2013年3月23日土曜日

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
There Will Be Blood
2007年 アメリカ 158分
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン

二十世紀初頭、プレインビュー、という見通しのよい名を持つ男が石油を求めてニューメキシコからカリフォルニアにやって来て、貧しい土地の貧しい農場のあるじと土地の買い取りの話をしていると、その農場のあるじの息子のイーライというのが自分の教会のために献金を求め、プレインビューが買った土地で石油を掘り始めると、隣の丘の教会では、たしかにイーライが周辺の住民を集めて邪教じみた説教をしている。このイーライの行動は万事においていちいち奇怪に見えるわけだけど、つまりイーライの父親がいみじくも見抜いたように、プレインビューは神の導きによってその地に遣わされた神の道具なのであり、その目的というのは悪魔の申し子であり、父親を殴る息子イーライを滅ぼすためなのであった。だからプレインビューはイーライに向かって、おまえを滅ぼす、とはっきりと告げる。すると悪魔はプレインビューの息子に災厄をもたらしたり、何者でもない男を送ってプレインビューを誘惑したりするが、やがて石油事業によって富を得たプレインビューは館をかまえて悪魔を滅ぼす罠を仕掛け、そこへ株式投機市場の非情さに負けた悪魔が現われて間抜けな取引を持ちかけるので、ボーリングのピンを使って打ち倒す、というとても民話的な話を美しい映像とサイレント映画を思わせるような不思議な空間処理で仕上げている。音楽の不思議な使い方も、映像を象徴へと還元する手段であろう。ダニエル・デイ=ルイス扮するプレインビューは守銭奴ではないし、もう一人の『市民ケーン』でもない。仮にそうだとすると、クライマックスの壮絶な「悪魔祓い」の場面のおけるいたって肯定的な描写が説明できない。『マグノリア』あたりと同様、作り手が自分の手元を見つめてにまにましているのが見えるような映画だが、とにかく傑作である。



Tetsuya Sato