Master and Commander: The Far Side of the World
2003年 アメリカ 138分
監督:ピーター・ウィアー
1805年。ジャック・オーブリーが率いる28門搭載スループ艦(?)「サプライズ号」はフランスの私掠船「アケロン号」を追って大西洋を南下していた。そして霧の中で「アケロン号」による奇襲を受け、舵板を損傷して航行能力を失った「サプライズ号」は艦載ボートに曳航されて霧の奥へと脱出する。44門搭載のフリゲート艦「アケロン号」(ヘルマフロダイト・スクーナーという設定か?)に比べると、「サプライズ号」は攻撃力の点でも防御力の点でも、さらに速力の点でも大きく劣っていたのであった。そんな船をなぜそんな任務に送ったのか、と見ているこちらは海軍本部の意図を疑いたくなってくるのであるが、もちろんジャック・オーブリーは観客のそんな疑いくらいで任務を放棄するようなことはしない。なにしろ、まだ映画の冒頭が済んだばかりなのである。
修理が終わった「サプライズ号」はなおも「アケロン号」を求めて南米大西洋岸を進んでいくが、すでに大きく距離を置いているはずの「アケロン号」が再び現われて風上をふさぎ、「サプライズ号」は夜の闇に逃れた上で、さらに欺瞞を使って「アケロン号」の背後へまわる。風上を取られた「アケロン号」はホーン岬を目指してひた走り、「サプライズ号」もこの吠える岬へと突っ込んでいく。ホーン岬を脱した「サプライズ号」は「アケロン号」の手がかりを求めてガラパゴス諸島へ接近し、英国捕鯨船が襲われているという話を聞いて索敵活動のために進発する。だが、その途上で軍医がとてつもなくつまらない理由で銃創を負い、ジャック・オーブリーは親友を救うために追跡をあきらめてガラパゴスに寄港する。だが「アケロン号」もまた、そこにいたのである。そして大自然の神秘がジャック・オーブリーに戦術を与え、「サプライズ号」は欺瞞を用いて「アケロン号」に立ち向かい、「アケロン号」もまた必要に応じて小技を利かせて「サプライズ号」に立ち向かう。
パトリック・オブライアンの『ジャック・オーブリー』シリーズからの映画化である。原作と同様、採用された歴史的なリソースが適当な解釈をされないまま、ただ垂れ流しにされているだけで、人物造形やプロットに何か魅力や面白みがあるわけではない。つまり原作小説が小説という意味では決して小説ではなかったように、映画のほうも映画という意味での映画を目指していない。もっぱら海上生活の再現に重点が置かれていて、だから食事の風景は艦長から水兵まで登場するし、パンにはコクゾウムシがたかっているし、戦闘配置になるとちゃんと隔壁を片づけるし、浸水すればみんなでポンプを動かすし、キャプスタンは重そうだし、索具が被弾すればロープがとんでもない状態になって垂れ下がるし、船体が被弾すれば木片が恐ろしい勢いで飛び散っていく。戦闘シーンはかつてないほど素晴らしいし、ホーン岬を越える「サプライズ号」というのも素晴らしい絵になっていた。船内の狭さ、人間の立て込みかたまでが実に丁寧に映像化されていて、だからこちらは映像の寄せ集めをただ寄せ集めとして楽しめばいいのかもしれない。とはいえ、寄せ集めるために不自然なプロットが採用されているというところには、どうしても反発を感じてしまうのである。似たようなプロット(戦闘力で倍の敵艦)ならばセシル・スコット・フォレスターの『パナマ沖の死闘』のほうがよほど面白いのではないかと思うのだが、エル・スプレモとかレディ・バーバラとかを登場させて、話を帆船から引き離すのがいやだったのかもしれない。
Tetsuya Sato