2015年10月12日月曜日

『Terracity - テラシティ』 第十二話 最後の希望

第十二話
最後の希望
「さて、これを見てもらおうか」
 金星人ヴァイパーが大型のスクリーンを指差した。一瞬、走査線が流れたあと、円筒形をした黒い建物が映し出された。窓が一つも見当たらない。
「記憶変造センターだ」ヴァイパーが言った。「アデライダはここにいる」
「アデライダの居場所が、なぜわかったんだ?」トロッグが訊ねた。
「簡単なことだ」博士が言った。「娘に発信器をつけておいたのだ」
「あのメイド服につけてあるのか?」
「違うな」
「では、ティアラか、ホウキだな?」
「違うな」
「いったいどこにつけてあるんだ?」
「どこでもいいだろう」ヴァイパーが言った。「いいか。アデライダはおれたちの作戦にも不可欠な存在だ。そこでおれたちは博士に協力してアデライダを救出する。これは簡単な作戦ではない。成功させるためには全員が一致団結しなければならない。というわけで、ラグーナ」
「何よ」
「作戦完了まで、個人的な事情は忘れてくれ」
「しかたがないわね」
「そしてアルタイラ」
「なんでしょうか?」
「作戦完了まで、個人的な話題は避けてくれ」
「個人的な話題って、おならのことですか?」
「そうだ、おならだ」
「しかたありません」
「では、これも見てもらおう」
 金星人ヴァイパーが再びスクリーンを指差した。円筒形の建物のフレーム画像が映し出され、フレームのあちらこちらに赤や黄色のマーカーが浮かんだ。
「記憶変造センターの警備システムだ」ヴァイパーが言った。「赤いマーカーが警備員の位置を、黄色いマーカーがトラップの位置を示している。見たとおり、警備員だらけ、トラップまみれだ。特にこの四階、中央記憶変造室の周囲にはトラップが集中している。ほとんど難攻不落だと言ってもいいだろう。ラグーナ、説明を頼む」
「いいわ」ラグーナが立ち上がった。「警備員は全員が特殊部隊で訓練を受けて、最新鋭の熱線銃で武装してる。そして不審者を発見した場合には、質問する前に発砲するように指示されてるの。廊下には監視カメラと連動した強力な熱線砲が二十メートル置きに配備されていて、最上階の監視センターから遠隔操作で発射できる。廊下の床には落とし穴が隠れてるわ。落とし穴の上には黄色いタイルが貼ってあるけど、油断しないで。なかには黄色いタイルを貼ってない落とし穴も混じってるから」
「穴のなかには、何かあるのか?」ゴラッグが訊ねた。
「グラサイト製の槍が並んでるわ」ラグーナが答えた。
「落ちたら串刺し、ということか」セプテムが言った。
「そうよ」ラグーナがうなずいた。「それから、エレベーターね。認証用の鍵を使わずにエレベーターを動かすと、ゴンドラの壁からグラサイト製の槍が飛び出してくる。各フロアのエレベーターホールにはガニメデの昆虫人間が配置されていて、ふだんは不活性化されて透明のチューブに収まっているけれど、何かあったらチューブから出て、敵も味方も見境なしに襲いかかるわ。エレベーターは避けたほうが安全ね。でも階段はもっと危ない。うっかり侵入すると壁からガスが噴き出してくるわ」
「ガスというのは催涙ガスかな?」ヴィゾーが訊ねた。
「いいえ、イペリットを使ってる」ラグーナが答えた。
「吸ったらおだぶつということか」セプテムが言った。
「そうよ」ラグーナがうなずいた。「どうにか四階までたどり着いても、中央記憶変造室へ入るためには三つのセキュリティチェンバーを通過する必要がある。どのチェンバーにも監視カメラが五台あって、不審者が侵入した場合には監視センターの遠隔操作でトラップが作動するの。第一チェンバーには吊り天井があって、天井から飛び出たグラサイト製の槍が侵入者を串刺しにする。第二チェンバーでは高圧で噴き出た水が侵入者を八つ裂きに、第三チェンバーは二千度の高温ガスで焼き殺すの」
「考えたやつの顔が見てみたいぜ」トロッグが言った。
「わたしよ。何か文句でもある?」ラグーナが言った。
「正面から行くには危険すぎるな」セプテムが言った。
「おれもそう思う」ヴァイパーが言った。「頭数を用意すれば警備員を排除してトラップをくぐり抜けることも不可能ではないだろうが、それではこちらの犠牲が大きくなりすぎる。それに、もたもたしているうちにアデライダに危険が及ぶ可能性も考えておく必要があるだろう。そこでおれは、テラホールを使おうと思っている。ロイド博士の研究所からテラホールを使って中央記憶変造室に乗り込み、アデライダを救出したあと、テラホールを使って撤収する。どうだ? 悪くないアイデアだろ」
「たしかに、それなら安全そうだ」トロッグが言った。
