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その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。知られることの少ないその国では古くに内戦が起こり、国を二分した争いは数世代にわたって続けられたという。事の起こりは定かではないが、噂のとおりならば民族間の対立に原因があった。
その国の北半分には、白首族と呼ばれる人々が暮らしていた。そして南半分には、赤首族と呼ばれる人々が暮らしていた。
白首族は平和を愛する人々で、小さな家を花で飾り、家の戸口を色付きの玉を使ったすだれで飾り、緩やかな衣服を身にまとって部屋には香を炊き込めていた。自足を目指して昼の間はのんびりと働き、夜には草を燃やして煙を吸った。平和を愛してはいたが男女の交わりには慎みがなく、ただし産まれてきた子には分け隔てなく愛を与えた。皆で野原に集まって、鳩を空へ逃がすということもよくやった。逃がすための鳩はあらかじめ赤首族の猟師から買っておく。そうすれば手を汚さずに済んだからである。
赤首族は飲酒を愛する人々で、小さな家で酒を造り、家の戸口は近づく余所者を拒んで頑固に固め、汚れた衣服を身にまとって部屋には悪臭をこもらせていた。自足を目指して昼の間はのんびりと働き、夜には集まって大酒を喰らった。酒を愛してはいたが、一方では高度なガラス製造技術を備え、工房では大量のガラスの瓶が作られていた。輸出していれば莫大な収入をもたらしたことは間違いないが、赤首族はガラスの瓶に酒を詰め、酒を飲み干してしまうと空き瓶を木に投げつけて割って喜んでいた。
白首族と赤首族の対立がどのようにして始まったのかは知られていない。白首族は煙を吸い込むと記憶の大半を失ってしまうし、赤首族は酒浸りなのでそもそも何も覚えていない。それでも双方の部族に残されていたわずかな記憶を総合すると、先に手を出したのは赤首族の方であった。
ある時、白首族の遠縁にあたる二人の若者が奇妙な格好の動物にまたがり、この動物は鹿であったとされているが、遠方からその国を訪れると近道をするために赤首族の居住地を通り抜けようとした。赤首族は見慣れぬ動物に恐怖を感じ、二人の若者にも激しい不審を感じたので、襲いかかって殺してしまった。そしてそれで勢いをつけた赤首族は白首族の居住地に攻撃を加え、長く続く因縁の発端を作ったという。
争いは数世代にわたったが、主導権は常に赤首族の側にあった。戦いの火蓋は赤首族の酔った勢いによって切られていたからである。勝利も常に赤首族の側にあった。赤首族が得物を手に手に襲いかかると、白首族は一輪の花を手にして立ち向かったからである。にもかかわらず決着がつくことがなかったのは、戦いの途中で赤首族の男たちが次々に戦線を離脱し、家に帰って寝てしまったからだとされている。だが、いずれにしても白首族に分がないのは明らかであった。
さて、内戦の末期のことである。白首族の族長が病に倒れ、青痣という名の若者が新しい族長に選ばれた。それまでの族長は歩く時に左へ左へと傾ぐ傾向があったが、青痣に限っては不思議なことに右へ右へと傾く傾向があったという。青痣は族長となるや否や、それまでの赤首族への対応を敗北主義と呼んで糾弾し、これからは新しい方法を導入すると宣言した。早速、力の強い者を三人選んで赤首族の居住地に送り、一方では残った者たちに戦いの方法を伝授した。送り出された三人が赤首族の一人を捕えて戻ると、青痣は皆を集めて実験を始めた。
白首族の者たちは男も女も肩を並べて車座となり、手首を縛られた赤首族の男は車座の中心となる広い円の中へ放り込まれた。赤首族の男は赤い目を剥いて唸りを上げる。そこへ青痣は足早に近づき、男に向かってこのように言った。
「話せ」
赤首族の男は唾液を飛ばし、青痣を口汚く罵った。青痣は素早く退き、それと同時に白首族の男や女が赤首族の男に小石や腐った食べ物を投げつけた。
