2014年6月3日火曜日

町/サーカス



 あるとき、町にサーカスがやって来た。
 色とりどりの馬車を何台も連ね、陽気な曲を奏でながら、にぎやかに町に乗り込んできた。馬車の列を先導するのは白いポニーにまたがった少女だった。黄金色の髪の上にスチュアードがかぶるような小さな筒型の帽子をちょこんとのせて、鮮やかな青のビスチェを胴にまわし、同じ色のスコートを短く腰に巻きつけていた。足に履いていたのは古代ローマ風のサンダルで、肌色のタイツに包まれた脛には服と同じ青さの編み上げ紐が螺旋状に巻いてあった。ゆったりと歩くポニーの頭の上で、はなやかに飾られたダチョウの羽根がふんわりと揺れた。
 町の人々は足をとめて少女に見入った。少女は高々と腕を振り上げ、透き通った明るい声でサーカスの到来を町に知らせた。その声を合図に馬車の列のあちらこちらから、扮装をととのえたピエロや色の浅黒い軽業師、巨漢の怪力芸人や怪しい姿の火炎芸人などがあふれ出る色のように飛び下りてきた。ある者はおどけた様子で口上を叫び、ある者は危険な芸のさわりを披露し、楽器を手にした者は調べをあわせて音を鳴らし、またある者は腕に抱えたチラシを配り、あるいは町の女たちに冗談を言い、猛々しい声やしぐさで小さな子供たちを脅かした。馬車に積まれた檻のなかではライオンが落ち着きをなくしていた。別の馬車の別の檻では一頭のクマが鉄の格子に頭を預けて足を投げ出し、物憂げな視線を外に向かって投げかけていた。
 少女が手を振りながら町を進んだ。団員たちは踊るように飛び跳ねながらそのあとを追いかけ、連なる馬車の車輪が古びた道の敷石を踏んだ。サーカスの一団は町の大通りを抜けて市場を横切り、教会や銀行の前を通り過ぎ、町役場の前で型通りに歓声を上げて町長をたたえた。それをしておかないと、たまに興行の許可が取り消しになった。やがて川岸へ出ると石造りの橋を渡って新しい住宅街の端をかすめ、川を背にした空き地へ入っていって、そこで会場の設営に取りかかった。
 団員たちは慣れた様子で大股に歩き、荷馬車からロープや木材を運び出した。ウマは馬車の轅からはずされて、すばやく用意された横木につながれた。白いロープを使って地面に大きな円が描かれ、その円周に沿っていくつもの杭が打ち込まれた。木材と木材は縄を使って結び合わされ、長さの異なる何本もの柱が組み立てられ、ロープで描かれた円の上では何枚もの天幕がパズルのように組み合わされた。柱には滑車が結わえつけられ、間もなく円の中心から長いロープが四方八方に繰り出された。団員たちはまず一本のロープに取りつき、力をあわせて引いていった。天幕の一角が立ち上がり、別のロープを引くと別の一角が立ち上がり、続いて別の一角が立ち、そうして同じことが繰り返されるあいだに陽が傾き、最後のロープが威勢のいい掛け声とともに引かれると、黄昏にきらめく光を浴びて巨大なテントが立ち上がった。
 サーカスは翌日の夜から興行を始めた。日没の直後に川辺から何発もの花火が打ち上げられ、こぼれ出た光が夜の空を鮮やかに染めた。音と光に誘われて町の人々がサーカスを目指した。友達同士で誘いあい、恋人同士で腕を組み、あるいは家族で連れ立って、さんざめくひとの流れに加わっていった。町の南と北ではサーカスまでの道順が違った。
 旧市街の南側で暮らす比較的裕福な人々は習慣によって南にかかる橋を渡った。橋を渡ったところで新しい住宅街に住む人々が合流し、見知った同士が出会うと笑みを浮かべて挨拶を交わした。旧市街の北側で暮らす比較的貧しい人々は習慣によって北にかかる橋を渡った。橋を渡った先にはさらに貧しい人々が暮らしていて、酒に酔った住人と酒に酔った通行人のあいだで汚い言葉の応酬があり、ときには見知らぬ同士が鉄拳によって挨拶を交わした。
 テントの前には開場を待つ人々の列があった。楽しそうに話す人々や、大声で話す人々がいた。祝祭めいた雰囲気に呑まれて、興奮で顔を赤くする者がいた。ある者はサーカスに関する退屈な蘊蓄を披露してまわりの者を辟易させ、ある者はサーカスが与える公序良俗への害を訴え、まわりの者の賛同を得た。賛同はしても、列を離れる者は一人もなかった。子供はすでに退屈して口をとがらせ、退屈した子供に親は怒り、若い恋人たちはひとの目を盗んですばやく接吻した。どこかで楽隊が演奏を始めた。開場を待つ行列を威勢のいいマーチが包み込んだ。
 入場が始まった。入り口に立った団員が土間と桟敷の料金を叫び、待ちくたびれた行列が吐息をもらして前に進んだ。急かす声がどこからか上り、手から手へと小銭が移った。なかへ入った者はよい席を取ろうと前へ急ぎ、円形のステージを囲むベンチの列は開演までに満席になった。物売りの少年たちが飲み物や菓子を詰めた箱を抱えて客席のあいだを歩きまわり、また手から手へと小銭が移った。
