2014年1月5日日曜日

ラースと、その彼女

ラースと、その彼女
Lars and the Real Girl
2007年 アメリカ/カナダ 106分
監督:クレイグ・ギレスピー

ほとんどもうサウスパークではないかと思えるような寒そうな田舎町にラース・リンドストロムという27歳の青年が古ぼけたガレージで暮らしていて、非常に礼儀正しい一方で妙にひとを遠ざけようとする習性があって、同じ敷地の母屋のほうでラースの兄と暮らしている臨月の義姉カリンはラースの他人行儀な様子を気にかけてしきりと食事に誘ったり抱きしめたりというようなことをしていたが、ある日ラースのもとに大きな荷物が届けられて、それからラースが兄夫婦の前に現われて自分の部屋に遠方から来た女性の友人がいることを告げ、その友人ビアンカのさまざまな特徴を知らせた上でビアンカが兄夫婦の家で暮らせるようにしたいと頼み込むので兄夫婦のほうも断る理由はなく、むしろ孤独そうな弟にガールフレンドができたことを喜んで早速ビアンカを迎え入れるとこれが本物のラブドールで、ラースはこのラブドールに向かってかいがいしく世話をしたり話しかけたりするので、これは医者が必要だということになり、ビアンカの体調を口実にラースを地元のバーマン医師の前に送り、妄想性の疾患ではないか、ということでさしあたりはラースの行動にみなで調子をあわせることになり、それが次第に町全体へと波及していく。
町のひとが物静かな善人ばかりで、というところがとてもすてきで、そういう町だからみんなで調子をあわせていくとビアンカには勤め口が見つかり、病院ではボランティアをすることになり、いつの間にか学校で委員をしている、というあたりの徹底ぶりが最後まで持続するところがなかなかにすごい(呼吸停止状態のクマのぬいぐるみにちゃんと人工呼吸をするところもすごい)。
同じアイデアでも下手をすれば下品なコメディになるところだが、それを静謐のなかで淡々と進行する日常に埋め込んでいった脚本がすばらしい。忍耐強く作られた美しい映画で、ラースを演じたライアン・ゴズリングを中心に出演者は非常にいい仕事をしている。 


Tetsuya Sato

2014年1月4日土曜日

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド
高野秀行, 2013, 本の雑誌社

「崩壊国家」ソマリアについてのルポルタージュ。非公認国家ソマリランドが実現した20年間の平和とその背景にある和平プロセス、政治システムと氏族社会、驚くほど実際的な民主主義への取り組みが紹介されているほか、海賊が跋扈するプントランドの状況、旧ソマリア南部モガディショの状況などが報告されていて、著者自身の解釈というよりは現地のさまざまな言葉を代弁しているという趣きがあって、確実に多声性を帯びているところが好ましい。また、地域的な、あるいはソマリ族という部族的な特異性は決して看過できないものの、無政府状態における人間の社会行動を詳細に記録しているという点でも重要なレポートであることは疑い得ない。
高野氏の著作はほかにいくつか読んでいるが、著者自身のソマリランドに対する思い入れの強さが表われているせいか、不思議な勢いのある作品に仕上がっている。作品の構成にもいちおうの工夫が見られる。ただ例によって無謀な冒険家の体験談にとどまる傾向があり、その視点の低さが好ましく感じられる瞬間がある一方で知的な態度が乏しいのではないかという疑いも抱く。氏族社会を日本の武家社会になぞらえてソマリアの氏族の名前にいちいち平氏とか源氏とか伊達氏とか北条氏とかがもぐり込んでいる、というのはわかりやすくしているつもりなのかもしれないが、かえってわかりにくくしているだけであろう。唐突に出現する漢字が与える違和感のせいで氏族の名前がほとんど頭に入ってこなかった。思いつきだけで手元に引き寄せるというのは論外であろう。貴重な体験を伝えるための作者の力量が足りていない、という印象もあり、これがもしカプシチンスキだったら、と余計なことまで考えることになる。



Tetsuya Sato

2014年1月3日金曜日

オズ はじまりの戦い

オズ はじまりの戦い
Oz the Great and Powerful
2013年 アメリカ 130分
監督:サム・ライミ

巡回サーカスで奇術師をしているオスカー・ディグスまたの名をオズは女性に対してまったく抑制がないという生来の体質にたたられて嫉妬に怒り狂う男に襲われ、気球に乗り込んで危機から逃れたところで竜巻に巻き込まれて命を失いかけ、必死に祈って気がつくとオズの国に着いていて、そこに現われた魔女セオドラから自分が予言された魔術師であり、オズの王国の王位を継ぐ地位にあると聞かされてすぐに興奮してセオドラを口説き、エメラルドシティにたどり着くとセオドラの姉のエヴァノラを口説き、エヴァノラから王位を得るためには悪い魔女グリンダを倒さなければならないと言われてその気になって暗い森を訪れると悪い魔女グリンダが見た目に好ましいのを見てにやけ始め、実はグリンダのほうが良い魔女で、悪い魔女はエヴァノラのほうであったことが判明すると奇術のトリックを使ってグリンダを助け、エメラルドシティを解放する。 
ジェームズ・フランコのペテン師ぶりがいい。冒頭、モノクロ・スタンダードのフレームのていねいな使い方が好ましいし、話がオズに移ってからのテクニカラーのような映像は予告編では『アリス・イン・ワンダーランド』の焼き直しのように見えたが、まったく異なる種類の厚みを備えていた。 


