あるとき、町に妹たちがやって来た。
妹たちは兄を探していた。町を走り、家々をまわって戸を叩き、どこか問い詰めるような調子でこう訊ねた。
「こちらに兄がいませんか」
唐突に問いかけられて、多くの者が困惑した。ある者は妹たちに兄の名前を訊ねたが、妹たちは知らなかった。ある者は妹たちに兄の容貌を訊ねたが、妹たちは知らなかった。ある者は妹たちに罵声を浴びせ、ある者は妹たちの鼻先で叩きつけるように戸を閉ざした。
しかし妹たちはあきらめることを知らなかった。表口がだめならば裏口へまわって戸を叩き、窓ガラスに鼻を押しつけてカーテンの隙間から家のなかを盗み見た。疑いを抱けばそれを兄の気配として感じ取り、昼も夜も戸口を見張り、外へ出てくる者があれば兄との接点を求めてあとを追いかけ、出てきた家へ戻るまで決して離れようとしなかった。
路上でも通行人を呼びとめて、兄の所在を問い質した。
「兄はどこにいるのですか」
どこか非難がましくて問い詰めるようなその調子に、ある者は怒り、ある者はうろたえ、ある者はただ首を振って立ちはだかる妹たちを押しのけた。だが妹たちは引き下がることを知らなかった。沈黙には秘密の気配を、狼狽にも秘密の気配を、そして怒りにも秘密の気配を嗅ぎ取って、秘密の背後に兄の気配を感じとると押しのけた者のあとを追った。世に言うところの尾行の技術に、妹たちは長じていた。相手に気づかれることはまずなかった。息を殺して壁を伝い、足音を殺して道を渡り、絶えることなく目を光らせ、ときには先回りもして相手の行く先を見届けた。相手が気づいて逃げ始めると、妹たちは姿を現わしてあとを追った。相手が走り始めれば妹たちも一斉に走り、相手が角を曲がれば妹たちも角を曲がり、相手が障害物を跳び越えれば妹たちも一斉に跳んだ。妹たちのすばらしく見事な跳躍ぶりは、それを目撃した者にとって一生忘れられない光景となった。
戸口をまわり、町を見張り、妹たちは探し続けた。ひとに問いかけ、ひとを追いかけ、隠れ家になりそうなあらゆる場所をしらみつぶしに調べていった。世に言うところの捜索の技術に、妹たちは長じていた。カンテラを手にして下水にもぐり、橋の下に身をくぐらせ、誰も住まないあばら屋に踏み込み、腐った板塀の陰を覗き、藪に向かって石を投げつけ、木のうろに棒を突っ込んだ。街角に置かれたゴミ箱も調べた。荷馬車をとめて荷台の荷物を検分した。夜になれば松明を連ねて眠りを求める町を走り、路地の奥の暗がりを燃え盛る炎の明るい光で照らし出した。調べるところは山ほどもあった。だが妹たちは疲れることを知らなかった。間もなく秘密の場所はあまさずに暴かれ、物陰のいかがわしい安らぎはことごとくが失われ、やがて妹たちを恐れるあまり、路上からひとの姿が消え失せた。ウシは乳を出さなくなり、ニワトリは卵を生まなくなった。
町は暗い影に覆われていた。もはや座視することはできなかった。そこである晩、町の重鎮たちが町長の家に集まって、取り得べき対策を協議した。まず商工会議所の会頭がこのように言った。
「逮捕すべきだ」
すると警察署長が立ち上がり、制服のしわを伸ばしながらこのように言った。
「残念ながら、兄を探したという理由だけでは逮捕することはできません。逮捕しようと思ったら、たとえば殺したとか盗んだとか、あるいは傷を負わせたとか、もっとはっきりとした罪状が必要です。ご存知のように我が国の刑法は著しく繊細さを欠いていて、このような場合にはなんの役にも立たないのです」
「それならば」と判事が言った。「思想を問えばよいのです。たしかに我が国の刑法は通常犯罪に対しては著しく繊細さを欠いていますが、危険思想の取り締まりに関しては実に柔軟かつ繊細で、どのような状況にも対処できるようになっています。刑法の第五十八条を適用して、思想犯として逮捕するのです」
「いやいや、思想犯ではないでしょう」と町長が口のひげを引っ張った。
「いかにも、思想犯とは思えませんな」と警察署長がうなずいた。
「思想犯です」と判事が言った。「そうに違いありません。実はそもそもの始まりから、わたしは怪しんでいたのです。いったい兄とは何者ですか。なぜ隠れているのですか。姿を現わそうとしないのは、そうできない理由があるからではありませんか。おそらく、兄は革命家です。妹たちは革命の扇動者です」
「逮捕すべきだ」と商工会議所の会頭が言った。
「いますぐにも」と判事が叫んだ。
「いやいや」と町長が口のひげを引っ張った。「仮に兄が革命家だとしても、妹たちが革命の扇動者であるとは限りません。もしかしたら現体制の守護者として、革命家の兄を家に引きずり戻そうとしているのかもしれません。だとすれば味方を逮捕することになる。それよりも、兄を探すことはできませんか」
「我々が、兄を探すのですか」と署長が言った。
