2012年11月8日木曜日

ブラックホーク・ダウン

ブラックホーク・ダウン
Black Hawk Down
2001年 アメリカ 143分
監督:リドリー・スコット

マーク・ボウデン『強襲部隊』の映画化。とはいえ、原作の緻密さや政治的な公平さはここにはない。それにモロッコで撮影されたモガンディシオの光景がどの程度リアルなのかもわからないが、いずれにしてもリドリー・スコットの目論見はファンタジックな現代アフリカ、つまり近代兵器で武装しながらも相変わらず裸足やサンダルで走り回っているアフリカを自分なりの映像表現に乗せることにあったようだ。ソマリア人の野蛮さばかりが強調され、米軍側の視点に偏った描写に終始しているという批判もあるようだが、実際に見た限りではむしろ逆のように見えるのである。米軍の無能さばかりが強調され、ソマリア人のかっこよさに偏った描写に終始していなかったか? そして現実に起こった無残な結末が、かつてテレビでも放送されたにもかかわらず、ここではことごとく迂回されているという事実が、アメリカのもろさを際立たせていたようにも見えたのである。視覚的な傷から顔を背けて心の傷をいじくっている連中と、サンダル履きでRPGをぶっ放している連中と、どっちがかっこいいかと聞かれれば、わたしは迷わずに後者だと答えるのである。少なくとも自分が何をしているのか、理解しているように見えないか? というわけでイギリス人リドリー・スコットも、同じような感想を抱いたのではないだろうか? 
米軍側の若者たちのお定まりのようなナイーブさに対して、モガンディシオの男たちのスタイリッシュな振る舞いはどうだろうか。突進してくるブラックホークの一団を目にして、黒い連中が何を始めたかを見ていただきたい。携帯電話でぱっぱと連絡をして、よっしゃあという感じで出入りに繰り出していくのである。実に魅力的に撮られていた。一方、監督は米軍に対して通り一遍の視線を向けるだけで、実はほとんど関心を抱いていない。同じような髪形をしているから、という理由があるにしても、まるで個体識別ができないのである。誰が誰だかわからないし、戦闘シーンの間でドラマらしきものに入り込むと、これが情けないほど退屈である。製作側の政治的主旨と、監督の個人的な趣味がまるで噛みあっていないところにおそらくこの映画の失敗がある。 





Tetsuya Sato