2014年8月6日水曜日

異国伝/盗人の弁明

(ぬ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。わたしはここでその国の名前とその国のあった場所を言うことができるが、それをして諸君の知識を試そうとは考えていない。それをすればたまたま知っていた者は自らの知識を誇り、知らなかった者は無知を恥じることになる。知識を誇る者は同僚の無知をそしるかもしれないし、無知を恥じる者は同僚の知識をねたむかもしれない。無知を恥じるあまりに知っていたと嘘を言い、その上で同僚の無知を非難する者も一人や二人はいるだろう。そうなると誰が知っていて誰が嘘をついているのかがわからなくなり、諸君はたちまち猜疑の虜となって混乱の渦に巻き込まれる。狡猾な者なら好んで混乱を引き起こすかもしれないが、諸君にとって幸いなことに、わたしは狡猾な者ではない。だからその国の名前もその国のあった場所も、ここでは秘密のままにしておこうと思う。
 その国では普通の人々が普通に暮らしていた。国民が追い剥ぎを生業とすることもなく、貴族が誘拐を稼業とすることもない。得体の知れない難癖をつけて旅行者から金品を合法的に巻き上げるような習慣もなかったし、海老に戦いを挑むようなこともしなかった。町にはまともな店が並び、町の外には畑が連なり、町でも畑でもまともな人々が真面目に働いていた。平和を好んで争いを避け、法を尊んでよく秩序を守った。もちろん多少のいさかいはあったようだが、人間が人間と肩を並べて暮らしていればそれは当然のことであろう。まるでいさかいがなかったら、その方がよほど奇妙に見える。
 奇妙に見えると言えば、その国には一つだけ、奇妙に見える習慣があった。諸君は不思議に思うだろうが、その国では盗みは罪にならなかった。それどころか称賛に値する行為の一つとして数えられていた。ある高名な盗人に至っては、その業績を記念するために巨大な石像が作られたほどだ。石像の台座には経済の改革者という銘が刻まれていた。
 諸君もよくご存知のとおり、盗人というのは単に盗むだけの者ではない。品物を盗めばそれを闇市や故買屋で売り飛ばすし、売り飛ばした金で飲むこともする。金を盗めば、もちろんそれで飲むことになる。もう少し賢明ならば飲まずに投資して、投資から得た利益で飲もうと考える。中には信じがたいことに、盗んだ金を貧しい者に分け与えて、他人の金で飲む者もいる。目的や順番が違っていても、結果としてはすることは同じだ。
 さて、ここでわたしは二つの点で、諸君の注意を喚起したい。
 まず盗人は、盗人稼業に励むことで資金に流動性をもたらす。経済とは資産を持つ者と持たぬ者、そして闇市と居酒屋の四つを結んだ線の上で成り立っている。そのままにしておけば莫大な資金が一つの点で死蔵されるが、盗人は線の上を速やかに移動し、ある一点から他の一点へと資金を移し替える機能を備えている。
 次に盗人は、盗人稼業に励むことで経済の活性化をもたらす。盗人が入るのは主として金持ちの家であり、盗人がそこから繰り返して資金を動かすことで、金持ちの家は次第に傾いていく。つまり盗人は市場の独占的な状況を解消し、多方面に対して参入の機会を提供する機能を備えている。
 以上のことから、盗人が経済活動の重要な鍵となっていることが、諸君にも理解できたと思う。盗人がいなくなれば資金は流動性を失い、独占資本の横暴が放置される。経済は構造的な問題を抱えて活力を失い、やがて傾いて国を潰すことになるであろう。その小さな国の人々は驚くべき炯眼によって真実を見抜き、経済の肯定的な因子として盗人に称賛を惜しまなかったのである。
 しかるに我が国の現状はどうであろうか。独占資本の専横を許す一方で、盗人にはささいな盗みで罰を与えようとしている。しかも告発人の訴状によれば、その罰とは死刑なのである。いったい、これほどの無法が許されるものなのか。同じ訴状によれば、わたしは単に盗んだだけではなく盗んだ物を闇市に売り、闇市に売った金で飲むことをしたという。しかし、それこそがまさに盗人の、資金に流動性を与える機能であったと、なぜ考えないのであろうか。訴状には続きがあった。それによればわたしは単に飲んだだけではなく、飲みながら経済の底辺に対して余計な行為を称揚し、青少年に害を与えた。しかし、それは盗人の数を増やして我が国の経済を活性化しようとする試みであったと、なぜ考えないのであろうか。
 理由は簡単かつ明瞭である。告発人のみならず、諸君もまた独占資本の走狗なのである。諸君は独占資本の正体を知っているのか。あれは異なる三つの物を一つに束ねて不可分の一つだとはばからずに主張する。そうして三つの物をそれぞれ一つの物として商う者の利益を損ない、四つ目には何を加えるべきかと不敵な思いに身を委ねつつ、市場からまさに独占的に利益を吸い上げて女秘書との結婚を果たす、そのような危険な手合の手先となって、諸君はなぜ安心することができるのか。遠からぬうちに資本も一つに束ねられ、すべての中から一つを選んで贖うことは不可能になり、すべてを束ねたたった一つを売りつけられることになる。すべてを束ねた一つの物は複雑なので間違いがあっても気がつくのは遅くなり、間違いに気づいても取り換えることは難しくなるであろう。
 諸君は、そのような時代の到来を望んでいるのだろうか。わたしならば束ねた一つからなるべく多くを盗み取り、それを一つひとつの物とするであろう。そうしなければ国に未来はないと信じるからにほかならない。
 だが、すでに判決は下った。諸君はそこにいて、わたしが話し終えるのを待っている。話を終えたわたしには、死が待っていることを知っている。だがわたしには息子たちがいる。息子たちは盗人である。わたしの心は安らかだが、諸君は安らぎを失うであろう。残念ながら、立ち去るべき時がやってきたようだ。

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