Anzio
1968年 イタリア・アメリカ・フランス・スペイン 117分
監督:エドワード・ドミトリク
1944年1月。イタリア戦線を展開中の連合軍はローマの南70キロの地点にあるアンツィオに上陸、ドイツ軍の抵抗がまったくないことを罠と解釈し、その場に腰を据えて陣地戦の準備に取り掛かる。従軍記者のディック・エニスはジープを借りてあたりを走り回るが、試みに道を北上してみると、なんとそのままローマ市内に入ってしまう。市民に訊ねるとローマにドイツ軍はいないという返答があり、エニスはその事実を司令部にもたらすが、安全を重視する将軍は塹壕を掘って時間を稼ぐ。
上陸から一週間、いなくなっていたドイツ軍も戻ってきてすっかり展開を終え、アメリカ軍はその右翼を突くべくレンジャー部隊二個大隊を派遣する。敵前哨戦は森閑としているが、実はそれが罠であった。あちらでは野積みされた藁の山に窓が開き、こちらでは藪の欠き割りがぱったりと倒れてドイツ軍の機関銃陣地が姿を現わし、さらに丘を越えて戦車の群れが現われる。ドイツ軍戦車はアメリカ軍レンジャー部隊に20秒の猶予を与えて降伏を勧告し、レンジャー部隊の指揮官は降伏を拒絶するので戦闘になり、700人以上いた部隊は瞬時に7名まで減ってしまう。その光景を目撃した従軍記者のエニスは無線で司令部にいる将軍を呼び出して憶病者めと罵るが、それでもとにかく自軍の陣地まで戻らなければならない、ということで戻り始める。そうすると目の前には地雷原が現われ、ドイツ軍の新たな防衛ラインが出現し、迷路のような鉄条網が左右に広がり、戦場の真ん中には父親の帰りを待つ善良なイタリア人の一家があり、荒野ではドイツ軍の狙撃兵が待ち構えていている。
監督、出演も含めてアメリカ映画のような外見を備えていても、正体はディノ・デ・ラウレンティス製作のマカロニ戦争映画である。それが悪いというつもりはまったくないが、でも冒頭、ナポリの宮殿の階段をだらだらと登っていくロバート・ミッチャムの背中に主題歌「世界は君のもの」がかかって、この、製作当時でもすでに時代遅れで能天気な歌を聞いているうちに頭がおかしくなってくるのである。戦争映画にリズ・オルトラーニを使ってはいけない。ナポリの出撃場面はおそらく米海軍の基地を背景に、ただ撮っただけ。上陸場面に登場する舟艇のバリエーションは豊かだが、実際に映画のために用意されたものかは疑問が残る。それに対してローマ入城の場面は妙に力が入っていた。でも動員されたエキストラの服装が気になった(コロセウムの前で通行人を集めたのか)。劇中に登場する兵員数は最大で中隊規模、中盤以降は分隊規模まで縮小し、戦闘は小火器中心で、ほかに戦車(M41?)数輌が登場するが迫力はない。全体にデザインを欠き、イマジナリティ・ラインのずれやパースのずれが見苦しい。ロバート・ライアンは二度顔を見せるだけ、ロバート・ミッチャム扮する従軍記者は戦争の不条理を目撃して人間の本質を問いかけるが、特に意味のあることは言っていない。伍長役のピーター・フォークは良心的な演技をしていたが、役そのものは説明が多くて魅力がない。
Tetsuya Sato