「それに、スマートな感じもする」ヴィゾーが言った。
「いいじゃないか。それでいこう」ゴラッグが言った。
「でも」アルタイラが声を上げた。「博士の研究所って、いま、どうなってるんですか? テラホールがまだ使えるっていう保証があるんですか?」
「心配ない。その点は、大丈夫だ」博士が言った。
「なんでそれがわかるんだ?」トロッグが訊ねた。
「簡単なことだ」博士が言った。「テラホールに発信器がつけてあるのだ。破壊されたり、解体されたりしたら、すぐにわかるようになっている」
「さすがはロイド博士だ」トロッグが言った。「ところで、おれにつけた発信器ってのは、いったいおれのどこについてるんだ? おれの服か?」
「違うな」
「靴か?」
「違うな」
「髪か?」
「違うな」
「いったいどこにつけてあるんだ?」
「どこでもいいだろう」ヴァイパーが言った。「というわけで、テラホールが使えることは博士が保証してくれている。実験室に入ることができれば三十分で準備ができるそうだ。だからおれたちの問題は、実験室にどうやって入るかということになる」
「ドアから入ったらいけないのか?」ゴラッグが訊ねた。
「もちろんドアから入るんだが」ヴァイパーが言った。「監視カメラで確かめたところ、ロイド博士の研究所はいま警官隊の監視下にある。テラシティ防衛隊が出動している可能性もあるし、アダム・ラーが待ち構えている可能性もある。つまり研究所へ近づけば、おれたちはそのまま、罠に飛び込むことになる」
「つまり、またトラップまみれか?」ヴィゾーが訊ねた。
「わたしの研究所にトラップはない」博士が言った。
「でも」ラグーナが言った。「地下にシンジェノアがいるわ」
「ああ」博士が言った。「そう言えばシンジェノアがいるな」
「シンジェノア? それはいったい?」ヴァイパーが訊ねた。
「遺伝子改造が生んだ悪夢だよ」博士が答えた。「砂漠戦用に兵器として開発したもので、凶暴さや残忍さはガニメデの昆虫人間の比ではない。しかもコントロールが難しいので、地下のエアコン用メンテナンスホールに隔離してあるのだ」
「しかし博士、なぜそんなものを作ったのだ?」セプテムが訊ねた。
「科学の力を過信し、神への畏れを忘れたのだ」博士が答えた。
「そのシンジェノアを倒す方法はないのかい?」ヴィゾーが訊ねた。
「砂漠戦用に開発したと言ったろう。シンジェノアの弱点は、水だ」
「水ってふつうの水? 水に弱いんですか?」アルタイラが訊ねた。
「そう、水に弱い。水をかけるとシンジェノアは溶けてしまうのだ」
「だったらさっさと、始末しときゃいいのによ」トロッグが言った。
「なるほど」博士が言った。「言われてみれば、そうかもしれない」
「では」ヴァイパーが言った。「そのシンジェノアとやらが暴れていた場合には水をかけるとして、ほかの要素にどう対処するかだ。おれは地底戦車ヴァグラーを使うことを考えている。ヴァグラーが地面を破って、どっかーんという感じで現われたところへ、おれたちが飛び出していって警官隊を制圧し、実験室に突入する」
「いや、ヴァイパー」セプテムが言った。「それはだめだ」
「だめだ? どうしてだめなのだ?」ヴァイパーが言った。
「ちょっとした、技術的な問題がある」ヴィゾーが言った。
「それはいったい、どういうことだ? 説明してもらおう」
「あれは、でかすぎるんだ」セプテムが言った。「地底戦車で穴を掘って研究所まで行こうと思ったら、それなりの経路をたどる必要がある。ところがあれは、とにかくでかいから直進しかできない。それも上に向かって直進することを前提に構造計算をしてあるから、横とか斜めに進んだら何が起きるかわからない。たぶん壊れる。方向転換なんて、考えるだけでも恐ろしいね」
「なぜ、いままでそれを、黙っていたのだ?」
「まあ、おまえを悲しませたくなかったから」
「そうか、そういうことか」
「すまないが、そうなんだ」
 わははははは、とヴァイパーが笑った。
「いいだろう」ヴァイパーが言った。「それなら、正面突破するだけだ」
「ヴァイパー」ヴィゾーが叫んだ。「ちょっと待てよ、やけを起こすな」
「ヴァイパー」トロッグが言った。「おまえ、すごい金持ちなんだろ?」
「何が言いたい? だったら、どうだと言うのだ?」
「だったらさ、金を使えよ。警官隊はたぶん転ぶぜ」
「防衛隊もね」ラグーナが言った。「給料安いから」
「すばらしい」セプテムが言った。「それでいこう」
「なるほどな」ヴァイパーがうなずいた。「買収か」
「ヴァイパーの腹が痛むけどな」ヴィゾーが言った。
「かもしれないが」博士が言った。「暴力を使うより、そのほうがいい」
