2011年10月6日木曜日

トマス・ベルンハルト『消去』


語り手フランツ=ヨーゼフ・ムーラウは1934年にオーストリアのオーバエスターライヒ州にあるヴォルフスエックと呼ばれる土地で生まれる。一族は代々ヴォルフスエックを領有し、山の上に城館を持ち、その周囲には農場、炭坑があり、森が広がる。ムーラウの父はきわめて裕福な農場経営者で、母は美貌であったが生れは低い。ムーラウには兄ヨハネスがあり、二人の妹ツェツィーリアとアマーリアがある。ヨハネスは領地の後継者としての適性を備え、またそのことによって愛情をもって育てられたが、ことごとくにおいてヨハネスと対照的なムーラウは当人の記憶によればしばしば不当な折檻を受け、また二人の妹はその有様を小気味よげに見守っていた。ムーラウの両親は有力者であると同時にナチの党員であり、ナチの管区指導者との交際があり、カトリックでもあったのでカトリックの高位聖職者とも交際があり、戦後もその交際は途切れることなく続いている。さて、ヴォルフスエックの屋敷にはあわせて五つの書庫が存在したが、そのいずれも扉を閉ざされているのは「考える能力ましてや精神的過程を動き出させる能力を備えていない」両親が読書を嫌悪しているからであった。ところがムーラウは読書と観照的な生活に引き寄せられ、しばしば禁を犯して書庫にもぐり、食事を忘れて読書に耽り、その結果を示すことによって家族との亀裂を発生させる。するとそこへ父の弟、「一度として何かを我慢することがなかった」ゲオルク叔父が出現し、ドイツ的なるものを嫌い、地中海世界を愛するこのゲオルク叔父によってムーラウは芸術方面へ誘導され、成長するとヴォルフスエックを逃れてウィーンに飛び出し、イギリスで教育を終了したあとは最終的にローマに腰を落ち着ける。そしてミネルヴァ広場を見下ろす宮殿のようなアパートを父からの仕送りで借り、イタリア有産階級の子弟「ガンベッティ君」の家庭教師をしながら知的な人々と交際している。一方、ヴォルフスエックでは「噂ほど高慢ではなく、しばしば尊大に見えたのは人見知りのせいで、実際にはそれほど威張っていなかった」兄ヨハネスが父の後継者として農場主の資質を発揮し、「典型的な田舎女、成り上がり女、絶対的反文化人」の母はヴァティカンの大司教スパドリーニと不倫の関係にあり、二人の「醜いと言ってもよい」妹は老後の寂しさを恐れる母のせいで四十を過ぎても未婚のままで、その母から質素な生活と民族衣装の着用を強いられている。ところが1982年、上の妹ツェツィーリアが叔母の紹介で結婚し、その相手というのは「狐が<こんばんは>を言いかわし、ドイツ的愚かさが勝利するシュヴァルツヴァルト」からやってきた太ったワインボトル用コルク栓製造業者なのであった。ムーラウはヴォルフスエックでおこなわれた結婚式に出席してローマに戻り、それから二日後、両親と兄の死を知らせる電報を受け取る。そこでムーラウはローマを離れ、ヴォルフスエックを訪れる。
第一部「電報」で電報を受け取り、第二部「遺書」でヴォルフスエックを訪れるのである。テクストの切れ目は第一部と第二部のあいだに存在するだけで、あとは一度の改行もない。
第一部「電報」では電報を受け取った「私」が机の抽出しから「ヴィクトリア駅で撮った両親の写真」「ヨットに乗っている兄の写真」「「カンヌにあったゲオルク叔父のヴィラにいる妹たちの写真」を取り出し、その一枚一枚を眺め、一枚の上に一枚を重ね、重ねる順番を変えながら、観察し、記憶をたどり、記憶に記憶をつなげながら独り言を言っているだけなのである。読者は「私」のモノローグに耳を傾けることで、「私」が家族から憎まれていること、だから「私」も家族を憎んでいること、家族、とりわけ両親は勤勉だが精神的無為にあり、小心で卑劣で滑稽な人間たちであり、妹たちは「私」に対して絶えず陰謀をたくらんでおり、その「私」はと言えば四十八になってもまだ両親からの仕送りで暮らしていること、などを知ることができる。「私」は写真のなかの両親と兄の姿をじっくりと観察し、そこに故人たちの真の姿が現われていることを認めるが、そう認める一方、写真一般に対する嫌悪を語り、写真とは「倒錯的に歪曲されている」ものであり、写真を撮影する者は「世界の歪曲に手を下した」のであり、「写真という下品な中毒症は徐々に全人類を巻き込み、人類は歪曲と倒錯が単に好きになったばかりか、歪曲された倒錯的世界だけが真実な世界であると思い込む結果」になっているのであり、だからこそ「写真術の発明家はあらゆる技術のうちでもっとも人類に敵対的なものを発明したのだ」と断罪する。でも「私」が撮った写真に関しては「倒錯と歪曲の背後から真実が透けて見えて」くるのである。
ほぼ全編、万事がこの調子で、語り手は語り手自身が認めているように異常な観察癖があり、対比癖があり、誇張癖があり、誇張をしているうちに「本来の事実はもう全然目に入らず、際限なく繰り返される誇張しか目にとまらなく」なるが、それが自分を「精神的倦怠から救い出す唯一の方法」だったので、語り手は自分を偉大な誇張芸術家として磨き上げている。「もし誰かに、私の正体は実は何なのだと聞かれたら、それに対して、私の知るかぎりもっとも偉大な誇張芸術家だと答えるしかないだろう」
しかもこの語り手には語り手自身が認めているように誇大妄想があり被害妄想があり、周囲にいる人間の悪意や下劣さを読み取ることに長け、そしてしばしば起こってもいないことが目にとまり、記憶は奇妙な観念連合で結ばれており、その結果、この罵倒と愚痴と哲学への憧憬と立ち往生に満たされたモノローグがどこへどう転がっていくのか、実は語り手自身にもよくわかっていない。語り手は「善良で愛想のいい人間も悪辣で卑劣な人間に変えてしまう」が、一方、ときどき自分で勝手に地雷を踏んで、自分には思いやりがないとか自分は卑劣であるとか、言い始める。

