あるとき、町に花嫁がやって来た。
純白のドレスに身を包んだ花嫁が灰色の石畳の道を伏し目がちに進んでいくと、路上のすべての者が足をとめて視線を注いだ。花嫁は栗色の髪を頭の上に結い上げてヒナゲシの花のような形の帽子をかぶり、そこから垂れ下がる乳白色の薄いベールは美しい顔立ちに神秘的なおくゆかしさをまとわせていた。右の手でドレスのひだをわずかにたぐり、左の手には白い花を集めた花束を携え、背後にはドレスの裾を長く引いて、たまたま前を通りかかった一人の男に鈴を転がすような声をかけてこう訊ねた。
「あなたがわたしの花婿ですか」
声をかけられたのは箱一杯の干鱈を抱えた食堂の下働きだった。劣悪な環境に生まれてひたすらに虐げられて育ったこの臆病な若者は心を恐怖で食い荒らされていて、その結果いかなることにも恐怖を抱かずにはいられなくなり、花嫁の問い掛けにも恐怖を感じて短く小さな悲鳴を放ち、肩に抱えた箱を投げ出すとあとも振り返らずに逃げ去った。道に散らばった飴色の干鱈はエプロンをかけた女たちがこれ幸いと拾い上げたが、くすんだ色の女たちが腰をかがめて無心に干鱈を拾い集めるその有様は美しい花嫁の前にそろってひれ伏しているかのようであった。
花嫁は女たちが干鱈をすっかり片づけるのを待って石畳の道を先へ進んだ。そして前を通りかかった一人の男に鈴を転がすような声をかけてこう訊ねた。
「あなたがわたしの花婿ですか」
声をかけられたのは町の小学校の教師だった。母親の悪い感化を受けて育ったこの狭量な若者は子供にはしばしば鞭を振るい、自分は堕落をもたらす誘惑の手を恐れて若い女性を遠ざけていたが、一方、堕落をもたらす誘惑の手に激しく焦がれる自分自身の存在をひどく恥じ入りながらも内面の奥深くに認めていて、花嫁の問い掛けにはこの内面の焦燥が強くすばしこく反応した結果、瞬時に顔が赤くなった。心臓が高鳴り、耳が焼けるように熱くなり、理性は半ば以上が吹き飛んで「はい」という答えが口に出かかったが、そこへ遅れてやってきた羞恥心が内面の焦燥を押しのけて現われ、それと同時に母親の声が大音量で耳を襲って、おまえはやはり父さんの子だ、若い娘に誘惑されておまえも父さんが落ちた地獄へ落ちるんだ、といったようなことを口汚くわめくので、教師は赤く染まった顔を手で覆い隠し、よろめくようにして花嫁から離れ、短く小さな悲鳴を放つとあとも振り返らずに逃げ去った。そして花嫁は石畳の道を先へ進み、前を通りかかった一人の男に鈴を転がすような声をかけてこう訊ねた。
「あなたがわたしの花婿ですか」
声をかけられたのは裕福な地主の息子だった。不自由を知らずに育ったこの傲慢な若者は気がついたときには軽薄な虚無主義のとりこになり、過去を憎み、未来に対して絶望を抱き、建設よりも破壊を望み、良俗を嘲笑して若い肉体を堕落に捧げ、美しいものよりも醜いものに愛を抱き、実を言えば醜くて貧しくて自堕落な年上の女と秘密結婚までしていたのだが、結局のところ、すべては子供じみた自己愛とねじくれた自己顕示欲のしわざであり、甘やかされた心が美と真剣に向き合うことを拒んだ結果でもあったので、美しい花嫁が目の前に現われて美しい声で言葉をかけると虚勢で膨らませた惰弱な心はたちまちのうちにくじけてしまい、地主の息子は自分が犯した悪事をすっかり暴かれたような気持ちになって、短く小さな悲鳴を放つとあとも振り返らずに逃げ去った。
花嫁は石畳の道をさらに進み、通りかかった若者に次から次へと声をかけた。
「あなたがわたしの花婿ですか」
鈴を転がすような涼やかな声でそう問い掛けられると、誰もがそれぞれの理由で短く小さな悲鳴を上げてあとも振り返らずに逃げ出した。問い掛けを受けた者は残らず心に傷を負い、加えて雇い主に棒で叩かれ、加えて母親に平手で打たれた。一切を打ち明けて親から勘当された者もいたし、自分が何者であるかを見失って鏡をじっと見つめる者もいた。
とはいえ、問い掛けを受けた者はそれでも幸せだった。多くの者がその姿を見て花嫁に焦がれた。いまかいまかと待ち構えていたのに、花嫁に前を素通りされた若者がいた。待ち切れなくなって手を差し出した若者もいたが、花嫁はその手の前で向きを変えた。自分はすでに問い掛けを受けたと嘘を言う者も現われた。嘘を言う者は石で打たれた。花嫁の姿をただ遠目に見ただけで自分の運命を自分で決めて悔しさに歯軋りする者もいたし、噂だけを聞いて絶望に浸り、人生を投げ出して首を吊ろうとする者もいた。そして少なからぬ数の若者が、問い掛けを受けた者も問い掛けを受けなかった者も、それぞれにそれまでの向上心の乏しさを恥じ、若者らしい速やかな判断によって恋人のいる者は恋人を捨て、婚約者のいる者は婚約者を捨てた。
