2015年1月13日火曜日

フルスタリョフ、車を!

フルスタリョフ、車を!
Khrustalyov, mashinu!
1998年 フランス/ロシア 142分
監督:アレクセイ・ゲルマン

1953年2月、軍医のクレンスキー少将はスウェーデン人記者と名乗る人物の訪問を受けて身辺に不穏な気配を感じ取り、ある晩、確証を得ると妻子を捨てて失踪し、荒廃した様子で戻ってきて、目を離したすきにまた失踪する。 
映画は凍てついた夜の路上で始まり、光が漏れる窓の中はあきらかに換気が悪い状態で、そこに異様な密度で詰め込まれた人々はどうやら頭がのぼせ上っているようで、うろうろと動きまわって勝手な行動を取り、勝手なことを口にして、気がつけばなにかを振りまわし、目の前にいる誰かを罵倒し、画面の外ではいつもなにかが壊れている。暴力的で不潔で猥雑な空間に動物のモンタージュが投げ込まれ、その圧縮された光景はなにやら非常にファンタジックではあるものの、中盤以降に展開する光景(特に無頼漢の行動になんの脚色もないあたり)との対照で考えると、基本にあるのはリアリズムなのだと納得する。これは1953年2月のロシアという歴史的に特異な瞬間を網羅的に視点を配して総括しようという試みであろう。ディテールの積み上げがすごいし、しかもけっこうな大作である。
いちいち罪を問うのではなく、そこにあったものをただ示すという点でアンドレイ・コチャロフスキーの『インナー・サークル』に似ているが、これに比べるとコンチャロフスキーの作品はきわめて上品ということになるのかもしれない。アレクセイ・ゲルマンの作品を見るのはこれが初めてだが、視覚、音響面での構成は『動くな、死ね、甦れ!』を思わせた。NKVDの偽装トラックや、有名な「ロシアのシャンパン」護送車など、興味深い車両が登場する。 



Tetsuya Sato