あるとき、町に革命家がやって来た。
革命家は街道を埃まみれの姿になって徒歩で現われ、頬に少なくとも三日分のひげをたくわえていた。丸めた毛布を脇に抱えて、ひさし付きの潰れた帽子を斜めにかぶり、肘や膝に継ぎのあたった古ぼけた服を着ていたが、みすぼらしい身なりを恥じる様子は微塵もなくて、その態度はむしろ誇らしげだった。端正な顔立ちの若者で、眼差しは自信によって満たされていた。決然とした面持ちで颯爽と歩き、からだには力がみなぎっていた。革命家は町の入口で足をとめ、城壁に寄りかかってタバコを巻いた。少しばかり上目遣いで、どこか物のわかったような気配で路上の様子をひとしきり眺め、短くなったタバコを投げ捨てると石畳を踏んで市場のほうへ進んでいった。
雑踏のなかで革命家は目立った。革命家のように勢いよく、あきらかに先を急いで歩く者は町には一人もいなかった。いかにも貧しげな、革命家と同じような服装の者はたくさんいたが、そうした人々は人生を両手に抱え、重みに耐えてうなだれていた。さもなければ二日酔いに耐えかねて、しつこく痛む頭を抱えていた。うなだれて、あるいは頭を抱えて進む人々のあいだを、革命家は輝く希望の光のように一直線に駆け抜けていった。
革命家の姿は若い娘たちの目を惹きつけた。娘たちが目を向けると、若い革命家は笑みで応じた。革命家が笑みを浮かべて快活な声で挨拶を送ると、娘たちは顔を赤らめた。娘たちが見つけたのは、町にはいない種類の若者だった。陽気で、冒険好きなハンサムで、危険に立ち向かう勇気を備え、そして臆することを知らなかった。娘たちは祈るように手をあわせ、互いに肩をこすりつけ、そうしているうちにいきなり大胆になった一人の娘が真っ赤なリンゴを掴んでいって、捧げるようにして革命家に渡した。揚げパンを手渡す娘もいた。娘たちは一人二人と前に出て、いつの間にか革命家を囲んでいた。どこから来たのか、と一人が訊ね、どこへ行くのか、と一人が訊ね、町にとどまるつもりなのか、と一人の娘が訊ねれば、宿屋の娘がおずおずと自分の家を指差した。しばらく滞在する、と革命家は答えた。娘たちは歓声を上げ、再び肩をこすりつけた。
革命家は娘たちに見送られて市場を横切り、下町を目指して進んでいった。そのあとを黒服に身を包んだ一人の男が物陰を伝い、足音を忍ばせてつけていった。男は警察の密偵だった。町の娘たちにちやほやされているのを見た瞬間から、この余所者を怪しいとにらんでいた。長年にわたって不穏分子を監視してきた密偵としての直感が、ここでは迷わずに物を言った。反社会的な分子は反社会的な分子であるという理由で、密偵の気に障るようなことを必ずどこかでしでかすのだった。余所者は革命家に違いなかった。結論を下すのに羨望や嫉妬はまったく邪魔にならなかった。
革命家が場末のホテルに部屋を取るのを見届けてから、密偵は警察を訪れて一部始終を報告した。警部補は報告を聞いて興奮した。とうとうこんな町にまで、と警部補は叫んだ。しかしこれは、とあとを続けた。やつらに警察の力を思い知らせる絶好の機会だ。
警部補は緊急事態の発生を署長に知らせた。署長は知らせを聞いて眉をひそめた。
「その報告は」と署長は訊ねた。「たしかなのですか」
「たしかです」と警部補は答えた。「革命家なのです」
「なるほど」と署長が言った。「では、その人物が革命家であるとして、その革命家はこの町でなにをするつもりなのでしょうか。革命でも始めるつもりなのでしょうか」
「革命とは」と警部補は答えた。「当然ながら、準備なしに、いきなり始められるものではありません。やつらはいかにも革命家ですが、我々にとっては幸いなことに革命の準備はまだ整っていないのです。つまり、その男は革命を始めるために来たのではなく、革命の準備をしにやって来たと考えるべきではないでしょうか」
