(う)
その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。地図上の点ですらないという冷酷な事実は、その小さな国の人々の気持ちをひどく滅入らせた。しかし、それ以上に心を暗くしたのは道を誤ってその国を訪れ、うっかり地図を広げたことでたまたま事実を伝えてしまった旅人であった。自分がその国にもたらした悲しみの大きさを見て激しく悔やみ、悔やむあまりに崖の上から身を投げた。このことは悲劇として伝えられているが、もし旅人がその国の習慣についての知識を持ち、その国の人々が何事につけても悲しげに顔を背けることを知っていたら、おそらく身を投げることはなかったであろう。
その国で生まれた赤ん坊は産声を上げる代わりに憂いに満ちた吐息を漏らして、この世に生まれ出たことの悲しみを表わした。母親は我が子がこれから味わうであろう悲嘆の数々を思って涙を流し、父親は子を抱き上げて夕陽にかざし、陽が沈む先にあの世があることを子に教えた。来世にわずかな希望を託して、人生を深い悲しみの淵に沈めたのである。悲しみの深さに耐え切れずに、夕陽を追って走り出す者も少なくなかった。涙に霞む夕陽を追って夜を迎え、疲労の果てに横たわって悲しみととともに朝を迎えた。国そのものは小さかったが、悲嘆に暮れる者の数ではいかなる国にも負けなかった。
その国の王は暴君であった。土地は残らず王に属して、国民は王のために土地を耕して稔りを守った。王は過酷な年貢を課していたので、収穫の時期には悲しみが一層深まった。収穫の大きな山から年貢の分が取り去られ、荷車に積まれて運ばれていく。残った山の小ささを見て人々は悲しんだ。隣人の肩を抱いて涙を流し、腹を空かせて泣く子を叩いて涙を流した。王の城には収穫の大半が積み上げられ、打ちひしがれた人々はその前に佇んで悲しげに顔を背ける。そうして待っているとやがて王が姿を現わし、こちらも悲しげに顔を背ける。王は常に暴君であったが世襲ではなかった。もっとも感じやすい心の持ち主が王に選ばれることになっていた。王は王位にあることで悲しみを味わい、残りの者はひとを王位へと追いやったことでやはり悲しみを味わった。王の悲しみの方がやや格上であったと伝えられている。
悲しみがなければ陽も暮れない毎日で、悲しみを味わうためなら間違いも犯した。収穫の量はごまかされたし、用水路の流れは夜の間に変更された。多くの者が盗みを働き、進んで良心の呵責に苛まれた。罪人は身を投げ出して許しを請い、善人は正義の不在を嘆いて突っ伏した。そして翌日には善人が盗みを働き、罪人が正義の不在を嘆き、世の悪に終わりがないことを知ってともに長々と悲嘆に暮れた。恋はつねに間違った者同士を結びつけ、親はそれを引き離し、不幸な結婚は不倫の種を振り撒いた。不倫は堕落ではなく悲しみを生み、悲しみは子を産み落とし、産婆は産み落とされた子を間違える。兄弟がいれば、どちらかには必ず異なった血が流れていた。産婆は死の床で苦しみとともに真実を明かし、新たな悲劇の原因を残す。悲劇はいつでも三代に及んで果てのない分岐を繰り返し、やがて国を覆って悲嘆の底に民を沈めた。
さて、ある時のこと、その国が隣国からの侵略を受けた。防衛のために軍隊が招集されたが、戦闘に先立って戦争の悲惨に耽溺したので戦うことなく敗北を喫した。国土は瞬時にして敵に奪われ、感じやすい王は悲しみのうちに廃位され、隣国の軍勢は暴虐を尽して大いなる苦しみを人々に与えた。苦難の時代がしばらく続き、人々は飽かずに悲しみを味わい、それから最後に暴動を起こした。隣国の王もまた暴君であったが、この王は暴政の結果を目にしてもまるで悲しもうとしなかったからである。これはしきたりに反していた。暴動を鎮圧するために残酷な王の残酷な軍隊が出動した。男は皆殺しにされ、女とこどもは奴隷に売られ、わずかに残った土地は外の者に奪われた。というわけでその国は消滅して、今ではふつうの人々がふつうの悲しみとともに暮らしている。
Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.