 楽団がけたたましくファンファーレの音を鳴らした。なおも騒がしい観客の前にシルクハットをかぶり、フロックコートをまとった団長が姿を現わした。団長は巨躯を誇り、それでいて優雅だった。団長は威厳に満ちた眼差しで観客席にひしめく顔を見渡し、観客は団長の威厳に打たれて口を閉ざした。静寂に囲まれたステージの中央で、団長は軽くお辞儀をして口上を述べた。観客は拍手を返し、団長はお辞儀をしながら後ずさり、その団長の両脇を抜けてピエロの一団が走り出た。楽団が陽気な曲を奏で、ピエロたちは滑稽なパントマイムで観客を笑わせ、ピエロたちが引っ込むと今度は薄物をまとった軽業師たちが現われてステージを所狭しと跳ねまわった。続いて自転車を使った曲芸があり、手品師は帽子からハトを取り出し、少女たちは走るウマの背から背へと飛び移り、観客は空中ブランコの危険な演技に息を呑み、屈強の男が鎖をちぎり、クマが踊り、ライオンは火の輪をくぐり、フィナーレでは団員たちが勢ぞろいして歌って踊った。観客は満足して席を立ち、気に入った出し物について議論を交わし、明日も来ようと仲間同士で話しあった。
 初日の興業を見物した者は二日目の興業も見物した。
 二日目の興業を見物した者は三日目の興業も見物した。
 三日目の興業を見物した者は四日目の興業も見物した。
 四日目の興業を見物した者は五日目の興業も見物した。
 五日目の興業を見物した者は六日目の興業も見物した。
 六日目の興業を見物したあと、町の人々はさすがにこれはなにかおかしいのではないかと考え始めた。特にどこかがすごいというサーカスではまったくなかった。たしかに団員たちはよく訓練され、演出もよくまとまっていたが、演目はどれもがあたりまえで、玄人筋の目をひきつけるようなものはなにもない。良く言えば穏当だが、悪く言えば平凡で、はっきり言って子供だましという以上のなにかではない。それなのに、なぜ我々は明日もまた来ようと考えているのか。
 陰謀の気配を感じる、と言う者がいた。もしかしたら会場で売られている水っぽいビールや粉っぽいジュース、値段の割には小ぶりな綿菓子などに薬物が盛られているのではあるまいか。我々はいつの間にかその薬物の中毒になっていて、薬物を求めて何度も会場に足を運んでいるのではあるまいか。
 それはない、とある者は言った。サーカスの会場で飲み物や食べ物を買うのは愚か者だけだ。賢明な者は自分で持ち込む。入り口には持ち込み禁止の立札があるが、それでも賢明な者は買ったりしないで持っていく。生活の知恵が少しでもあれば誰でもそうするはずであり、そうしないのだとすれば、そいつはまったくの愚か者だ。
 それなら俺は愚か者か、とある者は言った。
 そして俺は賢明な者だ、とある者は言った。
 殴り合いが始まった。
 いずれにしてもそこに原因はない、と言う者がいた。会場で売られている飲み物や食べ物を観客の全員が買っているわけではない。かなり多めに見積もっても三分の一がいいところだ。三分の二は持ち込み禁止の立札を無視して自分の家から持ち込んでいる。だから仮に薬物が盛られているのだとしても、全員がそろって何度も足を運ぶことの説明にはなっていない。
 心をあやつられているのだ、と言う者がいた。あの団長の眼力によって全員が心をあやつられているのだ。あの団長は魔術師だ。眼力で心をあやつる魔法を使っている。我々は心をあやつられていて、だから何度もサーカスに足を運ぶのだ。
 それはない、とある者は言った。あの団長にはたしかにひとを圧するようなところがあるが、よく観察すれば、そういうところも含めてすべてが演出だということがすぐにわかる。なかなかによくできた演出ではあるが、サーカスという空間がそもそも備えている一種のいかがわしさを利用しているだけで、賢明な者はそこを見抜く。単純な演出を真に受けて魔法だ眼力だと騒ぐのは愚か者だ。
 それなら俺は愚か者か、とある者は言った。
 そして俺は賢明な者だ、とある者は言った。
 殴り合いが始まった。
 いずれにしてもそこに原因はない、と言う者がいた。仮に団長が魔法や眼力の持ち主であったとしても、観客が団長に注目したのは初日だけだ。二日目以降は誰も団長など見ていない。団長が前口上を始めると、前置きはいい、早く引っ込め、と心のなかで叫んだはずだ。俺たちが金を払ってここにいるのはおまえの御託を聞くためじゃない、俺たちはおまえなんかに興味はない、そう心のなかで叫んだはずだ。早く美女を出せ、薄物をまとった美女を出せ、俺たちは薄物をまとった美女が脚を上げるところが見たいのだ、と心のなかで叫んだはずだ。
 そうだ、と多くの者がうなずいた。俺たちが金を払ってここにいるのはおまえの御託を聞くためじゃない、早く美女を出せ、薄物をまとった美女を出せ、俺たちは薄物をまとった美女が脚を上げるところが見たいのだ、と俺たちはたしかに心のなかで叫んでいた。
 こうなることはわかっていました、と町の夫人たちが声を上げた。サーカスは町の公序良俗にあきらかに害を与えています。風紀を著しく乱しているのです。夫たちは家庭を顧みるのをやめて、妻にも子供にも関心を失い、毎晩のようにサーカスに出かけて、早く美女を出せ、薄物をまとった美女を出せ、俺たちは薄物をまとった美女が脚を上げるところが見たいのだ、とはばかりもなく叫んでいるのです。全員が心のなかで堂々と、はばかりもなく叫んでいるのです、心のなかで堂々と。はばかりもなく堂々と。
 理由がはっきりしたので、町の夫人たちは行動を起こした。一刻を争う事態だった。すでに夜半を過ぎていたにもかかわらず、町の夫人たちは町長の家に押しかけた。寝ていた町長を叩き起こして、サーカスを町から追い出すように訴えた。町長は夫人たちの訴えを認めて、興業の許可を取り消した。七日目の朝、サーカスは町から立ち去った。

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