あるとき、町に行商人がやって来た。
大きな背嚢を背負って古びた山高帽を斜めにかぶり、灰色をした重たげな外套をまとい、手にした長い杖の先で地面をすばやくたぐりながら街道を歩いてやって来た。町に着くとその足で町役場を訪ねて書類を示し、規定の料金を払って鑑札を受け取り、市場の隅に陣取ると大きな布を広げて商品を並べた。
すでに市の時間は終わっていたが、市場にはまだ多くのひとがいた。子供を連れた主婦や買い物帰りの娘たちが、黒いショールを首に巻いた老婆たちが、散歩をしていた夫婦者が、居酒屋で一杯やって顔を赤くした男や女が、行商人の店の前で足をとめた。
娘たちはレースの縁飾りや色とりどりのリボンを見て吐息をもらした。女たちは輸入物のしゃれた日傘に息を呑んだ。子供たちはきらきらと輝くビー玉やおはじき、鉛でできた歩兵や騎兵、砲兵の人形に手を伸ばした。母親たちが声を上げて子供たちの手を叩いた。しかし、その母親たちも刺繍糸を見て目を輝かせ、男たちは真新しいパイプを見つけて女房の顔色をうかがった。行商人は商品の一つひとつを乾いた声で説明して、そうしながら娘たちには首都で作られた頬紅を勧め、男たちには気に入ったパイプがあったら手に取るようにとしきりにうながし、女たちには縁飾りの由来を話して感心させた。一人が財布の紐をゆるめると、残りの者もあとに続いた。行商人は指なしの手袋をはめた手で金を受け取り、黒ずんだ指で釣りを渡した。
行商人は日が暮れる少し前に店をたたんだ。背嚢を背負って居酒屋へ入るとテーブルの隅に席を取って、飲めば頭痛と吐き気を誘う地元の酒とベーコンの煮込みを注文した。そして山高帽を傾けてグラスのなかの酒をなめ、ベーコンの煮込みを口に運んだ。食事を終えると立ち上がって、背嚢を背負って帽子を直した。長い杖を握って店から出て、街灯がともり始めた町のなかを街道を目指して歩き始めた。
町のはずれが近づくにつれて明かりの数が減っていった。夜の闇が左右から迫り、石畳の道を行商人の杖が探った。行商人は足音を聞いて足をとめた。杖が道を探る音が消え、背後から四人の若者が現われて行商人を取り囲んだ。
この四人はいずれも町の良家の出身で、いずれも二回以上放校された経験があった。首都に送られて進歩的とされる教育を受けたあとは定職に就くことを嫌って無為を選び、首都から送り返されたあとはそろって革命家を自称していた。ありとあらゆる権威への抵抗を唱え、一切は大衆を惑わすぺてんであると主張して、危険分子のたむろするいかがわしい飲み屋を根城に使っていた。そこに巣食ってことあるごとに政府を批判し、警察の無能をせせら笑い、権力の犬めと警官を侮辱し、ときには警官に向かってこぶしを振り上げ、たまにぶち込まれると惜しまずに涙を流して非を悔やみ、親の金で解放されて自由を得ると再び警察の無能をせせら笑った。警察の無能を笑うためならどんなことでもするつもりで、同時に醜悪で犯罪的な現体制に衝撃的な一撃を与えることができるならそれ以上の成功はないと考え、金持ちの子女を狙った緻密な誘拐を計画し、町一番の銀行を狙った大胆な強盗を計画し、女学校の武装占拠を計画し、無頼漢どもを糾合して町を占拠することまで計画したが、ほとんどいつも酔っていたので計画を前に進めたことは一度もなかった。しかしその日の夕刻、若者たちはついに好機が到来したと確信した。行商人という醜悪で犯罪的な小資本が無知で善良な民衆を搾取する有様を見て、この悪魔を滅ぼさなければならないと確信した。その程度のことなら酔っていてもできるはずだと確信した。
四人組が行商人に襲いかかった。行商人を突き飛ばして道に転がし、転んだところを四方から囲んで足で蹴った。かだらを丸めて身をかばおうとするところへ続けざまに蹴りを入れ、帽子を奪って踏みつぶし、背嚢を奪って中身を路上にぶちまけた。そしてレースの縁飾りを踏みにじり、リボンの束を踏みにじり、鉛でできた兵隊を足でつぶし、輸入物の日傘を折り、パイプを粉々になるまで踏みつぶした。一人は行商人の杖を奪って、膝にあてて折ろうとした。どうしても折ることができないので握り直して振り上げると、行商人のからだに叩きつけた。
