2014年6月8日日曜日

ポンペイ

ポンペイ
Pompeii
2014年 カナダ/ドイツ 105分
監督:ポール・W・S・アンダーソン

AD61年、ブリタニアで起こった「ケルト騎馬民族」の反乱はローマの軍団によって鎮圧され、「ケルト騎馬民族」は男も女も殺されるが、ただ一人生き残った少年マイロは奴隷になって、それから17年後、ブリタニアで剣闘士をしているところを戦闘能力を認められて、田舎に置いておくのはもったいない、ということでイタリアに送られるが、どさまわりの運命からは逃れられない、ということなのか、着いた先はローマではなくてポンペイで、そのポンペイに向かう途上でポンペイの富裕階級の娘カッシアと出会って、カッシアはマイロに感情を抱き、一方、闘技場に着いたマイロはそこで剣闘士の王アティカスと出会って友情のようなものを抱き、カッシアの父親セヴェルスはローマから到着した元老院議員コルヴスを出迎えて自分が進めているポンペイの再開発計画への投資を求め、コルヴスはその代償としてカッシアを求め、マイロはアティカスと戦うことになり、セヴェルスはコルヴスの要求に顔をしかめ、マイロはカッシアと再会して感情を確かめ、そのことに気がついたコルヴスはマイロの死を画策し、そうしているとヴェスヴィオ山がげっぷのようなものをしてポンペイの周辺で地盤沈下などの異変が起こり、翌日、闘技場では「ケルト騎馬民族」の虐殺を再演するための準備が始まって、マイロもアティカスも虐殺される側に選ばれて鎖に結ばれ、そこへローマ兵の衣装に身を包んだ剣闘士たちが隊伍をととのえて入場し、戦闘に秀でたマイロとアティカスが敵の剣闘士を片づけてコルヴスにあからさまに挑戦すると大地を揺るがして地震が起こり、ヴェスヴィオ山が噴火する。 
カッシアの両親がキャリー=アン・モスとジャレッド・ハリス、悪役コルヴスがキーファー・サザーランド。キーファー・サザーランドのただもうとにかく悪いだけで、悪事を働くためなら手段を選ばないという役柄はなかなかに楽しい。
精密に再現されたポンペイの街並み、路上の雑踏などは遺跡を歩いて実際に触れた記憶がよみがえってわくわくする。闘技場を目指す群衆や入場待ちの行列といった珍しい描写があり、剣闘士たちの戦いは見世物的によく演出されていて、コロスが状況説明を加えていくというこれもまた珍しい描写あって、なかなかに楽しい。このあたりは『グラディエーター』よりも芸がある。
映画本体は、カビの生えたようなプロット、冗漫で切れの悪いダイアログ、少々雑なカメラワーク、ゆるめの演出といったあまり誉められないもので構成されていて、水準はどうにかクリアしていてもそれ以上ではないという仕上がりだが、微妙にとめどのない作りは往年のいわゆるマカロニ史劇を思い起こさせるものがあって、その再現であると考えると多くの欠点も納得できる(それが許容できるかどうかは別として)。つまり、本当にそのような意図で作られたのだとすれば、この映画の目的はヴェスヴィオ山の噴火やポンペイの壊滅を再現することにではなく、マカロニ史劇の再現にある。噴火はマカロニ史劇の文法どおり、ロマンスの終盤でクライマックスを配置する必要から、たまたま発生するできごとに過ぎない。そしてそのつもりで眺めると噴火のプロセスや、無用に多い火山弾や起こってもいない津波などもそういうことかと納得できる(許容できるかどうかは別として)。噴火のプロセスのみについてならイタリア製のテレビ映画『Pompei』のほうがもう少し正確にやっていたような気がする。 
Tetsuya Sato