2014年11月5日水曜日

コールドマウンテン

コールドマウンテン
Cold Mountain
2003年 アメリカ 155分
監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ

ノースカロライナの山間部。チャールストンからやってきた牧師の娘エイダは村の男インマンに恋をするが、教養が邪魔して親密になれない。そこへ南北戦争が始まってインマンとエイダは土壇場で互いの気持ちを確かめあい、帰りを待つというエイダの言葉を受け取ったインマンは戦場へ旅立っていく。それから三年。戦場ではインマンとノースカロライナの仲間たちが疲れ果て、ノースカロライナではエイダが生活の糧を失って困り果てていた。教養が生存のための生業を拒否したからである。エイダの困窮を見かねた隣人は無敵の農婦ルビーを派遣、ルビーはエイダの農場のパートナーに収まって見事に問題を解決する。その頃、インマンは前線で負傷して病院へ送られ、南軍から脱走して一人ノースカロライナを目指していた。そのノースカロライナでは酷薄な義勇軍によって過酷な脱走兵狩りがおこなわれ、しかも南軍は敗北を続け、背後には北軍が迫っているのである。
ジュード・ロウと二コール・キッドマンの交合の場面はどちらも実に立派な体格をしていて、一度でも飢餓にさらされた人間には見えなかった(そもそも必要なシーンですらなかった)。レニー・ゼルウィガーの勇ましい農婦はちょっと面白い。ジュード・ロウも悪くない。だが二コール・キッドマンはこの役には貫録がありすぎる。インテリの行かず後家という設定であったとしても雰囲気が違う。戦闘シーンは冒頭の一箇所のみで主に惨さを強調している。ノースカロライナの大自然は美しいが、話にはあまり締まりがない。脱走して故郷を目指すジュード・ロウの前には戦争の悲惨が次から次へと現われ、人命は軽く、運命は惨く、故郷を守る二コール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー組のほうにも戦争の悲惨が次から次へと現われ、人命は軽くて運命は惨い。この二軸構造はうまく消化されていないし、挿入される回想はわざとらしい。


Tetsuya Sato