キング・オブ・キングス King Of Kings 1961年 アメリカ 178分 監督:ニコラス・レイ イエスの誕生から処刑、復活までを描く。ジェフリー・ハンターのイエスは若々しくてたくましく、眼光が鋭い、という感じであろうか。演技の軽さがたまに見えるが、それなりに雰囲気が出ていて悪くない。山上の垂訓の場面、ピラトの裁判の場面はなかなかに見ごたえがある。バラバはゼロテ党の指導者として登場し、イスカリオテのユダはバラバの仲間として現われて実用的な理由から(追い詰められれば彼も奇跡を起こして城壁を砕くであろう)イエスを裏切る。ただし全体を通じて言えばニコラス・レイの演出は個性が乏しく、強さがない。そしてこれは監督の責任ではないが、やはりメル・ギブスンの『パッション』を見たあとでは処刑の場面は迫力を欠く。それにああやって上腕をロープで支えてしまったら、胸腔に圧力が加わらないのでいつまで経っても死なないと思う。
プリンス・オブ・エジプト The Prince of Egypt 1998年 アメリカ 99分 監督:ブレンダ・チャップマン、スティーヴ・ヒックナー、サイモン・ウェルズ ヘブライの民がエジプトで追い使われていたころ、ファラオによる嬰児虐殺から逃れるためにナイル川に流された子供はエジプト王妃に拾われてモーゼという名を与えられ、エジプトの王子として育つと兄のラメシスとともにさまざまな悪事におこなうが、ふとしたことからミリアムと出会って自分の出生の秘密を知り、ヘブライの民に対して憐憫の情を起こすとそのまま王宮から逃れて砂漠を進み、やがてミディアンの民と出会って羊飼いになると族長の娘ツィポラと結婚し、ある日ふとしたことから洞窟の奥へ進んで、そこで燃える柴の前に立ち、神の声を聞いて天啓を受け、ツィポラとともにエジプトへ戻ると王宮へ入って王となったラメシスとの再会を果たし、歓迎するラメシスにヘブライの民を解放するように要求し、ラメシスがそれを断るとエジプトをさまざまな災厄が襲い、ついにすべての初子が命を落とすとラメシスはヘブライの民を解放し、ヘブライの民はモーゼに率いられて紅海の沿岸に進み、そこで背後に迫るファラオの軍勢を見て恐れていると、空に暗雲が走り、天から下った火の柱が軍勢を押しとめ、紅海が割けて海底に道が現われるので、ヘブライの民はこの道を進んで対岸にわたり、ヘブライの民を追うファラオの軍勢は海に飲まれ、対岸に渡ったヘブライの民はモーゼから十戒を受ける。 驚くほど豪華な声優陣によるミュージカル・アニメである。モーゼのエジプト王子時代についての自由な脚色はセシル・B・デミルの『十戒』に比べるといささかという以上に奔放に見える。心理的な変化も99分という尺の制約とミュージカルという性格的な単純さからいささか唐突に感じられた。アニメーションは丹念な作りではあるものの、同時期にディズニーが製作した『ヘラクレス』に比べるとやや見劣りがする。全体として印象がおぼつかないのはミュージカル部分がうまくこなれていないからではないだろうか。
十戒 The Ten Commandments 1956年 アメリカ 220分 監督:セシル・B・デミル イスラエルの民がエジプトで奴隷となって追い使われ、救い主の出現を待ち焦がれていたころ、エジプトの神官がエジプトに悪い星が落ちたことをファラオに告げ、これを聞いたファラオは生まれたばかりのヘブライ人の男子をことごとく殺すように命じるが、ヘブライ人の女ヨシャベルは自分の息子を救うためにかごに入れて川に流し、赤ん坊を入れたかごはファラオの妹ビシアのもとへ流れ、子を得られぬまま夫を失ったビシアは赤ん坊はモーゼと名づけてエジプト王家の一員として育て、成長したモーゼはエチオピアを征服し、ファラオの実子ラメシスと王位を争い、ファラオの心は傲慢なラメシスよりもモーゼに傾き、王女ネフレテリの心もまたモーゼに傾き、そのモーゼはヘブライ人が過酷に使役されているのを見て労働条件を改善し、その成果として都市の建設を成功させ、一方モーゼの成功が当然ながら面白くないラメシスは奴隷頭デイサンを使ってヘブライ人の救い主の所在を探り、やがてネフレテリの前にモーゼの出生の秘密が明らかにされ、ネフレテリの口から自分の出生の秘密を知ったモーゼは実の母の家を訪れると悩んだ末にみずから奴隷となってヘブライ人のあいだに入り、デイサンの口からモーゼの出生の秘密を知ったラメシスはモーゼを捕えてファラオの前に引き出し、モーゼはラメシスの手によってエジプトから追放されて砂漠をさまよい、ミディアン人に救われて羊飼いとなり、ミディアン人の族長の娘と結婚して子供をもうけ、羊を飼って暮らしているとそこへヨシュアが現われてエジプトに誘い、するとモーゼはシナイ山の山頂に光を見て山にのぼり、そこで神の姿を見て声を聞き、自らの使命を悟って山をおりたところで休憩が入り、エジプトを訪れたモーゼはラメシスの前に現れてイスラエルの民の解放を求め、ラメシスが断るとイスラエルの神はナイル川の水を血の色に変え、燃える雹を降らせ、それでもラメシスが言わばテロには屈しないという態度をつらぬくとイスラエルの神はエジプトの長子をことごとく殺し、根負けしたラメシスがイスラエルの民を解放するとイスラエルの民が無数に現われ、荷車を牽き、家畜を連れ、家財を担いでエジプトから逃れ、子を失ったネフレテリはラメシスにモーゼの血を求め、ネフレテリの嘲笑を浴びたラメシスは軍勢を率いてイスラエルの民を追い、イスラエルの民は紅海を背にして追いつめられるが、ここでモーゼが神に祈ると火の柱が現われてエジプトの軍勢を食い止め、さらに海が割れて道が現われ、イスラエルの民はこの道を通って対岸に渡り、イスラエルの民を追うエジプトの軍勢は口を閉ざした海に飲まれ、モーゼは律法を得るべくシナイ山にのぼり、イスラエルの民はモーゼの帰りを待つあいだに黄金の子牛を作って偶像をあがめるという大罪を犯し、そこへモーゼが十戒を手にして現われて十戒の刻まれた石版を子牛に投げつけ、すると地面が割れて罪人を飲み込み、それでも神の怒りはやまないのでイスラエルの民はそれから四十年のあいだ荒れ野をさまよい、そのあいだに不信心者は根絶やしにされる。 若々しいモーゼがチャールトン・ヘストン、ラメシスがユル・ブリンナー。『出エジプト記』を材料に、特にモーゼの前半生にはかなり自由な解釈を加え、要所に特徴的なキャラクターを追加して通俗的で面白い映画に仕上げている。画面の作りは絵画的で、俳優が置かれた空間は古めかしいほどに演劇的で、ダイアログは製作当時としてもいささか時代がかっているものの、画面に焼き付けられた想像力は奔放さを感じさせる。
十誡 The Ten Commandments 1923年 アメリカ 146分 監督:セシル・B・デミル イスラエルの民がエジプトで追い使われてるので、イスラエルの神はモーゼをエジプトに送り、モーゼはファラオの前に立ってイスラエルの民を解放するように求めるが、ファラオがテロには屈しないという態度を示すので、イスラエルの神はエジプトの初子をことごとく殺し、ファラオの子も殺すので、テロに屈したファラオはイスラエルの民を解放し、イスラエルの民がモーゼに率いられてエジプトから逃げ出すと、エジプトの神々のふがいなさに怒ったファラオが軍勢を率いて追って現われ、するとイスラエルの民の前で紅海が割けて道が現われ、イスラエルの民はこの道を通って対岸に渡り、モーゼが律法を求めるためにシナイ山にのぼると、その留守のあいだに偶像を拝んで激しく堕落し、律法を得て戻ったモーゼは激しく怒って律法を刻んだ石版を砕く、という話を禁酒連盟のパレードの先頭に立っていそうな母親がすでに成人している二人の息子に読み聞かせると、息子のうちの一方ダン・マクタヴィッシュは十戒をせせら笑い、安息日に恋人と踊り、それを母がとがめると自分はリッチでパワフルになると宣言して家を飛び出し、それから数年後には全米でも有数の建築業者に成り上がり、不正行為の数々によって富を築き、教会の建築を受注すると信心深くて十戒を守るまじめな大工である兄ジョン・マクタヴィッシュに監督を依頼する一方、部下にはコンクリートのセメント含有率を極限まで減らすように指示を出し、妻のある身でありながら婚姻の秘跡を踏みにじって中仏混血の女サリー・ラングと関係を持ち、一方、完成間近の教会に立って弟の不正に気づいたジョン・マクタヴィッシュが弟に工事の中止を求めていると、そのあいだにその教会には兄弟の母親が入り込み、そこへ手抜き工事で作られた教会の壁が崩れ落ち、下敷きとなった母親は自分の信仰が愛よりも畏れに傾いていたことをダン・マクタヴィッシュに告げて死