2015年9月29日火曜日

『Terracity - テラシティ』 第一話 狙われた未来都市

第一話
狙われた未来都市
 目に染みいるような銀色の光沢を誇らかにまとう都市があった。そこでは何百という丸窓をつらねた巨大な建造物が競うようにして肩を並べ、色鮮やかなエアカーの群れがぶるぶると大気を震わせながら宙を行き交い、ぴったりとした金属繊維の服を着た人々が楽しげに日々の暮らしを営んで、おはよう、こんばんは、とあいさつを交わした。そこには空中に広がりながら幾重にも層を重ねる庭園があり、数ある雲を押しのけて空にそびえる塔があった。歩道は音もなく動いてひとを運び、列車は透明なチューブのなかを飛ぶように進んだ。そして宇宙港ではさまざまな大きさ、さまざまな形の宇宙船が轟音を引きずり、黒い煙を噴き上げながら未開の宇宙を目指して次々に飛び立ち、家庭では最新鋭の自動調理器がパンケーキの山を一瞬で作り、皿に盛って送り出すと金属の腕を伸ばして合成シロップをたっぷりと注いだ。
 都市の名はテラシティである。テラシティこそは偉大なる人類文明の象徴であり、未来科学の中心であり、洗練された都市文化の代名詞であり、流行の発信源であり、ありとあらゆる人々の尽きせぬあこがれの的であった。地球だけの話ではない。金星であれ火星であれ、月の裏側であれ彼方の木星軌道面であれ、小惑星帯のはずれにあってひどく魅力を欠いた一角と木星の衛星ガニメデを除けば、一日のあいだにテラシティのことが一度も話題にのぼらない場所はこの太陽系には一つもないと言ってもよいほどで、あらゆる場所で実に多くの人々がテラシティにあこがれ、テラシティの有名人に対してわがことのように関心を抱き、宇宙船で運ばれてきた三か月遅れのテラシティの雑誌に読みふけり、壁にテラシティのポスターを貼り、二年から三年も遅れてテラシティの流行を追い、いつかテラシティを訪れる日を夢に描いて陶然となり、やがてかなわぬ夢と知って涙をこぼすと唇をかたく噛み締めた。金星では青い肌をした金星人の少女たちがテラシティの流行を真似て黄金色の髪にうるさいほどのカールをこしらえ、火星では赤い肌をした火星人の少年たちがテラシティの流行を真似て緑の髪を肩に垂らした。
「おまえ、その髪はなんだ?」火星人の父親が息子に言った。
「うるさいな」と息子が言った。「これがかっこいいんだよ」
「父親に向かって」と父親が言った。「うるさいとはなんだ」
「うるさいな」と息子が言った。「父さんには関係ないだろ」
「関係ないとはなんだ。関係ないなんてことは絶対にないぞ」
「うるさいな」と息子が言った。「いいから放っておいてよ」
「そうはいくか。火星の男は昔から五分刈りと決まっている」
「父さんは古いんだよ。五分刈りなんて、はやらないんだよ」
「おい、こっちへ来い」火星人の父親がバリカンを取り出す。
 しかし息子はせせら笑い、父親に背を向けて家を飛び出す。
「ちくしょうめ」と父親が言った。「地球人の真似ばかりだ」
「ああ」と火星人の妻が嘆く。「あの子はどうなるのかしら」
「決まってる」と夫が言う。「すぐに悪党どもの仲間入りだ」
 そして悪党どももテラシティにあこがれていた。悪をもたらし、悪によって名を上げるべき場所があるとすれば、それは平和なテラシティでなければならなかった。ほかの場所では同じ悪事であっても悪の価値が半分になるような気がしてならなかった。悪党どもは悪党らしい行動力でテラシティに狙いを定め、夢に描いた悪事を働き、悪の限りを尽くして悪の権化と呼ばれるためにテラシティを目指して押し寄せた。

 晴れ渡った空に不審な物体が浮かんでいた。それはあたかも何かに吊り下げられているかのようにふらふらと揺れ動きながら、地上を目指してゆっくりと下降を続けていた。それは強いて言えば中華のブタまんじゅうのようなものであったが、いわゆるブタまんじゅうではない証拠に直径が二十メートル近くもあって、全体がくすんだ赤に染まり、側面から一つ、ピンク色の巨大な目玉が飛び出していた。
「あれはなんだ?」
 テラシティの市民が物体に気づいた。
「こっちへ来るぞ」
 テラシティの市民が物体を見上げた。
「危ない、逃げろ」
 テラシティの市民が逃げ始めた。悲鳴を上げ、足を惑わせ、からだとからだがもつれ合った。物体は都市の中心に近いとある広場に着陸した。着陸と同時に地面が揺れて地響きが起こった。またしても悲鳴が上がり、逃げ続ける者、転ぶ者、足をとめて振り返る者、騒ぎを聞きつけて新たに駆け寄る者がいたるところで入り交じった。多くの者が物体を見上げ、顔を寄せて囁きを交わした。いったいあれはなんなのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、いったい何が始まるのか、そろそろ逃げ出したほうがよいのではないか。多くの者が不安をささやき、ささやきにささやきを重ねて大きなざわめきにしていると、間もなく物体の正体を見分けた一人が声を上げた。
「あれは火星のミランコビッチクレーターに生息しているという巨大アメーバに違いない。しかし妙だ。絶滅危惧種の巨大アメーバが、なぜテラシティに出現したのだろう?」
 それはもっともな疑問だと、多くの市民がうなずいた。このときどこかで笑いの声が高らかに上がった。空に向かってまっすぐに突き抜けるようなその軽薄な笑いを人々は怪しみ、笑いの主を求めてあわただしく前後左右を見回したが、どこを探しても求める姿は見当たらない。どこだ、と誰かが叫んだ。どこにいる、と多くの者が声を合わせた。あそこだ、と一人が指差し、全員の目がいっせいにその方角を追いかけた。