Tetsuya Sato

2014年1月2日木曜日

キャプテン・フィリップス

キャプテン・フィリップス
Captain Phillips
2013年 アメリカ 134分
監督:ポール・グリーングラス

2009年4月、リチャード・フィリップス船長はマースク海運のコンテナ船アラバマを指揮してオマーンからケニアを目指していたが、ソマリア沖で二隻のボートに分乗した海賊の一団に遭遇したので海軍の接近を知らせる欺瞞の無線と高速航行でどうにか振り切り、一方アラバマ追跡でエンジンを焼き切った海賊一味は翌日一隻のボートにエンジンを二つ搭載して再び現われてアラバマに接近して乗り込むことに成功し、フィリップス船長は船員たちを機関室に隠すとブリッジに残って海賊の対応にあたって三万ドルの提供を申し入れるが、乗員の不在を怪しむ海賊たちは船内の捜索にかかって船員が仕掛けた罠で一人が負傷、リーダーは船員たちによって捕えられ、リーダーの返還を条件に海賊たちはアラバマから救命艇で退去することになるが、このときフィリップス船長も人質となって海賊とともにアラバマから離れ、ソマリアの海岸を目指して進む救命艇の背後にはアメリカ海軍のフリゲートが現われて人質返還の交渉を始め、応援のフリゲートと強襲揚陸艦が到着し、シールズが到着し、交渉人のことばによって海賊たち全員がその名前をあばかれる。 
映画は訳知り顔に物語ることをやめて事件の経過を淡々と再現することに務め、ダイアログもカメラもニュートラルに徹して感情移入を阻み続ける。フィリップス船長をはじめとするアラバマの乗員やソマリアの海賊たちはかろうじて顔を備えているが、その顔は驚くほど凡庸で英雄でもなければ悪党でもない。その結果として浮かび上がるのはそれぞれの立場にある矮小な人間が抱えた決定的な価値の差であり、そこに現われた差は一方の価値が無条件に備えた不可解なほど無機質な力によって手早く刈り取られることになる。中盤以降でアメリカ海軍が示す機械的な動作は『戦艦ポチョムキン』でオデッサの階段に登場した軍隊に近接しているような気がしてならなかった。トム・ハンクスがちょっとすごい。

Tetsuya Sato

2014年1月1日水曜日

2013年の映画 ベスト10

  1. ローン・レンジャー
  2. ザ・マスター
  3. アウトロー
  4. ゼロ・ダーク・サーティ
  5. オブリビオン
  6. 風立ちぬ
  7. キャプテン・フィリップス
  8. パシフィック・リム
  9. オズ はじまりの戦い
  10. クルードさんちのはじめての冒険
映画における表現手法としての未来を「動」によって示したのが『ローン・レンジャー』であるとすれば、「静」によって示したのが『ザ・マスター』なのではないか、と考えている。もちろん映画それ自体の属性は「動」にあるわけで、その意味においてはヴァビンスキーが間違いなく正統であり、アンダーソンはたぶん邪道へ走っている。
その両者に対して『アウトロー』はおそらく過去に属しているが、古典的ながら端正で堂々とした演出は見る者の愛着を呼び起こしてやまない。
ゼロ・ダーク・サーティ』はモダンで洗練された作品であり、立ち位置を客観的に評価しながら現実世界へコミットしようとする誠実さは賞賛されるべきだと思う。
オブリビオン』は素朴に美しい。これはいい映画だ。
風立ちぬ』も美しい。造形性に見える宮崎駿の直観が怖い。
『キャプテン・フィリップス』はこれまでトレイ・パーカーが『サウスパーク』でやってきたことをリアリティのなかで再現している。もちろん最初にあったのは現実のほうであり、冗談をまぶしていないだけ痛さも格別である。
パシフィック・リム』は2013年という年でなければベスト1になっていたかもしれない。ばかばかしい映画だと思うけど画面に映し出される絵の動きはとにかく魅力的。
オズ はじまりの戦い』は『アウトロー』と同様に古典的な手法で作られた作品だが、視覚的な入り組み方はサム・ライミに固有のものであり、その丹念な仕事ぶりがすばらしい。
クルードさんちのはじめての冒険』は創意に富んだ作品である。『ハンガーゲーム』の続編が劇場で公開されるというのに一連のドリームワークスのアニメーション作品がなぜDVDスルーなのか、理解できない。ちなみにぎりぎりのタイミングで『キャプテン・フィリップス』を鑑賞するまで怪盗グルーのミニオン危機一髪』が10位に入っていたが、残念ながら押し出された。
とにかく2013年は豊作で、生涯ベスト1級の作品がごろごろと出てきたことにはとにかく驚いている。ちなみに一番残念だった映画は『エリジウム』。期待が大きかっただけにはずし方も大きかった。

