2015年9月2日水曜日

神は死んだのか

神は死んだのか
God's Not Dead
2014年 アメリカ 114分
監督:ハロルド・クロンク

大学の新入生でロースクールを目指すジョッシュ・ウィートンは一般教養でラディソン教授の哲学の講義を選択し、その一回目の授業に出席するとラディソン教授は著名な哲学者としてデモクリトスから始まってヒューム、ニーチェなどを経てドーキンスまでを含む名前を挙げ、全員に共通するのは何か、ということで全員が無神論者であった、ということで、この講義では「神は死んだ」という前提で進めるので受講生はいまここで「神は死んだ」と紙に書いて提出するように、と要求するので、キリスト教徒のジョッシュ・ウィートンは自らの信仰にしたがって提出を拒み、これを挑戦と見たラディソン教授はジョッシュ・ウィートンに三回の講義枠でそれぞれ20分の時間を与え、それで神の存在を証明してみせろ、と迫るので、ジョッシュ・ウィートンが教授の挑戦に応じることに決めると六年もつきあっている恋人がやって来てジョッシュ・ウィートンの判断を批判し、ジョッシュ・ウィートンが実際に神の存在証明に取りかかると「わたしたちはもう終わりね」と言って立ち去り、そうするあいだに熱心なムスリム教徒を父親に持つ娘はラジオのキリスト教番組に耳を傾け、狩猟を推奨する敬虔なキリスト教徒の男はネット記者の追及にあい、そのネット記者は末期ガンを告知され、ネット記者の恋人の株屋は恋人がガンだと知るとその瞬間に関係を解消し、株屋の妹で神を信じるミーナは認知症の母親を見舞い、そのミーナはラディソン教授と同棲していて教授の無神論に反発を覚え、そうするあいだにジョッシュ・ウィートンは素朴すぎるアプローチで神の存在の証明にかかり、教授がホーキングを引き合いに出すとジョン・レノックスを引き合いに出して反撃し、ムスリムの娘は父親に秘密を知られて家を追われ、ミーナは教授を捨てて家を飛び出し、教授はジョッシュ・ウィートンに信仰喪失の理由を告白し、問い詰められて神への憎悪を叫んだために、存在しないものは憎悪できないと指摘されて敗北し、勝利を得たジョッシュ・ウィートンはクリスチャン・ロックの会場へ急ぎ、教授はミーナとの関係を取り戻すためにクリスチャン・ロックの会場へ急ぎ、株屋は認知症の母親から呪われた未来を予告され、そこまでの過程でフロリダへ出発しようとしながら車の故障に妨げられて出発できずにいた二人の聖職者はようやく車を動かしてクリスチャン・ロックの会場近くで信号が変わるのを待ち、そうしていると教授が轢き逃げにあい、二人の聖職者が駆け寄ると教授は即死すべきところをまだ意識を保っていて、これは神に与えられた機会だという聖職者の言葉を受けて教授はついに神を受け入れ、そうしているあいだにもクリスチャン・ロックの会場では神をたたえる歌が歌われ、「神は死んでいない」というメールが世界に向けて送信される。 
無神論者の無作法ぶりはとにかくとしても、信じているほうもかなり素朴で、ほとんどぎりぎりで創造説、というか、こういう素朴な信仰がおそらくは創造説の出所なのであろう。最後のクリスチャン・ロックのコンサートもノリはメガチャーチで、ひとの幸せにいちゃもんをつけるつもりはまったくないが、どうにも即物的すぎて、本来あるべき内省を欠いているような気がしないでもない。開巻、大学のキャンパスを歩く学生たちを背景に得体の知れないフォークソングのようなものが延々と流れて少々引いたが、コンセプトは非常に明確なので結局は最後までその調子。田舎臭いほどの素朴さはかなり笑える。 


Tetsuya Sato