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その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。自然に目立つということもない国だったので長らく歴史から黙殺されていたが、東方の大国との間に新しい通商路が開拓されるとにわかに注目を浴びるようになった。その国が砂漠の入口に位置していて、隊商の補給に絶好の立地を備えていることがわかったからである。そこで西方にあった大国の一つはその国に使節を送り、説得と強要を用いて門戸の開放を迫ることにした。使節には弱小国の説得にもっとも長けた者が選ばれ、使節団には強要に適した精鋭の兵士たちが随伴した。それでもいくらかの者は情報の不足を理由に上げて若干の困難を予測したが、困難は解決可能な範囲にあるという点で異論を唱える者は一人もなかった。そして使節団は出発し、間もなく現地に到着すると驚くべき報告を本国にもたらしたのである。
「あそこです。最初に見た時にはあの丘の辺りにあったんです。ところがわたしたちが近づいていくといきなり動き始めて、向こうに見えるあの小さな丘の陰に隠れてしまいました。ええ、もちろんそこまで行ってみましたよ。脅かすことがないように、できるだけ静かに接近したんですが、着いた時にはもうそこにはありませんでした。わたしも長年にわたって小国を相手にしてきましたが、このような事態は初めてで、実を言うと少々驚いています。そうですね、なんというのか、これは普通の外交関係で見ることができる国の動きではありません。しかしながら、ご安心ください。外交には忍耐が付き物ですし、忍耐さえ失わなければ問題は必ず解決できるのです。なんですって? ああ、今は全員で手分けをして探しているところです。ええ、まだ見つかっていません」
捜索の間にその国はさらに何度か目撃されたが、接近に成功するには至らなかった。軍隊を嫌っているのかと考え、一度は使節が単身で接近を試みた。この時にはかなり近づくことに成功し、城壁の上でひとが動いている様子を見ることもできた。だが後一歩というところでとんでもない速さで逃げ出して、地平の彼方に身を隠したのである。
本国の人々は報告の内容をまず疑い、それから使節の性格と能力を第三者機関の審査に委ね、信頼に値するという評価を待って使節団に訓令を送った。
「状況を外交関係の拒絶と判断する。説得を断念して強要に全力を傾注すること」
そこで使節団では四方に熟練の斥候を放ち、本隊には十全の戦闘準備を整えさせた。発見の報せがもたらされると全隊が全力で追撃したが、敵は腹が立つほど俊敏で瞬時に彼方へと遠ざかる。それをまた追うという繰り返しで追撃はしばしば一昼夜に及び、多数の兵士が疲労と渇きで脱落した。拾い上げた者は渇きを訴え、拾い上げる前に砂漠の砂に沈む者も多かった。使節団は損害の大きさに目を回して作戦継続の困難を本国に訴え、本国は返答を与える代わりに増援を送った。
いくらかの増援を得たことによって現地部隊の士気は高まったが、それも束の間のことで作戦が再開されるとすぐに厭戦気分が蔓延した。兵士たちは蜃気楼にも等しい敵を呪い、砂漠の渇きを恐れて反抗的な態度を取るようになった。報告を受け取った本国は使節団の文民統制に重大な問題があると考え、将軍を新たな責任者に任命して大軍とともに現地へ送った。
現地に到着した将軍は作戦に大きな変更を加え、全軍からいくつかの機動部隊を編成した。多方面へ同時に展開して目標を各個に捕捉し、強要を速やかにおこなうためである。砂漠へ送り出された機動部隊はそれぞれが四方に斥候を放ち、発見の報せがもたらされると全力で追撃した。追撃の間に多数の兵士が疲労と渇きで脱落し、反抗的になった兵士はいくつかの部隊で反乱を起こした。幸いにも反乱は速やかに鎮圧されたが、ここに至って本国は現地部隊への信頼を失い、直接の指揮に乗り出した。本国の参謀たちが前線を見ずに作戦を練り、その計画書を空前絶後の大部隊とともに現地へ送った。
作戦の名前は大包囲撃滅戦であった。発見して追撃するのではなく、包囲して追い詰めるのである。包囲するからにはまず目標の捕捉が必要とされたが、それが不可能なので砂漠そのものが包囲と対象となっていた。大量の兵士を砂漠の四周に配置し、中心に向かって進めていけば必ずどこかで捕捉できるという発想である。
兵士にとっては幸いなことに、この作戦は実行されなかった。実は作戦の検討が始まった段階で、そもそもの目的を思い出した人々が秘密裏にある計算に取りかかっていた。その計算の結果によれば、作戦に投入される資金の数万分の一で独自に補給基地が開設できるという。計算をおこなった人々とは軍の参謀に憎悪を抱く文官の集団であったとされているが、いずれにしても砂漠での軍事行動はすでに国家財政に重大な支出を強いていた。作戦はただちに中止され、軍隊は本国に帰還した。
新たな計画にしたがって、砂漠には間もなく補給基地が作られた。隊商の便宜をよく考慮した見事な基地であったが、砂を蹴立てて突進してきたある小国に踏み躙られて消滅した。何度再建しても踏み躙られるので、軍は報復を求めて討伐軍の派遣を主張した。文官たちの主張は交易路の変更であった。喧嘩腰の議論の末に軍の主張は退けられ、交易路は遥か南に変更された。だから砂漠のどこかには、まだその小国がさまよっているという。
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