2014年7月10日木曜日

異国伝/海老の収獲

(え)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。個人的に記されたいくつかの旅行記には若干の記述があるという噂もないことはないが、それが事実だとしても記載の量が全部で数行を越えることはないだろう。なにしろその国にはわずかばかりの家屋とそこに住む面白みのない住人、そして面白みのない住人を従えた面白みのない王がいただけで、旅行者が外国に求めるような滑稽な人物や滑稽な習慣、美しい自然や見慣れない料理といった特筆すべき要素をことごとく欠いていたからである。もちろん、すべてを確認した上で結論を下しているわけではないのだが、一見したところでは明らかにそうであったし、すでに滅んでいるという決定的な理由があって調べ直そうにも手立てがない。
 伝えられるところによれば、その国には道のように見える道が一本だけあった。道の沿って並ぶ家々はどれもみすぼらしくて、みすぼらしい家々にはみすぼらしい男や女が暮らしていた。どの男もどの女も、そして子供も愛想がなかった。少なくとも旅行者にはそのように感じられた。西は山に、東は海に面していて、狭い領土はどこもかしこも西から東に傾いていて、だから平らな場所というものがない。どの家もこの家も傾いた地面に半ばまでめり込んでいた。どうかすると傾いたまま斜面に乗っかっていた。産業と呼べるものは漁業しかなくて、だからその国では男も女も、老人も子供もそろって砂浜に出て網を引いた。網を引くと海老がかかってくるので、それを鍋に放り込んだ。その国では男も女も海老を食べた。道から山へと続く少々急な斜面に小さな城がへばりつくように建っていて、そこに住んでいた国王も海老を食べた。
 食べる物が海老しかなかったからである。そのせいなのかどうなのか、住人の顔はどことなく海老に似ていた。赤みがかかっていて目がくっついていて、前に向かって造作が詰まったような具合になっていた。愛想がないように見えたのは、全体に余裕を欠いたこの造作のせいであった。そして愛想がないのは、おそらくは海老の呪いのせいであった。住人の多くは、呪いは顔にかけられていると考えていた。健全な食品を生活の中へ取り入れれば、この呪いは解けるのではないかと考えた者もいた。だが何が健全かを説明できる者はなかったし、仮に何かが健全だとして、どうすればそれが手に入るのかを説明できる者もいなかった。
 もちろん、その国の人々が愚か者ばかりだったということではない。常識も普通の知恵も備えていたので、捕れた海老を輸出してほかの物を輸入しようと試みたことがある。そのための代表を王が指名して国外に派遣した。代表は食品業者を探して交渉にかかり、それから国に舞い戻ると王に計画の中止を進言した。巨額の保険契約だの細かい字で書かれた付帯条項だの、あるいは根拠の怪しい変動相場だのといった新手の呪いを抱え込むよりは、このままおとなしく海老の呪いを抱え込んでいた方がよいと言ったのである。王もそれが賢明であると認めて計画を中止し、代わりに国の南北両端、道沿いの二ヶ所に通行税の徴収所を設置することにした。ここから何がしかの現金収入を得ようという目論みであったが、国を通過する者の数がそもそも少なかったので、一度だけ支払う通行税はしばらくしてから二度支払う入国税と出国税に変更された。ところが一方の徴収所からは、もう一方の徴収所を彼方に見ることができたせいで、旅行者はばからしさを理由に出国税の支払いを拒み、国境で徴税請負人と悶着を起こした。
 さて、ある時、年若い王がその国に立ち、建国以来の懸案を整理して問題を最終的に解決しようと考えた。早い話が、海老にうんざりしていたのである。離乳食はほぐした海老の肉だったし、母乳は海老の臭いがした。両親はどちらも海老のような臭いをさせていたし、当然、自分の身体も同じような臭いをさせている。気にしなければ気になることもなかった筈だが、一度でも気にし始めると後はとどまるところを知らなかった。いずれはめとることになる后も、海老の臭いをさせているに違いない。王ともなれば国を離れるわけにもいかず、そうなると死ぬまで海老にまみれて海老の臭いを嗅ぎながら海老を食べ続けることになる。見るのも嗅ぐのも、考えるのもいやだった。なんでもいいから、海老以外の何かが食べたかった。世界はもっと多様であってもよい筈だった。国民もそう望んでいると考えていたし、そう望んでいない国民にも海老以外の何かを食べさせたかった。実を言えば、少数ではあったが、海老以外の何かを食べれば罰があたると主張する一派が存在した。幾世代にわたる諦観を糧に居直りを強固な信仰に発展させていて、その国の人間は最後には全員が海老になるのだという奇怪な終末予言を撒き散らして国内に不安と恐怖の影を投げかけていた。国民に海老以外の食品を味あわせて未来に希望を与えることが、国家としての急務であった。
「もはや、一刻の猶予もない」と王は言った。
「畏れながら、陛下」と大臣が言った。「王家代々の取り組みはことごとく失敗に終わっております。この上にまだ何か秘策があろうとは、残念ながら思えませぬ」

