2014年8月7日木曜日

異国伝/粘着の度合

(ね)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところがその国の隣にあった同じような小国は、同じような条件にありながら地図にも案内書にも載っていたのである。事実を知った時、その国の人々は自国が不当な扱いを受けていると考えた。そして不当な扱いを受けるのは隣国が不正をおこなった結果であるとも考え、隣国はただちに地図や案内書から身を引くか、あるいは記載の半分を明け渡すか、いずれかをすべきであると主張した。隣国の人々はこれを聞いてひどくうろたえ、諸悪の根源は地図の製作者や案内書の執筆者にあると反論した。真相はまったくそのとおりであったが、その国の人々は理性よりも感情を選び、隣国に対して激しい敵意を抱くとともに国際社会に向けて不正の糾弾を訴えた。しかしながら国際社会は地図にないような国の言い分に耳を傾けようとしなかったので、すでに不遇を味わっていたその国は自国の行為によってさらに大きな不遇を味わい、感情を高ぶらせて隣国への敵意を強くしていった。
 少なくとも二度、その国が隣国に戦争をしかけたことが知られている。言うまでもなく不正を正すためであり、最初は宣戦布告をおこなって大使の引き上げが完了してから、二度目は宣戦布告に先立って、軍隊を国境線の先へ進めた。単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られる筈であったが、その国の軍隊には国境線の先へ進むと途端に崩壊するという不思議な性格があり、目論見は二度とも失敗に終わった。二度目の失敗の後ではさすがに原因の究明を求める声が上がり、軍隊の性格を分析するための調査委員会が設置された。最初の調査委員会は結論に達する前に紛糾して解散し、二つ目の調査委員会は結論には達したものの血を見るような騒ぎとなって最終的には分裂した。三つ目の調査委員会では調査の目的が何であったかを思い出すのがもっぱらの課題となり、とうとう何も思い出せずに解散が決定された頃、三度目の遠征が計画された。過去の遠征が二度とも失敗に終わったことはもちろん立案の段階で指摘されたが、単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られる筈であった。
 さて、ちょうどその頃、名高い学者がその国を訪れ、その国の市場の端に立ってその国の人々の立ち居振る舞いを観察していた。そして一つの結論に達すると、その国の元首の家を訪ねて身分を明かした。元首の家では作戦会議の真っ最中で、その国の枢要を占める人々が興奮の極みに達して互いに罵詈讒謗の限りを尽していたが、国際的に名高い学者の名を聞くと新たな興奮が沸き起こり、ただちに会議を打ち切って全員でそろって出迎えた。ひとしきり挨拶が繰り返され、感激もあらわな顔が握手を求め、ようやく落ち着いたところで名高い学者がこのように言った。
「わたしがお邪魔するまで、皆さんは何かをなさっていたようですね?」 

 すると全員が一斉に口を開き、いかにも何かをしていたと大声で答えた。
「何をなさっていたのですか?」 

 またしても全員が一斉に口を開けたが、何をしていたかを説明できる者は一人もいなかったのである。口を開けたまま互いの顔を見交わしていると、名高い学者がこのように言った。
「作戦会議をしていたのでは?」 

 これを聞いて、まず元首が膝を打った。いかにもそのとおりであると頷くと周りの者も一斉に頷き、机の上に広げられた資料の正体も思い出して早速作戦会議を再会した。そしてすぐさま一人が感情を剥き出しにして腕を振り上げると残りの者も後に続き、たちまち罵詈雑言が飛び交う騒ぎとなる。そこで名高い学者は立ち上がり、皆を鎮めてからこのように言った。
「作戦会議もけっこうですが、その前に体質の改善をお勧めします。実は失礼を承知でこの国の方々の立ち居振る舞いを観察したのですが、その結果から得た結論を申し上げましょう。どうやら皆さんは、そろって豊かな感情をお持ちなようなのです。なぜそうなったのかはわかりませんし、そうであることは決して短所ではありません。ただ、感情に流されて行動するせいで、理性や忍耐にやや影が差しているとすれば、もしかしたら短所であると言うべきなのかもしれません。つまり感情によって行動を決めることはできるのですが、理性や忍耐の支援を得ることができないので、たとえば皆さんの会議はしばしば誤った方向へ進み、皆さんの軍隊は目的を保持できずに崩壊してしまうのです。わたしは戦争を肯定する者ではありませんが、体質改善をしない限り、皆さんの軍隊は絶対に勝利を得ることはできないでしょう」 

 名高い学者の話を聞いて、その場にいた者たちは顔に絶望と苦悶を浮かべた。一人が絶叫を放って元首の家から飛び出していくと、数人が涙で頬を濡らして後に続いた。元首は目をわななかせ、唇を振るわせながら名高い学者の膝にすがった。
「どうすれば、どうすれば、わたしたちは助かるのでしょうか?」 

 そこで名高い学者は処方を与えた。処方の中身は今となっては知られていないが、食餌療法の指示であったとされている。与えられた処方はただちに全国に広められ、体質の改善は全国民の悲願となった。その国の人々は学者の報告に衝撃を受け、歯を食いしばって改善に励んだ。励んでいるうちに感情に流されることは少なくなり、隣国の地理上の優越に嫉妬や羨望を覚えることもなくなり、行為の起源を忘れ去ってもなお食事の内容を変えようとしなかったので、ひたすらに粘り強い鈍重な体質となっていった。噂を伝え聞いたある大国の商人は密かにその国を訪れ、一人をさらって腹を開き、見事な粘着質であることを確かめるとこのように言った。
「接着剤のよい材料となる」 

 そして屈強の者たちを送って住民を端から捕えさせたので、その国は間もなく滅亡した。

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