2014年7月21日月曜日

異国伝/再生の儀式

(さ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこへ旅して帰ってきた者は、陰鬱な国という感想を日記に記している。再び訪れようとして辿り着けなかった者もいたようだ。日記に大きな疑問符が残されている。
 信頼に値する資料によれば、その国は時々、地上から消滅していたようである。よくあるように住民ごと消えてしまうのではなく、住民だけを残して建物や田畑が消えてしまう。消滅は唐突に起こるのではなく、数日前から前兆がある。引きずり込もうとする大きな力が、地中深くからかかるのを感じるという。前兆が現われると動物は落ち着きをなくし、ひとは不安を顔に浮かべて荷造りを始める。その様子はいかにも慣れているという雰囲気で、決して恐慌状態に陥ったりはしない。高齢者ほど落ち着いている。
 一日か二日のうちに力はより強く感じられるようになり、自分ではまっすぐ立っているつもりでも、実は前にのめっているという不思議な経験をすることになる。その時には国中が不穏な気配で満たされている。大気はひどく虚ろになり、話し声や荷造りの音が遠くまで届く。そして空は昼でも夜のように暗くなる。暗い赤みを帯びた雲が激しく渦巻くのを見ることもあるという。
 建物が傾いてくる頃には、荷造りがすっかり終わっている。女たちが荷造りを進めている間に、男たちは役所に出かけて番号札をもらってくる。その番号にしたがって、整然と脱出するのである。そのうちに路上に役人が姿を現わし、大声で番号を告げ始める。すると家財道具を満載した荷車が馬や牛に牽かれて、時には人間に牽かれて動き始める。興奮して叫びを上げるこどもがいれば、唇を噛み締めて家を振り返る女がいる。老人は荷車の荷物の上にいて、皺に埋もれた両の目でどことも知れない彼方を見つめている。荷車の後には家畜の群れがどこまでも続いた。無数の足や車輪が砂塵を起こし、町は砂埃に覆われていく。その淡い灰色の帳の下で、いくつもの建物がてんでに傾いて沈んでいく。町が溶けていくように見えるという。最後まで残ることはできない。陽が暮れるまでに町を離れ、翌朝、戻ってくるとそこは荒野に変わっている。
 それから一年の間、その国の人々は放浪して日を送る。国を離れて天幕に集い、共同の場所で食べては眠った。いられるだけの間はそこで暮らし、立ち退きを迫られるとただちに荷をまとめて旅立った。時には相当な遠方まで旅をした。古老の中には海を見た者があり、外国の習慣に詳しい者がいた。中には集団から離れて山にこもる者、あるいは物乞いとなって諸国をめぐる者もあったという。 外国の親戚に身を寄せる者もあったようだ。その一年の間に死ぬ者がいれば、生まれる者もいた。旅の間に死んだ者は、家族か、家族がいなければ国を同じくする者が遺体を保管した。よく燻して水気を抜いて、必ず祖国へ持ち帰った。
 一年が経とうとする頃、その国の人々は祖国を目指して戻り始める。戻ってきても、そこにはただ荒涼とした土地が広がっている。その土地に巨大な天幕を張り、天幕の下にひとを集めて戻った者の数を確かめ、死んだ者と生まれた者の名を確かめる。それから全員で家畜の数を調べ、 家畜の中から牛を選って一か所にまとめる。まとめた中からもっとも美しい雄牛を選び、その持ち主に金を払った。一年の間に髪を上げた少女たちが牛の首に鈴をつけ、牛の角を花で飾る。その間に子のある男たちが大地に大きな竪穴を掘り、若者組の男たちが穴の底へと下る板を渡した。そして女たちがその板を渡って、穴の中央に五色に塗った棒を立てる。
 国中のひとが穴を囲んで歌を歌った。まず旅の間に死んだ者が、穴の底に横たえられた。寿命が尽きて死んだ者がいれば、不運によって死んだ者もいた。並べられた遺体の上には穀物の種が幾重にも播かれた。続いて少女たちが牛を牽いて穴へ入り、五色の棒に引き綱をかける。少女たちが牛を残して穴から出ると、ただちに渡り板がはずされた。こどもたちが前へ進み、牛に花を投げかける。歌声が高まる中で、男も女も声を震わせながら身を屈め、それぞれの右手で土くれを掴み、穴の中へ投げ込んでいく。脅えた牛が首を振った。牛の腹は早くも土をこすり、やがて土の高さは肩に達する。歌声が続く中、死者と牛は大地にゆっくりと埋もれていく。穿たれた穴が消えた時、人々は足元から天空に向かって、何かが駆け抜けていくのを等しく感じる。大地は鳴動を始め、あちらこちらで地面が割れて土がこぼれる。人々は手をつなぎ、身を寄せあって一切を見る。地下から家々が現われ、木々が顔を出す。家は埃を落として立ち上がり、樹木は土を飛ばして背を伸ばした。畑が戻り、池が戻り、すべてを結ぶ道が戻った。
 見ていた者は歓声を上げ、荷を取ってそれぞれの家へと駆け戻る。大地の汚れを洗い落とし、そこで再び生活を始める。消滅の日が次にいつやってくるのかは、誰も知らない。だが消滅の後には必ず再生の日が訪れると、その国の人々は信じていた。

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