2012年6月20日水曜日

塚本青史『マラトン』

塚本青史『小説ペルシア戦争 I マラトン』(幻冬舎)


日本のプロ作家の作品でペルシア戦争物というのは、わたしの知るかぎりでは過去に例がない。まったく未開拓の領域であり、そうした世界を一般読者を対象に説明する作業にはおのずから困難がともなう。そしてその観点からすれば、『マラトン』にはそれなりの努力は感じられるのではないだろうか。ただ、あの長大なタイム・スパンに必然性があったとは思えないし、こちらとしてはタイトルが『マラトン』である以上、マラトンの戦いを主軸に置いてほしかったところではある。それが最後の10ページばかりというのは少々寂しい。また、わたしは時代考証に重きを置く人間ではないものの、いくつかの重大な逸脱は問題にしたい。
『マラトン』では将軍(ストラテゴス)があたかもミルティアデス一人であるかのように描かれていたが、実際にはほかに9人いた。一応はその合議によって対ペルシア戦略が決定されていた筈である。したがってマラトンで戦端を開くまでの政治的サスペンスが存在した筈なのだが、これは見事に省略されていた。それからストラテゴスやアルコンがあたかも地位であるかのように描かれているが、どちらかと言えば役目に属するものであって、無条件に与えられる権威ではない。ミルティアデスがペルシアで軍役についていたという話は初耳である。これは創作であろうか。ケルソネソスの僭主だったという話の方が、以降のイオニア反乱に話が結びやすかったのではないかと思えてならない。どこかの神社じゃあるまいし、デルポイの神託が大吉、大凶というのはいただけない。仮に趣味の問題だとしても、会話で「みども」「おぬし」はやめてほしい。アリステイデスやテミストクレスの人物プロファイルには疑問が残る。ピタゴラスの学徒がアテナイをうろうろしていたが、うろうろしていた理由がラウレイオン銀山につなげる伏線だけだったとするならば、物語のコスト・パフォーマンスが悪すぎる。
『小説ペルシア戦争 I』とあるからには以降、テルモピュライ、サラミス、プラタイアと続く構想があったのであろうと勝手に推測しているが、いまのところ出ているのは2001年の本書『マラトン』のみである。




Tetsuya Sato