 ざわめく市民と火星の巨大アメーバとのあいだに、いつの間にか一人の男が立っていた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で地面を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、もっともな疑問だ」その冷たい声を耳にしてテラシティの市民は等しく恐怖を味わったが、男はかまわず先を続けた。「本来ならばミランコビッチクレーターにいるはずの巨大アメーバが、なぜテラシティに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」市民の一人が勇気をふるって声を上げた。「おまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」と別の市民が声を上げた。「なんのために?」
「もちろん、この平和なテラシティを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、あの巨大アメーバを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とテラシティの市民が声を合わせた。「そのリモートコントロール装置から電波を送って巨大アメーバを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送って巨大アメーバを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」と市民の一人が声を上げた。「なぜ?」
 わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
 テラシティの善良な市民が息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から緑の髪が、仮面の下から赤い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども低くなった。
「火星人だ」と市民が叫んだ。「火星人の悪党だ」
「そうだ」と火星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はゴラッグ、火星から来た悪党だ。さあ、テラシティの愚民ども、おれの悪事をたっぷりとおがむがいい」
 火星人ゴラッグがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。巨大アメーバがからだを震わせ、目玉をぐるぐると回転させた。
「そうはさせるか」と市民の一人が声を上げた。
「やっつけろ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 ところがこのとき、火星人ゴラッグの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、地面を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、市民が悲鳴を上げてあとずさった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
「驚いたか。これは、あの最新鋭の熱線銃XV60Rだ。これを使えばテラシティの市民など、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのXV60Rか」市民の一人が悔しそうに首を振った。「一般にはペーパーダインXV60をパワーだけグレードアップしたものだと思われているが、実は傑作として名高いザイコムSS30をハイテク化したもので、性能はXV60よりもすぐれている。しかも標準でレーザーサイトとフラッシュライトを装備している上に、道に迷った場合に備えて軍用方位磁石と小型の六分儀までついている。噂によれば六分儀は精度の低い二級品だという話だが、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と勇敢な市民が声を上げた。「やつは一人だ。熱線銃も一丁だけだ。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とゴラッグが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
 ゴラッグが熱線銃を振り上げると小柄な火星人がどこからともなく三人現われ、全員があの最新鋭の熱線銃XV60Rを構えてテラシティの市民に狙いをつけた。
「万事休すだ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 勝ち誇るゴラッグがリモートコントロール装置に指を這わせた。巨大アメーバの足元から無数のひだがあふれるように現われた。
「行け、グログナック、テラシティの愚民どもにおまえの力を見せてやれ」