「おれはかまわん」ヴァイパーが言った。「決定だ」
「アダム・ラーは、どうする?」セプテムが訊ねた。
「あれは無理よ。買収できない」ラグーナが言った。
「ああ、融通が利かないからな」ヴィゾーが言った。
「だが、いちばん危険な相手だ」ゴラッグが言った。
「誰か、いい考えはないか?」ヴァイパーが言った。
「要するに」アルタイラが言った。「動けなくすればいいんですよね?」
「ああ、動けなくすればいい」ヴァイパーが言った。
「だったらテラグローブを攻撃したらどうですか?」
「テラグローブを、攻撃だと?」ゴラッグが叫んだ。
「それはたぶん、約束違反だが」ヴィゾーが言った。
「でも、木星人がたまにしてる」トロッグが言った。
「そうは言っても、ちょっとな」ゴラッグが言った。
「でも、足止めはできますよ」アルタイラが言った。
「気に入ったわ」ラグーナが笑った。「アルタイラ、悪党の仲間入りよ」
「ヴァイパー」ゴラッグが言った。「どうなんだ?」
「おれはかまわん」ヴァイパーが言った。「決定だ」
「地対空ミサイルで攻撃しよう」セプテムが言った。
「そいつはいい、そうしよう」ヴァイパーが言った。
「ではそろそろ、行動開始だな」ヴィゾーが言った。
「賛成だ。急がないと、娘が危ない」博士が言った。
「よし、行動開始だ」ヴァイパーが言った。「ラグーナ、交渉を頼む。警察とテラシティ防衛隊にあたってくれ。金額はまかせる。セプテム、小型の地対空ミサイルを三ダースくらい用意して地上へ運べ。ヴィゾー、セプテムを手伝え。攻撃位置を確保するんだ。ほかの者は準備が整い次第、研究所へ向かって移動する。ゴラッグ、おれの戦闘員を指揮してロイド博士を護衛しろ」
 博士の娘アデライダを救うために、ついに悪党どもが行動を始めた。
 そこへヴァイパーの娘ヴィーナスが現われ、ヴァイパーにすがった。
「パパ、お願いよ、ヴァルモンを連れていかないで」
「ああ、もちろんだ。ヴァルモンは父親になる男だ」
「いいえ、お義父さん、おれにも戦わせてください」
「だめよ、ヴァルモン、お願いだから、一緒にいて」
「おれの戦いぶりを、お義父さんに見てほしいんだ」
「ヴァルモン、おまえがそう言うなら、一緒に来い」
「ありがとうございます。必ずご期待にこたえます」
「行くのね、あたしを置いて、行ってしまうのね?」
「大丈夫。きっと戻ってくる。だから安心するんだ」
「きっとよ、きっとよ、必ず、無事に戻ってきてね」
「約束するよ、約束するよ」
「愛してるわ、愛してるわ」
「アデライダ」アルタイラが叫んだ。「あと、ちょっとの辛抱だからね」

 そのころ、記憶変造センターの心臓部、中央記憶変造室では。
 白衣の技師がアデライダの拘束を解き、椅子から下りたアデライダがホウキを構えて宙を見つめた。アデライダの前にアダー執政官の黒い影が現われた。
「アデライダ」執政官が言った。「わたしが誰だか、わかるかな?」
「はい、ご主人さま。お帰りなさいませ。ご命令をどうぞ」
「よし」執政官が言った。「では、おまえに最初の指令を与えよう。アルタイラとロイド博士を滅ぼすのだ。邪魔する者は排除しろ。手段を選ぶ必要はない。そして失敗した場合には、死をもってつぐなうのだ。ふははははは。ふははははは」

 そのころ、銀色に輝くテラグローブでは。
 アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが並んでいた。アダム・ラーが振り返り、二人の前でこのように言った。
「アダー執政官の緊急指令だ。アルタイラとロイド博士をつかまえる。そして失敗した場合には、死をもってつぐなうのだ」
「し、死ぬんですか?」スパークスの声が震えた。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」タップスが笑った。
「執政官の考えでは、アルタイラはロイド博士の娘アデライダを奪い返そうとたくらんでいる。アデライダは記憶変造センターにいるから、アルタイラはそこを狙ってくるだろう、と執政官は考えている。しかし、アルタイラにはロイド博士がついている。ロイド博士がよからぬことをたくらんで、まず研究所を奪い返そうする可能性もある、と執政官は考えている。いま、記憶変造センターもロイド博士の研究所も、厳重な警戒下に置かれている。二人がどちらかに現われれば、ここへすぐに連絡が来る。そうしたら我々はただちに出動し、アルタイラとロイド博士を捕えるのだ」
「失敗したら、死ぬんですね」スパークスの声が震えた。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」タップスが笑った。