「最後の手段が残されている」
 それだけを言うと王は城を後にして斜面を下り、道を渡って砂浜へ進むとそのまま海へ足を踏み入れた。胴を水に浸して波を分け、顔をうつむけて鋭い目つきで海面をにらみ、不意に腰を屈めると素早い動作でたくましい腕を繰り出した。海面を破ってすぐ引き抜くと、その手には一尾の見事な海老が握られていた。王は掴んだ海老に顔を向け、憎しみを込めてこのように言った。
「海老の王よ、聞くがいい。おまえたちの居場所は我が領土の内にある。我が領土の内において、おまえたちは繁栄を極め、専横をほしいままにしているのだ。十分な代価も払わずにな。だが時代は変わった。これまでどおりに事が運ぶとは思わないでもらいたい。すぐさまここを立ち退いて、場所をほかの魚に明け渡すのだ。なぜならばほかの魚にもここに住まう権利があり、ほかの魚の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。海は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさとここから出ていくがよい」
 これを聞くと海老の王はその堅固な殻を怒りによって真っ赤に染めた。
「ひとの王よ、これはまたたいそうな言い分だ。今のがそちらの言い分ならば、こちらにはこちらの言い分がある。つまり、おまえたちの居場所こそが、我が領土の内にあるということだ。そしておまえたちは我が領土の内において我が一族を好きなように胃の腑に収め、それだけでは飽き足らずに今度は領土を明け渡せと言う。ならばこちらにも考えがあるぞ。すぐさま立ち退いて、場所をほかの人間に明け渡すのだ。なぜならばほかの人間にもここに住まう権利があり、ほかの人間の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。陸は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさと出ていくがよい」 

 そのように言って長い髭を振り、鋭利な先端で年若き王の目を狙った。また鋏を使って王の腕に傷を与えた。握る手の力はたちまち緩み、海老は尾鰭で跳ねて海に逃れ、王は悲鳴を上げて砂浜に逃れた。
 年若き王は血の滴る傷を手で押さえて浜を走り、心を復讐に走らせて男たちを呼び集めた。王の叫びに応えて男たちは網を運び、女たちは鍋を運んで浜に火を起こした。一方、海老の王もまたその髭によって一族郎党を呼び集め、すぐさま戦の準備にかからせた。母海老たちは子海老を抱えて岩陰に隠れ、力に覚えのある海老たちが続々と隊伍を組んで海岸へ進む。戦端はただちに開かれた。人間と海老が激突し、肉が裂かれ、殻が砕かれ、血が飛び、白身が千切れ、浜には骸が幾重にも重なる。数では海老が勝っていたが、力の点で勝機は人間にあった。戦場が陸地となったことも、海老の側には決定的な不利となった。
 年若き王は勝利をすでに確信して哄笑を放ち、海老の王の姿を求めて群がる甲殻類を蹴り散らす。一方、間近に敗北を感じた海老の王はひそかに戦場を離れ、道を渡って城の建つ斜面へと足を進め、立ち止まって尾鰭を下にして身を起こすと、そびえる山に向かってこのように言った。
「山の王よ、どうか海老の王の願いを聞き届けていただきたい。卑劣なる人間どもがその巨体をよいことに我が一族を滅亡の淵に追いやろうとしている。そこで山の王よ、我らを哀れに思うなら、その身に収めた岩や土をいくらかなりともを転げ落とし、邪悪なる人間どもを押し潰してもらいたい。我が一族にも多少の犠牲は出ることになろうが、それは仕方がないと思って諦めよう。もし我らに手を貸してくれたなら、我らは礼としてそなたの身に葡萄の木を植えるつもりだ。怠らずに苗に水をやり、実をつけるまで必ず面倒を見ると約束しよう。それでは足りないと言うならば、さらに野苺を植えてもよい」

  海老の願いに対して山がどのような判断を下したのかは永遠の謎とされている。聞き届けることにしたのか、それとも何か別のことを考えたのか。山の考えを確かめる方法はないし、山の考えなど考えるだけでもばかばかしい。いずれにしても山は大噴火を起こし、流れ出た溶岩は一瞬で王国を埋めて海老も人間も滅ぼした。噴火が治まった後には冷えた溶岩が道を覆い、現在もなお通行の障害となっている。

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