Tetsuya Sato

2013年12月31日火曜日

エンジェル ウォーズ

エンジェル ウォーズ
Sucker Punch
2011年 アメリカ/カナダ 110分
監督:ザック・スナイダー

財産を狙う継父によって精神病院へ送られた少女は継父の陰謀によってロボトミー手術を受ける運命となるが、運命から逃れるために四人の少女と協力して脱出を計画し、脱出に必要なアイテムを得るために空想のなかで戦いを演じる。
基底にあるのが精神病院で、その風景を継承した形で売春宿が出現し、脱出を計画する少女たちはそこで患者から踊り子へと変身を遂げ、敵の目をあざむくための踊りがそれぞれ空想的なステージにつながっていく。空想の世界では鎧武者が現われて剣を振り、ミニガンを乱射し、第一次大戦を背景にドイツの航空機が爆撃を加え、死からよみがえった兵士たちがガスマスク姿で塹壕を埋め、あるいはファンタジックな古城が怪物で満たされ、その上空をB-25とドラゴンが飛び、疾走する未来の列車で銀色に輝くロボットが武器を手にして爆弾を守る。そのあたりの描写はおおむねにおいて精緻ではあるものの、文脈を欠いているだけに軽さが目立ち、どれほど精緻であっても記号以上の意味にならない。そこで戦う少女たちの動作はそれなりに洗練されたものとなっているが、これも文脈を欠いているので軽さが目立ち、そのせいで単調にすら見えてくる。とはいえ、最大の難点は空想の世界がいちいち踊りと直結しているところで、そこだけに妙な脈絡がついているせいで、空想が空想として広がらない。基底にある単純さとそこに同居している宿命的な重さと宿命から逃れる行為の軽さとが混然と同居してバランスを得るに至っていない。つまり視覚的にどうこう、という以前に構築の粗が目立つのである。 

Tetsuya Sato

2013年12月30日月曜日

マン・オブ・スティール

マン・オブ・スティール
Man of Steel
2013年 アメリカ/カナダ/イギリス 143分
監督:ザック・スナイダー

ジョー=エルは滅亡するクリプトンの未来を息子のカル=エルに託して地球に送り、ケント家に拾われてクラーク・ケントとなったカル=エルは出生の秘密に悩んで世界をさまようあいだに北極の氷塊のなかに眠るクリプトンの宇宙船に遭遇して出生の秘密にかかわる問題を解決し、その場にいあわせたロイス・レインも謎を追ってクラーク・ケントの実家をつきとめ、反乱の罪によってファントム・ゾーンに追われていたゾッド将軍とその一味はクリプトンの未来をカル=エルの手から取り戻すために地球に現われて全地球を相手にカル=エルの引き渡しを要求すると軍はロイス・レインをおとりにカル=エルを捕えてゾッド将軍に引き渡し、カル=エルを捕えたゾッド将軍は地球をクリプトン化する作戦にかかり、ゾッド将軍の手から逃れたカル=エルはアメリカ軍とともにゾッド将軍に立ち向かう。 
スーパーマンというアイデンティティにいくらか混乱を抱えている上に匿名性が脆弱なキャラクターにモダンな合理性を付与するための一連の手続きは解釈として面白いと思う。しかしその結果、スーパーマンは設定の危うさを気にもかけない超人性を失うことになり、ありがちな苦悩を抱えた面白みのないヒーローに成り果てたのだ、と言えなくもない。
映像作品としては冒頭のクリプトンにおける一連のシーンをはじめてとして特に美術面に見るべきところが多いし、視覚的にもおおむね洗練されているが、カットバックは見ているうちに面倒になるし、ほぼ全編が破壊の連続で、クライマックスのマンハッタンのシーンは正直なところ、見ているうちにいやになった。壊し過ぎだし殺し過ぎ。そう思って見ているとヘンリー・カヴィルの妙に血の気の濃い顔も気になってきて、胸に書いてあるそのSの字は希望ではなくて、もしかしたら『ソプラノズ』のSではないかと問いたくなってくる。一定の完成度に達していることは認めなければならないが、わたしとしてはやはりリチャード・ドナー版のほうが好き。つまり、いまどきのスーパーマンが"truth, justice and the american way"とはなかなか口にできないであろうことは承知しているが、それでもあえて口にすることがもしかしたら重要なのではあるまいか。 


Tetsuya Sato