「失敗はしない」アダム・ラーがおごそかに言った。「わたしはテラシティの守護者なのだ。ヒーローなのだ。ヒーローは決して失敗しない」
「そう聞いたら、なんだか少し安心しました」
「はっはっはっ。ほんとに臆病なやつだなあ」
 このとき、最新鋭の通信装置テララジオから見知らぬ声が流れ出た。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらは執政官のスパイ、こちらは執政官のスパイ。アルタイラの一味はロイド博士の研究所を目指している。繰り返す。アルタイラの一味はロイド博士の研究所を目指している」
「いよいよだ」スパークスの声が震えた。
「腕が鳴るぜ」タップスが言った。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 このとき、爆発音がとどろいてテラグローブが激しく揺れた。床が傾き、アダム・ラーがよろめいた。スパークスが悲鳴を上げてタップスをつかみ、タップスとスパークスが床に倒れた。
「なんだ?」タップスが叫んだ。
「なんなんだ?」スパークスが声を上げた。
 アダム・ラーがテララジオのスイッチを入れた。
「こちらアダム・ラー、何があった?」
「攻撃を受けています」テララジオから声が流れた。「何者かがテラグローブをミサイルで攻撃しています。現在、テラファシリティが炎上中。しかし、ご安心ください。我々はテラグローブを守ります」再び爆発音がとどろいた。テララジオから絶叫がほとばしった。「うわあっ」
「こちらアダム・ラー、どうした? 応答しろ」
 テララジオが沈黙した。
 アダム・ラーが指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形のエレベーターのドアが閉まり、再び開くとそこは驚異のテラファシリティだ。そこでは技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、煤にまみれて炎と戦い、あるいは火だるまになって恐ろしい悲鳴を上げていた。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥オイルが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥オイルか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥オイルがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」
 前方にロイド博士の研究所が見えてきた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつり、失速しつつあるテラホークを研究所へ導いた。ドーム状の建物が迫る。アダム・ラーの目が光った。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
「博士」監視カメラのモニターを指差し、白衣をまとう技師が叫んだ。「アダム・ラーの快速艇テラホークが突っ込んできます」
「何?」博士が叫んだ。「そうか、アダム・ラーの足止めは失敗だったか」
「博士」アルタイラが叫んだ。「そんなことよりアデライダを助けるのよ」
「よし」博士が言った。「この追跡装置でアデライダの場所を確かめよう」
「博士」ルパシカを着た青年が叫んだ。「我々はまだあきらめていないぞ」
 白衣の技師が青年の頭に大きなスパナを振り下ろした。
「なんということだ」博士が叫んだ。「娘は近くにいる」
「なぜなの?」アルタイラが言った。「どういうこと?」
「まずいわ」ラグーナが言った。「洗脳されているかも」
「記憶変造センターにいたからな」ヴァイパーが言った。
 このとき、実験室のドアが開いた。アデライダが姿を現わし、見る者の心をくすぐる天真爛漫な笑みを浮かべた。
「お父さま」
「無事か?」
「ええ、お父さま」アデライダが実験室に入ってきた。
「アデライダ」アルタイラがアデライダに駆け寄った。
「変ね」ラグーナが言った。「洗脳されてないみたい」
「あら」アデライダが笑みを浮かべた。「されてるわ」

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
「たいへん」アルタイラが叫んだ。「何をされたの?」
「なんということだ」博士が叫んだ。「アデライダが」
「どうすりゃいい」ゴラッグが熱線銃を抜いて構えた。
「いったい、何を命じられた?」ヴァイパーが訊ねた。
