2014年8月1日金曜日

異国伝/動員の原理

(と)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。同じ理由で歴史からも黙殺を受け、足跡を残す機会を失って時の流れの彼方に置き去りにされた。地図製作者たちや案内書の執筆者たちの怠慢はともかくとしても、歴史学者たちの不見識は犯罪として糾弾されるべきであろう。なぜならばその国で、人類は最初の市民革命を経験していたからである。
 今となっては名も知られていないその国は、古来より一人の王によって統治されていた。歴代の王はいずれも輝くばかり美貌を誇り、国民は王の美貌に目がくらんで理性の光を見失った。言われるままに税を支払い、時には過酷な労役に服し、戦となれば兵士となって王のために命を捧げた。王は国民の父であったし母でもあった。夫でもあったし妻でもあった。加えて息子や娘であることもあったが、何よりも国民の恋人であり、道徳を超越した姦通の神なのであった。王族がそのまま美貌の血統を保っていたならば、この野蛮な熱狂に終わりがくることもなかったであろう。
 最後の王は美貌ではなかった。醜いというわけでもなかったようだが、いささか好みの分かれるところであったのは間違いない。
 王が即位すると同時に国民は二手に分かれて争いを始めた。少数の一派は王に対して忠誠を誓い、多数を占める一派は夢から覚めたように自由を叫んで王制の廃止を要求した。少数派が武器を集めて王宮にこもれば多数派は数を頼みに王宮を取り巻く。すっかり取り巻いてもなお余ったので、多数派の残余は憲法制定会議を開いて人権の確立を急ごうとした。蘇った理性の光が自然の状態に置かれた人間の姿を照らし出し、万民の平等を告げたのである。会議の場では激しい議論が戦わされ、議論の結果に基づいて速やかに世論が形成されていった。新聞が発行され、識字率向上のための教育問題が討議され、茶を出す店が町に並んだ。裏切り者が告発されて死刑に処され、早くも外国の陰謀が囁かれる。主権はすでに国民に移り、会議場に集まった多数派は全会一意で過去の遺物の精算を決めた。国民義勇軍は王宮に向かって進撃を開始し、理性に見放された少数派はたちまちのうちに算を乱して逃走する。王はわずかな手勢とともに隣国へ逃れ、隣国の王を動かして報復しようと企んだ。疫病のような力を持った悪しき理性が蔓延すれば、いずれここも無事ではなくなる。そのように言って脅したので、隣国の王は心を動かされて腰を上げた。
 警鐘が全国で鳴り響いた。外国からの侵略に備えて、各地で義勇軍の募集が始まった。装備はないに等しく烏合の衆も同然であったが、士気だけは高い。祖国という言葉が発明され、祖国を守るために隣国へ攻め込むことにした。そしてまさにそうすると敵軍は予期しない攻撃に驚いて潰走し、味方は歌声も高らかに凱旋を果たす。我が祖国は無敵であると、誰もが確信した。王の反撃は失敗に終わった。理性の共和国が誕生した。選挙がおこなわれて議員が選ばれ、議会が開かれて新しい閣僚が選ばれた。そして政府は次なる王の反撃に備えてすぐさま準備に取りかかった。
 ところが反撃の第二弾はなかったのである。隣国に逃れた王はそこで不遇のまま生涯を終えた。隣国は敗北の屈辱を晴らそうと度々侵略を企てたが、敗北の記憶が枷となって実際に国境を越えることは一度もなかった。しかしながら隣国の威嚇的な行動は、無敵の共和国の国民を怒らせるのに十分であった。世論に押されて招集された議会は開戦の決議をおこない、ただし理性が曇っていない証拠として、これは侵略ではなく予防的な措置であるとの説明を加えた。
 政府はただちに動員令を発動した。これこそが王の反撃に備えて整えた準備の成果にほかならない。万民平等の原則に基づいて、大胆な国家総動員体制を整備していたのである。当初の計画では兵役該当者の三分の一に動員をかけ、国境線に沿って展開を進めながら威力偵察を繰り返して隣国の反応を見るということになっていた。
 ところがいつまで待っても動員が終わったという報告がない。不安を覚えて調べてみると、計画された動員はすでに完了していることが判明した。続く三分の一も間もなく完了する予定であり、残る三分の一も速やかに動員されつつあった。平等の原則が限定された動員を拒んだのである。
 一方、隣国は共和国側の動員状況をただちに察知し、同じように動員令を発令した。市民革命にはまだ遠い段階にあったが、祖国という単語と動員体制は都合よく輸入していたのであった。周辺諸国にも声をかけて同盟を結び、共和国を撃退すべくそろって強固な防衛線を整えた。
 やがて戦端が開かれ、共和国の兵士たちは平等の原則にしたがって死んでいった。勝利はどこにも見えなかったが、共和国は惜しまずに兵士を投入していった。王の時代に魂は財であったが、理性の時代にあっては一枚の書類に過ぎなかったからである。兵役該当者が拡大され、老人やこどもが動員の対象となっていった。男たちが死に絶えると、女たちが戦場へ向かった。そして女たちが死に絶えた後、共和国には閣僚と議員だけが残された。残された者は議会に集って理性の敗北を宣言し、王たちの連合は軍勢を進めて光を失ったその国を荒野に変えた。歴史はこの事実を記していないので、多くの者が学ぶ機会を逸して革命の後に悲劇を演ずる。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.