2008年 日本 238分
監督・脚本:園子温
カトリックの家に生まれたユウは小学生の頃に母親を亡くし、父親テツはユウが高校生となる頃に神父となり、父親と息子は司教館で暮らしていたが、そこへカオリと名乗る女が現れて父親を誘惑し、結婚を迫るので誘惑に負けたテツは別宅にユウとカオリを住まわせるが、間もなくカオリは姿を消し、テツは息子に罪を求めて告解を迫り、生来温和なユウは父親を喜ばせるために罪を作り、不良グループの仲間となって喧嘩や万引きなどをしていたが、聖職者から見てもっとも罪深い罪ということで仲間から入れ知恵されてパンチラの盗撮をたくらんで、その道の達人から特訓を受けてすぐに名人の域に達するものの、当然、父親からは勘当同然の扱いを受け、そのことによって神父と信徒のあいだの関係が消え、父子関係がよみがえったなどと喜んでいるうちに再びカオリが過去の男の連れ子ヨーコを連れて姿を現してテツとの関係回復を求め、そのヨーコは謎の集団に襲われて通りかかったユウに救われ、そもそも自分のマリアを探し求めていたユウはヨーコにマリアを発見するが、実はユウの周辺では邪教ゼロ教会の魔手が迫り、その支部長のコイケは神父を教団に取り込むことで一挙に雑魚信徒を稼ぎ出そうとたくらんでいて、ユウの前にヨーコが転校生として現れたに続いて自らも転校生となって現れ、ユウとヨーコの関係を撹乱し、ユウの所業を暴き、ユウが家から追い出されたのを機に一家を教団に引きずり込むので、事情を知ったユウはヨーコを救い出すために仲間とともに活動を始め、とりあえずヨーコの奪還に成功するが、結局は自身も教団に捕らわれて修行を受ける身となり、今度は内部から情報に近づいて準備を整え、単身、教団本部に乗り込んでいく。
ほぼ四時間の長尺だが、明瞭なキャラクターとリズミカルな場面つなぎ、パワーのある演出と細部への丹念な作り込みのおかげで退屈しない。主筋だけに注目すればおかしいところがけっこう目立つし、オウム真理教に酷似した教団の層に厚みがないといった欠点も見える。好みからすればややラディカルだし、象徴表現がやや単調だし、性的な表現に寄り過ぎてもいるが、プロセスをなおざりにせずに細部を描き込んだ結果としての四時間であり、それを緩ませもせずにまとめ上げた技術と体力はたいへんなものであろう。作り手のこだわりが見え、充実感がひしひしと伝わってくるのは、とにかくうれしいものである。
Tetsuya Sato