「何かを、命じられたんだけど」アデライダが言った。「でも、よく聞いてなかったの。だって、アダー執政官って、口が臭いんですもの。おならの臭いも少ししたし」
「いつもよ」ラグーナが言った。「いつも臭ってるの」
「それで、それが気になったら、もうそのことで頭がいっぱいになって、執政官が何を言っても、ちっとも耳に入らなかったの。だから何を命じられたかわからないわ」
「それで終わりかよ?」ゴラッグが熱線銃を下ろした。
「いいえ」アデライダが叫んだ。「何を命じられたかわからないけど、何をすべきかはわかってるわ。あんなに口の臭いひと、すぐ滅ぼしてしまわなければならないわ」
「どうやら、目的が一致したな」ヴァイパーが笑った。
「博士」技師が叫んだ。「テラホークがぶつかります」
「これはいかん」博士が叫んだ。「研究所を救わねば」
「しかし」悪党たちが声をそろえた。「どうやって?」
 アルタイラがアデライダを指差した。
 アデライダの目に明るい星が輝いた。
「アデライダ、頼んだぞ」博士が叫んだ。
「アデライダ、行きます」

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
 監視カメラのモニターを指差し、ふふふふふとラグーナが笑った。
「ほら、見てごらんなさい」
 アデライダがホウキを構えた。アデライダがホウキを振ると、テラホークがもんどりを打って墜落した。
 わははははは、と悪党どもが声をそろえた。
 テラホークのハッチが開き、アダム・ラーが這い出した。タップス、スパークスがあとに続く。うっかり動いたカメラによってアダム・ラーの顔がアップになった。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
「正面からはとても無理だ。なんとかして彼女の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「彼女の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、うっかりフィールドをやすやすとかわしてアデライダに接近した。そして背後へまわることに成功したが、アデライダがくるりと振り返ってスパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 このとき、タップスの動きがとまった。左右を見まわし、空を見上げ、それからまた左右を見まわし、頭を垂れて地面を見つめた。
「タップスの動きが変だ」ゴラッグが言った。
「何かを探してるみたい」ラグーナが言った。
「見ろよ」トロッグが言った。「アダム・ラーもとまってる」
「変ね」アルタイラが言った。「いったい何があったんだろ」
 タップスが前に向かって歩き出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追った。タップスがアデライダに近づいていく。
 アデライダがホウキを振った。タップスの熱線銃が分解した。それでもタップスはとまらずに、アデライダに向かって近づいていった。アデライダがホウキを振った。タップスはものともしないで前に進んだ。
「ねえ」アルタイラが言った。「これ、まずい、絶対まずい」
「アデライダ」博士が叫んだ。「早く、なんとかしなければ」
 タップスの手が伸び、アデライダの髪をつかんだ。
 アデライダが悲鳴を上げた。
 タップスの手が伸び、アデライダの頬をつまんだ。
 アデライダが悲鳴を上げた。
「何をしてるんだ?」ヴァイパーが言った。
「早く、助けなきゃ」アルタイラが叫んだ。
 アダム・ラーが現われ、アデライダの手に手錠をはめた。
「なんてこった。アデライダが逮捕された」ヴァイパーが叫んだ。
「同じ場面を、前にも見たような気がするわ」ラグーナが言った。
「たいへんだ」トロッグが叫んだ。「アダム・ラーが入ってくる」
「たいへんだ」ゴラッグが叫んだ。「みんな、戦闘の準備をしろ」
 悪党どもが武器を抜いた。
 実験室のドアが開き、アダム・ラーが入ってきた。タップスも現われ、手錠をかけたアデライダを盾にした。アダム・ラーが熱線銃を構えてアルタイラを狙った。
「降伏しろ」
 タップスの腕のなかでアデライダがあらがった。アルタイラの額を汗が伝った。
「人質とは卑怯だぞ」ヴァイパーが叫んだ。
「降伏しろ」アダム・ラーが繰り返した。
「聞け」博士が叫んだ。「熱線銃はアデライダにはあたらない。だからかまわず」
「やっておしまい」ラグーナが叫んだ。