行商人は道に突っ伏してうめいていた。若者たちがせせら笑った。若者たちは行商人の金を奪い、最後にもう一度蹴りを入れて革命の勝利を宣言した。若者たちは行商人をその場に捨てて道を戻って、いつもの飲み屋にもぐって祝杯を上げた。若者たちが行商人の金で祝杯を重ねていたころ、行商人は震える手を道に這わせて背嚢をつかみ、背嚢に向かって自分のからだを引き寄せていった。わずかにからだを起こすと背嚢のなかを手で探って、底のほうから小さな木箱を取り出した。箱を地面に置いて、横たわったまま蓋を取った。箱のなかにはガラスの玉があった。玉のなかは琥珀色の液体で満たされていた。行商人は玉をつかんで、それを間近に見える闇に向かって投げつけた。ガラスが割れる音がして、液体が飛び散る音がした。それからなにかが小走りに走る音が聞こえた。
翌日の朝、朝市へ向かう農夫が行商人を発見した。農夫は行商人を自分の馬車に乗せて市場へ運び、市場の管理人と夜警が行商人を戸板に乗せて病院に運んだ。警察へは管理人が通報した。警察署長は警部補を現場に派遣し、警部補は現場を調べたあとで病院を訪れ、行商人に証言を求めた。頭や腕に包帯を巻かれた行商人は横たわったまま、暗くてなにも見えなかった、と警部補に言った。警部補は協力に感謝して警察に戻り、すばやく報告書をまとめて暴力的で反社会的で無教養な物盗りの犯行と断定した。
その日の夜、行商人を襲った若者の一人が路上で死んだ。場末の舗装がはがれた道の隅で、馬の小便に顔を浸して死んでいるのを通りかかった学生が発見した。何者かに心臓を一突きされていて、顔には苦悶のあとがあった。
その次の夜、二人目の若者が安宿の自分の部屋の寝台で死んだ。垢がこびりついたシーツの上で垢がこびりついた枕を握って死んでいるのを偶然部屋に入った娼婦が発見した。何者かに心臓を一突きされていて、顔には苦悶のあとがあった。
そしてそのまた次の夜、三人目の若者が飲み屋の入り口をまたごうとして死んだ。そこは四人組が根城にしていた飲み屋で、そのときには大勢の客がいて、入口のあたりにも数人がたむろしていたが、全員が酔っていたので死ぬところを見た者は一人もなかった。若者は何者かに心臓を一突きされていて、顔には苦悶のあとがあった。
最後に残った一人はすっかりおびえて警察に駆け込み、署長に面会を求めてすべてを自白した。悪事に関わったことはこれまで一度もなかったが、と前置きをして、ただ誰もがそうするようについ魔が差して、と説明を加え、もちろん安酒に酔った勢いもあって、とさらに説明を加え、まったく意に反したままあの三人組に無理矢理引きずられて、と弁解しながら、行商人を襲って金を奪った、と白状した。そしてあの三人は怒り狂った行商人の手にかかったに違いないと恐怖に震え、署長の前にひざまずくと、助けてください、と叫んで保護を求めた。署長は手を差し出して若者を立たせた。行商人は重傷を負って動くことができない状態にあり、だからその心配はまったく無用だと言い聞かせて優しく若者の肩を叩き、警部補を呼んで引き渡した。警部補は調書を取ってから若者を留置場にぶち込んだ。
その夜、若者が留置場の寝台で死んだ。心臓を一突きされていて、顔には苦悶のあとがあった。たまたまその場にいた警官が箒と塵取りで犯人を捕えて空き瓶に入れた。翌朝、警部補はその空き瓶を持って病院を訪れ、行商人の前にかざした。瓶のなかにはネズミほどの大きさの生き物がいた。形は人間に似ていたが、ネズミのようなしっぽがあり、目は一つで額から角が生えていて、手に鋭い針のような物を握っていた。行商人はそれを見ると短い呪文のような言葉を口にした。すると瓶のなかの生き物は溶けて琥珀色の液体に変わった。警部補は瓶を行商人に渡して警察に戻った。
「なにかわかりましたか」と署長がたずねた。
「関わりたくありません」と警部補が言った。
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