ナイロビの蜂
The Constant Gardener
2005年 ドイツ・イギリス 129分
監督:フェルナンド・メイレレス
ジャスティン・クエイルはケニアの英国高等弁務官事務所に在籍する外交官でなによりも庭仕事を愛する男であったが、その妻テッサ・クエイルはアフリカにおける医療活動の実態に懸念を抱く活動家で、夫には目的を告げずに歩きまわって陰謀の気配を嗅ぎ取っている。そしてそのテッサが旅先で殺害されて警察は強盗のしわざとして片づけるが、納得できないジャスティン・クエイルは妻の痕跡をたどり、そうするうちに本物の陰謀にたどり着く。
ル・カレの原作は未読。フェルナンド・メイレレスは徹底して社会派の視点を保ちながら作品に卓越した色彩感覚とリズム感を持ち込み、均衡の取れた演出とすばらしい構成力でこのサスペンス調ロマンス劇を傑作に作り上げている。特に全体の構成に対するレイチェル・ワイズの出演場面の配置のうまさには舌を巻いた。仕上がりは『シティ・オブ・ゴッド』 の上を行くものであろう。
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Tetsuya Sato
カーツーム
Khartoum
1966年 アメリカ・イギリス 134分
監督: ベイジル・ディアデン、エリオット・エリソフォン
19世紀末、ムハンマド・アリー朝エジプトのスーダンでアラブ人の反乱が起こり、エジプトがこの問題に対処できなかったため、エジプトに対して影響力を行使するイギリスはエジプトにスーダンの放棄を提案し、エジプトに義理立てする必要から、カーツームに駐屯するエジプト軍の撤退を支援するためにチャールズ・ゴードン将軍を送り込むが、ゴードン将軍がカーツームに到着したときにはマハディ率いる反乱軍がカーツームの包囲を進めていて、ゴードン将軍はマハディと直接交渉することで退路を確保しようと試みるが、救世主を自称するマハディはカーツームのエジプト人を全滅させることに神の意思を認めていて、神の道具であることを自認するゴードン将軍は自分以外にも神の道具がいることを知って衝撃を受けるとともにエジプト軍の撤退がきわめて困難であることを知り、篭城の準備を進めながらイギリス本国に軍事的支援を要請するが、グラッドストーン政権はゴードン将軍に状況をかき回されることを嫌って時間を稼ぎ、本国が状況を正しく認識していないと考えたゴードン将軍は交渉のために副官をイギリスに送り、軍部と世論を味方につけてどうにか支援を取りつけるが、派遣された部隊は政府の命令にしたがってエジプトで時間をつぶし、そうしているあいだにナイル川の水位が下がってゴードン将軍が作った掘も乾き始めるので、ゴードン将軍はヨーロッパ系市民を船で脱出させ、その船がいっこうに到着しないということに気がついたエジプトのイギリス軍は少々あわてて先発隊をナイルの上流に送り、イギリス軍の動きに気がついたマハディは大軍勢でカーツームに襲いかかる。
ゴードン将軍がチャールトン・ヘストン、マハディがローレンス・オリヴィエ。シネラマ(公開当時)の大作だが、ベイジル・ディアデンの演出は力に乏しく、せっかくお金をかけた戦闘シーンも迫力がない。チャールトン・ヘストンのゴードン将軍は非常にいいが、ローレンス・オリヴィエのマハディは演技プランに混乱が見える。凡庸な作品だが基本的な構成や脚本には問題がないと思うので、監督が違っていたら傑作になっていたかもしれない。エキゾチックな描写は豊富で、近代エジプト軍の各種装備などは面白い。
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Tetsuya Sato
第九軍団のワシ
The Eagle
2011年 イギリス/アメリカ 114分
監督:ケヴィン・マクドナルド
二世紀初頭、カレドニア北部に侵入したローマ軍第九軍団5000人が軍団旗にあたる鷲とともに消息を絶ち、それから20年後、第九軍団の指揮官フラビウス・アクイラの息子マーカス・フラビウス・アクイラは志願して任地にブリテン島を選び、拠点の砦の指揮官に任命されて現地におもいたところ、ドルイド僧が率いる現地勢力の攻撃を受け、果敢に戦って負傷して名誉除隊となり、そのままブリテン島にとどまって静養を続けていると第九軍団の鷲をはるか北の土地の神殿で見かけた、という話を聞いて、父親の名誉を回復するためにブリテン人の奴隷エスカとともにハドリアヌス帝の城壁を越えて北へ進み、やがてアザラシ族の土地に達して、そこで鷲を目撃する。