語り手は第一部において著作についての計画を語り(正確には、教え子ガンベッティにそれを語ったということを語り)、「消去」と呼ばれるその著作には故郷ヴォルフスエックに関するすべてが記され、そうして記されたあとにはヴォルフスエックは消去されなければならない、と主張する。第二部「遺書」では舞台はその消去されるべきヴォルフスエックに移り、語り手はここで二人の妹と再会する。葬儀の準備が進む様子を観察し、弔問客との挨拶を拒み、喪服を着ることを拒み、自分が新たな「旦那様」となったことに狼狽し、狼狽などしていないと狼狽を打ち消し、「旦那様」は偉いと考え、父の執務室へ入って死んだばかりの父を批判し(ついでにドイツ文学の大半をおとしめ)、妹の夫、つまりワインボトル用コルク栓製造業者のことは軽蔑し(義弟との食卓をはさんだやり取りは壮絶である)、やはり喪服は着ないけれど黒いネクタイを締めることで妹に譲歩すると譲歩したことを自画自賛し、カトリックの高位聖職者、ナチの元地方高官などが参列するなか、両親と兄の葬儀に臨む。もちろん手法は第一部から変わりはなく、テクストは途切れることを知らないモノローグと自由間接話法で構成されている。第二部に入ると反カトリック、反ナチという二つのモチーフがクローズアップされ、それは磨き上げられた「誇張芸術」によって現代オーストリアへの呪詛にまで高められていく。槍玉に挙げられるのはナチやカトリックだけではなく、社会主義もまた槍玉に挙げられており、そうしたものの混淆の最悪の成果が現代オーストリアであるかのように語り手は思い出したように言及し、糾弾する。察するに、そうしてこき下ろすことになるのは語り手が「消去」を行動規範とするアナキストだからであり、つまりそこにナチやカトリック、あるいは社会主義が見えるからこき下ろすのではなく、アナキズムではないからこき下ろしているのであろう。つまりナチやカトリック、あるいは社会主義は語り手にとって単なる口実に過ぎないと思われるが、とにかく現代オーストリア、さらにドイツ的なるものに対する嫌悪感は一貫していて、アナキズムだけが理由になっているとはとうてい思えないのだが、とにかく飽くことを知らずにこき下ろすのである。国家がらみの羞恥心ということではラシュディの『恥』が思い出される。しかしベルンハルトの過激なこれに比べるとラシュディは何もしていないに等しいのである。語り手の政治的な選択についてはここでせんじ詰めて考えようとは思わないが、自分がこうまで呪われるオーストリア人でなくてよかった、あるいはオーストリア人ならば激怒したであろうと思う一方、ベルンハルトを持っていない日本という国はどこか寂しいとも感じたりする。とはいえ、わたしがこの『消去』という作品に夢中になったのは、ベルンハルトの政治的態度や歴史認識に思うところがあったからではなく、すばらしく魅力的で卓越したテクストに激しく感じ入ったからにほかならない。語り手はただ信頼できないだけではなく、語り手自身にとっても信頼できない語り手であり、真相は語り手自身の言葉の裏と表のあいだに見え隠れし、顔を出しては色彩を変える。テクストを追ううちに予想もしない深淵と遭遇し、その内奥に暗くて歪んだ笑い見つけ出して思わず慄然とする体験はほかでは滅多に味わえない。文学的な感動、という表現をそもそもわたしは用いないが、それでもここには明らかに文学的な感動が存在するのである。




Tetsuya Sato