 あふれるひだが激しくうごめき、グログナックと呼ばれた巨大アメーバのからだが浮き上がった。わずかにからだを傾けると目玉をぐるぐるまわして突進に移り、一瞬で広場を横切って金属の光沢をまとう建物の一つに激突した。つらなる円窓からガラスが飛び散り、開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 巨大アメーバは来た道をゆっくりと戻り、それからあふれるひだをはためかせると同じ建物に向かって突進した。窓枠がはじけて飛んで雨のように降り注いだ。開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 サイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。警察のエアカーが見事な三角形の編隊を組み、はるか上空から広場を目指して一直線に近づいてくる。テラシティの市民が歓声を上げた。火星人ゴラッグが非情の笑みを浮かべ、熱線銃XV60Rを構えて先頭のエアカーに狙いをつけた。灼熱の光が大気を切り裂き、狙われたエアカーがもんどりを打った。溶けた金属をしたたらせながら、彼方に見える建物の陰に墜落した。一瞬の間を置き、火柱が上がった。警察のエアカーが応戦を始めた。青い光が宙を駆け抜け、青い炎が地面をえぐった。だが警察のエアカーはあの最新鋭の熱線銃XV60Rの敵ではなかった。一台、また一台としとめられ、選んだように建物の陰に落ちていっては丸い火の玉を噴き上げた。そしてそのあいだも恐るべき巨大アメーバは人類の理解を超越した巨大アメーバの忍耐で黙々と攻撃を続けていた。同じ建物の同じ場所に向かって執拗に突進を繰り返し、そうしているうちに金属の光沢をまとう壁がわずかにへこみ、わずかなへこみが目にもあきらかなへこみとなり、やがてへこみの中心に小さな亀裂が現われた。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 またしてもサイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。太陽の光を背にして流線形の黒い影が舞い降りてくる。テラシティの市民はその影を見分けた。それはテラシティ防衛隊の戦闘艦インヴィンシブルの勇姿だった。火星人ゴラッグは舌打ちをして熱線銃を構え直した。インヴィンシブルを狙って引き金を引いた。凶悪な赤い光が空中を走り、灼熱の炎がインヴィンシブルに命中した。だが何事もなかったかのようにインヴィンシブルは堂々と降下を続けている。テラシティの市民が歓声を上げた。火星人の悪党どもは熱線銃を構えてむなしい攻撃を続けていたが、インヴィンシブルはものともしない。轟音とともに広場に着陸してハッチを開き、青いヘルメットをかぶった防衛隊の隊員たちを吐き出した。ゴラッグの手下どもの火星のように赤い顔が蒼ざめた。
「ちくしょうめ」とゴラッグが罵る。
 そしてそのあいだも恐るべき巨大アメーバは黙々と攻撃を続けていた。小さな亀裂はすでに大きな亀裂となり、金属の光沢をまとう壁面は怪しく軋み、みもだえていた。テラシティ防衛隊の恐れを知らない隊員たちが熱線銃を構えて前進を始めた。指揮官が声を上げ、隊員たちの指が熱線銃の引き金にかかる。火星人の悪党どもが消し炭に変わる瞬間が刻一刻と近づいていた。
 しかし、このとき、たわんだ壁で異状が起こった。巨大アメーバの単調で執拗な攻撃に、ついに壁が根負けした。輝かしい金属の光沢を放つ薄っぺらな表層が音を立てて壁から剥がれ、崩れかけた鉄筋コンクリートを真昼の光の下にさらけ出した。テラシティの市民が、防衛隊の隊員が、驚愕と恐怖に目を見開いた。金属の光沢の下から突如として現われた醜いコンクリートを見て悲鳴を上げた。それはあり得ないことだった。テラシティの市民の常識では、テラシティの建築物は上から下まで、隅から隅にいたるまで、ことごとくが永久不滅の金属で作られていなければならなかった。いったい、いつどこの誰が言い始めたのかはわからないが、いつのころからか、テラシティはなんとなく鋼鉄都市だということになり、市当局も建設業界もなぜか一度も否定しようとしなかったので、すべてが鉄でできているという非常識な思い込みが、いつの間にか、すべてが鉄でできているという常識になった。そして鋼鉄都市であるという常識はいくらの時間もかけずに鋼鉄都市であるという誇りに変わり、誇りに変わってからというもの、テラシティの市民はこのことをむやみと誇るようになり、その一方、掘っ立て小屋に住んでいる火星人や石積みの家に住んでいる金星人を、掘っ立て小屋に住んでいる、石積みの家に住んでいるという理由だけで見下すようになっていった。だがこの瞬間、誇らしい鋼鉄都市の幻影は吹き飛び、虚飾は砕かれ、根拠のない常識はみごとに覆って単なる非常識という恐るべき正体を現わした。真実から目を背けるために多くの者がまぶたを閉ざした。見えない、見えない、とつぶやきながら、手を前にかざして逃げ惑った。間に合わなかった者もいた。あまりの衝撃に心を乱し、壊れた壁を指差して笑い始める者もいた。
「あはははははは、なんて恐ろしいんだ」
 市民は逃れ、無敵を誇るテラシティ防衛隊は壊滅した。市民も防衛隊の隊員も、もつれる足を急かして昼間営業の酒場に飛び込み、見てきたことを忘れるためにグラスを握って酒を浴び、見てきたことを口にして裏切り者と罵られた。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 ゴラッグの手下が雄叫びを上げた。
 巨大アメーバがしつこく突撃を続けた。
 悪党どもが勝利を得たのか?
