Kippur
2000年 フランス/イスラエル/イタリア 118分
監督:アモス・ギタイ
第4次中東戦争が始まり、予備役に登録していた若い兵士が車に乗って国境を目指して進んでいく。しかし合流すべき部隊はどこかへ移動した後で、国境地帯はすでにシリア軍によって制圧されていた。二人は道中で軍医と出会って救援部隊の一員となり、ヘリコプターでゴラン高原を飛びまわって負傷兵を後送する仕事に参加する。だが最後には当の救援ヘリコプターも被弾し、墜落してしまうのであった、というのがアモス・ギタイ監督の個人的な経験らしい。
ゴラン高原でロケを敢行して戦車を何台もうろうろさせているものの、いわゆる戦闘シーンは一切なし、会話と言えるような会話もなく、ただうつむいて黙っているという時間でかなりの部分が占められている。たぶん、そうして戦場での時を過ごしたという記憶が強いのだろう。つまりこの映画はその個人的な印象をそのまま記憶の中から引きずり出してフィルムに定着したようなおもむきがあり、そうした手法の作家性に注目するならば映画版の印象派と言っても差し支えないのではないかという気もするのだが、未消化の映像をつなぎあわせただけのへたくそな映画だと言ってしまった方が正確かもしれない。戦場におもむいた人間にしか描き得ない退屈さが、この映画には描かれている。作品に作家性を求めるのではなく、作家という状態に作家性を求めるとこういうことになるのであろう。
Tetsuya Sato