2015年7月20日月曜日

インサイド・ヘッド

インサイド・ヘッド
Inside Out
2015年 アメリカ 94分
監督:ピート・ドクター

11歳の少女ライリーはミネソタで両親とともに幸福な生活を送っていたが、父親の仕事の都合でサンフランシスコに移ることになり、引っ越してみると新しい家は陰気な上に引っ越し荷物は誤ってテキサスへ送られて届かない、という有様で、それでもライリーの頭の中の司令室にいる「喜び」はライリーの心を前向きに動かそうと試みるが、「悲しみ」がうっかりライリーの記憶に触ったために喜ばしい記憶がライリーの悲しみを呼び起こし、これはいけないと司令室ですったもんだしているうちに事故が起こって「喜び」と「悲しみ」が司令室から記憶野の端に放り出され、残された「怒り」「むかむか」「びびり」は「喜び」と「悲しみ」抜きでどうにか事態を収束しようとするものの、ライリーの心は荒むばかりで頭の中では天変地異級の異変が始まり、「喜び」と「悲しみ」は広大な記憶野を越え、抽象的認知領域を越え、潜在意識にも潜入し、司令室に戻るための旅を始める。 
ここのところ低調が目立ったピクサー作品だが、一気に復活したように見える。アニメーションでしか表現できないことに具体的かつ誠実に取り組んでいて、現実世界でライリーを取り巻く状況がまず丹念に描かれ、ユーモアと感動がバランスよく配置されていて、脳内アクションもきっちり盛り込まれている。頭の中のキャラクターの動きは司令室から記憶野で働く周辺キャラクターまで、なにやら大脳生理学的に正しく見えるし、その過程では短期記憶から長期記憶への選別がおこなわれ、不要になった記憶は次々と廃棄され、にもかかわらずいりもしないばかげた記憶が記憶野から司令室へ執拗に送られていく。つい最近まで鬱病の危険水域に足を浸していた観客としては、「喜び」と「悲しみ」を失った虚ろさは心理的にも非常に納得できる表現になっていて、そして潜在意識に隔離されたピエロは当然ながら怪物であり、ブロッコリーもまた怪物的に恐ろしい。いつも真っ青でうじうじしている「悲しみ」がかわいい。
Tetsuya Sato