(ゆ)
その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。記録に残されているその国の住人の主張によれば、地図や旅行案内書に記載がないのは国が小さいからではなく、実は近隣諸国が謀略を用いて彼らの祖国の抹殺を企んだからであった。文字どおり地図から消し去ろうとしたというのである。別の記録は版元の反論と近隣諸国の反論を伝えている。版元の反論によれば、その国の名前が地図から落ちているのは一般的な不手際が原因であり、案内書の目次にないのは日常的な労力の不足が原因であった。その証拠として記載から善意によって抜け落ちている複数の国名を挙げ、謀略の存在を否定している。近隣諸国もまた、いかなる謀略も存在しないという主旨の反論をしている。その内容を要約すると、地図から消したところでそこにあるという事実は変更できないし、変更できない以上は無駄な努力をしたくないということになる。それにそもそも地図に載っていないではないかという過激な発言も収録されているが、これがどの国の代表の口から発せられたのかは明らかにされていない。
謀略の存在を指摘した人物は、具体的な結果こそ得ることはできなかったものの、帰国してからはその勇気を称えられた。終身愛国者の称号を受け、国家における指導的な地位を提供された。いくつもの集会に招かれ、それぞれの集会では演説を請われ、会衆を前にして自分がいかに近隣諸国を論破したかを語って聞かせた。聴衆は拍手喝采した。論破されたにもかかわらず近隣諸国はいかなる反省の色も見せなかったというくだりでは、集会場に緊張が走った。外国の横暴を許すなという囁きが広がり、若者たちは戦争すらも辞さないと呟いて顔をうつむけた。戦争という一語によって集会場はなぜかもじもじとした空気に満たされたので、演説者はここで話題を変えた。最大の問題はその国に独自の地図がないことであった。外国の陰謀によって生み出された誤った地図が、その国の青少年の心を激しく歪めているのであった。若者の心に誇りと勇気を取り戻すためには国民の手によって作られた新しい地図が必要であると訴えた。新しい地図はその国の存在を全世界に向かって高らかに告げるだけではない。国民すべての心に愛国の炎を灯す素晴らしい物語でなくてはならなかった。
終身愛国者を中心に団体が結成され、新しい地図を作る作業が始められた。首都に本部が置かれ、地方組織が展開された。それぞれの地方組織には有志からなる測量隊が配置され、いずれも勇猛果敢な測量隊は図書館や学校に襲撃を加えて誤った地図を摘発し、広場に集めて火を放った。一連の光景を目撃したその国の地理学者や測量技師は地図製作に関わる若干の技術的な問題を指摘したが、終身愛国者とその周辺はこれに等しく嫌悪感を表明した。国民の地図は、旧来の方法では作成できないという信念があったからである。証明されるべきなのは測量の技術ではなく、愛国的な勇気なのであった。だが同時に支援者から寄付を募り、秘密裏に測量器具を購入することもした。測量隊の面々は真新しい測量器具を背負って山野をめぐり、参考書を頼りに点を定め、点と点の間の距離を測った。そうしている間に国内ではあの地図は完成しないという噂が広まり、広まるにつれて国民の関心が揺らぎ始めた。終身愛国者は噂を否定し、噂の出所は外国の走狗となった反逆的な団体であると主張する一方、決定版に先立つ暫定版と断った上で新しい地図の公開をおこなった。
そこに示された新たな国境線に、まず近隣諸国が反応した。いくつかの線が問題とされ、事実上の侵略行為であると非難された。国内の学者や技師も眉をひそめ、科学的な根拠の提出を要求した。これに対して終身愛国者は科学的根拠の提出を拒み、国境線の形状は愛国心の発露としてもたらされたものであり、真の国民であればその形状は自ずと理解される筈であると説明した。この地図は国内及び近隣諸国で発売され、問題の文書として多くのひとが買い求めたが、信頼に値しないという批判と暫定版であるという作成者自身の保留があったことから、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
測量の開始から数年を経て、新しい地図の決定版が公開された。意外なことに、決定版の国境線は暫定版の国境線よりも大きく後退していた。新しい国境は自然が与えた線よりも内側にあり、歴史的な合意よりも内側にあったのである。支持者たちは指導者の勇気を賞賛した。勇気がなければそんなことはできない筈だからである。だが国内の専門家はその素人仕事ぶりを嘲笑し、一般に有識者と目される人々は国益を損なったとして批判した。そして近隣諸国もまた、ただ事実を歪めているというそれだけの理由で厳重な抗議をおこなった。そこで終身愛国者とその周辺は国内にあるいくつかの団体の名を挙げ、外国の走狗となって国内世論を否定的な方向へ導いていると非難した。完成した地図は賛否両論がある中で地図として発売され、国内及び近隣諸国で多くのひとが買い求めたが、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
さて、その国がそのような状況にあった時、長らく不在であった王がその軍勢とともに帰還を果たした。不在であった理由は判然としないが、一説によると不在だったのではなく最初からそこにいたのであり、不在であるかのように見えたのは国民が三世代を費やして王とその軍勢の抽象化を進めていたからであった。いずれにしても王は戻り、領土の縮小を知って激怒した。兵を送って終身愛国者を捕えさせ、玉座の前に引き出して説明の機会を一度だけ与えた。終身愛国者は王に向かって国を憂える心を説き、さらには国の愛する心を訴えたが、王は応えてこのように言った。
「朕が国家である」
ついで王は罪人を叩くための棍棒で愛国者を殴らせ、兵士の身分を与えて軍に送った。それから軍の指揮官たちを呼集して軍議を開き、国境線回復のための作戦を練った。すでに近隣諸国が新しい地図の国境線に沿って兵を配置していたからである。間もなく戦争が始まった。諸国は矢継ぎ早に動員令を出して徴兵を強行し、いくつもの軍団を編成して端から戦場へ送り込んだ。戦争は長期にわたる泥沼となり、多くの者が死の淵に沈んだ。そして国境線もまた泥にまみれて混沌とした状態になってくると、諸国は和解の時期に達したことを悟ってそれぞれの古い地図を取り出した。
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