ローズマリ・サトクリフの原作は未読。ローマ人の話、というよりもアフガニスタンかアフリカのどこかで原住民に連隊旗を奪われて顔色を変えている英国の軍人の話のように見える。50年代ならば何かの間違いで美談でとおったかもしれないが、何も再解釈を入れずにこれをいま映画化する理由がわからない。エスカ役のジェイミー・ベルは非常にシャープな演技をしていて気に入った。主役のチャニング・テイタムは与えられたキャラクターがそもそも退屈なせいか、魅力がない。本腰を入れて再現されたローマ軍、ブリテン島原住民の様子はそうとうに迫力があり、特にローマ軍のプロップの作り込みには感心したが、映画の作りはただまじめだというだけで、演出に格別の才気は感じられない。一部の効果音と英語(ラテン語)以外の会話に妙なエコーがかかっていて、なにかしらの意味がもしかしたらあったのかもしれないが、わたしはいらいらしただけであった。
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Tetsuya Sato
252 生存者あり
2008年 日本 128分
監督:水田伸生
小笠原方面で発生した地震の直後、海底から大量のメタン・ハイドレードが排出されて海水温が上昇し、それが強力な台風を発生させ、東京は雹、高潮に襲われ、高潮のせいで湾岸部から新橋付近までが壊滅し、地下鉄新橋駅の地下に取り残された生存者は余震と出水の恐怖にさらされ、接近する台風のせいで救助も思うように進まないなか、台風の目をついて地表を爆破し、突入路を作って消防庁のレスキュー隊員が突入する。
突入から救出までの時間が18分と設定されている割には救出する側もされる側も妙にのんきなのが奇妙だし、超大型の台風と言っている割には台風の被害に関する描写がまったくないのも奇妙だし、被害現場は山ほどもあろうに消防庁のレスキュー隊員がほとんど一か所に集まっているように見えてならないのも奇妙と言えば奇妙だし、日本テレビが作った映画でフジテレビの本社ビルの崩壊風景がことさらに強調されるのは奇妙というよりもどうかという気もするのだが、内容に破綻はなく、例によって登場人物の説明的な掘り下げや情動に関する説明的な台詞がうるさいが、それなりのテンションも持続している。劇場映画の格はないが、TV映画としては水準であろう。伊藤英明(またかよ、という感じだが)の娘を演じた子役の大森絢音ちゃんの熱演ぶりは見ごたえがあった。
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Tetsuya Sato
終戦のエンペラー
Emperor
2013年 アメリカ/日本 105分
監督:ピーター・ウェーバー
太平洋戦争終結後、マッカーサーの幕僚の一人として日本を訪れたボナー・フェラーズ准将はマッカーサーの命令で戦犯のブラックリストの作成にあたり、リストにあがった人物を片端から逮捕していたが、このときリストからはずされていた天皇がアメリカ本国の意向でリストに入ることになり、天皇が逮捕されて裁判を受けることになった場合の日本国民の反応を案じたマッカーサーはボナー・フェラーズ准将に命じて天皇の戦争責任の調査にあたらせる。
現実のボナー・フェラーズはそうとうに多忙な思いをしたに違いないが、この映画に登場するボナー・フェラーズは戦争前に知り合った日本人女性の安否ばかりを気にしていて、気がつくと戦前の甘い回想にふけっているという有様で熱心に仕事をしている気配がない。
『ハンニバル・ライジング』の監督ピーター・ウェーバーは素材に格別の関心がなかったようで(あるいは結局のところこれが実力なのか)、構成は散漫で演出は力に乏しく、肝心の戦犯問題についてもまともに情報が入っていないし、表層にメッセージ性を浮かべることにでも気を取られていたのか、咀嚼をしようとした気配もない。主演のマシュー・フォックスは魅力を欠き、トミー・リー・ジョーンズのマッカーサーはマッカーサーの仮装をしているトミー・リー・ジョーンズにしか見えてこない。日本勢の俳優陣も総じて面白みがなくて、夏八木勲の関屋宮内次官くらいしか見どころがない。低予算でやりくりをして雰囲気を作り出そうとした努力はなんとなく認められるものの、映画としての仕上がりは感心できたものではない。
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Tetsuya Sato
トラ!トラ!トラ!