「そうです。兄を探すのです」と町長が言った。
「考えられん」と判事が叫んだ。「それでは革命家どもに手を貸すことになってしまう。いずれは我々を滅ぼすと息巻いている連中に、手を貸すことになるのですぞ。そんなことは許されない。わたしは断固として反対する。それよりも五十八条を適用することです。そしてこの町から追い出してしまうのです」
「いやいや」と町長が静かに首を振った。「革命家として逮捕すれば騒ぎが大きくなるでしょう。わたしはそれを心配しています。新聞にこの町の名前が掲載されて、それを見た革命の支援者たちが全国から押し寄せてきて、そして兄を探し始めることになるのです。そのような状況は、想像したくありません」
「全員逮捕すればよいのです」と判事が叫んだ。
「逮捕すべきだ」と商工会議所の会頭が言った。
「いやいや、兄を探し出すほうが安全です」と町長が言った。
「しかし、どこで見つかるというのですか」と署長が叫んだ。
ちょうどこのとき、一人の男が町長の家を訪れた。町長夫人は男の汚れた靴に気がついて、玄関で泥を落とすようにと要求した。男は町長の書斎にとおされて帽子を取り、町の重鎮たちに頭を下げて挨拶し、それから自分は監獄の看守であると言った。
「用はなにかね」と町長が訊ねた。
「それがですね」と看守が言った。「どうも、心当たりがあるようなんで」
「なんの話だね」と町長が訊ねた。
「ですからね」と看守が言った。「あれじゃねえか、って気がするんで」
「さっさと用件を言いたまえ」と判事が叫んだ。
「逮捕すべきだ」と商工会議所の会頭が言った。
看守はすっかり脅えて話し始めた。看守の話は要領を得ず、判事は苛立ち、商工会議所の会頭は逮捕すべきだと繰り返したが、その看守の話によると監獄の地下深くに誰も知らない監房があって、そこには一人の男が誰も知らない昔から監禁されているという。もしかしたら、それが兄なのではあるまいか。
「なるほど」と町長が言った。「では、調べてみましょう」
判事と商工会議所の会頭は同行を断ったので、町長と警察署長の二人が町の監獄を訪れた。看守を案内に立てて門をくぐり、カンテラの光を頼りに石段を下り、石積みの巨大な建造物の最下層に到達すると、暗闇に浸る長い廊下を奥へ奥へと進んでいった。やがて一行は鉄枠のはまった一枚の扉の前で足をとめた。看守が鍵束を出して鍵を開け、音を軋ませながら古びた扉を押し開けた。
開けるのと同時に光があふれた。看守はカンテラを掲げたまま目をかばって後ずさり、町長と署長はその場に立って息を呑んだ。町長は署長になかへ入るようにとうながしたが、署長は激しく首を振って退いた。町長が監房に入っていった。内部はまばゆく輝く白い光で満たされていた。だがランプも松明も見当たらない。光源のあるべき場所には一人の男がたたずんでいて、緩やかな衣装をまとってひだをたくわえ、驚くほど若々しい顔には口と頬にひげをたくわえ、どこまでも澄んだ瞳で静かに町長を見つめていた。
「あなたはいったい」と震える声で町長が訊ねた。「誰なのですか」
「恐れることはありません」と落ち着いた穏やかな声で男が答えた。
それから男は両手を差し上げ、天井を見上げてこのように言った。
「見よ、道は開かれた」
そして両手を垂らすと、床の上を滑るように歩き始めた。町長は飛び退くようにして男のために道をあけた。署長も看守も男のために道をあけた。男は監房を出て廊下を進み、うずくまる闇を輝く光で追い払った。町長と署長があとを追った。音もなく石段を登る男にまばゆく輝く光がしたがい、石積みの監獄は脱獄を見張る看守たちの手をわずらわさずに、男の前で門を開けた。
待つほどもなく妹たちが集まってきた。松明を手にすることもなく、カンテラを手にすることもなく、まるで影から抜け出した闇のように集まってきて、光に包まれた男を囲んだ。妹たちは問い詰めるような調子で暗い声を叫んでいた。叫びながら袖をまくり、光のなかへ手を差し入れた。すると光は妹たちの手をはじき、はじかれた手は火に触れたときのように焼けただれた。妹たちは痛みを訴え、絶叫を放った。妹たちは泣きじゃくり、あるいは男に罵声を浴びせ、それでも執拗に光のなかに手を入れて、その手を焼かれてまた叫んだ。間もなく男は町の外を目指して歩き始めた。妹たちはざわめきながら、足並みをそろえてそのあとを追った。男は妹たちを引き連れて町から離れ、彼方へと延びる街道を進み、やがて一切はかすかに見える白くにじんだ点となった。その点が地平に消えたとき、町長が署長にこのように言った。
「いやはや。これはつまり、どういうことだったのですか」
「わかりませんね」と署長が言った。「興味もありません」
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