 テラシティは敗北したのか?

 テラシティの中心部、思わず誤解を抱くような輝かしい金属の光沢をしっかりとまとい、頭上はるかにそびえるシティホールの百三十五階に置かれた通信室で、黒いセルフレームの眼鏡をかけた愛らしい黒髪の娘アルタイラが通信装置につながるマイクにそのふくよかな唇を寄せ、悲痛な声で訴えた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。火星人ゴラッグが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 アルタイラの叫びは電気信号に変換されて通信装置の背後から延びるケーブルへ送られ、いくつものリレー装置をくぐり抜けて高層のシティホールを上へ上へと駆け上がり、ついに屋上へ達すると巨大なアンテナから翼ある電波となって空中へ飛んだ。
 テラシティの上空、五千メートル。雲を見下ろす空の高みにテラシティの守護者アダム・ラーの空中要塞テラグローブが浮かんでいた。数々の武器を備えたその球体は直径百五十メートルを超え、輝かしい銀色の光沢をまとって地上の声に耳を傾け、大きく広げたアンテナでアルタイラの声を受けとめた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。火星人ゴラッグが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの司令室で最新鋭の通信装置テララジオから流れる声を聞いた。救いを求めるアルタイラの声に、蒼白の美貌と健やかな肉体を持つ正義の戦士の心が猛った。
「なんということだ」深みのある声でそうつぶやくと、テララジオに顔を近づけた。「どうやらこの娘は、このわたしに気があるようだ」薄い唇を舐め、丸窓の外に浮かぶ雲を見つめてあとを続けた。「なんとしても確かめなければ」再び通信装置に目を落とした。「たった一度の熱い接吻、それがすべての謎を解き明かすことになるだろう。だがその前に」姿勢を正して青い詰め襟のホックをとめた。青いチュニックの胸を叩き、続いて白い乗馬ズボンを軽く叩く。膝から下は磨き上げられた黒いブーツだ。腰のホルスターに収めた熱線銃MAX9を軽く撫で、最後に白い手袋を手に取った。「わたしにはしなければならないことがある」そう言って机の上に置かれた真紅の発令装置テラアラームに手を伸ばした。これはアダム・ラーの手だけに反応する。そしてアダム・ラーがテラアラームに手を置くと、テラグローブを揺るがすサイレンが鳴った。
 アダム・ラー出撃の合図だ。テラグローブに足音がこだまする。非番の者もドーナツを捨てて駆け出した。発進ドックでは作業服に身を包んだ浅黒い肌の男たちが声をかけ合い、快速艇テラホークの発進準備に取りかかった。驚異のテラニウムエンジンにテラニウム燃料が充填され、強力無比の熱線砲XH9000に重たげなパワードラムが装填される。アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが飛び込んできた。どちらもアダム・ラーの忠実な仲間だ。小柄だが、大胆不敵な行動力と屈強の肉体を備えたタップスはテラホークの機関士だ。戦場では愛用の大型熱線銃XM66で敵と戦う。長身細身に驚くほどすばしこい肉体を備えたスパークスはテラホークの通信士だ。戦場ではストッピングパワーにすぐれた小型熱線銃VZ77で敵と戦う。アダム・ラーが二人に気づいて振り返り、テラアラームから手を離した。サイレンが鳴りやみ、テラグローブに静寂が戻る。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 アダム・ラーが敬礼を返して指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形の通路の先で円筒形のエレベーターに飛び込んで、指令室のある最上部からテラグローブの赤道部分へ降下した。ここには快速艇テラホークの修理、改造、補給、さらには部品製造までのいっさいをまかなう驚異のテラファシリティが広がっている。鉄と鉄がぶつかり合う。溶接機から火の粉が飛ぶ。旋盤から火の粉が飛び、鍛冶屋の金床からも火の粉が飛ぶ。ずらりと並んだ放電球からミニチュアサイズの稲妻が飛んだ。
 アダム・ラーが二人の仲間を連れてエレベーターから現われると、技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、働く手をとめ、足をとめ、顔に喜びを浮かべて敬礼した。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥プラグが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥プラグか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥プラグがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」