 アダム・ラーを狙って次々と赤い光がほとばしった。アダム・ラーが横に飛んだ。タップスとアデライダがキャットウォークの残骸に隠れた。アダム・ラーが撃ち返し、逃げ惑う白衣の技師が端から消し炭になっていった。
「すごい攻撃だ」ゴラッグが言った。
「前進できない」トロッグが言った。
「お義父さん」ヴァルモンが叫んだ。「おれが出ます。援護を」
「ヴァルモン」ヴァイパーが叫んだ。「無茶をするんじゃない」
 ヴァルモンが前に向かって飛び出した。アダム・ラーがヴァルモンを狙った。熱線銃の赤い光がヴァルモンをかすめた。ヴァルモンが叫びを放って床に倒れた。
「ヴァルモン」ヴァイパーが叫んだ。「おまえたち、援護しろ」
 アダム・ラーを狙って次々と赤い光がほとばしった。ヴァイパーが走り、倒れたヴァルモンを抱き起した。
「ヴァルモン、しっかりしろ、傷は浅い」
「お義父さん、嘘がへたくそなんですね」
「何を言っている。一緒に家に帰るんだ」
「ヴィーナスに、どうか伝えてください」
「ばか、自分で伝えればいいじゃないか」
「おれは勇敢だったと、勇敢に戦ったと」
「おまえは勇敢だった。勇敢に戦ったよ」
「お義父さん、うれしいな。本当ですか」
「本当だ。メテオブレインのようだった」
「メテオブレイン? それは誰ですか?」
「小惑星帯を根城にしているとんでもない悪党だ。本物の悪党はみんなあいつを目指している。地球の出身で、本名はガストン・ラリュー。ただし、おれが最後に会ったときにはバスティアン・ギーと名乗っていた」
「バスティアン・ギー?」ヴァルモンが血まみれの手で胸をつかんだ。「そんなばかな。やつはおれがこの手で三年前に…」
 このとき実験室のドアが音もなく開いた。ヴァルモンがかすむ目を向ける。そこに立っていたのは赤いトレンチコートを着たブロンドの女だ。
「モニーク」ヴァルモンが震える声を絞り出した。
 モニークと呼ばれた女がコートのポケットからピストルを出し、腰だめに構えて二発撃った。薬莢が飛び、実験室に銃声が轟き、ヴァルモンのからだが痙攣した。
 このとき、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いてモニークが笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長が七センチほど高くなった。
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。おまえは利用されていたのさ。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が。タップス、また会ったな。やつは海岸で泣いている。やつは海岸で泣いている。執政官の銅像が笑っている。タップス、また会ったな。タップス、また会ったな。テラフクロウがくちばしを開いた。おれだ、アルモンだ。テラフクロウがつばさを広げた。タップス、また会おう。タップス、また会おう。悲鳴が聞こえる。誰かがどこかですさまじい悲鳴を上げている。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放って飛び出した。
「タップス、また会おう」
 ドアが静かに閉じて、アルモンの姿を覆い隠した。
「ちくしょう」ドアをにらんで、タップスが叫んだ。
 アダム・ラーがヴァイパーに熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 悪党ヴァイパーは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。アルタイラもラグーナも、ロイド博士も生き残った白衣の技師も両手をあげた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。

 そのころ、アダー執政官の執務室では。
 執政官の黒い影が壁を這い、執政官の黒い笑いの声が響き渡った。
「ふははははは。ふははははは」

 そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
 ヴィーナスが言葉にならない叫びを上げ、ヴァルモンのからだをかき抱いた。
「ちくしょう」ヴァルモンがあえいだ。「おれにはわかっていた。いずれはこうなるとわかっていた。あの泥沼からは、一人として逃げ出すことはできないんだ」
 ヴァルモンの口から血があふれた。
「誰か、誰か」ヴィーナスが叫ぶ。「誰か、このひとを助けて。この地獄からこのひとを助け出して」

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