明するだけで、なにやらドラマ的な会話もいくらかは織り込まれてはいるもののドラマにするための言い訳のようなものでほとんど機能していない。
シールズのボート各種(グラスファイバー製でミニガンを搭載する)、潜水艦に搭載できる潜水艇などの珍しい装備が登場するほか、洋上でのHALO降下なども見ることができる。アクションシーンは総じて迫力があり、余計なことに時間をかけない分テンポが速いのは取り柄であろう。劇中に登場したシールズの隊員のプロフィールが本物だとすれば平均年齢はかなり高いということになり(35歳くらいか)、これにはちょっと驚いた。


Tetsuya Sato

2014年6月16日月曜日

ニード・フォー・スピード

ニード・フォー・スピード
Need for Speed
2014年 アメリカ 131分
監督:スコット・ウォー

ニューヨーク近郊の微妙にレッドネックな町で修理工場を営むトビー・マーシャルは天才的な自動車修理工で傑出したレーサーであったが、インディのレーサー出身の自動車ディーラー、ディーノ・ブルースターに恋人を奪われ、弟分を殺され、自動車泥棒の汚名を着せられ、修理工場を失った上に服役までさせられるので、出所してくるとディーノ・ブルースターを倒すために昔の仲間に招集をかけ、自分でチューンナップしたマスタングを自由にするとストリートレース『デリオン』に出場するためにカリフォルニアを目指すが、なにしろ仮釈放中の身なので警察には追われ、ディーノ・ブルースターの妨害にも出会い、苦労の末にサンフランシスコにたどり着いたところで車を失い、かつての恋人の手助けで車とディーノ・ブルースターの悪事の証拠を手に入れると『デリオン』に参戦する。 
トビー・マーシャルがアーロン・ポール、ディーノ・ブルースターがドミニク・クーパー、『デリオン』のオーナーがマイケル・キートン。アーロン・ポールはあれやこれやと苦悩を抱えているところが『ブレイキング・バッド』のジェシー・ピンクマンに重なって、恋人を失ったのも敵の罠にはまったのも、もしかしたらホワイト先生の不始末のせいではないのかとつい疑いたくなるが、それはそれとして、なかなかにいい味を出している。
監督は『ネイビーシールズ』のスコット・ウォー。今回も余計なことはしないで化け物じみた車に異様なまでの生々しさを与えてなまめかしく走らせて、ハンドルを握るドライバーの恍惚とした表情をハイスピードショットでとらえている。自分がなにを撮っているのかが非常によくわかっていて、そこに関しては一点の曇りもない。序盤のストリートレースの音がまずすさまじいし、そこに列車をからめる演出はうまい。マスタングの異様な輝きもすごいし、三台のアゲーラの走りもすごいし、中盤の警察とのカーチェイスも迫力に富んでいる。クライマックスではブガッティやマクラーレンなどが並んでほとんどF1ではないかと思わせるような精緻なレースを展開し、それを多様なカメラワークでとらえた映像にはただただ舌を巻く。

