2012年12月21日金曜日

U.M.A/レイク・プラシッド

U.M.A/レイク・プラシッド
Lake Placid
1999年 アメリカ 82分
監督:スティーブ・マイナー

邦題の頭についている"U.M.A"は真っ赤な嘘である。未知動物などは一切出現しない。
アメリカ東部、メイン州の人気のない静かな湖でまず冒頭、いきなりダイバーが下半身を何かに食われる。目撃するのは不純異性交友中の十代男女ではなく保安官なので、その後の展開はすこぶる速い。ビル・プルマン扮する狩猟監督官がすぐに現われて現場の指揮を取り、続いてブリジット・フォンダ扮する生物学者が到着し、さらには直ちに生物の正体を言い当てる謎の金持ちオリバー・プラットがやってくる。早い段階で登場人物を絞り込み、人物造形と人間関係をきっちとしたダイアログで見せることでうまい具合に話をつないでいく。そして一貫しているのは主要登場人物の極めて現代的な弱腰である。この映画には予想していたような大格闘や血まみれの大殺戮は登場しない。いささか騒々しくはあるものの、手順を心得た仕事熱心な連中が真面目に捕獲作業をこなしていく話なのである。最後に生物が間近に出現し、さらに生殺与奪の権利が人間の側に与えられた時、この連中はどう決断を下したのか。これもまた環境の一部であると考えたのである。いったいここでは何が起きたのか。
総体としてはいわゆるB級モンスター映画のプロットが使用されており、主要なカメラ・ワークもそれに準じていると考えていいだろう。演出もそうだと言えばそうだし、結末も基本的にはB級映画の定式をなぞっている。しかし肝心の生物は主人公たちが接触した段階ですでに怪物としての自然な状態にいることをやめており、また主人公たちもモンスター映画のヒーロー、ヒロインとしての具体的なモチベーションを与えられていない。現代にあって人間が狂信を捨て、あるいは別種の狂信に乗り換えて無条件の敵対関係を求めようとしなくなった時、怪物映画もまた一歩進んだのである。前に向かって進んだのか、それとも後ろに向かって進んだのか、そこのところは判然としないが、ここでは骨格だけを残して人物から怪物からすべてを総入れ替えして、考えさせる内容を変えることで終着点を変更している。ポスト・モダンという言い方はあまりしたくないのだが、スプラッター映画で進行していたものがこの方面にもやってきていると考えてもいいのではないだろうか。物語は進化するのではなく、角度を変えて我々の前に出現するのである。





Tetsuya Sato