Tora! Tora! Tora!
1970 アメリカ/日本 144分
監督:リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二
ゴードン・プランゲの研究書をネタ本にした戦争映画超大作。原寸で復元された戦艦長門のセットをはじめ、あらゆるところに金が使われている。言うまでもなく舞台は真珠湾で、製作そのものを日米両国で分担していて歴史的な態度はきわめて公平である。この種類の記録映画的色彩の強い戦争映画としては、おそらく最良の作品ではないかと思う。戦闘シーンも大迫力で、しかも絵に描いたような傑作場面が多数登場する。大量のカーチスP40が見事に地上で吹っ飛ばされるし、その吹っ飛ばされ方がいちいち芸が細かくて感心する。カタリナ飛行艇も吹っ飛ばされるが、この場面にはなんか愛情がこもっていて感動的。しかしなんといっても最大の見物は着陸脚を出せなくなったB17が日本軍の攻撃の中で強行着陸を敢行する場面であろう。ショットがばっちりと決まっていて、もう、涙ものの迫力なのである。
Tetsuya Sato
インドへの道
A Passage to India
1984年 イギリス/アメリカ 163分
監督・脚本・編集:デヴィッド・リーン
英国人女性アデラ・ケステッドは将来義母となる可能性のあるモア夫人とともにインドに渡り、ボンベイから鉄道でチャンドラボアへ入ってモア夫人の息子で判事をしているロニーの出迎えを受け、地元の英国人サークルは早速モア夫人を囲い込みにかかるが、インド人に会いたいというモア夫人の希望を入れて地元の学校で教鞭を取るリチャード・フィールディングがインド人の医師アジズ、哲学者ゴドボルを招いてお茶会を開き、インド人の家を訪ねてみたいというモア夫人の希望に対して英国人を招くことができるような家ではないと考えたアジズはモア夫人とアデル・ケステッドをマラバー洞窟の探検に誘い、仲間の助けを得て準備を整えてモア夫人、アデル・ケステッドとともに登山鉄道に乗り込んでマラバー洞窟を目指し、ガイドを先頭に立てて洞窟へ入っていくとマラバー洞窟が作り出す奇怪な反響に取り乱したモア夫人はそこで探検をやめ、アデル・ケステッドとアジズがガイドの案内で山の上にある洞窟を目指すが、そこでアジズから離れたアデル・ケステッドはひとりで洞窟に入って、察するに暑熱に打たれたのであろう、半狂乱で山を駆け下りて町へ戻り、いぶかるアジズがモア夫人とともに町へ戻るとアジズは逮捕され、アデル・ケステッドを襲った罪によって起訴されるので、たちまちのうちに町は反英主義に染まって暴動の気配を帯び、アジズの無実を確信するリチャード・フィールディングは英国人サークルと決別し、裁判が始まると英国人の検事は偏見を隠しもしないでアジズの人格を攻撃し、カルカッタから現われた反英主義者の弁護士は検事と法廷を侮辱し、あられもない状況にたまりかねたモア夫人はインドを離れ、ついにアデル・ケステッドが証人台に立って真実を話し始めるが、察するに暑気あたりで頭が混乱していたということであろうが、自分は婚約者をまったく愛していなかった、という事実を認めて告訴を取り下げてしまうので、アジズは釈放され、英国人社会はアデル・ケステッドを見捨てる。
『ライアンの娘』 のローズとは対照的に衝動を内向させたアデル・ケステッドがジュディ・デイヴィス、フィールディングがジェームズ・フォックス、怪しい賢者ゴドボルがアレック・ギネス。E・M・フォースターの原作は未読だが、ヒロインの人物造形からするとデヴィッド・リーンの手がかなり入っていると考えたほうがいいだろう。画面にはエキゾチックで、同時にステレオタイプでまとめられた「インド」が出現し、そこに英国風の植民地根性が醜悪さを帯びたステレオタイプで投げ込まれている。細部にわたる描写は実にカラフルで、情動にからむ表現はヒロインが抱える英国的抑圧を反映してか、痛々しい。ストーリーだけ拾い上げるとよくよく傍迷惑な内容だが、デヴィッド・リーンの緩急を心得た演出は3時間近い上映時間にまったくだれ場を与えていない。
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Tetsuya Sato