に、ダン・マクタヴィッシュは母の死を見て激しく悔やむが、手抜き工事を嗅ぎつけた暴露専門雑誌に恐喝され、すべてを失うことを恐れて金を払う決意をすると、その金を工面するためにサリー・ラングの家を訪れ、サリー・ラングに贈った真珠の首飾りを奪い取るが、そこでサリー・ラングは自分がモロカイ島のハンセン氏病患者隔離施設からの脱走者であると告白し、自分もすでに感染していることを知ったダン・マクタヴィッシュはサリー・ラングを撃ち殺して家に戻り、母の肖像画の前で再び激しく悔やんでから妻に事情を説明し、そこへ警察がダン・マクタヴィッシュを殺人容疑で捕えるために現れるので、ダン・マクタヴィッシュは警察の手から逃れてモーターボートを荒れ狂う海に出し、一方、ダン・マクタヴィッシュの妻メアリーは自分もまたハンセン氏病に感染していると信じて雨の中に飛び出すとジョン・マクタヴィッシュの家を訪れ、信心深いジョン・マクタヴィッシュの口から聖書の言葉を聞いて平安を得る。 第一部が古代編、第二部が現代編という構成で、古代編に登場するモーゼがいささか貫録を欠いていて、どうにも手品師めいて見えるところが難点だが、巨大なセットと膨大な数のエキストラを動員している。技術的な問題からか、紅海が割けるところは溶けたゼラチンそのまんま、という感じであろうか。『出エジプト記』をそのままなぞっただけの古代編に比べると、現代編のほうは恋あり、野望あり、裏切りあり、殺人あり、逃亡あり、とそれなりにドラマチックな内容で、そこへ何を考えたのか、唐突にハンセン氏病がからむあたりが無理矢理な感じではあるものの、話の面白さでいちおう見せる。とはいえ、ダン・マクタヴィッシュがなにかしらのオブセッションのとりことなって十戒を上から順に破っていく、というような単細胞な作りのほうがもっと面白かったかもしれない。
天地創造 The Bible: In the Beginning... 1966年 アメリカ/イタリア 175分 監督:ジョン・ヒューストン 『創世記』を天地創造から始めてアダムとイブの楽園追放、カインによるアベルの殺害、ノアの箱舟、バベルの塔のエピソードがあり、神の声を聞いたアブラムがウルの地を離れてカナンの地にたどり着き、アブラムの牧者とロトの牧者とのあいだで争いが起こったためにアブラムとロトは別れ、ロトはヨルダン川の平原に下ってソドムを訪れ、王たちの戦いがあってソドムとゴモラの側が破れ、捕虜となったロトを救うためにアブラムは郎党を率いて夜襲をしかけ、ロトとその財産が救い出され、アブラムの子サライは子を産まなかったので下女のハガルをアブラムに差し出し、ハガルは身ごもるとサライを見下し、ハガルはイシュマエルを産み、契約がおこなわれ、契約のあかしとして割礼がほどこされるようになり、アブラムはアブラハムとなり、アブラムの妻サライはサラとなり、サラは諸民族の王を産むと予告され、アブラハムの前に現れた御使いはソドムとゴモラの滅亡を予告し、ロトはソドムの門で御使いを迎え、御使いを捕えようとしたソドムの民は御使いににらまれて光を失い、ロトは御使いの命じるままに妻子を連れてソドムから逃れ、ロトの妻は振り返ってソドムの滅亡を見たのでその場で塩の柱に変わり、アブラハムの妻サラはイサクを産み、イシュマエルがイサクに侮辱を与えるのを見たサラはハガルとイシュマエルの追放を望み、アブラハムは神の声を聞いて妻の言葉にしたがい、砂漠に逃れたハガルの前に泉が湧き出し、神の声はアブラハムにイサクをいけにえに捧げるように命じるので、アブラハムはイサクを連れてソドムの廃墟を抜けて山にのぼり、そだの束の上に縛ったイサクを置いて屠ろうとするところまで。 ノアがジョン・ヒューストン、カインがリチャード・ハリス、アベルがフランコ・ネロ、ニムロデ王がスティーブン・ボイド、アブラハムがジョージ・C・スコット、サラがエヴァ・ガードナー、御使いがピーター・オトゥール。ディノ・デ・ラウレンティス製作による大作であり、ノアの箱舟はかなり大きなセットが組まれているし、そこに乗り込む動物たちも多彩だし(未発見大陸や北極の動物までが)、バベルの塔もなかなかに壮観ではあるものの、『創世記』の要所要所をとりあえず視覚化してみた、という以上のものではなく、内容が内容だけに特段の演出がおこなわれているわけでもない。