「なるほど」と署長が言った。「では、その人物が革命の準備をするためにこの町にやって来たのだとして、革命の準備とは、いったい、どのようなことをするのですか」
「革命の準備とは」と警部補は答えた。「当然ながら、労働者の洗脳と組織化を意味しています。洗脳され、組織化された労働者は中央組織の意のままに動く地方組織を構成し、そして革命のときには武装蜂起して我々に攻撃を加えてくるのです。その男はおそらく、そうした地方組織を作るためにこの町にやって来たのです」
「なるほど」と署長が言った。「それが事実なら、事態はきわめて重大です」
「いかにも」と警部補が言った。「重大であると言わねばならないでしょう」
「そして、問題のその人物が革命家だというのは、たしかなことなのですね」
「いかなる革命家も、警察の鋭い監視の目から逃れることはできないのです」
署長は対策を警部補に一任した。警部補はこの日のためにひそかに選んでおいた密偵を放ち、革命家の行動を監視させた。さらに革命家が外出した隙を狙って、数人の部下を引き連れてホテルの部屋へ踏み込んだ。まず古びた軍用毛布が見つかった。ほかに洗面用具とわずかな着替えが見つかった。だが党員証はどこにもなかった。書き物をした痕跡も、檄文の束も、秘密の指令を隠した聖書も見つけることはできなかった。警部補は部下とともに徹底的に部屋を調べた。壁を叩き、抽出しを抜き、寝台のマットレスを裏返して埃を浴び、新しい縫い目を探して潰れた枕に目を近づけた。怪しい物はなにもなかった。そうなると、どうにも毛布が怪しかった。縫い込まれた物の感触を探して、隅から隅まで指を這わせた。すると指先が真っ黒になった。この汚れは洗ってもなかなか落ちなかった。当然だ、と警部補が言った。重要な物は肌身離さず持ち歩いているに違いない。逮捕しますか、と警官が訊ねた。それはできない、と警部補が答えた。いまはまだ監視するのだ。
警部補が放った密偵は革命家の行動を怠りなく監視していた。朝、革命家はレンガ工場を訪れて見習工に採用された。日中、革命家はほかの工員と肩を並べて誰よりも熱心に泥をこね、夜、革命家はほかの工員と肩を並べて場末の居酒屋へ入っていった。飲めば頭痛と吐き気を引き起こす地元の酒をしきりと酌み交わしている様子から、工員たちはこの新参の見習工をすでに仲間と見なしていた。
これは浸透だ、と密偵たちは囁いた。浸透工作が進んでいるのだ。
翌朝、詳細な報告書が警察に届けられた。
「予想したとおりです」と警部補は言った。
「なにか始まりましたか」と署長が訊ねた。
「革命家はレンガ工場に潜入し、驚くべき速さで工員の洗脳を進めています。この調子だと、間もなく組織化が始まることでしょう。組織化された労働者は組織の力を信じて行動を求め、小手調べのためにストライキを打ってくるかもしれません。弾圧を加えればやつらはそれを契機に結束を固め、下手に出ればさらにつけ入る隙を狙ってきます。これは非情な戦いになるでしょう。気をつけなければなりません。やつらの気配を読み取って、先手を打たなければならないのです。もしここで後手にまわると、取り返しのつかないことが起こります。革命への階梯となるあの恐るべき存在が、労働組合が、真昼の光を食い荒らす夜の怪物のように、この町に出現することになるのです」
「少しばかり、おおげさではありませんか」
「いいえ、少しもおおげさではありません」
警部補は過去の事例に基づいて予測を立て、革命家は二か月でレンガ工場の工員の洗脳を終え、続く二か月でレンガ工場の組織化を完了させるものと見積もっていた。早ければ六か月後には最初のストライキが決行され、労働者組織はその時点で一定の武装を整えていることになるだろう。