Tetsuya Sato

2014年6月15日日曜日

ノア 約束の舟

ノア 約束の舟
Noah
2014年 アメリカ 138分
監督:ダーレン・アロノフスキー

カインの末裔が地にあふれて悪事を広め、信仰はメトシェラの系統にのみ残されていて、メトシェラの信仰を継ぐノアは荒れ野で家族とともに暮らしているところで啓示を受け、メトシェラの助言を受けて種をまいて森を生むとゴレムの助けを得て方舟の建造に取りかかり、ノアの行動に気づいたトバル・カインは方舟を奪うために軍勢を集め、ノアが準備を終えると雨が降り注いで大地に洪水を引き起こし、ゴレムは方舟を守るためにトバル・カインの軍勢と戦い、洪水によって軍勢を失ったトバル・カインは単身、方舟にもぐり込んでノアの子ハムを裏切りに導き、ノアの真意を知ったノアの家族はノアに与えられた使命を阻むために抵抗する。 
ノアがラッセル・クロウ、その妻がジェニファー・コネリー、セムの嫁がエマ・ワトソン、メトシェラがアンソニー・ホプキンス、トバル・カインがレイ・ウィンストン。
アイスランド・ロケの荒涼とした世界を背景に話が進み、まずノアが核家族として現われ、メトシェラは独居老人として登場する。家族の規模は大きく後退して孤立感が強調され、信仰の正体はあいまいになり、いまどきの映画なので人類見殺しのためには信仰ではなくて狂信が要求されることになるらしい。洪水のあとでノアが酒浸りになり、裸で引っくり返るのはおそらく狂信の反動として位置づけられていて、それはそれで納得がいくが、核家族化したノアの一家はあきらかに無用の問題を抱え、方舟で陰謀が進行し、殺人までがおこなわれるということになってくると、ついていくのが難しくなる。視覚的にはいろいろと面白い要素を備えているし、ジェニファー・コネリーは熱演しているし、エマ・ワトソンもけっこうな存在感を発揮しているし、ということでいちおうの見どころはあるものの、陰惨なもくろみに対して正直すぎるせいで居心地が悪いし、正直なところを言えば気味が悪いだけ。 

Tetsuya Sato

2014年6月14日土曜日

遥かなる勝利へ

遥かなる勝利へ
Utomlennye solntsem 2
2011年 ロシア 150分
監督:ニキータ・ミハルコフ

1943年、革命の英雄で58条組のコトフが所属する懲罰大隊がかなたにそびえるドイツ軍の要塞への正面攻撃を命じられたころ、同じ前線にドミトリが現われてコトフを探し始め、ドミトリの姿を見て恐怖に駆られたコトフは命令を待たずにドイツ軍要塞に向かって突撃を始め、コトフを追って突撃に巻き込まれたドミトリは督戦隊の銃撃にあって戻ることもできなくなって、そのままコトフに運命を預けることになり、なにやら生還を果たしたドミトリはわけのわからない行動を取ったあとでコトフを解放し、理由もわからないままいきなり二階級特進して中将となったコトフはドミトリを連れて家に戻るが、家庭であった場所は顔ぶれはそのままなのに消滅していて、コトフの前からあわてて逃げ出すマルーシャとその一族を見送ったあと、コトフはスターリンから直接に極秘の命令を受けて、非武装の民間人15000人をドイツ軍要塞に突撃させて全滅させるという奇怪な作戦を担当することになり、前線に戻って不安におびえる15000人の民間人を目にするとなんとなく自らが先頭に立って要塞を目指して歩きはじめ、その様子を見た幕僚、NKVD職員もコトフを追って歩きはじめ、その有様につられて15000人の民間人も要塞を目指して歩きはじめ、ドイツ軍は勝手に自滅してコトフはナージャと再会する。
『戦火のナージャ』からおおむね2年後の状況を扱っていて、看護師だったナージャは中尉に昇進している。『太陽に灼かれて』からここまでの経過を思い出してみると、革命から大戦までのロシアを総括する意図が見え、その結果としてマルーシャは生存本能のとりことなった自分の家族に人生を食い荒らされたことを告発し、適当に適応したドミトリは自滅し、革命の英雄コトフは内戦時代の蛮行をスターリンの口から暴露されて同じ蛮行を繰り返すように強要され、ナージャの悲劇は解決されないままに終わり、そうした一切のことの背景で戦争が肉挽き機のように動いて人間をすり潰していて、すり潰されていく人間の顔が強調され、人間の一切の行為とは無関係に蚊、蝶、蜘蛛などが現われて、人間の運命にそこはかとなく介入する、という構図が(たぶん)浮かび上がる仕組みになっている。
暴力的なイメージは歴史的かつ普遍的な重さを備えているが、その重さを歴史的な個人と接続するとき、監督自らが主役を演じるという微妙な選択をしているせいで映画自体もある種の微妙さを帯びてくる。監督兼主役という選択はもしかしたらある種の決意表明なのかもしれないが、ミハルコフの映画における個人は時としてあまりにも個人でありすぎて、結果として歴史から乖離している。劇中でわざわざ無名の個人に言及するならば、監督は顔を出すべきではなかったのではないか、という気がしてならない。あいかわらず小ネタは面白いし、画面の作りも(しょぼいシュトゥーカを除けば)きちんとしているし、ということで鑑賞に耐える水準には達しているものの、これは失敗作であろう。