「話せ」
青痣が再び命じると、周りの者たちも声をあわせた。
「話せ」
「畜生めが」
罵りを返した赤首族の男の身体に、またしても石や食べ物が降り注いだ。
「包み隠さずに言ってしまえ」
青痣がそう叫んで詰め寄ると、いくつかの小石が四方から飛んだ。そのうちの一つが赤首族の男の額に命中し、切れた皮膚の下から血が滴った。赤首族の男は血を見て脅え、身を縮めながらこのように言った。
「わかった」
だがそこへも小石の雨が降り注ぐ。
「わかったって言ってんだろ」
小石の代わりに罵声が飛んだ。白首族は男も女も口を開いて、赤首族の男に罵りの言葉を浴びせかけた。赤首族の男はいよいよ脅え、青痣にすがるような目を向けてこのように言った。
「だから話す。話すってば」
ところが青痣は赤首族の男に背を向けた。
「こいつに話ができると思うか?」
一族の者にそう尋ねると、一族の者は声をあわせてこう答えた。
「できるもんか」
それからまた罵声を浴びせかけたので、赤首族の男は降伏した。
「わかった。降参だ」
すると青痣は赤首族の男の胸倉を掴み、荒々しく揺さぶりながら顔に顔を近づけてこのように言った。
「そうなのか? 降参なのか? おまえはそれでおしまいなのか? それでおまえは満足なのか? おまえには言うべきことがある筈だ。胸に秘め隠している魂の叫びがある筈だ。我々が聞きたいのはおまえの魂の叫びなんだ。話すのはおまえじゃない。おまえの心なんだよ。心を開け。内なる叫びをその間抜けな半開きの口から出してみろ」
一気に言って、赤首族の男を激しく地面に打ち据えた。
「わからねえ」
赤首族の男がそう呟くと、青痣はまた胸倉を掴んでこう続けた。
「大酒飲みのうすのろめ。これはおまえの問題なんだ。おまえの魂の問題なんだ。目を閉じて自分の心に触れてみろ。できないなんて筈はない。できないならおまえはとんだ屑野郎だ。見下げ果てた屑野郎だ。言われたままで悔しくはないのか。悔しいだろう。涙なんか流すんじゃない。悔しいならやってみろ、やってみるんだ、屑野郎」
青痣が言葉を切ると、赤首族の男はふらふらと立ち上がった。なんとかして逃げ出そうと試みるが、密集する敵の間に退路はない。円陣の中を右へ左へと闇雲に走り、その後を青痣が追って心を開けと拳を上げる。逃げる先では男や女が赤い口を開いて思いつく限りの罵声を浴びせた。
実験は日暮れに始まり、夜を徹して続けられた。東の空が白む頃には赤首族の男は半狂乱の有様となり、わけのわからぬ叫びを放つと遂に地面に突っ伏した。倒れたところへ青痣が寄り、助け起こすとこのように言った。
「もう大丈夫だ。君はよく頑張った」
「みんなが俺を苛めるんだ」
「そんなことはない。ほら、この拍手を聞いてごらん」
頭を上げて耳を澄ますと、周りから大きな拍手の音が聞こえてきた。歓声も聞こえた。白首族の男や女が笑みを浮かべ、手を叩いて赤首族の男を称えていた。青痣は赤首族の男を抱き締めて、優しい声でこのように言った。
「よくやった。本当によくやった」
赤首族の男は目に涙を浮かべて、青痣の腕にしがみついた。
「離さないでくれ。俺を離さないでくれ」
「大丈夫だ。わたしはずっとここにいる」
「俺も、俺も、ここにずっといたい」
「君はずっとここにいていいんだよ」
青痣はこの方法を使って赤首族の一人ひとりを懐柔し、白首族を勝利に導くつもりであったとされている。右に振れて敗北主義からの脱皮を目指したものの、平和主義の一線を越えることはできなかったのであろう。危険を察知した赤首族は早朝の時間帯を選んでしらふの者を駆り集め、白首族の村を急襲した。その最後の戦いで内戦は終わり、白首族は国に居場所を失った。ただ白首族の村は今も残り、無人となった家の戸口に下がる壊れたすだれが内戦の惨禍を伝えている。
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