怨恨がばらまかれ、捨てられた女たちは花嫁を追った。石を握って花嫁を囲み、町の男たちの心を乱した罰を与えようとたくらんだ。ところがそこへ正装した若者たちがそれぞれに向上心を励ましながら現われて、女たちと花嫁のあいだに割って入った。若者たちは腕を組んで花嫁をかばい、悪いのは自分たちである、打つならば自分たちを打てと言った。女たちはいきり立った。一人が石を投げると残りの者もあとに続いた。若者たちは石で打たれ、一人が血を流して昏倒した。
町は暗い影に覆われていった。もはや座視することはできなかった。そこでその日のうちに町の重鎮たちが町長の家に集まって、取り得べき対策を協議した。まず商工会議所の会頭がこのように言った。
「逮捕すべきだ」
すると警察署長が立ち上がり、制服のしわを伸ばしながらこのように言った。
「残念ながら、花婿を探したという理由だけで逮捕することはできません。逮捕しようと思ったら、たとえば殺したとか盗んだとか、あるいは傷を負わせたとか、もっとはっきりとした罪状が必要です。ご存知のように我が国の刑法は著しく繊細さを欠いていて、このような場合にはなんの役にも立たないのです」
「それならば」と判事が言った。「思想を問えばよいのです。たしかに我が国の刑法は通常犯罪に対しては著しく繊細さを欠いていますが、危険思想の取り締まりに関しては実に柔軟かつ繊細で、どのような状況にも対処できるようになっています。刑法の第五十八条を適用して、思想犯として逮捕するのです」
「いやいや、思想犯ではないでしょう」と町長が口のひげを引っ張った。
「いかにも、思想犯とは思えませんな」と警察署長がうなずいた。
「思想犯です」と判事が言った。「そうに違いありません。実はそもそもの始まりから、わたしは怪しんでいたのです。いったい花婿とは何者ですか。なぜ隠れているのですか。姿を現わそうとしないのは、そうできない理由があるからではありませんか。おそらく、花婿は革命家です。花嫁は革命の扇動者です」
「逮捕すべきだ」と商工会議所の会頭が言った。
「いますぐにも」と判事が叫んだ。
「いやいや」と町長が口のひげを引っ張った。「ご覧になればわかることですが、あれは本当に花嫁です。そして本当に、必死な思いで花婿を探しているのでしょう。たぶん、あの花嫁と、判事が革命家だとお考えの花婿のあいだには、なにか常軌を逸した、恐ろしいことがあったのではないかと思います。具体的になにがあったのかは正直なところ興味もないし、想像したくもありませんが」
「たとえば、なにがあったとお考えですか」と署長が訊ねた。
「たとえば、花婿が白鳥に変えられたとか」と町長が答えた。
「馬鹿馬鹿しい」と判事が叫んだ。「これはおとぎ話ではないのです。町は現に混乱状態に陥っているのです。良家の娘たちが、あろうことか、前途有望な若者たちを石で打っているのですぞ。この状況を放置しておくことはできません。わたしは五十八条の適用を強くお勧めする。もはや一刻の猶予もありません。手段を選ばずに、あの不穏分子をこの町から排除しなければならないのです」
「いやいや」と町長が静かに首を振った。「わたしにはあの花嫁の姿と行動がなにかしらの真実を映しているように思えてなりません。その真実とは、つまり、わたしが先ほどから想像するのを拒んでいる真実にほかなりませんが、仮にそうだとすれば、事態はわずかな後押しによって自然に進行する筈です。花嫁には困難が与えられなければなりません。そして花嫁は与えられた困難を運命によって克服することになるのです」
「つまり、なにを言いたいのですか」と判事が訊ねた。
「すぐに逮捕すべきだ」と商工会議所の会頭が言った。
「つまりですね」と町長が言った。「五十八条の適用には賛成できませんが、判事にお願いして人身保護令状を出すことはできると思うのです。わたしたちは花嫁をどこかに閉じ込めなければなりません」
「花嫁をどこへ閉じ込めるのですか」と署長が訊ねた。
「監獄の東の塔に閉じ込めましょう」と町長が答えた。
そこで判事が人身保護令状を用意し、署長が派遣した警官たちが花嫁を捕えた。警官たちは監獄の入り口で捕えてきた花嫁を獄吏に渡し、獄吏は花嫁を監獄の東の塔の最上階に閉じ込めた。そこからは町が一望できた。町長の提案で花嫁には茨を詰めた寝具が与えられ、寝台の横には特に粗悪な羊毛の山と古びた紡ぎ車が用意された。花嫁は純白のドレスに身を包んだまま紡ぎ車で糸をつむいだ。粗悪な羊毛からつむがれた糸はすぐに切れるので、そのたびに花嫁は紡ぎ車をまわす手をとめて糸をつないだ。夜は茨を詰めた寝具に身を横たえ、朝になると起き上がって窓の格子のあいだから空に向かって手を差し出した。その繰り返しによって日が流れ、週が終わり、月が変わり、また月が変わり、変わりのない日々が永遠に続くように見えたとき、花嫁が差し出した手に駒鳥がとまった。そして花嫁は笑みを浮かべてこのように言った。
「ああ、あなたがわたしの花婿ですね」
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