Tetsuya Sato

2014年6月13日金曜日

バトル・オブ・プエブラ 勇者たちの要塞

バトル・オブ・プエブラ 勇者たちの要塞
Cinco de Mayo: La batalla
2013年 メキシコ 126分
監督:ラファ・ラーラン

1861年、財政難に苦しむメキシコは対外債務の支払い延期を決定、これに対してフランス、イギリス、スペインは債権の回収を目的に共同してベラクルスへ出兵、イギリスとスペインは翌年までに撤収するが、メキシコに対して領土的野心を抱くフランスは6000人規模の部隊を上陸させてメキシコ軍を攻撃、メキシコ軍を指揮するサラゴサ将軍は劣勢な自軍をプエブラまで撤退させて陣地を築き、メキシコ軍を過小評価したフランス軍は1862年5月5日、勝利を確信してプエブラを強襲、戦況はフランス軍の有利に展開するものの(映画の描写のとおりなら)複雑な地形に悩まされ、一方メキシコ軍は粘り強く抵抗を続け、雨が降って歩兵の運用が困難になったところで温存していた騎兵を投入してフランス軍の側面を突く。
 人物のことさらな類型化と類型化を補填するためのドラマに少々難があるものの、衣装、武器などのディテールはよくできているし、なによりも戦闘シーンがすばらしい。山岳戦から遭遇戦、会戦から攻城戦、騎兵の突撃とバリエーションも豊かで、迫力に満ちたプエブラの戦いは涙が出るほどフォトジェニックで、手持ちカメラを多用しながらも戦術的な状況を確実に伝えるという一種の荒業を成功させている。 




Tetsuya Sato

2014年6月12日木曜日

スノーピアサー

スノーピアサー
Snowpiercer
2013年 韓国/アメリカ/フランス/チェコ 125分
監督:ポン・ジュノ

2014年、地球温暖化をなんとかするために空中に冷却物質を散布したところ、ありがちな話であっという間に地表が凍結して生物は死滅、永久エンジンと閉鎖型の生態系を都合よく備えて、どこをどう走るのか一年をかけて地球を一周する列車に乗り込んだ人々だけが生き残るが、それから17年後、列車最後尾の車両では生存者とその子孫が過酷な環境で生きることを強いられていて、反乱分子のリーダー的な位置にあるカーティスは先頭の車両にいる列車の所有者ウィルフォードに憎悪を向けて前方の車両から送り届けられる謎の情報を頼りに暴動を起こし、列車のドアを解放できる技術者を手に入れると前へ前へと進み始める。
 カーティスがクリス・エヴァンズ、その相棒がジェイミー・ベル、指南役がジョン・ハート、ウィルフォードがエド・ハリス、列車の「首相」がティルダ・スウィントン、勝手に行動を開始する技術者がソン・ガンホ。おおむね演劇的な空間を与えられた俳優がそろって魅力的な仕事をしている。ティルダ・スウィントンのほとんど本人には見えないほどの異様な役作りはなかなか衝撃的。 
設定だけを見ると突っ込みどころが満載という感じではあるが、列車という閉鎖空間が視覚的によく生かされているし、美術も非常に面白い。特に美術に関してはチェコのスタジオを使ったせいなのか、不思議な重さがあって見ごたえがある。原作は未見だが、こちらの勝手な想像ではバンドデシネ特有のゆるめで情緒的な構成がボン・ジュノのゆるめで情緒的な演出とうまく一致して味のある映画になったのではあるまいか。比較する意味はないけれど、『グエムル』よりもこちらのほうが数段好きではないかと思う。 


Tetsuya Sato