2012年6月14日木曜日

ホッタラケの島 遥と魔法の鏡

ホッタラケの島 遥と魔法の鏡
2009年 日本 114分
監督:佐藤信介

まず冒頭、物をほったらかしにしているとキツネに持っていかれてしまうという伝説が「まんが日本昔話」風に紹介され、それを娘に語り聞かせている母親が亡くなったあと、娘は母から与えられた手鏡をいつの間にかほったらかしにするようになり、それからときが流れて娘はすでに高校生になっているが、父子家庭はきしみがちで家は散らかり放題になり、しかも手鏡は完全に消滅した状態で、娘はそのことをふと思い出し、それから父親と電話越しに機嫌の悪い会話を交わし、娘は家を出て電車に乗り、するとそれまでCGであった背景が手書きに変わり、これは何があったのかといぶかしんでいると娘は伝説にあった神社を訪れて伝説にあったようにお稲荷さんにたまごをそなえ、手鏡が戻るように祈りをささげ、そうしているうちに境内で奇妙な現象に気がつき、怪しい影を追っているうちにあちらの世界に転げ落ち、あちらの世界ではこちらの世界でほったらかしになっていた物を集めてキツネが言わば魔法的な文明を築き上げていて、そこで自分がなくした鏡をもとめて捜し歩くと問題の鏡はあちらの世界で権力の頂点をきわめているとおぼしき男爵の持ち物となっていたことが判明し、ただし鏡は男爵の手にはなく、なにやら恐ろしい地下世界の住人に持ち去られていることも判明し、そこで娘はキツネを一匹子分にしたがえて鏡を取り戻すために地下へもぐり、鏡を持ち帰ったところでそれをすぐに男爵に奪われ、男爵の機械帝国的な陰謀があきらかにされ、娘は男爵にさらわれるので、キツネが娘を取り戻すために奮闘する。
話がほったらけの島に移ってからもときどき背景が手書きになり、あとへ進むほどその回数が増えてくるので、何か造形的な意図があってそうなっている、というよりも、これはもしかしたら予算かスケジュールの関係ではなかったか、と疑っている。そういう奇妙なところがあるものの、さらに演出のテンポの悪さという本質的な問題を抱えてはいるものの、ストーリー、キャラクター造形、美術、アニメーションなどには相当な頑張りが見え、特にほったらけの島はふつうに楽しくできているし、フルアニメーションではないまでも、キャラクターの動作はよく考慮され、全体としての好感度はきわめて高い。ただ、クライマックスあたりでヒツジのぬいぐるみが悪党に挑戦し、ぼくのはるかをかえせ、といったことを叫んで飛びかかっていく場面があるが、うちのぬいぐるみの見解では、ふつうのぬいぐるみは仮に機会があったとしても、このようなことは決してしない。ふつうのぬいぐるみは悪党の隣に立って悪党の悪事を見物し、これはこれはまたけっこうなおてなみで、といったことを言いながら背中を刺す機会をゆっくりと待つのだという。 




Tetsuya Sato