ところが警部補の予想に反して、革命家がレンガ工場にいたのは三日間だけだった。そのあと、革命家は釘工場の見習いとなり、そこでも三日間だけ働いた。続いてタドン工場の見習いになり、そこでも三日間だけ働いた。密偵たちがもたらした報告によると、日曜日には市場で働く娘たちと遊んでいた。失敗したということか。それにしては自信に満ちた態度を続けていた。それともわずか九日間で三つの工場の洗脳と組織化を終えたということか。警部補は密偵を三つの工場の工員に接近させて、洗脳と組織化の進行状況を調べさせた。密偵が持ち帰った報告は、どちらとも判断しかねるものだった。どの工場のどの工員も最初から不平と不満でいっぱいで、飲ませれば平然と国家を攻撃の対象にした。警官を犬と呼び捨て、もし革命が始まったらと意気込むのは、革命家がやって来る前からの習性だった。
やはり失敗したのだ。警部補がそう結論を下したとき、密偵から新たな報告が届けられた。革命家が娘たちに見送られて、町を離れようとしているという。警部補は知らせを聞いて立ち上がった。執務室をあとにして急ぎ足で廊下を進み、次第に足を速めながら警察の建物から飛び出すと、そのまま道を走り始めた。そして息が切れてもなお走り続けて町を横切り、手を振る娘たちの脇を素通りして、街道の入口で若い革命家に追いついた。
「きみ、そこのきみ」
警部補が呼ぶ声を聞いて、革命家は足をとめて振り返った。口元には快活な笑みが浮かび、眼差しは自信によって満たされていた。警部補は革命家の前に立って呼吸を整え、それから口を開いてこう訊ねた。
「行ってしまうのかね、あきらめたのかね」
「ぼくがなにをあきらめたと言うのですか」
「きみは革命家だね」
「ぼくは革命家です」
「なぜ町から出ていくのか、わたしはそれをきみに訊きたい。これはわたしの想像だが、きみの使命はこの町の労働者を組織することにあったはずだ」
「そうです。なぜわかったのか、わかりませんが」
「だが組織に失敗したのだね、あきらめたのだね」
「失敗などしていません。あきらめてもいません」
「それなら、なぜ町を離れようとしているのかね」
「それは、労働者を見つけられなかったからです」
「しかし、しかし、きみはレンガ工場で労働者とともに働いたはずだ。釘工場でも、タドン工場でも、労働者とともに働いたはずだ。働いただけではない。一緒に居酒屋へ出かけていって、酒を酌み交わしたはずだ。それなのに、なぜ、労働者を見つけることができなかった、などと言うのかね」
「それは、この町の発展段階に理由があります。観察した限りでは、どの工場経営者も近代的な生産手段を所有していませんでした。はっきり言って、現場はまるで中世のような状態です。そして工員たちは、どちらかと言えば古めかしい職人に近くて、革命的な労働者としての政治意識を備えていません。数も不足していました。つまりですね、言い換えれば、この町の資本主義が十分に成熟していなかったせいで、ぼくは労働者を見つけることができなかったのです」
「だから出ていくのかね」
「だから出ていくのです」
「では、では」と警部補は叫んだ。「わたしはいったい、どうすればいいのだ」
「待っていてください。いずれときが熟すれば、ぼくはこの町に帰ってきます」
臆することを知らない革命家は自信に満ちた口調でそう言って、警部補に右手を力強く差し出した。警部補はその手を見つめてしばらくのあいだ迷っていたが、やがて革命家に背を向けると町を目指して歩き始めた。振り返ることは一度もなかった。そしてうなだれた様子で警察へ戻り、一部始終を署長の前で報告した。警部補の話を聞きながら、署長はわずかに眉をひそめた。警部補が話を終えると、署長は恥じ入るように顔を背けた。
「わたしのことを嫌っていますね」と警部補が訊ねた。
「まさか。そんなことはありません」と署長が答えた。
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