 前方に広場が見えてきた。破壊された建物が、そこへ向かってなおも突撃を続ける巨大アメーバの姿が目に入った。赤い光が宙を駆ける。火星人の悪党どもがテラホークを撃ち落とそうと狙っていた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつって熱線を避け、失速しつつあるテラホークを広場のはずれへ導いた。地面が迫る。そのすぐ先に巨大アメーバがいるのが見える。アダム・ラーの目が光った。操縦桿を握り締め、テラホークを巨大アメーバの正面に向ける。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」
 全長四十メートルのテラホークが巨大アメーバに突っ込んだ。テラホークの鋭利な先端が巨大アメーバの胴体を引き裂き、テラホークの重量が引き裂かれた巨大アメーバを押しつぶした。火星の絶滅危惧種の最期だった。テラホークのハッチが開き、アダム・ラーとその仲間が銃を手にして飛び出してきた。不時着の衝撃はすさまじかったが、頑丈なハーネスに守られていたので全員傷一つ負っていない。銃を構えて地面に伏せると、そこへ火星人の悪党どもの赤い光が降り注いだ。熱線銃から放たれた赤い光が地面を焦がし、巨大アメーバの破片を消し炭に変えた。
 アダム・ラーが感想を言った。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
 火星人の悪党どもは崩れた建物の残骸に隠れてアダム・ラーを狙っていた。アダム・ラーがそこを指差し、タップスに言った。
「正面からはとても無理だ。なんとかして連中の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「連中の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、熱線銃の攻撃をやすやすとかわして火星人の悪党どもに接近した。そして瓦礫の山をたくみに伝って背後へまわることに成功したが、火星人ゴラッグの手下の一人に見つかってしまった。悪党は残忍な笑みを浮かべて足を上げ、スパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 スパークスを踏み潰した火星人が振り向いた。そしてその顔を見て、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いて火星人が笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども高くなった。
 アダム・ラーが息をのんだ。火星人ゴラッグと残りの手下二人も息をのんだ。
 ゴラッグが言う。「なんと、地球人だったのか」
「愚かな火星人め」アルモンがせせら笑った。「おまえは利用されていたのさ」
 ゴラッグが言う。「おれは利用されていたのか」
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。菩提樹のかたわらにたたずむ白いチャペル。笑う娘。踊る娘。もう、兄さんたら。幸福の笑みを浮かべる愛らしい娘。落ちていくブーケ。暗い部屋。花冠をつけ、白い花嫁衣装をまとった娘が机に突っ伏して泣いている。灰色のチャペル。暗い空に舞う枯れ葉。娘の声が果てのない悲しみを帯びてこだまする。どうして、どうしてなの、アルモン、アルモン。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべ、いったいどこから取り出したのか、ロケットパックをすばやく背負った。
「タップス、また会おう」
 そう言うとすさまじい速さで空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げてタップスが叫ぶ。
 アダム・ラーは火星人ゴラッグの鼻先に熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 火星人ゴラッグは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって火星人の悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。
 シティホールの百三十五階、百人もの男女が騒然としてマイクを握る通信室にアダム・ラーが花束を抱えて現われた。通信室の音がやんだ。自信に満ちた蒼白の美貌に百人分の視線が集まった。女たちの陶然とした眼差しが、男たちの羨望の眼差しがアダム・ラーに注がれた。アダム・ラーが歩き始めた。ブーツの足音も高らかに部屋を横切り、一直線にアルタイラの前へと近づいていった。アルタイラが勢いよく立ち上がった。アダム・ラーが足をとめた。威勢よくブーツの踵を合わせると手にした花束を差し出した。アルタイラが眼鏡をはずして目を閉じた。愛らしい鼻にしわを寄せ、それからくっきりとした目を開いてこのように言った。
「ねえ、いま誰か、おならしたでしょ」
 百人の通信士が首を振った。

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