2012年3月22日木曜日

レマゲン鉄橋

レマゲン鉄橋(1969)
The Bridge at Remagen
監督:ジョン・ギラーミン


大戦末期の1945年。ライン川にかかるオーバーカッセル橋はアメリカ軍の侵攻を阻むためにドイツ軍の手によって爆破され、残るはレマゲン橋のみとなった。フォン・ブロック将軍はレマゲン橋爆破の命令を受ける。だがライン川の対岸には第15軍、75000人が取り残されていて、その退路を確保するために将軍は独断で命令を変更し、橋を守るためにクルーガー少佐を派遣する。ところが現地へ到着してみると橋の守備隊は予備役や子供ばかりで全部を集めても200名に足らず、守備隊の指揮官は地元の学校の校長で、爆破工作のために送られた技術大尉は文句しか言わない。しかもフォン・ブロック将軍が約束した応援はまったくの嘘で、地元の有力者は連合軍を迎えるために女中に白旗を用意させていた。
一方のアメリカ軍はソ連軍がすでにエルベ川に迫っているという理由で急ぎ始めていて、将軍はメッケンハイムまで急遽威力偵察をおこなうように命令する。そこで野心家のバーンズ少佐は配下の部隊を前線を越えて先に送り、中隊長のコルト大尉は先を急ぐあまりに敵の対戦車砲の攻撃を受けて戦死し、指揮を継いだハートマン中尉はとにかくくたびれてふてくされていて、上に対しても下に対してもからむことしか考えていない。それでもメッケンハイムに到着してドイツ軍の撤退を確認し、さらにライン川に迫って鉄橋を見下ろすレマゲンの町へ近づいていく。
ハートマン中尉の部隊は丘の上の教会で最初の抵抗に遭遇する。それを排除すると眼下には鉄橋が現われ、戦功を急ぐバーンズ少佐も現われて、ドイツ軍が橋を破壊してしまう前に、こちらで橋を破壊したいということで攻撃命令が下される。腐りまくったハートマン中尉と配下の部隊はドイツ軍が一刻も早く橋を爆破してくれることを願いながら前進を開始し、そこへやってきたアメリカ軍の将軍は考えを改め、やっぱり橋を確保すると言い始める。つまりドイツ軍が橋を破壊してしまう前に、ドイツ軍が仕掛けた爆薬を除去しなければならなくなって、ハートマン中尉の部隊は戦死者を出しながら橋の下にもぐり込んでいく。
もちろんドイツ軍はそれに気がつき、技術大尉は速やかな爆破をクルーガー少佐に進言し、クルーガー大尉はくわっと目を見開くと避難民を収容したトンネルへ走っていって、橋の爆破がおこなわれること、危険なので耳を塞いで伏せていなければならないこと、などを伝達する。そうしているうちにアメリカ兵たちは爆薬をどんどんむしり取って川に捨て、技術大尉はクルーガー少佐が戻るのを待って起爆装置を起動する。ところが爆発が起こらない。アメリカ軍の砲撃で導火線が破壊されていたのである。だがドイツ軍は発火装置のバックアップを用意していて、技術将校が橋へ走って爆薬に手動で点火する。導火線に炎が走り、ドイツ軍もアメリカ軍も橋から逃げ出し、遂に爆発が起こって橋は爆煙に包まれ、煙が晴れて、おそるおそるに見てみると、なんと橋は壊れずに残っているのである。技術大尉は爆薬の品質について文句を言い、クルーガー少佐は徹底抗戦を叫んで手元の兵士を集めるが、すでに負傷兵しか残されていない。そこから二人が戦闘を嫌って逃げ出していくのでクルーガー少佐は逃げる兵を背後から撃ち、その一件で守備隊の士気は一気に低下する。地元校長の大尉も良心にしたがって命令を拒否してしまうので、クルーガー少佐は最後の望みをかけてフォン・ブロック将軍の司令部へ走る。
冒頭、オーバーカッセル橋の確保を目指してアメリカ軍の車列が高速で進み、対岸から敵の砲撃を受けると車列先頭を進む一団のM24が走行射撃で応戦するという場面があって、これはそうとうな見物になっている。レマゲン橋をはさんだ双方の状況も明確で、その点では悪い話ではないものの、いかんせん登場人物に魅力がない。ジョージ・シーガルのハートマン中尉もロバート・ヴォーンのクルーガー少佐も明らかにミスキャストなのである。ジョージ・シーガルは一見して線が細くてタフな兵隊には見えないし、ロバート・ヴォーンはどう気取ってもみても軽さが悪目立ちするだけで貴族出のドイツ軍将校には見えてこない。キャスティングに配慮して、功名心ばかりの少佐といった余計なキャラクターは取り除いて、もう少し状況描写に力を入れれば硬派のアイデアをもっと生かすことができたような気がするのである。




Tetsuya Sato