2014年8月20日水曜日

異国伝/無法の表彰

(む)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも不運な旅人を迎えることがあったのは、街道から枝分かれした一本の道がその国に向かって真っ直ぐに延びていたからである。旅行者は習性として進むべき道を誤ったし、冒険心に頭を冒された愚か者は好んで進むべき道を誤った。だがうっかりその国に足を踏み入れて土地の人間と遭遇すると、後はよほどの変人でもない限り脱出を考えることになる。
 いささか信頼に乏しい資料によれば、その国の住人は人間ではなかった。少なくとも一般に知られている人間とは、やや異なる姿をしていた。
 まず頭部が異様に大きかった。大人がひと抱えにするほどもあって、その形状は扁平で、上から力を加えた団子のような形をしていたという。頭髪はなかった。顔の大半を占めていたのはドングリを倒したような巨大な目で、その下には鼻と思しき小さな穴が二つ並んで開いていた。口は顔の幅いっぱいに裂けていて、開くと小さな牙がずらりと並ぶ。頭部の大きさに比べると、胴体は不釣り合いなほど小さかった。頭を三とすると、首から下は二ぐらいの比率になったという。その小さな胴から二本の短い腕と二本の短い脚が生えていて、手は完全な形をしていたと伝えらていれる。脚の形状についての報告はないが、これは住人の身長が平均よりもやや低めだったためであろう。向かい合うと胴体のほとんどの部分が頭の陰に隠れてしまって、見ることができなかったのである。
 その土地の人々がいかなる理由によってそのような外見をしていたのかは定かではないが、世の中には勝手な空想を勝手な方向へ膨らませて荒唐無稽な結論を引き出す者がいる。そうして引き出された結論によれば、その土地の住人はやはり人間ではなくて、異世界からの訪問者か、またはその子孫であったということになる。星から星へと旅する乗り物が故障して我々の星に降り立つことになり、そのまま居着いてしまったというのである。しかしながらそのような事実を示すいかなる証拠も残されていないし、仮に残されていたとしても良識にしたがって解釈に余地を加えなければならないだろう。
 さて、ある時のこと、一人の旅人が旅を急ぐあまりに道を誤り、街道を遠く離れてこの国に足を踏み入れた。見渡す限りが丈の高い草むらで、ひとが住んでいる気配はまったくない。それでも方角を疑わずに草をかき分けて前へ進むと、やがて一軒の家が見えてきた。椀をかぶせたような形をしていて、その滑らかな表面は乾いた泥の色によく似ている。地面の近くに丸い穴が開いていて、それを除けば戸口も窓も見当たらなかった。旅人はかすかに漂う怪しい気配を感じ取り、また動物の糞を思わせる明らかな異臭を鼻に感じた。立ち去りたいという思いが胸を満たしたが、ここで道を訊かなければ、次にどこで機会があるかわからない。足音を忍ばせて家に近づき、黒い穴に顔を向けると勇を鼓して声をかけた。穴の奥の闇に向かって在宅の有無を尋ねると、何やら動く物音がする。数歩退いていつでも逃げられるように身構えていると、間もなく住人が姿を現わした。旅人はその異様な外見にまず驚き、ついで激しい恐怖を感じた。悲鳴を上げて逃げようとしたが、舌は乾いて顎に貼りつき、足はすくんで運命に身を委ねる。そうして立ち尽くしていると、住人がゆっくりと近づいてきた。間近に立って足を止め、巨大な目を並べた顔を旅人に向け、それから両手で一枚の巻紙をするすると開く。開いた紙を短い腕で上げられるだけ高く上げ、それでもまだ顎の下にあって紙に書かれている内容が目に入るとはとうてい思えなかったが、低く深みのある声で重々しく読み上げた。
「表彰状。あなたはこの困難にあってもなお勇気を失わず、克服のための努力を怠らなかったので、ここに表します」 

 続いて紙を百八十度回すと旅人に手渡し、一礼をして立ち去った。
 旅人はしばらくして気を取り直し、この不気味な土地から一刻も早く脱出しようと心を決めた。再び草むらへ足を踏み入れ、とにもかくにも前へと進んだ。怪しい家は後方に去り、近寄ってくる影もない。もう大丈夫だと思ったが、丈高く繁る草に囲まれて戻るべき方角がわからない。見当をつけて草むらを分けるとその先には見たような家があり、声をかけてもいないのに中から奇怪な人影が姿を現わした。今度は悲鳴を上げて逃げ出したが、相手は恐ろしいほどの速度で追いかけてくる。心臓が止まるような思いを味わいながら力が尽きるまで走りに走り、倒れた場所で表彰状を渡された。三度目に家の前へ出た時にはもう逃げようとはしなかった。表彰状を受け取って、相手が立ち去るのを待ってから道を求めて草むらに戻った。そのうちに陽が暮れてきたが、戻る道はまだ見つからない。夜が訪れると土地の住民は草むらの中にも出没するようになり、旅人の背後を襲って表彰状を手渡した。道を探して闇の中を這いずり回り、疲労の果てに眠りに落ちて目覚めとともに表彰状を受け取った。一日が過ぎ二日が過ぎ、飢えと渇きに苛まれながらも道を求めて草をかき分け、いったい何日が経ったのかわからなくなった頃、旅人は草の切れ目の先に道への出口を見出した。街道へ戻ってきた時には、表彰状の分厚い束を握っていたという。

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