Bitva za Sevastopol
2015年 ウクライナ/ロシア 123分
監督:セルゲイ・モクリツキー
キエフの大学で史学を学ぶリュドミラ・パブリチェンコはたまたま訪れた射撃場で射撃の才能を示したことから休学して射撃訓練を受けることになり、復学してオデッサで過ごしていると戦争が勃発、まわりがどう反対しても内務人員委員部少佐の父が許さない、ということで志願して訓練部隊で訓練を受け、そこでも才能を認められてオデッサの防衛戦に投入され、初陣で戦車のペリスコープを撃ち抜いて操縦手を殺害、以降、着実に戦果を上げるが負傷して病院へ送られ、療養中にオデッサが陥落、パブリチェンコは撤退する軍とともにセヴァストポリに移り、そこで前線に復帰してドイツ軍狙撃兵を含む敵多数を殺害、合計309人を殺害したところで重傷を負い、後送を認められてセヴァストポリを脱出したあとはアメリカに送られてワシントンD.C.の国際学生大会などで演説、エレオノラ・ルーズベルトと出会う。
1970年代の末からいわゆる大祖国戦争における女性兵士の実態に関する言及が始まり、この素材を扱う形で『対独爆撃部隊ナイトウィッチ』などの映画が作られてきたが、映画における素材としてはたぶん本作で完成したのではないだろうか。戦争という状況を背景に国家にとって都合よく女性であったりなかったりする存在が本質において必要以上に女性であり、それが人間の本性に反する、という以上に自覚として女性の本性に反する行為に言わば耽溺させられて、気がついたらもう泣くほど嫌気が差している、という当たり前の描写が恐ろしいほど新鮮だった。女性の機能を押し殺している主人公と、女性の機能を絵に書いたように演じている親友マーシャとの対比が面白く、主人公が経験した辛酸を見抜いて深い同情を向けるエレオノラ・ルーズベルトの存在がたいそう温かい。映画は41年から42年までの状況が中心にしながら、エレオノラ・ルーズベルトをおもな語り手として1937年から1957年までのタイムスパンを扱い、簡潔なカットを積み重ねて主人公の心象を描き出していく。演出は抑制されているが、厚みがあり、的確で心地よい。傑作だと思う。もちろん戦争映画としても本気の作り込みがされていて、狙撃戦が中心なので規模自体は小さいものの、オデッサからセヴァストポリまで空間は十分に演出されている。オデッサ撤退ではポリカルポフI-16とメッサーシュミットの空中戦という珍しいシーンも登場する。
Tetsuya Sato